○○を焚き付けてからしばらく。イーグルラヴィの要員採用試験が実施されて数週間程度が経過したころ。
掲示モニターの前で今か今かと待ちわびている玉兎たちの集団を尻目に、
私はいつもの‘お仕事’をするべく建物の中へと足を踏み入れた。そう、今日が結果発表日なのだ。
あの集団の中の玉兎以上に、私はこの日を待ち焦がれていたといっても過言ではないだろう。
心なしかいつもより時計の進みが遅い気がする。
軽快な足取りで向かう先は情報部、目的は人事データの受け取りとなっている。
ここで受け取った情報を整理して豊姫様に報告するのが定例だ。
「レイセンです。本日の情報書受け取りに参りました」
『はい、お待ちしてました。いつもご苦労様ですね』
迎えるのは最早顔馴染みとなった情報部の玉兎。仕事時間中に怠けるために、仕事時間前に仕事を終わらせる変な兎だ。
見た目こそ平凡そうではあるがそれなりにデキる様子であり、この調子じゃ交代した玉兎に仕事が回ることはないだろうな、と毎回羨ましく思う。
私の替わりに"レイセン"になってくれたら楽なのに。
だが現実としてそんな夢のようなことは起きるはずがない。現状私の替わりを勤まる玉兎はいないからだ。
私が下らない想像に現を抜かしている間に彼女はうず高く積み上げられた封筒の山から必要なものを抜き出して持ってくる。
『これです、これ。はい。持っていってくださいな』
「中身は?」
『特務要員選抜試験全結果12ページ冊子1部、採用者配属情報5ページ冊子1部。以上です』
「はい…はい、確認しました。冊数、ページ数問題なしです。」
『んじゃぁここに受領印お願いします』
「ほい、これで大丈夫?」
『はい、結構ですよ~』
そんないつも通りのやり取りを終え、中身を見たくてはやる気持ちを抑えながら、自身の仕事部屋へと向かった。
部屋に入ると先ず鍵を掛ける。機密性の高い書類を扱うならば当然の措置であるが、私にとってはまた別の意味をはらんでいた。
大事に抱えた封筒から冊子を2つ、確かに取り出す。
「…ンフッ…○○…○○…きたよぉ…まっててね……ンッフフフ…あぁ……うれしい、うれしいよぉ……」
ついに、ついにこの時が来た。待ち焦がれていた瞬間が。
ページをめくれば答えがそこにある。
しかし私は、まるで冒険譚を読み進めるかのごとく一字一句噛み締めながら、その先にあるであろう輝かしい記述を目指して読み進めていった。
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申告名:セイラン 担当:前線操作担当
備考:
頭の方の成績は、選抜者の中では平々凡々。要努力。
戦闘においては飛びぬけている。素早く正確な射撃、瞬時の判断能力に優れ常に優位に立てるような戦い方をする。
彼女のような存在は積極的に前線へと送られるだろう。
鉄砲玉として使い捨てられるようなことにならないことを祈りつつ、アタマの方の成績を伸ばしていってもらいたい。
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人事報告書…というには些か主観にまみれすぎているモノからは、見知った玉兎の名前をチラホラ見かけた。
それもそうだろう。何を隠そう私のいた部隊は厳しい事に定評があったのだ。
故にこの名簿に知り合いがいてもおかしくはない。
むしろ一人もいなければあの訓練はまるで無駄だったということになってしまう。
そういった意味で、顔見知りの名を見掛けるだけでも誇らしい気持ちになる。
それも相まって今の私の耳は今季最高の美しさと手触りを誇っている。
だが、一向に私と○○の名前が出てこない。
それもそのはず、前方部隊の次に後方部隊の名簿が来るのだ。
一枚、また一枚とゆっくりと読み進める。
後に引き延ばすほど私の期待は蓄積され、高まってゆく。
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申告名:リンゴ 担当:直接指令担当
備考:
戦闘面は選抜者の平均に埋もれてしまうほどしかない。
大局的な視点での状況判断、得た情報を上手く作戦に反映する能力を高いレベルで持ち合わせている。
閑職に追いやられることがないように、アタマの成績の方よりも戦闘面を伸ばしていってもらいたい。
