「とわに我がモノ」
その銀のナイフは、僕の顔がはっきり見て取れるほどに研ぎ澄まされ、映りこむ僕の顔を見ながら咲夜さんは笑っている。
とても綺麗で、危険な笑み。
僕の部屋、ベッドに腰掛けた僕の隣に座る咲夜さん。拘束も何もされて無い、けど動けない。
お互い、ナイフを鏡にして見詰め合っていたが、不意に咲夜さんが訊いてきた。
「あなたは私より
パチュリー様の方が好みのようよね。」
僕は沈黙で肯定する。声に出すのが何故か怖い。
確かに落ち着いた紫の瞳にずっと見つめられていたい。でもそれは恋慕なのだろうか?僕には判らない。
しかし確たる自信を持ったように、咲夜さんは言った。
「残念だけど、私の瞳は紅。でもね、私はそれでもあなたをモノにしたい。あなたの時を止めてオブジェにして、壁に塗りこめてでもね。フィリッポ伯のように。」
咲夜さんは言葉を紡ぐ。
「私に紫の色のバラが妬ましく見えるのは、貴方がそれを気に入っているから・・・紅いバラが血の涙を流すのは、あなたに恋情が届かないから。」
一輪の紫色のバラを何処からか取り出し、彼女は僕の手に持たせる・・・と、その瞬間、バラは数え切れない程の破片と化した。
「紫のバラはいずれそうなる。私が昔知ったアナグラムのように・・・。」
僕は訊いた
「アナグラム?」
「ええ、言葉遊びで、短文や単語の文字を並べ替えて新しい文を作る遊びよ。・・・『ROSES AU COEUR VIOLET』・・・紫の心のバラ。
これの文字を並び替えるとどういう意味になるか、あなたには解る?」
再び僕は沈黙する。
外来語なんて殆ど覚えてないのにいきなり謎かけを出されても・・・。
僕の思いをよそに、咲夜さんは僕の耳に顔を近づけ、耳たぶをたっぷりと味わった後、強く噛んできた。痛みが鈍く走る。
その耳元で、とても淫靡な囁き声が僕の心臓をわしづかみにした。
「あなたにだけは教えてあげる。『O,RIRE SOUS LE COUTEAU』と変わるのよ。」
意味を聞きたくない。とても嫌な予感がする。
その僕の困惑の顔をナイフに写して見ながら、彼女は楽しそうに悪い笑みを浮かべる。
「聴きたくないと言っても、あなたに拒否権は無いわ。その顔が見たくて堪らなかったから。」
その目は輝いているはずなのに、曇った印象がある。いびつな光。
焦らすように耳たぶを再び、今度は軽く噛んで、恍惚の表情で彼女は僕を見下ろした。
「その言葉の意味は『ナイフの下の笑み』よ。このアナグラム通りに私はあなたをパチュリー様から奪うわ。
たかが文字でも力ある言葉ならそれも可能なの。それが魔法なのよ。でも大丈夫。パチュリー様はこの館に大切な方、害したりはしないわ。
・・・あなたの顔を写したこのナイフに掛けて。」
次の瞬間、咲夜さんの姿は消えていた。
動けるようになった途端、首に僅かな痛みが走る。手を当てると少し血がにじんだ。
部屋の洗面所の鏡を見て、首の傷を見ると、「∞」の文字が見て取れた。
今、意味は解らなかったが、僕は後にそれの意味を知らされる事となる。
最終更新:2018年05月28日 19:11