「雨の町は、」
そこら辺の道のりを思いだして、ふらふらと横路を歩いて行けば、小さな民家が見えた。ああ、あそこだ。懐かしさと寂しさが、流れる凪と共にやって来た。帰ってきた。いや、帰ってきてしまったと言うべきなのだろう。ここへ、そして彼女の元へと。
彼女は、私の全てであり、私は彼女の全てだった。
幻想郷へ流れてきた私は、異世界において、全ての人間が守らなければならないしきたりとタブーを理解し溶け込むことが出来なかった。最初、私がたどり着いた町はあまりにも鮮烈的なものであった。旧守谷神宮町、山なりに沿って造られたその町は、人と妖怪が共に暮らし互いに依存し合うところ、そして余りに悲しい場所だった。その頂上に位置する守谷神宮は、数十年程前までは二人の神と一人の巫女によって絶大な権力と富を有していた。その勢いは、一時は幻想郷の中でも紅魔の吸血鬼と肩を並べる程でさえあった。彼らは多くの信者を従えて、この山に町を造り守谷の総本山とした。雲をつかめる程の高い標高から続く街並みは遠くから見るほど、その壮観さに圧倒される。かくいう私もその一人であった。
ここへ連れてこられて、さまようままに私がこの町にたどり着いた時、町の関門で
「外来人だな?」と髪や髭が異様に長く、片目だけを覗かせた男に問われた。
「ここは?」そうきくと彼は実に気持ちのよくない顔で笑い、大きく手を広げてこう言った。
「ここは、我等が守谷教の総本山、旧守谷神宮町だ」
「守谷教。」
「ああ、外来人は知らないだろう、世界で一番素晴らしく尊い宗教だ。」
「世界で一番。」
「そうだ。」
「総本山なのに、旧がつくのか?」
「それは、我が教祖様が異世界で新しい守谷神宮町を建てたからだ。」
どうやら、聞いたところに寄ると、守谷教には二人の神と一人の巫女がいるそうで、その中の巫女が異世界に守谷教を広めようとして旅に出たらしい。
そして、数年後彼女はこの世界に戻ってきて、新たな守谷神宮を建てたと大々的に公表した。その功績を元に、彼女は自らを神と呼び、守谷の一神と触れ回った。当時、より強い影響力を求めた若い世代の信者は彼女を盲信した。一時は、彼女を一目見ようと他所から押し掛けた入信者が、町を埋め尽くしたこともあるそうだ。結局一年も立たずして、巫女は彼らを連れて再び異世界へと旅立っていった。
「とまあ、こんな感じだな。」髭ながの男は満足そうに言った。
「他の二人の神は反対しなかったのか?」
「それは、もうしたさ。なんたって、子どもの頃から面倒を見ていたらしいからな、我が子同然だろう。一人だちしようとするにはまだ若いとえらく引き留めてたよ。」
巫女と二人の神は、第三者から見てもそれはそれは仲睦まじい様子で本当の親子以上の関係だったそうな。彼女らは、共に境内に住み、飯を食う、それを何十年も続けてきた。そんな時に突然、巫女が異世界に旅立つと言った時に二人はどのような心境だったのだろうか。
「まあ、ここは腐っても幻想郷随一の経済の中心地だ。そら、これで十日は持つだろうよ。」髭ながの男はそういって、番台の上に麻袋をほうり投げた。どさっ重い音を立てたそれを開くと中には、籾が六合ほど入っていた。
「ここでは、物々交換が主流だ。秋に収穫される米は、秋姉妹の不在でめっきり流通量が減ったのさ。貴重な分、もちろん価値がはね上がる。今や通貨として扱われるようになった。まあ、これは栄えある外来人への俺からの餞別さ。これが切れる前には、自分で食い扶持を稼げるようになっとけよ」髭ながの男は痰の絡まった咳をしながら、追い払うように手をひらひらとさせて煙草に火をつけた。
町の中へと入ると、上へと永遠と続く細い階段に面して多くの商店や露店が賑わっていた。階段に寝そべる女、風呂敷を広げて大きな声を挙げて客を呼び込む少年、さらに横道は縦に続く道と違い平坦で、奥へ進めばさらに密度の濃い多種の雑貨や住宅街が見えた。さらにはここに住む者達さえも、余りに多様であった。茅葺き屋根の下で日差しを避けている、丸々と太った着物姿のカエルが煙管を加えて、大量の白い煙を道行く人々に吹き掛けている。煙を嫌がる顔を見せた者達の中には、目だけが異様に赤く充血した女や首から下にかけて斑模様の鱗がまとわりついている老婆など奇怪な姿をした者達が多く、ようやく見つけた、ごくごく普通の人間だと思えば、二尺はある舌を入れたり出したりしていた。
「熱い……」
密集した人混みのなかでは、やはり熱気が篭る。それだけではなく、この町は異様な湿気に満ちていた。シャツの下の肌はもう大量の汗をかいており、鼻先にも汗粒が散らばっていた。
たまらなくなった私は、近くの飲食店らしき場所へと逃げ込んだ。
静かな店内は、古いアンティークや南蛮風の置物、二足で華美な装飾をつけた象や蛙を丸のみしようとする蛇などが所狭しに置かれていた。
「いらっしゃい」奥の簾から、顔を出すように出てきたのは若い女であった。実りを吹かせた稲畑のような金髪が前髪にかかり、そこから覗く蒼い目と尖った耳、二十歳前後といったところだろうか。
「冷たいお茶と軽い食べ物、お願い出来ますか」
「はい、すぐに用意するわ」
二、三分待っている間私は窓から、通りすぎて行く人々をぼんやりと眺めていた。
異形の住む町、旧守谷神宮町。大変な所へときてしまったのかもしれない。
「おまちどうさま」
気づけば、蒼い目の女がお盆を持って側に立っていた。出てきたのは、冷えた麦茶と蕎麦のような黒い麺とすでに葱と香辛料が入った出汁だった。なかなか、手をつけるには勇気のいる見た目だったが、食べてみれば何のことはなく美味かった。
「あなた、外来人よね」
「はい、今朝まで仕事へ行く途中だったのに気づいたここへ流されてきました」
ふんふんと何度か頷き少し考えた後、彼女はにこりと微笑みかけてこう言った。
「これから帰ろうにも、いつになるかわからないし、それまで生きていく手段もない」
「はい」
「あなた、ここで働かない?」急な提案だった。
「何だか、急な話ですね」
くすくすと笑いながら彼女は値踏みをするように話を続けた。
「あなた、顔が良いもの。好みなの」
嘘をついている、お世辞にもそのようなことを言われたこともなかった。というよりは彼女の顔が笑っている。
「ありがとうございます」満面の笑みでそういってやった。これくらいの皮肉は許されるだろう。
「ぷっ、あははははは」突然腹を抱えて笑いだした。
「面白いね、あんた。合格よ、もういいじゃない何だっていいでしょ理由なんて。あんたも食い扶持が稼げるし、私も雑用係が増えて楽だし、お互いに得があるじゃない」
確かに、この世界で多少なりとも生き抜くためには仕事が必要なのは理解できる。そんな中に垂らされた餌は、柔弱な自分には針が覗いていても魅力的だ。
しかし、この女性かなりの美人である。
決定。
「よろしくお願いいたします」
最終更新:2017年02月12日 14:11