「閉じた楽園」
「ねえ○○、かごの中の鳥ってさ、閉じ込められてかわいそうだと思う?」
「安全が保証されて、孤独でなければそうでもないと思うなあ。」
「何故?」
「少なくとも食と住、安全は保証されているからね。無いのは自由だけだけど、それもその対価だと思えば安いかもしれない。
私もその鳥と同じで、この館から出てしまえば安全は保証されない。最悪他の獣の餌食か、野垂れ死にが落ちだよ。」
そんな話をこの館に来てすぐ、当主の妹君とした。
その話を忘れる程度の月日が経って・・・。
「ねえ、ティル・ナ・ノーグって知ってる?」
彼女の無邪気な質問に私は答える。
「ケルト神話の『常若の国』だろう?」
「あったりー!流石○○はいろんな話を聞かせてくれるだけあって色々知ってるね!」
「いや、そこまでは詳しくないよ。むしろ
パチュリーの方が詳しく教えてくれるんじゃないかなあ?」
私の自信の無い答えに、ステンドグラスのような羽を纏う少女ーーーーフランドールは首を横に振った。
「ううん、外の世界のお話は、外の人間の方が知ってる場合が多いってパチュリーは言ってたよ?」
「そんなもんかね?」
「そうだよ!だっていつもいつもいろんな国の話を聞かせてくれるじゃん!」
私が外界に居た頃は本を読んでは夢想にふける、所謂「夢の久作」だった。
それ以外は普通の人間だ。
この郷に落ちてきた時、門番に不審者扱いされて問答無用で地下牢に放り込まれたが、
尋問の結果、容疑は晴れて、今は紅魔館の主、レミリア・スカーレットの妹君、
フランドールの退屈を紛らわせるための
話し相手と雑用の仕事をしている。
仕草は幼いが、その能力を恐れられ、495年の歳月を地下で過ごしてきた彼女は、娯楽もそうだが何より
外の情報に飢えていた。
本の知識だけはあったので、それを元に自分が調べたことも織り交ぜて彼女に話す。
トランシルヴァニアの知識は無いのでケルトや北欧を中心に昔話を話すのだが、さっきの質問は意外だった。
「フラン嬢、ティル・ナ・ノーグの話はしてなかったはずだけど、パチュリーに訊いたのかい?」
「フランでいいってば。その話はこないだ宴会に連れて行ってもらった時に、妖精たちが話してるのを聞いたんだよ。」
そう言えばケルトは民話での妖精の話が多い。と言う事はここに入る妖精達の幾人かは私と同じ世界に居たのだろうか?
考えに埋もれかけた意識をフランが引き戻す。
「でね、その国では妖精たちが沢山居て、いつも楽しく踊って暮らすんだって!妖精王と王妃の歓迎を受けると誰でも行けるんだよ!」
目を輝かせて彼女は言う。そしておもむろに訊いて来た。
「でも、その国って何処にあるの?」
本の知識を手繰り寄せて私は答える。
「長い洞窟を通り抜けた先、いきなり光に照らされる所にあるそうだよ。確か異聞ではアーサー王もそこで傷を癒して
ハロウィンの夜に他の騎士達と馬に乗って街々を訪れるそうだ。」
「へえ、やっぱり○○は物知りだね!」
「本で読んだ事だけだよ。他は何も知らない。」
「そんなこと無いってば!」
真剣な顔のフランが私の目を見ながら力説する。そこで別の声がかかった。
「○○様、お時間です。」
振り返ると、銀色の髪に赤い目の従者が立っていた。館のメイド長が。
「咲夜様、もうそんな時間ですか?」
私の問いに瀟洒な従者は事も無げに答える。
「少し早いですが、パチュリー様がお呼びですので。」
その言葉にフランはむくれたように返す。
「えー?ただでさえ○○と過ごす時間って早く感じるのにもうおしまいなの?」
ぶーぶーと文句を言うフランの頭を撫でて、私は宥める。
「明日もまた来るから、それまで大人しく待っていて、な。約束のイーハトーヴの話をしよう。」
「本当!?わかった!じゃあ待つ!!」
上機嫌になったフランに安心しつつ、咲夜に向き直る。
「パチュリー様は本日何と?」
「仔細は聞いておりません。ただ、話を幾つか聞きたいので連れてくるように、と。」
「解りました。案内願います。」
少し目を細めて私に答えた後、すっと咲夜は振り向き、歩き出す。
咲夜の案内を受けながら、私はティル・ナ・ノーグの昏い面を思い出していた。
それは誰にも話したことは無いが、パチュリーならすぐ調べが付くだろう。
長い廊下を無言で歩く。陽が差し込まない暗い廊下。
初めてここを通った時は、この先には図書館ではなく、アガルタの様な世界があるのではなかろうかと思ったが。
明かりも無く、彼女はひたすら前を歩き続ける。
赤い目の従者、と言うとアルデバランを思い出すが、生憎と咲夜は女性だ。しかも元ネタを知ったら怒るだろう。
と、咲夜の背中を見ながらアホな事を考えていると、不意に彼女が歩みを止める。
「○○様。」
「は・・・い?」
気を取られて一瞬動きが止まり、言葉がもつれる。咲夜はこちらを見ようともせず、話し出した。
