切り裂く瞬間を
じゃりっと音が鳴る。顔を仮面で隠している目の前の人物は、腰に差した刀に手を当てて此方ににじり寄って
来ていた。敵意と殺意を漲らせ、一歩、一歩自分と彼女に近寄ってくる。恐らくはここ最近人里で暴れ周り、好
奇心旺盛な天狗を喜ばせ、善良な村人を恐怖のどん底に陥れている新手の妖怪なのであろう。
いくら立ち寄った先から貰った妖怪除けが強力であっても、人里の離れを不用心に歩いていたのは少々どころ
か、大分間抜けであったものである。その分は埋め合わせをしなければならないだろう、自分の武器で。
一緒に居る彼女を下がらせて銃を構える。香霖堂で買った年代物の小銃は、スラリとした刀が先に取り付けら
れている。月の光と周りを照らす紫色の光に照らされて、良く研ぎ澄まされた刀は冷たく光っていた。
一方目の前の襲撃者は、僕が連れを後ろに下がらせたのが気にくわなかったらしい。仮面の奥からゴリゴリと
音が聞こえてきた位だから、文字通り歯を食いしばる程に気にくわないのであろう。
威嚇の意味を込めて一発を放つ。適当に打った銃弾は外れ、スタートの号令の如く相手が襲いかかってきた。
今度は狙ってもう一発を打つ。それを相手は躱す。体の中心を狙ったそれすらも躱すことに目をむきながらも、
自分の体は自動的に敵の刀を防いでいた。頭の上で交差する刃と刀。よく見ると其程大きくない癖に、相手の
力は男の自分を凌ぐものであった。ジリジリと押されていく体制を壊し、下がりながら相手の顔を狙って突きを
繰り出す。自分の左肩を犠牲にした一撃は、相手に傷を負わせることは出来なかったものの、仮面を剥ぐ事には
成功していた。
「よ、妖夢・・・。」
顔見知りに襲われていると知り、頭の中で火花が散る。何故という思いで一杯となり、引き金を引くことすら
忘れてしまう。そんな僕を再起動させたのは、後ろで響いたドサリという鈍い音であった。弾かれたように後
ろを見ると、彼女が地に伏している。月明かりに照らされて広がっていく黒い染み。彼女から溢れる濃厚な血の
臭いは、自分の肩から流れる痛みと混じり合い、頭の中を埋め尽くしていた。
「隙あり。」
いつか練習で聞いたことのある声がしたと同時に、背中を冷たい塊が通り過ぎていく。直後に熱い血が流れ、全
身に痛みが走る。何も考えられなくなり、それでも痛いという事だけが頭を埋め尽くし、地面に倒れた後も這い
回る。それでも目の前の彼女に手を伸ばす。致命傷だと分かっていても。
さくりと音がして、手が止められる。喉から叫び声が出て、痙攣を起こす手が地面をのたうち飛び跳ねるが、
自分では止められそうにない。そうしている僕を尻目に、妖夢は彼女を川に蹴り落とす。鈍い音の後のボチャン
という大きな音が僕の耳の中にこびりついた。
妖夢は僕の方を振り返る。半霊より黒く濡れた刀を受け取ると、予想に反して刀を鞘に収めた。そして身を固く
する僕を抱え空中に飛びたつ。急激な重力と痛みによって、僕の意識はすぐに消えていった。
薄暗い部屋で目を覚ます。すぐに今までの事を思い出し、僕は起き上がろうとするが、痛みですぐに伏せてし
まう。空気がふわりと動き、ずれた布団が僕にかけ直されるのを感じ、僕は近くに誰かがいると分かった。
「起きましたか。○○さん。」
蝋燭の火に目が慣れると、妖夢が布団の横で正座をしているのが分かった。色々な思いが駆け巡るが、言葉に出来
ない。つっかえてやっと出たのは、ありきたりな一言だった。
「何故、と。」
ポツリと妖夢は話す。
「愛ですよ。」
愛って何だよ-と禅問答の様な答えを返す僕に、妖夢は話を続ける。
「私、○○さんが好きです。」
「でも○○さんは私なんかよりも、他の人の方と仲良しでした。」
だから、殺したのか-と僕は信じられない思いで言う。信じたくは無いが、辻斬りの被害者には僕の知り合いが
何人も居たのは事実である。そしてそれで余計に僕は、あの場で妖怪を殺そうとした。今までの恨みを晴らそう
として。
「好きな人って、逃したくないじゃないですか。」
僕の問いかけに沈黙で肯定を返し、妖夢は続ける。
「だから、逃げ道を潰して、後ろから挟み込んで。」
「あの女が怪我した○○さんを見て固まった時に、半霊で後ろからバッサリと切ってやって、それでそれを見て
固まった○○さんを今度はちゃんと斬ってあげて。」
「何でしたっけ?自分の髪を売って時計に付ける鎖を買う女と、時計を売って髪飾りを買う男でしたっけ?それ
にピッタリですね。」
そんなんじゃない、と言う僕に彼女は尚も言葉を続ける。
「別に○○さんを責めている訳では無いんですよ。あの女が悪いんですから。まあ死んじゃいましたけれどね。」
「私の方が相応しい。それだけの事ですから。」
人殺しに相応しいもクソもあるかという反論をねじ伏せるように妖夢は言う。
「え、私は別に人殺しじゃありませんよ。あれは唯の妖怪の仕業ですから。」
「大体、あれだけ派手に何人も殺していれば、とうに異変として巫女が動いたり、里の自警団が動くでしょう?」
「現に動いていたじゃないか。」
痛みを堪えて叫ぶ。妖夢の言う事が嘘であって欲しいと願って。
「あんなの形だけですよ。人外の本気はもっと凄いんですから。」
妖夢の態度はそれでも余裕である。
「それに、あの稗田家で貰った妖怪除け、あれ、白玉楼製のやつですから。」
「当主様が認めたとでも言うのか!!」
「これ、この屋敷の鍵です。
幽々子様は暫く留守にされるんですよ。気を遣って下さって。二人の為にって。」
「○○さん。二人っきりですよ。この屋敷で。」
「ねえ、何かして欲しいことは御座いますか?」
最終更新:2017年06月09日 23:08