「子守唄」
どこかの暗い部屋。
そこは地下なのか地上なのかも解らないところ。
扉は無く、どこからか乾いて冷たい風が吹く。かび臭さと埃の匂いを乗せて。
不意にその部屋に光が射した。
蝋燭の炎は頼りなく揺らめく。今にも消えそうな儚さと弱さは、そのともしびの源となった女性と同じ印象を抱かせる。
淡いムラサキの髪に、大きな花飾りを留めた、花柄の袖の和服。そして蝋の様に白く血色の少ない肌。
まだ、あどけなさを残す少女の面影が残る顔。
稗田阿求。
郷のものは、皆そう呼んでいる。
蝋燭の光に照らされたその部屋は、等間隔で白い木箱が並ぶ。
木肌の色が霞んで居る物は部屋の奥に。
まだ並べられて時間の経っていないものほど手前に。
彼女はそれの蓋を僅かに開けて、ひとつ、またひとつと中を確認し、薄く微笑みを浮かばせながら閉じる。
時間の経過がわからない空間で、彼女は最後の箱にたどり着く。
一番新しい木箱、まだ置かれて間もない事を示すが如く、その木肌は新しく、埃も積もっておらず、シミも無い。
その木箱の蓋を静かにずらし、彼女は満足そうに笑う。
「今日も、あなたのお陰で、私は生きております。愛しい方・・・。」
その視線の先には干からびた男の顔が、虚ろとなった眼窩を虚空に向けている。
ここは墓地。ただし、墓石は無く、箱には銘も、名も書いていない。
共通するのは、皆顔立ちが同じ事。
「最初に私に命を預けて頂ける約束、まだ忘れていないのですね。私は幸せでございます。」
最初の記憶は、阿礼の名前の頃。
転生の準備に取り掛かった頃、その手伝いに来た男に彼女は恋をした。
何度も顔を合わせるうちにふたりは打ち解け、阿礼の告白で二人の心は繋がった。
「あなたをお慕いしております・・・。願わくば、私と共に生きて、私にその命を預けて頂けますか?」
男はそれを快諾して、彼女の傍にいつも付き添う事となった。
そして転生の準備も半ばの頃、阿礼は男に言った。
「離れたくありません。私が先に逝くのは定まっている事。
私が居なくなった後、あなたの隣に私以外の女性がいる事を思うと、狂おしいほどに胸が痛むのです。」
男はそれを否定するが、この郷はその否定が風に吹かれる枯葉の如く、いとも軽くひっくり返る。
「願わくば、あなたの事をこの命と共に抱きしめて私は逝きたいのです。来世へと、またその来世へと。」
「そして、あなたが生まれ変わっても、私が再びあなたと結ばれる様に。もしも貴方の姿が変わってしまっても、ひと目で互いが通じ合えるように。」
「私に、あなたの未来を預けて頂けますか?」
男はその告白に応えた。
その少し後の記憶。
三宝に置かれた白い杯に満たされる、淡く、しかし陽の光のように輝く液体。
男は阿礼の前、木箱に横たわり、眠る如くに目を閉じている。
彼女は杯を静かに取り、その中身を二度、三度と分けて飲み干した。
阿礼の顔に僅かに紅みが注し、それに反して男は静かに、速やかに老いていく。
苦しみの陰も無く、苦鳴も無く、男は枯れ木のように干からびた。
「これで、私はあなたのもの。そしてあなたも私のもの。これからは共に私の中で生きましょう。
そしてもう、あなたは私の元から離れる事はありません。あなたが私を厭うても、生まれ変わるたびにこれは繰り返されます、が・・・。」
「私はあなたがいた証を誰にも渡したくありません。そう、髪の毛の一本でも、その眼差しのひとときでも。」
「私はあなたのもので、あなたは私のもの。たとえ貴方が物言わぬ屍になっても、あなたと言う存在の証を誰にも渡しません。
生まれ変わってもそれは曲げ得ぬ鎖となって私達を繋いでくれます。そう、もしもこの郷と違う所で生まれても、あなたは私に逢いに来ねばなりません。
あの誓いの通りに。」
それから転生をする度に、男は名が変わっても阿礼に出会い、その命を何の恐れも差し出し、最初と同じ干からびた屍となった。
まるで、子を成すために蟷螂の雄が、その身を雌に差し出すが如く。
その記憶が繰り返され、阿礼は阿求となり、そして男は外来人として幻想郷に迷い込んできた。
ひと目でお互いを伴侶と思い出し、またその命を阿求に差し出した。何の恐れも疑問も持たず。
阿求は安堵と歓喜を吐息で漏らし、男に語りかける。
「愛しい方、またお会いする時まで私の中でお休みください。私の
こころの中なら、妖怪も、巫女も、神もあなたを奪う事は出来ません。
隙間を操っても、蓬莱の薬も、運命を曲げようとしても、魂のくびきを砕く事はありません。」
優しく語りかけるその目は、蝋燭の灯を映しながら光を宿さず、盲のように何も写さない。僅かに涙がその目尻を湿らせる。
少し時間が経ち、彼女は箱の蓋を静かに閉じる。
「○○様、○○・・・愛しい私のあなた。」
やがて蓋は完全に彼の存在を覆い隠した。
「今は私の中でお休みください。来世でまた私を愛してください。そして私を狂おしいほどに待たせて、焦らして、そして壊してくださいな。
その笑顔と記憶が干からびて行くさまを見せてくださいな。私が焦がれた時間の分だけ、ずっと。」
あどけない笑みがその顔に溢れる。どこかが狂うた純粋な笑みが。
「次の出会いまで、私は毎日ここに来ます。また逢いましょう、あなた・・・。」
その言葉を最後に蝋燭の光が消えて、吐息も風に吹き消され、そこには誰もいなくなった。
最終更新:2018年05月28日 18:56