「4月の丘」

丘の上の桜の木の下。日傘を畳んで座る女性・・・風見 幽香。
その髪は緑、そして全身に嗜虐的な雰囲気を纏い・・・でも静かに微笑む。

「今年も来たわよ。いい咲きっぷりね。」

薄く優しく、とても優しく微笑み、彼女は桜の幹に背中を預ける。
「誰ももう貴方の事を探していない。貴方のことは、もう私以外覚えていないわ。でも安心して。
 貴方が枯れてしまっても、その灰を元にまた新しく貴方を再生させるわ。次は白い山桜がいいかしらね?」

安らぎに満ちた、病んだ顔。妄執と言う愛の行く末に、彼・・・○○はこの桜に封じ込められた。

「こんなことでしか私の想いを伝えられなくてごめんなさいね。でもね、私は、貴方の視線が、言葉が、意識が、その思い出さえも
 一瞬たりとも他の女に向くのが心からイヤだったのよ。貴方のその感情も微笑みも、思考の一かけらまで私は貴方で満たしたかった。」

だから、枯れかけて洞の空いていたこの木に、殴って気を失った貴方を封じ込めて、居ないものにした。
彼女は自分の行為に恐れもなく、桜にしなだれかかる。
「貴方が私を想う事がが出来なくても、出来たとしてそれを伝えられなくても、私は解る。だって、貴方は私が初めて恋した人だものね。」

春の光を浴びて、幽香の白い顔が輝く。
風に目を細めて、彼女は杯に酒を満たし、一杯目は桜の根元にたらし、2杯目は散ってきた桜の花びらを浮かべ、飲み干す。

「昔の貴族達は、こうやって春の息吹と生命を体に取り込み、見事な歌を残した。貴方は私に何を贈ってくれるかしらね?」

桜は何も答えない。
しかし幽香は続ける。
「私が貴方に始めて歌った歌、覚えてる?万葉集に載っていた歌。」

      • 君が行く 道の長手を 繰り畳ね 焼き滅ぼさむ 天の火もがも
彼のその長手に出てくるであろう女性達の存在が、彼女の心をかき乱し、狂わせた。

幽香はそれを彼に贈ったが、彼は意味と言葉を間違った返歌をしてしまった。それが全ての引き金だった。
      • かくばかり 恋ひむとかねて 知らませば 君をば見ずそ あるべくありける

恋に苦しむくらいなら、貴方と会わねば良かったと。男は言った。
ならば苦しむ事もなく、毎年自分の為だけに花を咲かせてくれればいい。幽香の考えが極端に触れるまで時間はかからなかった。

「私はまた、来年来るわ。そしてこの宴は繰り返されることでしょう。いつか、私の命が先に尽きるとわかったら・・・その時は共にこの桜の中で生きましょう。」

日傘が開かれる。
「それまで、その枝を手折られぬように祈りなさい。もっとも、そんな狼藉をした連中がどうなったか・・・貴方はよく見ているでしょうけど。」
その根元に見える」、枯れ枝のようなもの。
それはその言葉の通り、幽香の怒りを買い、桜の糧としてその命を吸い取られたものの成れの果て。
朽ちる事も許されず、幾年を蔵してその愚かさの代償を払わされている。

やがて風が大量の桜吹雪を運んできて、それが消えたとき、彼女の姿は何処にもなかった。
後に残るのはしゃれこうべと枯れ木のようなミイラを抱いた桜の木だけ。

「四月の丘の秘密 
 本当の事は木の下に
 桜だけが知っている。」

幽香の声が風に乗ってかすかに響く。
それに答える如く、桜は静かに花びらを風に流した。







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最終更新:2018年06月06日 21:44