不死鳥が死んだ日

 長年仕舞いこんでいた葛籠の蓋を開ける。
随分長い間結婚してからこの方、開いたことがなかった籠は埃の匂いを部屋に漂わせたが、
中身は以前と同じ状態でそこにあった。
包んでいる油紙を丁寧に取り去ると、黒く色を付けられた鉄の塊が姿を現した。
もう二度と次にこれを使うことはないのだから、包み紙なんぞはその辺にうち捨ててしまっても問題はないのであるが、
それをわざわざ丁寧に仕舞いこむのは、乱雑さを嫌う妻に躾けられたせいなのかも知れない。
すっかりこの生活が自分を変えてしまったことに小さく苦笑をし、そっと音がしないように蓋を閉めた。
隣の部屋で寝ている妻を起こさぬように、静かに。
「あなた、何してるの?」
別の部屋で寝ていた筈の妻が声を掛けてくる。いくら音を立てぬように丑三つ時を越えて、
寅の刻にこっそりと身支度を行っていても、やはり音は立つようである。いや、しかし、妻は昔から妙に勘の鋭い時があった。
特に自分に関する時には取り分け冴えていたから、今回もその分なのであろうと思い、
障子を開けて顔を出す妻に返事をする。美しく長い黒髪が月明かりが照らされて畳の上に流れていた。
「明日の仕事の準備だよ。」
嘘、である。正確には今朝のことであるという些末なことではなく、もっと重要で重大な。
「嘘おっしゃいな。いつもはこんな早くからそんなことしてないでしょう。」
ほうら、バレた。どこか人ごとのような、別の赤の他人が思うようなそんな感想を自分に感じつつ、
箱の中身の状態を確かめる。
ひい、ふう、みい、弾は十分にあるようである。
もっとも、放置していた拳銃がどこまで当てに出来るかは未知数であるが。
「一体何をしているの。」
のそり、と寝間着の体を起こしてこっちに妻は来ようとする。自然と声が出た。
「来るな!」
結婚以来、いや付き合ってから一度も声を荒げたことがない私が、初めて怒鳴った姿を見て妻は動揺していた。
妻の綺麗な顔が歪むのを見て罪悪感が湧くが、そのままの勢いで押し切る。
「明日までに戻らなければ、友人の先生とやらに頼んで××を探してくれ。」
「何?あの子は今永遠亭にいるんじゃなかったの。」
「駆け落ちしたと聞いた。」
「誰と?」
「雪女から聞かされたから、確かめてくる。」
最低限言うことだけを言って未だ状況を掴み切れない妻を置いて、横に置いてあった携行缶を持ち家を出る。
香霖堂から流れた品が霧雨商店で売っているのを、昨日偶々立ち寄った時に見つけることが出来たのは僥倖であった。

 山に登り始めた時に日が昇り出し、山の洞窟近くまで来た頃には辺りが明るくなっていた。
白い息が辺りに漂うのを横目に、周囲をグルリと眺める。
洞窟の前に積もっている雪が此方を見ているかのようにサラリと消えたのを見ると、
恐らくあの洞窟が当たりなのであろうと足を向ける。
鬼が出るか、蛇が出るか。
例え行く先に地獄の閻魔様が控えていると知っている時でも退けないときはある。
それが人の親ならば特に。
 洞窟の中は暗いが意外に暖かかった。ライトで周囲を照らしながら奥に進んで行く。
辺りを観察しながら、足早になりそうな心を抑えあえてゆっくりと歩く。
ここに息子がいると思えば今すぐにでも駆け出したいのだが、それをじっと堪えていく。
我慢して、じっと堪えていけば活路が見えると自分に言い聞かせながら。
 距離感が無くなるような暗闇を進んでいくと、突然灯りが目の前で付いた。
ゆらゆらと揺れる蝋燭のような光が壁から部屋を照らす。
テーブルの横で先日見た女が立っているのを見て、改めてあの女が雪女であったことに納得する。
そして挨拶もそこそこに、息子のことを目の前の雪女に尋ねる。
「俺の息子があんたと駆け落ちしたと聞いたが。」
ゆったりとした笑みを、ユラユラと浮かべながら女は答える。
「ええ、そうですよ。」
堂々と答える女。駆け落ちした後の生活に対する悲壮感もなく、
ついに好きな人と一緒になれるという高揚感もなく、ただ平然としている女。
これが演技ならば大変な女優であるし、本気で何も感じていないのならば、それは狂気ですらある。
ただ、自分の愛する人が隣にいるというだけで、他の全ての価値が無くなる。
狂信者にも似たそれは正常な人間の姿では無いし、恐らくは妖怪であっても同様であろう。
「俺の息子はどこにいるのか。一目見せてくれないか。」
自分の鼓動が暴れるのを感じながら、雪女に問いかける。会わせてくれ、ではなく見せてくれ、と言ってしまったことに、
言った後で気が付き内心でほぞを噛む。
これではまるで、自分の息子が会話すら出来ないようなものだと、無意識に思い込んでしまっているようですらある。
本題に入る前の会話で負けてしまっていては、交渉で勝てることは覚束ない。
「此方です。」
女が灯りを点ける。そんな近くにいたことに気が付かなかったという思いを抱くが、
女が差した先を見ると今までの全てが吹っ飛んだ。
「おい!どういうことだ!どうなっているんだ!」
息子の姿を見て声を荒げてしまう。氷、凍り、全てが凍り付いたその姿は彫刻のような姿であった。
血が全身を逆流し、思わず目の前の女に掴み掛かる勢いで食いかかるが、女は堪えた様子がない。
「ええ、素晴らしいでしょう。お綺麗でしょう。」
「馬鹿野郎!なんで××が凍らされて居るんだよ!」
此方の罵声を柳に風と受け流し、女はシャアシャアと言葉を紡ぐ。
「××さんはお綺麗でした。ですから汚れる前に凍らせたのですよ。これで二人の愛は永遠ですから。」
「何考えてるんだ!そんなもん良い訳ないだろう!」
「あら、××さんが汚される前に救ってあげたのですから、それは素晴らしいことですよ。」
一切の変化を見せずに話す雪女を見て、深淵の底に潜むモノに触れていると感じた。