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そしてついに、その時は訪れた。
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申告名:レイセン 担当:情報分析担当
備考 :
綿月様直属。イーグルラヴィ選抜基準者につき評価試験免除。勅令により配属先を決定。
戦闘及び情報の取り扱い等についても高いレベルで両立している。
上層部からの人事情報中、ストレス耐性評価に関して疑問点あり。言動及び耳を要観察のこと。
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「 以上 」
「…は?」
頬や身体から一気に熱が引き、頭の先から氷水を掛けられたかのように凍りつく。
そこにはあるべきはずの名は無く、その替わりにその役職にあるまじき者の名前があった。
「…なに…これ…なんで…」
どうして私の名前がここにあるのか、なぜ○○がいないのか。
冷や汗が吹き出し、息を吸えているのか吸えていないのかまるでわからない。
震える身体を何とか押さえつけ、書類の不備という奇跡に一縷の望を掛けて最後の頁をめくる。
だが、その目に映ったものは幾つも押された検印と、その数と同じだけの署名だった。
つまるところ、○○が当然いるべきと思っていた役職に私がいたのは間違いでもまやかしでもなく
紛れもない決定事項だということだった。
事実を認識できても、それを脳が受け入れられない場合は自身の時間が停止する。
そして、外力がなければ再び動き出すことはない。
『――呼び出し。レイセン、レイセン。可及的速やかに104号面談室、綿月様の元へ出頭せよ。繰り返す――』
どれだけの時間が経過したのだろうか。自身の名を呼ぶ大音量の放送が流れ、私は漸く我に帰った。
時計を見れば豊姫様に報告をする時刻をとうに過ぎている。
必要な書類を掴み取ると、よたよたとした足取りで、それでも急いで豊姫様の元へと向かった。
『――前回の報告についてだけど、確かに貴女の分析は適切だったわ。槐安通路なら確かに効率がいい。でもねレイセンそれはあくまでも特殊な例なの。
『槐安通路だと獏に左右されかねない面もあることを念頭におきなさい。それから今回の人事報告だけど――』
報告を終えた後で、豊姫様は何事もなかったかのように口を開いた。
それなりに仕事には慣れたつもりではあったが、私の纏めたものに対してああでもないこうでもないと添削を始めることが多々あった。
しかし流石はと言うべきか、その学の高さ故に話のキレがあり、内容もとても面白く感じるのだ。
○○と引き離された後に積み重なってきたストレスを僅かながら和らげる数少ない楽しみの一つと化してた。
だが今の私にはただの波、複数の周波数から成る音の塊としか認識出来ない。
何を言っているのかもよく理解できない。
そう、あの配属情報の冊子を見て以来、私は"何故○○の名前がないのか"についてずっと思考を割いていたのだ。
そして私はあるひとつの結論に辿り着きつつある。
いくら対地上の任務が重要だとしても、だ。
月の為政者たる綿月姉妹が訓練に出向いて選び抜き、直々に手元に置いた優秀な玉兎を帰還不能の可能性のある地上に送るだろうか。
否、送るはずがないのだ。現実的に考えれば、手元に置きたがるのはあたりまえである。
その上、イーグルラヴィの基準として最初に選び、期待していると声をかけたからにはただのお世話役では終わるはずがない。
ならば配属先はイーグルラヴィの職のうち、内勤以外に選択肢はない。
私にずっと情報部のパイプ役をやらせ、外からの情報…すなわち地上の情報をまとめて報告させたことも、お世話の時、当日になってはじめて情報を与えることも
「情報を得た瞬間に適切な判断を下す、あるいは適切な手段で分析をしてまとめあげる訓練」だったのだろう。
とどのつまり、私の仕事は世話役と情報分析官の2つだと初めから決まっていたのだ。
答えにたどり着くためのヒントも初めから用意されていた。それも目の前に。
結局、○○と一緒に居たいがために私のしたことがもたらしたのは、結果のみえた出来レースに○○を引きずり込み
希望を持たせた挙げ句に不採用という形で○○を傷つけるという最低にして最悪の仕打ちだった。
