「仮面の夜~顔の無い目」
ある朝、目覚めると顔に違和感を覚えた。
しかし鏡を見ても変化は無い。手触りもそのままだ。だが、何か自分の顔なのに自分の顔ではない・・・そんな感じを受ける。
だが鏡とにらみ合っても変化は無い。
違和感が拭えないまま、私は里へ出かけようと鏡に背を向け、奇妙な視線を感じた。
振り返ったが鏡の中の私は普通に不審そうに私を見返している。
気のせい・・・とはあながち言えないかも知れない。
私は嫌な予感がして、まずは博麗神社に相談に行く事にした。
この郷に落ちてきてから1年、最初は戸惑いしかなかったが、郷の守護者や博麗の巫女を始めとした重鎮のおかげで、ここの暮らしにも何とか慣れた。
仕事は主に御用聞きだが、博麗神社や寺子屋の方はまだ良いとして、他の地域・・・紅魔館や冥界などは里人が行きたがる所ではない。
古典的な確信、と言うか、ここにはまだ、外界では薄れている祟りや奇跡、魔法や超能力のようなものが生々しく息づいている。
それゆえに人は幻想郷の重鎮達を恐れ敬い、必要以上の接触は図ろうとしない。
外来人達はその恐怖が薄い事もあり、危険地域の御用聞きや荷物の運搬等は給金の高さもあいまって、二つ返事で引き受けるものが多かった。
私もその一人なのだが。
里人は彼女達を畏れるが、そこまで言われている程に重鎮達は怖い存在では無いと思っている。
破魔札や護符などを報酬とは別に貰えるし、皆親切に接してくれる。
そんな事を里人に話したら、こう言われた。
「お前達はそう思うが、俺達からすれば彼女らは畏れの対象でしかない、気をつけろ。力のある女は人だろうが人の身で無かろうが
その中身は人よりも強く精神に依存する。その姿に油断して近づきすぎればいつの間にか絡め取られて食われている事にも気付かない。
蜘蛛や食虫植物と同じで、見かけで人を誘い、食らい尽くす。お前達もいつか知る事になるが、それに気付いた時はもう手遅れだ。」
外界では「女の顔は請求書」と言う言葉で表わしていたが、そのくらいのものだろうと思っていた。
博麗神社。
この幻想郷の要になる巫女はここでいつも暇そうにしている。
私は鳥居をくぐると、すぐに社務所の方へ足を向けた。
この時間帯に限らず、出かけていない限りはそこの縁側で茶を飲んでいる事が殆どだ。
時折来客として魔法の森の魔法使いや、この幻想郷を作り上げたという妖怪、山の上の神々も分社の点検と称して遊びに来て、
縁側で茶を飲んでいる所を見かける。
いつもの縁側で、巫女は退屈そうに茶を飲んでいる。
私を見つけると、巫女はいつもと変わらず声をかけてきた。
「○○じゃないの。今日は仕事休みなんでしょ?何か起こったの?」
「いや実は・・・。」
私の相談に、巫女は腕を組んで暫く考えていたが、やがて私に顔を向け直し
「心配は要らないと思うけど、貴方が不安なら協力するわ。今日もヒマだしね。」
近所に買い物に行く気軽さで返してくる。流石に異変解決に奔走しているとこのような事では動じないのか。
顔に出ていたのか、巫女はそれを打ち消すように笑って、
「大丈夫よ。今日の夜までには結果が出るわ。それまで家で待つか、里でのんびりしてて。」
幾分ほっとしながら神社を出る。
やはり異変解決のエキスパートだけに、こう言う所でその言葉が信頼できるのは有難い。
私は顔の違和感を若干気にしながら、里の方へ足を向けた。
「おや、○○じゃないか。」
フランクな声が頭上から降ってくる。
その直後に、モノトーンの服に金髪の魔法使い・・・霧雨
魔理沙が箒に乗って降りてきた。
「何か神社から来た様だけど、今日は霊夢の所に何か用だったのか?」
意外そうな問いに、私は巫女に相談した内容を話した。
「ふーん、顔に違和感、か・・・。」
「何か思い当たるところが?」
「いや、もしかしたら魔法が関わってる可能性もある。私はそちらの方で何人か頼れる奴を知っているから、霊夢の手伝いがてら情報を共有するぜ。」
魔法が関わる事は魔法の専門家に任せろという事か。巫女・・・霊夢には悪いが、ここは解決できる者が多いほうがいい。
「兎に角、夜までに答えを出せると思うから、夜には家に居てくれ。結果が出ても出なくても報告はしに行くぜ。」
魔理沙はそう言うと、すぐに博麗神社の方へ飛んで行った。多分霊夢に合流して作戦会議と行くのだろう。
「あんなに頼もしいのに、里の連中は何であそこまで警戒するんだろうな?」
私は里人の避けようが信じられなかった。
そのまま里へ行く。その途中で声を掛けられる。
「○○、浮かない顔をしてどうした?」
