脚本が延期された日
サークルの集まりの場所として利用している部室で、僕は彼女と向かい合っていた。
歴代の部員が厄介払いとばかりに残していった雑多な物は、部屋の隅の段ボールに入れられており厚く埃を被っている。
掃除をあまりしないせいかあるいは物が多すぎるせいか、恐らくは両方が原因なのであろうが、
ともかくも古びた図書館の匂いがする部屋には、いつもは大勢のメンバーが揃っているのだが、
今は丁度僕と彼女しかいなかった。
一応は物がどけられている机の向かいに彼女は座り、僕が作ったシナリオを読んでいる。
普段彼女が他のメンバーと一緒の時には、それ程彼女については印象に残っていなかったのだが、
閉じた部屋の中で二人っきりでいると、急に彼女について意識をしてしまう。
細い体と白い首筋、小さく閉じられた形の良い赤い唇、ページの上を忙しなく動く赤い目、
綺麗な彼女に目を奪われてしまいそうになり、衝動を紛らわせるために彼女に気づかれない様に口の中をこっそり噛む。
暴れそうになる手を押さえるために膝の上で握り拳を作り、膝に押しつけて視線を固定する。
そして息が荒くならないように意識を内面に持って来て心を落ち着かせようとしていると、
シナリオを読み終えた彼女が僕に声を掛けてきたので、不意打ちの様になった僕はつっかえながらも返事をした。
「結構いいんじゃない。」
「そ、そう、良かったよ。」
ともすれば辛口の評価が多くなる彼女にしては、かなり良い印象を持ったようだ。そして彼女はなおも言葉を続ける。
「ただし、一点だけ違うところがあるとすれば、最後のこの部分かな。」
彼女は僕のシナリオを差す。シナリオの最後は途中は吸血鬼に対峙していた
主人公が、
その存在を受け入れるという大団円で締めている。
「吸血鬼のような存在が、果たして人間の男性の愛をそのまま受け入れることで満足するかしら?
そうね、私がヒロインならきっと彼を逃さないようにするんじゃないかしら。」
「どうしてそう思うのかな?」
「途中で主人公に拒絶されたヒロインなら、きっとまたいつか主人公が自分を捨てるんじゃないかと思って、
心の奥に不安を抱えるでしょうから。
そうしたら、ヒロインは吸血鬼なんだから、その力で主人公を自分から離さないようにしてしまうでしょうね。」
「ふうん。吸血鬼の考えなんて分からないと思うけどね。」
「あら、じゃあ今ここでやってみれば、きっと納得できると思うわ。」
彼女はパイプ椅子を立ち、机の横をゆっくりと歩いて僕の方に歩み寄ってくる。
まるで舞台のヒロインがフィナーレを演じる時そっくりに、片手を僕に差し出しオペラの様に声を上げる。
透き通る声が僕の耳に入り無意識のうちに綺麗だと思ってしまった。
「ああ、○○。貴方は本当に私を受け入れてくれるのかしら?」
シナリオの主人公がする通りに僕は返す。
「勿論だよ。」
すると彼女が僕に抱きついてくる。吸血鬼を演じる彼女は小さく細く、震えて不安で折れそうな様子に僕は役に飲まれて、
つい彼女をそのまま強く抱き留めてしまう。
「本当?」
ソプラノの声が僕の耳を通り越して脳に染み渡る。
「本当だよ。」
キザらしく顎を引き寄せてシナリオにはないキスをする。
嫌ならば振り解くかと思ったが、彼女は目を閉じて僕を受け入れていた。
「ずっと君を離さないから。」
毒を食らわば皿まで、とばかりに普段は言うことがなさそうな甘い言葉を彼女に注ぐ。
吐息を漏らした彼女の目が開き、僕を一層強く抱きながら顔を僕の首筋に埋める。
-愛しているよ-とお返しとばかりに彼女に囁くと、彼女が首にキスをする。
痺れる感覚と共に、顔に赤みが差した彼女の喉が小さくコクリこくりと動いていた。
幾らかの時間が経ち、彼女の顔が僕の首から外れる。恥ずかしくなった僕は彼女の目を見なくてもいいように、
自分の胸に彼女の顔を押し当てて尋ねる。さも全ては演じていたかのように。
「どう、吸血鬼の気持ちは分かった?」
「今回は…、貴方のシナリオを使うわ。」
小さく発せられた声には最初に入っていた自信は消え失せており、代わりに熱っぽい綾が入っていた。
感想
最終更新:2017年12月11日 19:51