あぁ何てことを、私はなんてことをしてしまったのだ。
あぁ○○、○○ごめんなさい私なんかのせいで○○は――
ぐらぐらと視界が歪み、周りの音が遠くなる。
後悔と絶望と自責の念を綯い交ぜにしたどろどろとした感情が神経を媒介して全身に広がって行くのを感じながら、私は只立ち尽くすより他になかった。
『――イセン!レイセン!しっかりしなさい!レイセン!』
「けひゅっ…」
がくがくと前後に揺さぶられ、普通に生きていれば発することのなかったであろう音を口から発すると共に、私の再び視界に色が戻る。
「とっ…豊姫様…?あぅっ…なにっ…をっ?」
『どうしたもこうしたもないでしょう!まさか貴女、自分が何をしてたのか覚えてないの…!?』
曰く、突然ガタガタと震えながら何かに向かってひたすら懺悔と謝罪の言葉を呟いていたとのこと。
気が付くと豊姫様が私を揺さぶっていた、それが私の認識であり、豊姫様の反応は寝耳に水であった。
だがその原因が何なのかは、それだけははっきりとわかる。
『……兎に角、今日のところはもう下がりなさい。寄り道せずに自室に戻って休むこと。いい?』
「はっ…はぃ…」
その言葉には有無を言わせぬ圧力があり、その言葉のままに自室へと足が動いた。
だが今朝と同じ場所を通っているのにも関わらず、たった一人だけ、この世界から締め出されてしまったような得体の知れない不安感に襲われる。
何か悪いことが起こる前は、決まってこの感覚へと陥るのだ。優秀すぎる耳と感覚がこれまでになく必死に警報を発している。
一刻も早く繭の中へ籠らなければと歩みを早め、廊下を曲がったその瞬間――。
「○……○○っ…」
そこにいたのは、これまでずっとずっと恋い焦がれ求めて止まなかった、そして今一番会いたくなかった者の姿だった。
どうしてこういう時に限って、こんなにも嫌な形で偶然遭遇するのだろうか。
『……レイセン。……………ぁあ、レイセン!どうしたのさー!まだ仕事時間でしょう?』
いつもと変わらぬ元気の溢れる台詞。
だが声が僅かに震えていることを、私の耳は聞き逃さなかった。目尻はうっすらと朱に染まり、直近の過去に何が起きたのかを否応なく私へ流し込んでくる。
「――」
私は何か必死に言葉を紡ごうとするが、口から出るはずの言葉は、どす黒い濁流に飲み込まれて消えてゆく。
必死に言葉を紡ごうと口を動かすが、掠れた吐息と冷や汗だけが出てくる。
互いに見詰め合い、永遠のような十数秒が経過する間、○○の表情はみるみるうちに曇っていった。早く、何か、何か言わなくては!
『……やっぱり駄目。ごめんレイセン……今日は……もう帰るね』
俯いて踵を返し、小走りで離れて行く○○の背を眺めながら、私は未だになにも出来ずにいる。
「――待って○○」
漸くその一言を絞り出す頃には、すでに○○の姿はなく
無機質な色の壁と立ち尽くす私だけがその場に残されていた。
「ぁ…○○……」
こんな状態で、こんな気分でどうやって自室に戻れというのか。後を追うのか。いや、私にそんな勇気はない。と、すればやることは一つだ。
グッと唇をかみしめると、○○の進んだ方向と逆へ走り出す。
行き先は‘いつもの場所’――すなわち、周りよりも背丈のある建造物。これまで幾度となく○○の声を、○○の奏でる音を聞いてきたあの場所だ。
坂を上り扉を開け
階段を上りまた扉を開け
鍵を閉めて奥へ進み窓を開ける
荒くなった息を整え耳のブレを抑えると、窓からそっと身を乗り出す。
ここまでは狙撃よりも簡単だ。
この時間なら、もう○○は自室にいる事だろう。方角、俯角、距離、全て間違いない。
耳をターゲットへ正確に向け、そのまま意識を集中する。
○○は、今○○は何をしている?何を考えている?全て知らなくては、○○のために、そして私のために。
『――っ―――ぅ』
入った。○○の声だ。もっと、もっともっと明瞭に、その全てを聴きとらなければ――
呼吸を止め、目をつむり、全神経を耳へと集中して耳以外の情報を遮断する。
だが耳に入って来たものは
何かを啜る音
何かを破く音
鼻歌ではなく嗚咽交じりの呼吸音
私が心のどこかで求めていたものの対角線上に位置する反応であった。
○○は今、悲しんでいる。
○○は今、絶望している。
こんなひどい仕打ちをしたのは誰?