「人も妖怪も、知識や情報を食べて行かないと生きてはいけません。しかし、その知識は自分を生かす糧になると同時に
自分はもちろん、他人をも狂わせる枷になります。くれぐれもご注意ください。」
咲夜の顔は見えないが、言葉は氷のようなトゲを含んでいる。
「パチュリー様が何か良からぬ事を考えていると?」
「私に人の心を見通す力はありません。ただ、○○様が他の方々と話す時間が少しずつ長くなっている事にお気づきにならない事をお伝えしたまでです。」
そこで会話を断ち切って咲夜は歩き始める。私はその言葉について2,3度訊いたが、全て沈黙で返された。
案内された図書館はいつもの如く静寂に満ちている。
いつもなら扉を開けると司書の
小悪魔が迎えに出てくるのだが、本日はパチュリー本人が出迎えに来た。
「パチュリー様、体の方は・・・?」
「貴方に心配されるほど、私は弱くない。歩くくらいなら出来るわ。」
「そうですか・・・所で司書様は?」
「私の頼みで屋敷の地下に行っているわ。すぐには戻ってこないわね。」
それだけ言うと興味を失ったように振り返って、定位置であるソファーとテーブルのある一角に歩いていく。
私も無言で着いて行き、パチュリーの対面に腰を下ろした。
「私が今日、貴方に聞きたい事は1つ。」
凹凸の無い口調で彼女は言った。
「貴方はティル・ナ・ノーグの話をしていた。」
謡うように言葉が流れ出る。そしてその後に続いた言葉は、私があまり話したくない事柄だった。
「貴方が知っている、ティル・ナ・ノーグから帰ってきた人間のその後について訊きたいの。」
私をまっすぐ見つめる双眸に、暗い光が燈る。
やがて彼女は手を軽く振り、2枚のカードを取り出した。絵柄はタロットの大アルカナ。「正義」と「審判」
「この2枚のカードに掛けて、宣誓しなさい。知っている全てを話すと。」
その雰囲気は異様なものになっている。腰が浮きそうになるが、パチュリーの言葉がそれを止めた。
「貴方は既に逃げられない。」
その言葉に周りを見ると、カードによって結界が作られている。
「吊られた男」、「塔」、「戦車」、「月」そして・・・「世界」。彼女の背後には「女帝」のカード。
「この中は審問所。貴方に黙秘は出来ない。」
「貴方はこの中では罪人、私は審問官。」
固まった私に、パチュリーは黒い服に身を包む裁判官を思わせる物言いで圧迫を掛けてきた。
重々しい宣言がなされる。
「○○、これより貴方は自分のの知る全てを話さなければならない。黙秘は許されず、嘘もまた許されない。」
私の前の景色が歪む。何重にも響く魔女の声。
「正義の女神の天秤に貴方の言葉の重さと、女神の羽を掛ける。」
「言葉が軽ければ、それは嘘とされる。」
「等しい重さなら、それは真実。」
右から聞こえるのは
「そして全てを話した後、貴方自身に裁きが下るか」
左から響くのは
「安らかな心が与えられるか。」
「・・・それは、貴方の心次第。」
100人の声が重なったような重い宣言が響き、私は意識を暗闇に囚われた。
気がつくと、満足顔で紅茶をたしなむパチュリーが、目の前で分厚い本を広げていた。
私は座ったままの姿勢だが、粘つく汗の感触が先ほどの出来事を事実だと訴える。
「ここは・・・。」
次の言葉が出る前に、パチュリーが先を取る。
「いつもの図書館よ。時間は正確に2時間経過。」
「パチュリー様、私は・・・?」
「今生きてここに居ると言う事は、貴方は無罪放免。私の質疑に正直に答えてくれて感謝するわ。」
懐から出したハンカチで顔の汗を拭く。嫌な余韻はまだ消えない。
「○○様、お疲れ様でした。お茶をどうぞ。」
いつのまに帰ってきたのか、小悪魔が微笑みながらお茶を淹れてくれた。
ざわつく心を抑えながらカップを取り、お茶を一口含むと、今まで感じた悪心が全て流されるように消えていく。そこで全身の力が抜けた。
弄うようにパチュリーが笑う。
「怖い思いをさせてしまったわね。でも私は真実が知りたかったのよ。ごめんなさいね。」
「・・・いえ。」
そこまで言うのが精一杯の私に、小悪魔が茶のポットを指先で弾きながら言う。
「これは聖ヨハネの草露、と言うお茶です。心がすぐに落ち着く魔法のお茶なんですよ?後1、2杯も飲めば元の貴方に戻れますから。」
今までの恐怖が嘘のようだ。でも、あれは確かに、ここに在った。
冥界の裁判所にも似ているが、あの空気の感じは魔女狩りの異端審問所そのままのものだった。
私は何を話したのだろうか。覚えていない事実が小さく、しかし確実な恐怖を心臓に貼り付ける。
あれから30分程経って、小悪魔に見送られ、咲夜の案内を受けて私は自室へ戻った。
先ほどの恐怖は夢のように消え、代わりに抗い難い睡魔が襲ってくる。明日はフランに話を聞かせられるだろうか?
