依存心の発露

「ええ、確かに彼は私に依存しています。」
さとりはこともなげに、部下の火炎猫の質問に答えた。まるでそれが自然なことだと言わんばかりに。
しかし-しかし、いくらルールから逸脱した存在として認識されている妖怪であったとしても、其処には最低限の
ルールは存在している。全ての規範を投げ捨てた存在は、唯単なる災害となり果て-結果として巫女や賢者に退治
される運命である。
 しかし彼女は明確に彼を歪ませていた。それも際限無く何処までも。明るい高みから地の底に落ちた存在は、更
に泥炭の深みに嵌まっていく。地獄の煉獄には底が無く-故に落ちた天使は永遠に堕天する。神の使徒として名高
い天の使いですらそうなのであるから、ただの一般人にとってみればさとりに全てを依存し、あらゆることを求め
ることは自然なのかもしれない。例えそれが果てしなく悲惨な結果をもたらすとしても。

「しかし、さとり様、いくら何でもやり過ぎでは。」
常識人としての理性を持つ部下としては、いくら敬愛する主人であっても、いや、尊敬する主人であれば尚のこと、
やり過ぎや暴走を止めたいと思うことは自然なことである。それが単に自分の主人の外聞を気にするという、矮小
な動機からであっても、彼にとっては幾分かの歯止めとして機能する筈である。しかし、

「そうですね。」
その狂気を自認する人物からすれば、一顧だにする事は無い。良心が麻痺した人物に対しては治療は可能であるが、
そもそも良心が存在しない人物を所謂-まとも-にすることはどだい出来ない相談である。なれば彼に対しては何
も残されていない。救いを求めた子羊に残されたのは絶望しかないとすれば、余りにあんまりなことであるが、現
実は非情である。


「彼は私に依存しています。それも相当に。」
「なら、あの人がかえって悪くなっているのが、分かっているんじゃないんですか!」
トラウマを解消し、自己肯定感を与えることは精神の発達において必要な事である。精神に傷を負った人物に対し
て、本能に根ざす恐怖を解消することで不安の解消が出来ることは知られたことである。しかし、自己肯定を越え
て全能感を与えたらどうなるのであろうか。トラウマと共に過去の記憶を改変すればどうなるのであろうか。
 さとりに与えられた全能感による陶酔、その後に訪れる落胆と現実への無能感。それは麻薬の如く精神を蝕み、
現実からの逃避を一層促す。更に過去の失敗の記憶の改変は、誤りが無いという幻想を作り出し、そして失敗への
恐怖を作り出す。その歪な精神では到底、周囲と正常な交流を持つことは出来ないであろう。

「それが、何か悪いですか?」
そして彼はさとりにますます依存し、遂にはさとりが居ないと精神の不安定を来すようになる。ここまで来れば
外界で俗に言う廃人なのであろう。全てを彼女に依存する、他人が見れば忌諱する様な存在であっても、彼女は愛
を注ぎ込む。

「彼にとっては悪いです。」
あくまでも抗戦する部下にさとりは困った様な顔をする。普段の余裕の笑みを浮かべ、指を口元に当てる。口が開

「駄目ですよ。お燐。」
空気が凍った。

さとりのサードアイが睨み付ける。心の奥を見透かし、魂に刃を突き立てる。いくら自分のペットであっても、こ
れ以上の容赦はしないと眼は睨み付ける。全ての感情をバラバラになり、恐怖が本能の骨の髄まで犯す。理性が吹
き飛び原始の生存本能が全身を暴れ回るが、しかし体は動かない。指の一本さえも。

「あ、ひっ・・・。さ、さとり様。」
さとりの手が頭を一撫でし、彼女が去って行くまで、動くことは出来なかった。

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最終更新:2017年06月13日 20:50