声のする方には、里の守護者であり、寺子屋で教鞭を取る慧音先生が立っていた。
「あ、どうも。」
「私に出来る事があるかもしれない、もし差し支えがないのなら、私に話を聞かせてくれないか?」
心底から心配する様子に、私は無下に断るのも悪いと思い、今朝から続く違和感や、解決の為、既に二人動いてくれている事を話した。
「ふむ、なら私もお前が来た歴史の方から当たってみる事にしよう。」
「しかし慧音先生、既に二人動いておりますし、わざわざ先生の手を煩わせなくても・・・。」
「私は里の守護者として、お前達外来のものにも隔てなく救いの手を差し伸べる義務がある。怪異の源を調べてある程度目星がついたら報告しよう。
とりあえず夜までかかるかもしれないが、その頃には家に居てくれ。」
私はその言葉に安堵しながら、守護者としての立場を優先するその姿勢に感謝した。
「なに、気にする事は無い。里に居るものは守られるべきもの、それは誰も同じだ。」
その言葉に安心して深く礼をして、私は里の中心へ足を向けた。
夕方。
顔の違和感が抜けないまま、帰途に着く。
「やはり違和感だけでは手がかりが少なすぎるかな・・・。」
夕暮れの空を見上げて一人ごちる。歴史を調べる事のできる慧音先生なら他の二人と連携するのも容易いと思ったのだが、
あえて単独行動を取っているのか。
真っ赤な空の反対側には、血で洗ったような色の月が霞んでいる。
「今日は満月か・・・。」
緋の月・・・狂気の月、血の月、その光は人妖問わずその心を狂わせる。
今日はとてもその色が禍々しく忌まわしく見える。私は家路を急いだ。
十数分後。
家に近づくごとに顔の違和感は増していく。まるで皮膚の下を無数のヤスデが這い回っているような薄ら寒いこそばゆさ。
背中にべっとりと張り付くような粘着感、顔を抑えて蹲りたい気分だ。
しかしここでグズグズしていては、三人からの連絡が受けられない。更に足を速める。
何も考えないで、足だけを動かすことに集中して歩き続けると、私の家が見えてきた。
しかし何故だろう、顔の感覚はもっと酷くなり、足を速めているはずなのに一向に家に近づかない気がする。
いや、家に近づくと同時に足が遅くなっていく気分がする。
足の重さが現実になったように歩みは遅くなる。汗が粘つく、吐き気を感じる、めまいがしてくる。
やっとの思いで家に着き、床に手を着いて呼吸を整える。
顔中を引っ掻き回されている不快感。気が狂いそうになる。
這いずって居間に行くと、血の色の月が窓から光を投げかけていた。
その光の中に浮かぶ、三つの影法師。そのひとつには見慣れない角が見えた。
「遅かったわね、○○。」
「大分待たされたぜ。」
「自分から名乗り出ておいてなんだが、あまり人を待たせるのは感心せんな・・・。」
霊夢、魔理沙、慧音先生。三人が私の部屋に居た。
話すのも苦痛なほどだが、話は聴かないといけない。
「あの・・・私のこの異常は・・・?」
搾り出すように話すと、三人が言葉をリレーするように口を開いた。
「ああ、それなら既に解決してるわ。」と霊夢
「○○、今はきついだろうが、我慢して欲しい。」と魔理沙
「この話さえ終わればすぐに片付くようになっている。私がそうした。」と慧音先生。
何を言っているのだ?
言葉がすぐに理解出来ない。そもそも私はこの状態なのにもう解決しているとはどう言う事か。
「一体何を・・・?私は・・・。」
私の問いに、霊夢が応える。
「みんな、あなたを気にかけていたのよ。あらゆる意味で。」
どれはどういう意味だろう?
「そう、気にかけるだけでは足りなくて、お前を独り占めしようとした。」と魔理沙。
「そう、誰にも気兼ねなく、気さくに接するお前が、皆、気になっていた。私も含めて。」
慧音先生?
「私だけではない。」と角を生やした影法師。
その時、ふっと部屋に明かりが燈る。
そこには、三人の他に、里で見知ったもの達の顔が並んでいた。角が生えた影法師は慧音先生だったが、服の色も変わり、いつもの帽子は無い。
紅魔館の主従、永遠亭の面々、白玉楼の主人と庭師兼護衛、山の新聞記者と哨戒天狗、洩矢神社の巫女と、彼女の祀る二柱。この郷の管理者・・・。
「な・・・皆さん、どうして・・・?」
みな、私を笑顔で見ているが、何故かその笑みは固まったような、能面のような違和感を与える。
私の疑問は加速するが、それを解さずが如く、慧音先生は続けた。
「○○、お前は知らないうちに、私達に近づきすぎた・・・いや、意識はせずに私達の心の中に踏み入りすぎたと言った方が良いか。」
何がだ?
