誘惑来たれば2

 太陽は頂上に登り、高い建物の無い幻想郷の人里を万遍なく照らしているが、部屋の中は薄暗かった。
いつもは優しい筈の彼女から逃げ出した後で、僕は藁にも縋る気持ちで稗田の屋敷に座っていた。
正直、社にいた彼女に「お願い」されてから、ここに来るまでの記憶が殆ど無い。
曖昧に、朧気に断片だけ覚えている記憶を辿れば、どうやら僕は挨拶すらすっぽかす勢いで、
九代目の当主に目通りを願い、そして通された様である。
普段なら、否、普段ならずとも里の重鎮である彼女に面会するには、色々と手間が掛かるものであるが
-例外は精々が博霊の巫女や上白沢慧音といった特別な存在だけであり、阿求の親友の貸本屋の娘でさえも事前に都合を聞いている位であるのに
-僕は今彼女の目の前に座り、そして彼女はお茶を点てている。
 彼女の手が止まり茶碗が差し出される。おずおずと碗を受け取り口を付ける。
口の中に味は感じないのに、頭の中をお茶の香りが駆け抜けていった。
力が抜け、茶碗を下ろした僕に彼女は話しかける。
「何か、お話したい事があったのではないですか。」
冷静な、冷たたさえ感じられる程の彼女の声。
この家に来る前はあんなにも心臓が脈打っていたのに、逆に今では僕の体温は下がり、力が抜け落ちきって
しまった感すらある。緊張が解けて頭が上手く働かない僕に、彼女は言葉を続ける。
「神への供物の件じゃないですか。」
「ああ・・・。」
核心を突く彼女の言葉に、僕は生返事しか返せない。目の前に座る小さな彼女に、すっかり気圧されてしまっている。
そんな僕を下から睨み付ける様に、彼女は話す。
「神になるのが嫌だとでも。」
「嫌だ。」

 ほう、という小さな声が漏れ、今まで凍り付いていた彼女の表情が僅かに綻ぶ。
「どうして、ですか。」
更に問いかけてくる彼女に、僕は心の内を話す。
「何となくだけれど・・・、嫌だ。」
ふう、と短く溜息を吐く彼女は蕩々と話す。演説をするかのように、物語を話すように。
戯曲を演じる舞台俳優のように、仮面を被り彼女は演じる。
「既に外堀を埋められ、周囲を固められ、協力者は居らず、それでもですか。」
「・・・。」
改めて言われるとひどい状況に何も言えなくなる僕に、彼女は続ける。
「それでも、」
「それでも?」
「未だ、本陣は落ちてはいません。」
彼女の目が開かれ、大きくなった気がした。
「貴方が望めば、望むのなら、全て変えられます。」
「どうやって・・・。」

今の状況をひっくり返すことが出来ると言う彼女に、僕は反射的に尋ねていた。僕の目を見つめながら彼女は言う。
瞬きをせずに唯ひたすらに僕を見つづける彼女。
部屋にいた彼女が唇に紅を差し、頬に薄紅を付けていたことに、今更ながらに僕は気がついた。
「何、簡単な事です。」
立ち上がり、舞うように彼女は謳う。

「外堀を埋められたのならば、代わりの堀を作りましょう。」

「周囲を囲まれたのならば、力ずくでもほどかせましょう。」

「そして協力者がいないのならば、私がなりましょう。」

固まった僕の後ろに回り込み、僕の首に腕を回す。耳元で小さな声が聞こえる。小さく、脳の裏を犯す様な声が。
「御代は、貴方の全てです。」
彼女の回された腕に反射的に僕の手が添えられるが、彼女の腕は解けない。僕の力が弱いのか、それとも彼女の力が強いのか。
「貴方の全てです、そう、全て、身も心も魂も、」
腕の力が一層強くなった。
「そして、来世すらも。」
解けきってしまっていた僕の心がミシリと音を立てるが、彼女の独演は止まらない。
「私が何回転生しようとも、その度に一緒に地獄に引きずり込んで!何度生まれ変わっても、その度毎に夫婦になって!」
「そして、貴方と私で永遠の愛を繰り返すのです!恋なんて軽い物じゃない、比翼連理の呪いを!」
彼女の仮面は、全て剥がれ落ちていた。

タグ:

+ タグ編集
  • タグ:
最終更新:2017年10月02日 20:58