泥のように重くなった体と意識をベッドに投げ出し、着替えもせず、私はそのまま眠りについた。
次の日。
緩やかに差し込む日の光に目を開ける。
時計の針は夜中の1時で止まっていた。ネジが切れたのか。
後で修理をせねばな、とごちてカーテンを開ける。
「・・・?」
外の様子が何か変わった?
一見同じに見えるが、門番の詰め所付近の木の形が変わっている。庭に変化は無いが、塀の外の景色にあちこち変化が出ている。
「お目覚めになりましたね。お早うございます。」
声に振り向くと、咲夜がいつもと変わらない姿で佇んでいる。しかしいつもの冷静さは無く、何か喜びで浮き足立っているような印象がある。
「朝食の支度が出来ています。皆さんもお待ちになってますよ。着替えを持って来ましたので支度が出来ましたらお呼びください。」
声も弾んだ感じだ。
何か記念日があるのだろうかと食堂へ行くと、当主の
レミリアを始めとして、紅魔館の重鎮達が一堂に会していた。
咲夜が椅子を私に勧めて、自分も着席した。
違和感の拭えないまま質問をする。
「レミリア様、今日は朝から如何されたのですか?この時間はフラン嬢も共に眠りについているはずなのに・・・。」
優雅に紅茶を飲みながら、レミリアが答えた。
「紅魔館が常若の国に生まれ変わったのよ。だからここは幻想郷であって幻想郷でない世界。時の流れの無い世界。金の種族の居た頃の世界よ。」
「・・・紅魔館が・・・ティル・ナ・ノーグに・・・?」
「そう。生まれ変わったのよ。」
悪戯っぽい笑みを浮かべたまま、パチュリーが答える。
「この前貴方にした質問、覚えてる?」
「確か、ティル・ナ・ノーグから帰った人間の話の事、ですか。私は覚えておりませんが。」
「あの時は悪い事をしたわ。でも絶対審問の結界を張ってでもその話が聞きたかったのよ。」
咲夜が楽しそうに話す。
「○○様が話してくれた内容は、ティル・ナ・ノーグから帰ってきた人間は若さを保ったまま、外界では100年以上の歳月が過ぎていた事。」
パチュリーが話を繋ぐ
「そして、乗っていた馬から降りたり落馬した、または遠い海の国という説では船から下りて地に足が着いた瞬間、急激に歳を取り
老人の姿になったり、土塊となってしまった事。」
フランがそこに割って入る
「そして別の民話では、正確には常若の国と書いてないけど、そこに数年いた男が魔法の馬に乗って自分の故郷に行ったら
誰も自分を覚えておらず、また、自分が知るものも居ないほど時間が経っていたこと、その間、死神が馬車に山積みになるほどの靴をすり減らして
死なねばならなかったその男を追っていたことも話してたね。」
「『死なねばならぬ』の話ですか・・・。フラン嬢にはまだ話していなかったものですが。」
そこで小悪魔が申し訳分けなさそうに頭を下げた
「○○様には悪いと思ったのですが、パチュリー様のご依頼で貴方の大事にしている蔵書を何冊か無断でお借りしたのです。」
レミリアが再び口を開く
「○○、貴方、ここに来たばかりの頃にフランと籠の鳥の話をしていたわよね。」
「・・・はい。」
「貴方はその時、衣食住が完備され、危険に怯え、孤独に苛まれることも無いのならその生活も自由の対価と言っていた。」
私はフランのほうを見やる。彼女は邪気も無く「私は何も話してないよ。」と首を横に振った。
「ここは私の館。私の目や耳は何処にでもあるのよ。」
静かな口調だが、その声の響きは何か恐ろしい。
「私の眷属にするのも、咲夜と同じ立場にするのも、パチュリーの魔法で人間を辞めさせる事も簡単なこと。
でもね○○、籠の中の鳥は美しい声でさえずり、その姿の輝きを見せる事が重要なの。つまり私は貴方には普通の人間である事を望んだのよ。」
そこでフランがまた割って入る。
「だけど能力も無いただの人間が生きられる時間は限られてるよね?私達は人ならぬ身だからこのままだけど、貴方はそのうち
