「な、なんだ!?」
○○が正気を取り戻した刹那、直ぐ真横を物凄い勢いで何かが通り抜けた。
そして間を置かずに背後でガシャンと、嫌な音が響いた。
「やれやれ。無粋だね。コソコソと嗅ぎ回る、まるで鼠だ。」
その神子の声がやけに近く、○○はギョッとする。
慌てて距離を取ろうとするも、がっちりと腰に回された腕がそれを許してはくれなかった。
「お、おいっ!?」
当然、○○は抗議の声を上げるも、神子は答えなかった。
聞こえていない訳ではないのだろう。何故なら、腕の力が更に増したからだ。
「……何のつもりだ? 今日は私が、○○のマッサージを受ける日だと決まっていた筈だが」
「それのどこがマッサージよ!」
この声は、幽香か? 何故彼女がここに?
一向に状況の飲み込めぬ○○。
盲目というのは、こういう時に不便だ。得られる情報が主に聴覚に限られているせいで、
状況の把握がどうしても受け身になってしまう。
○○は身を安全に第一に考え、神子の腕から逃れようと試みるも、一体彼女の細腕のどこにこの様な力があるのだろうか?
○○は身を捩る事しか出来ず、脱出は叶わなかった。
どころか増々腕の力が強くなる。下手な抵抗は逆効果のようだ。
そして○○の意思を一切合切無視して、話は進んでゆく。
「マッサージだろう? まさか違うとは言うまい? 同じ穴の狢じゃないか」
ギリと、大きな歯ぎしりが聞こえた。
不穏な――不穏な空気が辺りを包む。そりゃぁそうだ。相手が幽香なら、神子の挑発を快く思う筈がないからな。
しかし、同じ穴の狢とは。神子と幽香が? どういう意味だ?
「だとしても、貴女の行為は度が過ぎています」
む。白蓮もいるのか。
だとすると神子の言葉の意味が、増々分からなくなる。
「えぇ。○○を連れ去ろうとするのは、ご法度よね。あくまでそれは、彼の意思に任せると。ルールがあるじゃない」
ルールだって?
狢の意味を考えていた○○の耳に、更に不明な単語が追加された。
どちらの意味もまるで分からない、分からないが、彼女らは意味が通じているらしい。
それはつまり、俺が知らぬ水面下では何らかの遣り取りが行われている事を意味する。
幽香の言葉を聞いて、神子は鼻で笑った。
「――ルール。ルールと来たか。誰が言い始めたか知らぬ暗黙のルールなぞ、一体何の効力がある。馬鹿馬鹿しい」
彼女が一笑に付すと、更に空気が重くなった。あぁ、胃が痛い。
「貴女の言い分は置いておいて、一先ず○○さんを離しなさい」
「嫌だと言ったら?」
神子が言い終わるか否かという瞬間、びゅぅんと、直ぐ横を空気が切り裂かれ悲鳴を上げた。
「……力ずくでも」
答えたのは幽香だったろうか、それとも白蓮だったか。
「ハハッ! 実にシンプルだね!」
何がおかしいのか。神子は笑った。
癪に障ったのだろう。幽香の怒声が響く。
「いいからッ! ○○を離しなさいよ……っ!」
「そうだ! どうでもいいが俺を離せ!!」
便乗し声を上げるも、ただ虚しく響き渡るだけだった。くそが!
よく、分からないが、神子は幽香と白蓮と対峙しているらしい。
そして幽香と白蓮は、何故か協力体制にある。
唯我独尊の幽香と、人妖の融和を唱える白蓮じゃ絶対に反りが合わないだろうに、どうなっているんだ?
分かる事と言えば緊張がどんどんと張り詰めていっている事か。このままではどうなるか分からない。
やはり力ずくでも脱出せねば! そう、全力を込めるものの仙人とやらの力には叶わなかった。
「おい、豊聡耳! いい加減にしろよ!」
状況を鑑みずに声を張り上げるも、神子ばかりか答えてくれる者は一人もいなかった。悲しい。
空気は張り詰め、緊張は際限なく張り詰め続けてゆく。
戦力比で言えば幽香と白蓮に軍配があがろうが、俺が捕らえられている――敢えてその表現を使おう――神子に利があった。
故の拮抗である。危ういバランスに成り立ったソレは、切欠一つで雪崩を打って崩れるだろう。
そしてその時は訪れた。
「太子様~? そろそろお時間ですわよ~――って、……あらぁ?」
また新たな人物の声が聞こえた。
場にそぐわぬ間延びした、呑気なソレは聞き覚えがなく誰かは分からなかった。
しかし、「太子様」と口にしていた事から、神子の関係者である事は察しがついた。
しかも声は不思議な事に、俺の直ぐ足元から聞こえたのだ。
「布都!
屠自古!」
「――うおぉっ!?」
俺が疑念を抱く間も無く、強い横向きのGが襲った。
「っ! 待ちなさい!」
背後からは焦りの声。
そうして間を置かず、今度は落下する感覚が○○を襲った。
「うおおぉぉぉぉいいぃぃぃ――――っ!!??」
矢鱈と響く己の声。遠ざかる戦闘音。
神子の高笑いを聞いて、俺の意識は途切れた