――わたしだ。
私が○○を焚き付けなければこんなことにはならなかった。全部、全部、全部全部わたしのせいなのだ。
例の人事報告書を読んだ後に自らその結論へ至ったのは確かなのだが、心のどこかで‘○○はそこまで落ち込まないだろう’という予防線を張って目を背けていた。
そしてたった今、○○の絶望する姿を突き付けられ、それが致命傷になった。
「――――――――」
狙撃手が逆に狙撃されたときはきっとこうなるのだろう。
私は一言も発することなく上半身を大きく仰け反らせ、後ろへ倒れる。
思考はぐしゃぐしゃで何も考えることが出来ない。ただただ認識してはいけない現実が無理やり脳に流れ込んでくる。
「……あぁ…あ…ぁぁああ…!」
倒れてから一瞬の静寂の後、叫び声が上がる。私の声だ。
頭の中へ流れ込むモノは怒り、悲しみ、絶望、怨嗟の声。○○の声なのか自分の妄想なのかもはや区別がついていない。
見えない何かが私を囲んで指を指している。おまえのせいだ、おまえのせいだ、と。
「うわぁぁああああぁぁあ――」
床に崩れ落ちて地べたをのたうち回り、無様に悲鳴を上げる自分の声を 私はどこか遠いところから聞いていた。
――
あの後どうやって自室まで戻ったのかは分からない。
気が付くと私は着の身着のまま自分のベッドの上に倒れていた。
昨日あれほど取り乱していたのにもかかわらず、一夜明けた自分の姿は驚くほど冷静だった。
自責の念で終ぞおかしくなってしまったのだろうか。
否、新しい結論へと辿り着いたのだ。
○○の絶望はイーグルラヴィの採用試験に落ちたために発生した。
そしてその発端は私。原因も私。
ならば○○をこの絶望から引きずり上げ、幸福の絶頂へと導くためにはどうすればいいのか。
聡明な私にはすぐにわかった。
ベッドから這い出すと、しっかりとした足取りで机に向かう。
「……特務要員選抜試験全結果12ページ冊子1部」
あの時私が受け取った冊子は配属情報のものともう一冊。
ここに記してあるのは受験者全員の詳細な評価であり、当然○○についての情報も記載してある。
ページをめくり○○についての記述を探す。
つい昨日のソレと全く変わらないが、一枚一枚の紙がとても重かった。
「……あった」
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申告名:○○
備考:
勅命により採用見送り。保安上の理由と思われる。
試験結果に関しては十分なため、現担当者の代替要員として登録。
引き続き動向調査のこと。
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○○を採用しなかったのは保安上の理由、とある。
○○の素行は優良というほどではないが、採用に影響を及ぼすほどではない。
むしろ情報の扱いについては私に勝るとも劣らないのに――
と、ここまで考えて気が付く。そういうことか。
保安上の理由というのは○○がダメなのではなく、単に機密情報を扱うの者が少数の方がいいということなのだ。
イーグルラヴィの要員が収集した情報は分析官のもとに集約され、情報部を介すことなく直接月の為政者へと送られる。
そのため分析官のポストには‘絶大な信頼を得た者’が就かねばならない。
「何が何でも私のせいってわけね…ホントにもう…!あぁ!どうしてこうもままならないの!!」
バンッ!と勢いよく両手の拳を机に叩きつける――が、現実を変えるほどの外力になどなりえず、
机からの抗力によって自身の手がダメージを受けただけで終わった。
現状どうあがいても○○は私のいるポスト、すなわち情報分析官にはなれない。
私が優秀過ぎるせいで。
「―――ふ、ふふっ…フフ…」
そう、わたしは優秀過ぎた。なればこそ、こんな突飛な考えが頭に浮かぶのだ。
「ンフフフフ…!代替要員…!これ…これだ!アッハハハハ!」
書類によれば○○は確かに私の代替要員になっている。ならば話は早い。そう、話は簡単だ。
私という存在をこの月の都から消し去ってしまえばいい、たったそれだけのことである。
かくも重要なポストに空白が生じたならば、当然ながら速やかに代役を据えなければならない。
それこそが○○の理想を叶えるための唯一にして最高の手段なのだ。
どうして今までこんなにうじうじしていたのだろうか。
今の私は叶えるべき目標を見つけて生き生きとしている。それもまぎれなく○○のため、○○の嬉しそうな姿のためであり、最終的には私の行動次第で○○の運命が変わるのだ。
私は決断してから行動するまでが早い。
○○の嬉しそうな顔を眼球の裏に浮かべながら、私は私自身を消し去るための計画を練り始めるのだった。
最終更新:2017年02月12日 15:09