不老の魔法を掛け忘れた男みたいに最後には干からびた老人になって、もしかしたら私の名前を呼ぶだけのセミになってしまうかも知れないって
考えたらとてもイヤだった。だからみんなで考えたの。」
冷たいものが背筋を這った。
「時計が止まっていたのは・・・。」
パチュリーと咲夜がとても素敵な笑みを浮かべている。咲夜が先に説明を始める。
「さすが、察しが良いわね。私の能力は『時を止める』事は知っていると思うけど、それは私以外の時間が止まってしまう。」
少女のようなあどけなさを笑みに浮かべてパチュリーが続けた。
「その能力を私の結界術に応用出来ないか、失敗の連続だったけどようやく納得の行く結果が出来たのよ。
流石に紅魔館の時間を止めたまま、私達がこうして動けるような魔法が出来るまで、随分時間がかかってしまった。
その副作用が外にも漏れ出してしまって、ね。」
「もしかして、私の昨日は数百年前の出来事になっているということですか?」
「○○は本当に察しが良くて良いわね。説明の手間が省けたわ。その結果をこの館の敷地に限って、寿命の凍結が出来るようにしたのよ。」
窓から見た光景が変わっていたのはそう言うことだったのか。
「博麗の結界と干渉しないようにするのには骨が折れたわ。何度紫が怒鳴り込んできたか覚えてないもの。」
レミリア、咲夜、パチュリーが顔を見合わせて微笑む。
「でも、もう大丈夫。この館なら庭に出ても、門の外に出ない限り、貴方も私達も永遠に変わらない。」
そこで新しい声が加わる。門番の美鈴だ。
「門は誰も開けられないよう封印して、人払いの結界を何重にも敷きました。もう侵入者も居ないから私は庭師に転向しましたよ。」
生き生きとした中に淀む感情。周りを見ても皆、同じモノを抱いている。
レミリアが少し悲しげに私を見て言う。
「私達を人外と知ってなお、それでもこの屋敷で尽くしてくれる人間は貴方が初めてだったのよ。そんな貴重な人間を私達は失いたくなかった。」
フランが安心した顔で微笑んだ。
「○○は私の能力を知っても、怖がらずにいろんな話を聞かせてくれたから好き。」
パチュリーが感謝の意を表わしながら話す。
「私にとっても外界の足りない知識を貴方の持っている知識や本で補完出来た。貴方のためなら魔力をすべて使いきっても、ここが楽園になるのなら
悔いは無かったわ。」
小悪魔がはにかみながらもじもじと
「人間の中にもこんな人が居るんだ、って言う事を知って、私もレミリア様の考えに賛成しました。幸い、パチュリー様も同し意見でしたが・・・。」
最後に咲夜が少し疲れたように
「その為には私の能力の解析が必要だったの。その実験の疲れで貴方に良い感情をもてなかった頃もあったけど、迫害されてきた中で
私を一人の人間として、女性としても扱ってくれたのは貴方だった。みんな貴方に好意をもっているのよ。貴方は気づかなかったでしょうけど。」
再びレミリアにバトンが回る。
「そこで貴方がフランと籠の中の鳥の話をしているのを聞いて、この手を思いついた。でも、籠の外から愛でるだけではもう足りないのよ。」
全員の声が重なる
「だから皆、○○と同じ籠の中に一緒に入れば永遠を共に出来る。と考えたのよ【ですよ】。」
倦怠の空気が屋敷から無くなっていたのはその為か。同じ時間の軸で同じ舞台の上ならいつまでも舞踏会は続けられる、終わることの無い
パーティータイムだ。
沈黙が落ちる。
咲夜は全員のティーカップに新しいお茶を淹れて、また自分の席に着く。
「レミリア様、どうぞ。」
促されて、レミリアはカップを持ち、席を立つ。
「私達の楽園の落成と、○○のとわの幸せを祝いましょう。」
全員が立ち上がる。
そして私は見た。彼女達の目に宿る光が、微妙に、とても微妙な誤差で、昏く、霞んでいるのを。
しかし、こんな歪んだ形でも、館の皆に認めてもらえた事と自分が慕われていた事に、私は安堵してティーカップに口づけた。
「・・・楽園に、私を慕ってくれる彼女達に、乾杯。」
最終更新:2018年08月16日 20:51