その日もやはり、先生のもとに通い治療を受ける。幾度目かとなった催眠療法に次第に慣れてきたのだろうか、僕はすんなりと夢の中
に入っていった。
女の人に教えられた通りに足を向ける。そこは一般の場所とは違い裏手に回った、いわば裏の中の裏と言うべき店であった。派手派手
しい店が連なっている表通りとは異なり、わずかに看板を掲げているだけである。これでは知っている人以外は何の店かわからないだろう。
いわば玄人向けといったそこの店の列から、目当ての看板を探す。見つけるのに苦労するかもしれないと思っていたが、数分探しただけで
案外簡単に見つけることができた。やはり表通りに比べると、店の数が少ないというのが大きいのであろう。
扉を開けて中へと入る。昼間なのにやや薄暗い部屋では、男が店番をしていた。表の店ではやり手の老婆が店番をしていたのでやや面
食らったが、考えてみればそれもそうなのかもしれない。いくら俗世とは離れた遊郭とあっても、普通の店にいかつい男がいれば、
それはやはり気が削がれるというものであろう。しかしそれであったとしても、敢えて男を置くという理由。それはやはりここがとびっ
きりの、濃い部分だからという他に違いない。それとも逆に、ここに来るような男はそんなことなど気にしない、心が鋼のような強者
ばかりということなのかもしれないが。
「お客さん新顔だね、誰からの紹介で?」
不躾に男が尋ねてくる。
「いやそのようなものは無い。」
「じゃあだめだ、この店は一見さんお断りなんだよ。」
「そこをなんとか、噂で聞いたんだ。この店は特に通の店だと…」
「さあ帰った帰った。」
すげなく男に追い返されてしまう。しかしこちらとしても、それで引き下がる訳にはいかない。 少し離れた場所の草陰に身を隠し、
出入りする遊女を確認することとした。顔さえ分かってしまえば、後は話しを聞く程度のことはどうとでもなる。完全に長期戦となる
と腹は決まった。
しばらくの間身を隠す。半刻が経ったか、数刻が経ったか、或いは最早それ以上か、相当な時間が経過したように感じた。いい加減
退屈になり、体を動かしたくなる。固まった背筋をほぐそうと少し伸びをした瞬間に、後ろから声を掛けられた。
「お兄さん、こんなところで何やってんだい。」
思わず尻餅を付きながらも、首をひねり後ろを振り返る。自分よりは少し若そうな、軽薄そうな青年がいた。青年は馴れ馴れしく話してくる。
「お兄さん頭を隠すのはいいけれど、反対側から見れば丸見えだぜ。もうちょっとうまく隠れなよ。」
「…。」
「おっと、失礼。自己紹介をしなけりゃ警戒するってもんだよな。俺っちはしがない村人だが、お兄さんと似たような職業していてね。
情報屋とでも呼んで頂戴よ。」
「それで、情報屋が何の用だ。」
こちらの怪しむような目線にもかかわらず、青年は軽やかに話しを続ける。
「お兄さんもどうせ、あの事件のために来たんだろ?」
「だったらどうというのだ?」
「どうだい、兄さん組まないかい?ちょっと今、人手がいるからね。」
「組まないと言ったらどうする?用心棒に突き出すのか?」
胡散臭さをまとわせる相手を、試すかのように反論する。
「いやいやそんなことはしないさ。だけれどもきっと俺っちの能力を聞けば、お兄さんは仲間に入れたいと思うぜ。」
夜が大分更けて暗くなった道を、情報屋と二人並んで歩く。目の前には遊女が店の男と共に並んで歩いている。 更に女の前後には用心
棒が最低二人は囲んでいる。おそらくは、どこかに店の者も潜んでいるのだろう。完全なる重装備の形で、静々と、しかし仰々しく夜の
道を進んでいく。手持ちぶたさになったのか、隣の情報屋が話しかけてきた。
「な、お兄さん、俺っちと組んで良かっただろう?」