 「お願いだ。息子を解放してやってくれ。」
目の前の女に土下座をして頼み込む。恥も外聞もなく、唯単なる心の吐露であった。
「あら、どうしてその必要がありますか?」
「これは駆け落ちでも何でもない。お願いだ。」
「いいえ、××さんと私は結ばれているのですよ。それを断ち切ることは出来ませんよ。」
「そうか・・・。」
あくまでも不思議そうに、何故それが悪だと微塵も疑わない姿を見て、問答は無用だと悟った。
会話が成り立たないのならば、残された手段は一つ。
「じゃあ、死ね。」
平然とする、薄らと笑みすら浮かべている女の胸元に拳銃を突きつけ、返事を待たずに引き金を引く。
長年放っておいた銃幸運にもは轟音を放ち、女は胸元を殴られたように腰が折れ曲がって吹き飛んだ。
不思議と血の臭いは殆どしなかった。
 持って来た携行缶のキャップを震える手で開ける。いくら覚悟をしていたとはいえ、
目の前で若い女一人を殺してあまつさえ放火するのは思っていた以上に精神をすり減らしていたようで、
手が滑ってキャップを掴めない。動揺を抑える為に目の前の女は妖怪だと思い込み、
そして缶を地面に置いてしっかりと固定してキャップを掴む。
蓋がようやく回ったと思うと声が上から降ってきた。
「残念です。」
弾かれたように上を見る。倒れていた筈の女が起き上がり私を先程と同じ眼で見ていた。
平坦な、自分の愛する人以外は等しく価値が無いと感じるその眼。
そしてその眼をしている雪女はきっと二人の邪魔をする私を、部屋に落ちているゴミを掃除するのと同じ感覚で、
淡々と処理するのだろうと感じた。
「とっても残念です。折角、お義父さんには祝って頂けると思って、こっそりとお知らせしたのですが。」
彼女の眼に後悔の色は見えなかった。


 「残念、お義母さんとも呼ばせないよ。」
暗闇から声が聞こえて、次に炎が見えた。暗闇から出てきた彼女はいつもの妻の声と姿をしながらも、
全身から吹き出している炎に照らされた彼女の髪は白く輝いていた。
「そうですね。あなたはそう呼ぶ積りもありませんでしたので。」
雪女は妻に矛先を向けて氷と雪を叩き付けようとする。妻を庇うために楯になろうと二人の間に入ると、
後ろから妻に抱き締められ急激に後ろに加速した。
地上に生きてきてここ数十年、いつぞやのジェットコースターよりも強い重力を感じると、
数瞬の後には洞窟を出て雪山を上から見下ろしていた。
「大丈夫?」
「××が、氷詰けにされて・・・。」
自分を気遣う妻の問いかけにも、息子のことを答えてしまう。そんな私を見透かしたように、彼女は私を元気づける。
「大丈夫、それは後で何とかするから。」
私の肩に首を預け優しく言う妻。どこか儚い声だった。
「ちょっと手荒に行くよ!」
妻から放たれた炎が一気に洞窟の中に突っ込んでいく。
暫く押し合っていたが、妻が手を動かすと更に奥まで炎が牙を剥いた。
「ああああー!」
言葉にならない奇声を上げて弾幕を撃ちながら雪女が洞窟から飛び出して来た。
妻は空中で器用に躱しながらそこに追加で炎を浴びせていく。
「ぎゃあぁぁぁ!」
炎に包まれた雪女が小さくなり消えてしまうまで、纏わり付いた炎は消えなかった。

