インクの付いたローラーを均等な濃さに刷るために慎重かつ素早く転がす。
刷り終わった紙は謄写版から取り出し、部屋に這わせてある糸の洗濯ハサミに引っ掛けると、また次の紙を謄写版に入れた。
「いやー、わざわざ手伝って貰ってすみませんね」
「いえ、大丈夫です」
鴉天狗の射命丸文に声を掛けられ、一息つく為に作業を一時中断する。
白狼天狗である○○の本来の主な業務は山の警備であり、○○個人としては新聞の発行は行っていないのでこのようなガリ版刷りに興じる必要は、本来ならば無い。
にも関わらずこのように律儀にイソイソとローラーを転がしているのは、勤務明けに運悪く射命丸文に見つかり、立場的に上司である彼女に逆らえずに手を引かれるまま連れ出され……現在に至る。
「あともう少しですから、お願いしますね」
「…………」
作業を再会しようかと思った頃に、射命丸文が○○背中へもたれかかる様に体重を預けてきた。
そのまま腕を○○の腹の方にまで伸ばしてきたので半ば抱き付く様な形になり、首の付け根には何やら柔らかい感触が二つほど押し付けられている。
更に耳元には無意識だろうか、浅い吐息が降りかかだていてこそばゆい感覚が全身に電流のように伝わり、少しだけ手が震えた。
彼女がこういったアプローチをしてくるのは珍しい事では無い。
からかっているのか、それとも誘っているのか……射命丸文という女性の普段の行動からして前者の可能性の方が高い気がして、どう反応すれば良いのやら対処に困る。
そもそも、元来から軟派という言葉から180度正反対の不器用性格をしている○○にはどの道されるがままにされ、黙する事しか出来ないのだが。
「もう、つれないですねぇ……」
「…………すみません」
まだ齢500にも満たない若輩者である○○には素直に詫びる以外に言葉が浮かばなかった。
これが千年以上の刻を生きる成熟した男なら気の利いたセリフでも吐けるのだろうか──等と想いを馳せながら再びローラーを握って刷り始める。
そうしていなければ、ひどく居心地が悪かったからだ。
最終更新:2017年06月05日 21:38