売り渡せば

 昼下がりの午後、屋敷までの道すがらは太陽が周囲を燦々と照らしていたが、
里一番の大きな屋敷の門をくぐり奥まった部屋に案内されると、障子で中庭と区切られた部屋の中は、
何だか薄暗いように感じた。
部屋で待っていたのは、この家の当主である稗田阿求。
彼女から呼び出される時は大抵が悪いこと絡みなので、出来れば遠慮したいものだが、
里一番の権力者相手には無視を決め込む訳にもいかず、こうして毎度毎度の如く参上している。
情報屋の真似事をしているために、自分の評判についても聞く機会があったが、ここ最近はよく訪問していたためか、
稗田家に取り入っているとやっかまれていたのは苦い顔をせざるを得なかった。
彼女に取り入る等と想像が出来るのは彼女の事をよく知らないか-或いは相当な馬鹿か信奉者だけである。
アレは取り入るべきではないし、近づくべきでないし、そして、そうして-----
好意を持たれるべきでない。

 部屋にて当主と相対すると、彼女は挨拶もそこそこに○○の様子を尋ねてきた。
「○○さんの様子はどうですか?」
どうとは、何がどうなのですか-と反射的に問い返したい気持ちを抑え、予め用意しておいた答えを話す。
さも、少しだけ考えたような口振りで、短すぎて悟られることもなく、長すぎて作った話だと思われることもないように。
彼女は○○については盲目であるが故に、○○の周囲については敏感である。
彼の気持ちを理解して歩み寄るのではなく、彼と自分の間にある障害を取り除くことに全力を注ぐ。
彼と彼女の間に何も無いのであれば、確かに自分が彼に一番近い人になるのであるが、それは果たして幸福であるのであろうか。
当主はそれを幸福と、一片たりとも疑う事無く幸福だと叫ぶので有ろうが、それは○○にとっての幸福を意味しない。
「そうですね…今の所はあまり変わりが無い様子です。」

 お望み通りの状況を伝えたが、当主の機嫌は良くなっていない。むしろ悪くなっている様子である。
やや苛出ちを顔に出した様子で彼女は尋ねてくる。
「最近、○○さんが村から除け者にされているようだと聞いています。友人との付き合いも悪くなったとも。」
それは十中八九、当主が邪魔者をどうにかしたためであるのだか、それを正直に伝える程私は馬鹿ではないし、
敢えて苦言を呈する程人間ができていない。
結局のところはお決まりの曖昧な言葉となる。
「稗田家に気に入られているので、周りの人も気を遣っているのでしょう。」
折角の回答にも彼女は不満げである。
「どうにかできませんか。」
「どうにかですか。それは中々に難しいかと。」
人間の心を無理にどうこうするのは困難だとは、村の統治者としては分かっている筈なのだが、
それすらも投げ捨てる程には愛に狂っているようである。
「むしろ…。」
「むしろ、何ですか。」
答えをせっついてくる彼女に、取って置きの解決方法を話す。
「少々御当主様が○○と距離を置かれ…」
「駄目です。」
こちらが言葉を言い終わる前にバッサリと切り捨てる当主。そもそもが自分の欲望の所為なのであるが、
どう転んでも貫き通す構えである。

「全く、ままらないものですね。」
湯飲みを手でさすりながら、使用人にお替りを頼んでいる彼女は、外見だけみれば大変に儚げだとも言えよう。
「こうなっては○○さんをお迎えしなくてはなりません。」
しかし、その内面ではどす黒い感情が獲物を捕らえようと暴れ回っている。そして一段落付いたのか、彼女はふと私に告げた。
「ああそういえば、ついでに貴方は永遠亭の方に送る事にしましたので。」
「はあ?!」
前後の脈絡を欠いた結論だけ投げつけられた言葉であるが、私のこれからを決めかねない何かが勝手に決められようとしているのだけは分かった。
「一体どういうことですか!」
全くもって、冗談では済まされない。どうして急に私が永遠亭に送られなければならないのか、
入院患者として送られるのならば兎も角、彼女がそういう意味で言っている
のでは無い事は確実であるし、ならば、最早二度と戻っては来れない予感が募る。
これではまるで私が売られた様ですらある--○○と同じように。
「全く、感謝して欲しいんですよ。死ななければ行くことが出来ない地獄や、評判が悪い地底ではなくて、里の皆が憧れている永遠亭の方にしてあげたのですから。」
そんな気遣いなんぞお断りだと立ち上がって怒鳴ってやろうとするが、足が縺れて畳に倒れ込む。
腕をどうにか差し込んで、顔から突っ込むことは避けられたが、幾ら何でも普段私が用心のために用意している薬にしては早すぎる。
もがこうとする私を尻目に彼女は冷たい声を掛ける。
「妖怪にも効く永遠亭特製の薬は良く効いたでしょう。それでは八雲様、この人を永遠亭まで運んでいって下さいな。」
そして私の体は暗い闇に引きずり込まれた。

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最終更新:2017年09月04日 23:14