 「××は大丈夫か!」
今までの派手な勝負に目を取られていたが、洞窟の中に凍り付いた××が居るのを思い出し、思わず叫んでしまった。
今の今まで何も出来なかったのに、それを無視して妻のあら探しをするようで、言った後で恥ずかしくなってしまった。
「炎は大丈夫よ。今のあなたが火傷していないように。」
それでも妻は丁寧に答えてくれる。嬉しく、そして申し訳なくなる程に。
 洞窟の中に入り××の様子を確かめる。凍り付いているのは溶けたようであるが、
それでも全身が氷のように冷たくなっている。
妻は××の様子を一目見て、直ぐに××を紐で縛り背負って私を前に抱えて飛び立った。
高速で空を飛ぶ中で頭が冷静になり、今までと違う妻の様子が疑問に思えてくる。
果たして私の妻はいつの間に空を飛び、拳銃以上の弾幕を撃てるようになり、果ては人体発火能力まで身につけたのだろうかと。
しかし、妻の負担を考えるとこの場で口を開くことは憚られた。すると妻は黙っている私にポツリと言った。
「○○、私は幸せだったよ。」
「ああ。」
「さっきも庇おうとしてくれて、嬉しかったよ。」
「ああ。」
普段とは違う彼女の声に、私は短く答えるしか出来なかった。
いや正直に言うと、これ以上妻と話していたら、
なんだか妻が離れていってしまいそうな気がしたからかもしれない。


 永遠亭の上空につくと、妻は一気に急降下した。
一応合図の様な弾幕は暫く前に撃っていたが、これではまるで先程の殴り込みと同じである。
屋敷の中から兎がゾロゾロと出てきて、妻から××を受け取り奥へ搬送していた。
一人の因幡兎は、急激な着地の反動を感じて地面に蹲っている私に、毛布を掛けて中に案内してくれた。
動きっぱなしで傷ついた身に小さな優しさが強く染みた。
屋敷の中の部屋に入ると外の和風な家とは違い、外界で昔通ったような近代的な診察室に案内された。
中では黒髪の女性と銀髪の女性が、先に入った妻と話しをしているところだった。
「妹紅、本気なの!」
黒髪の女性が妻に食って掛かる。
「ああ、本気だ。永琳、頼む。」
あれだけ詰められても引かない妻。普段の柔らかい姿からは想像も出来ない程の変わりぶりである。
「あなた、妹紅の旦那なの?!お願い、蓬莱人を辞めるなんてさせないで!」
脇に控える因幡が-姫様がお願いするなんて-と漏らす横で、
此方にも鬼気迫る様子でお願いをする女性であるが、ふと疑問が生じた。
「蓬莱人って何だ?」
 しんと一瞬静まりかえる部屋。沈黙を破ったのは妻であった。
「だから言っただろう?○○は賛成するって。」
「それでは生体移植を行います。」
「ちょ、ちょっと永琳。」
「姫様、この方が蓬莱人について知らない以上、そうすることが最善かと。」
姫と呼ばれた女性が銀髪の女性に抗議するが、冷静に論破される。
「馬鹿・・・。」
そういって彼女は項垂れた。

 妻と××の手術が終わった。
後で永琳先生に詳しく聞くと生体肝臓移植を行ったそうであり、
当然外界の知識で何故それが××の回復に繋がるかと尋ねると、
彼女は初めは明言を避けていたがしつこく食い下がるとこっそりと教えてくれた。
曰く、妻は蓬莱の薬を遠い昔に服用し、それによって不老不死になっていた。
曰く、蓬莱の薬は肝臓に蓄積し効果を発揮するため、それを××に移植したと。
曰く、妻は最早蓬莱人では無くなってしまったと。姫と呼ばれていた人物は、
長年渡り妻と殺し合いに至るまでの浅からぬ因縁があったと。
そう教えてくれた、他ならぬ永琳先生も蓬莱人だと知った私は先生にお礼を述べた後に、
先に意識を回復した妻の元へ行った。
 病室で何本もの点滴に繋がれた妻は、痛々しくやつれて見えた。
側に椅子を寄せて彼女の手を握る。
妻は何か言いにくそうにもごもごと口を何度か動かし、そして意を決して私に言った。
「なあ、○○、話がある。」
「何かな。」
「私、実は千年以上も生きていたんだ。」
「知ってる。」
「実は人間じゃ無かったんだ。」
「知ってる。」
「じ、自分の息子を、××を、ほ、蓬莱人にしてしまったんだ。あんなに自分が辛い思いをしたのに!」
「知ってる。」
涙を流す彼女の手を握る。
「なあ、○○、私、酷いよな!最低な母親だよな!」
「大丈夫、例え他の誰がそう言っても、僕は妹紅のことを認めるから。」
-う、う、うわーん-と泣き出した彼女の腕を握りながら言う。
「いつまでも一緒にいるよ、妹紅。」






感想

  • 妹紅は本当に蓬莱人では無くなったのだろうか? -- 名無しさん (2020-02-19 22:37:26)
  • 蓬莱人はもしかしたら人を狂わせるのかもしれない -- 名無しさん (2022-11-11 00:29:12)
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最終更新:2022年11月11日 00:29