どこか人の神経を逆なでするような軽い口調だが、それでも青年のおかげで遊郭に潜り込めたのは事実である。そこの部分は確かに感謝
てもよかった。
「しかしお前の能力、人を納得させる程度の能力とはなかなか強いな。」
「いやいやそうでもないよ。嘘で納得させる程度の力は無いからね。結局は、正直に生きるしかないってことさ。」
手をひらひらと振りながら青年が謙遜する。
「しかし、勝算はあったのだろう?お前程の頭の回る奴が、無策で突っ込んでいくとは思えない。」
「まあね。」
辺りをちらりと見回し、声を潜めて青年が言う。
「しいていえば、俺っち達は肉の壁ってことさ。」
「…?逃げるために生贄にしたいのならば、普通前に置かないか?」
「いやいやそう考えるの素人さ。これまでの事件は目撃者一人ともいないんだぜ。しかも手練れの人間が居てそうなってるんだ。これは後
ろからバサッとやられたと考えるのが、常道だと思うってことよ。」
軽薄のように見えて、案外考えている青年の意見に頷いてしまう。
「ふむ、確かにそうか…。いかんいかん、能力に呑まれてしまった。」
「いやいや本当に思ってるんだよ。それにこれは戦争だしね。」
「それほど大事なのか。いや確かに大げさだと思っていたのだが。大体向こうも、まだまだ命知らずの若い連中がいるような、そんな素振
りをしていたじゃないか。」
「それはちょっと違うね。」
「どうしてだ?」
「情報屋の端くれとして数を数えてみたところ、もうすでに七割程は顔を見ていないんだよ。一週間近く見ていないから、まあ、おそらくは、
ってことだよ。」
「そんなに死んでいるのか?!」
「ちょっとお兄さん、声が大きいって。」
青年に小声で窘められる。 それほどまでにこの事件が抱えている闇が多かったとは、想像だにしていなかった。
「まあこういう商売は、弱みを見せたら終わりっていう部分もあるからね。そうすると他の店から色々ちょっかいを出されるかもしれない
からさ、こうして唸る金に物を言わせて、仰々しく見せているって訳さ。まあそれも、今回ばかりというやつだね。」
「今回で犯人が捕まえられるということか?今まで捕まっていなかったんじゃないのか?」
「いや今回で捕まらないと、店の方が綺麗さっぱりに破産するってことさ。もうすでに稼ぎ頭と番頭格のような中心人物は、とうの昔にや
られてしまっているからね。」
「なんということだ…。」
思わぬ事態に考え込んでしまった。そうすると、ふと疑問が湧いてきた。
「ということは、今回の事件は遊女を狙った訳ではないということか。」
「うーん、当たらずとも遠からずというやつかなぁ。」
おしゃべりな彼にしては珍しく、歯切れが悪そうに言う情報屋。
「確かに犯人は遊女に対して恨みを持っているはずってことよ。でなければあんな残酷なことをする訳がないし、他の店にいる遊女の方も
ちょこちょことやられているからねぃ。」
「しかしまあそれならば、この店ばかりの人物を狙ってるっていうのは、ちょっと引っかかる点さ。そうなれば考えられることは一つ、女
の方を隠れ蓑にして男の方も潰しておくからには、結局はこの店に何か恨みがあるってことさ。それに店の方も、最初の一人二人で何か恨
みを買っていると気がついたようでさ。二人目以降は警戒をしてたようで、女の帰り道に恋人を一緒に付けたようだし、それすらやられた後
には形振り構わず、用心棒をかき集めていたようだからね。」
-まあ、目下連戦連敗中だけれどもね-そう情報屋は軽口を叩くが、隣にいるこちらとしては気が気でない。
「ひょっとしてお兄さん、死ぬかもしれないって思ってるんじゃない。」
「ああ、正直そうかもしれないと思っている。」
「大丈夫大丈夫、お兄さんはそうならないからさ。」
僕の能力は予想に反して、情報屋が嘘をついていないと告げていた。
最終更新:2018年03月27日 23:25