「その為にみんな、貴方を気に入った・・・いえ、好きになったと言った方がいいかしらね。」
「でも、気付いた時にはその為に、不毛な争いを避けられるような状態じゃなかったのさ。」
話が理解出来ない。
それが何でこの違和感や重圧になっているのか解らない。みな、何を言っているのか。
「だから、一触即発の状態だった。」霊夢の声が歪んで聞こえる。症状は酷くなるばかりだ。
「そしてこの争いを避けるために、出した結論はお前を皆で『共有』する事だった。」と慧音先生。
共有?
「皆、お前をその髪の毛の先まで絡め取って自分のものにしたかったのだ。だが、そんな事をしてはお前を結果的に殺してしまう。」
殺す?先生、正気ですか?
「それなら、私達の力で貴方の体を共有して、その為に行き場を失った貴方が誰を選ぶかを決めさせればいい、と結論が出たの。」
行き場を失う?何を言ってるんだ霊夢。
「この紅い月がお前の体を共有するための媒体になる。だから今日の朝からお前の体の感覚がおかしかったんだよ。」
魔理沙、解るように言ってくれ。
「解らないって顔だな?じゃあ○○、これなら解るだろう?」
魔理沙の声に顔を上げる。
彼女は帽子を下げて一瞬、顔を隠す。その帽子が再び上げられた時、私の背筋が凍った。
その顔は、私の顔そのままで微笑んでいた。こみ上げる吐き気を必死にこらえる。
「これが貴方を共有する、と言うこと。」と霊夢。
その顔もまた、私の顔だった。
「すまないな○○、もう私達は自分を抑えるのに疲れてしまったんだ。」
慧音先生も私の顔で悲しそうに言った。私の顔を悲しそうに歪めて。
畳に何かが落ちる音が一斉に響いた。
目をやると面のようなものが落ちている。いや、正確には各人の顔を模した、と言うよりも顔そのものが。
顔を上げるのが怖い。多分、ではなく確実に、ここに居るもの達の顔は私の顔になっているだろう。
歯の根が合わなくなる。寒くないのに歯がガチガチ鳴るほどに心が恐怖に満ちている。皆狂ってしまっているのか?
「狂っては居ないと思うけど、私は自信ないな」と魔理沙の声。
止めろ。
「貴方への気持ちを自覚したときから、みんな正気のままで壊れたのかも知れないわね。」
霊夢、私の顔を返してくれ。
「でも、知らずのうちに賽を投げてしまったのは○○、お前なんだ。」
慧音先生、後生ですから私の顔で楽しそうに言わないで。
「満月は魔力や私たちの能力を引き上げる。」霊夢もう黙ってくれ。
「それは人間の心以上に、私達の心を赤裸々にする。狂気もな。」魔理沙止めるんだ。
「私は姿も変わるし、心は妖怪に近くなる。」慧音先生・・・!
「心はお前に煽られて、月に後押しされた。」魔理沙の声が私の声に変わる。私の体を弄ぶな。
「だから、この事件の犯人はここに居るみんな。貴方もまた被害者兼加害者。」私の声が霊夢の声に戻る。私に何の罪がある!
「私も共犯だ。悪いとは思っているが・・・私達だけが狂うのは公平ではなかろう?」そんな理由で私が!!
再び部屋が暗闇になる。浮かぶ顔、かお、カオ・・・全て私だが私ではなく、彼女達だが彼女達ではない。
口々に私の顔が私の声で、でも私とは違う声で語りかける。
『諦めてくれ。』
『大丈夫、人ではなくなるけど、私たちが居るから安心して。』
『後は自由だ。行き先はお前自身が選ぶといい。』
『選ばなくてもいいけどね。』
『どのみち、貴方はここには居られなくなる。』
『仕事は無くなるでしょうけど、大丈夫ですよ。私達が居ますから。食にも不自由しませんし。病に倒れる事もなくなります。』
『明日になれば解りますよ。』
『今は休んでください。疲れたでしょう?疲れましたよね。』
勝手な事を散々言って、その口から笑い声が漏れる。明るい笑いだが病み憑かれた狂気の含まれた笑み。
さざめくように響き渡る笑い声は、今夜の月の光にも似て狂っていた。
声にならない叫びが私の口をついて出る。やめろやめろやめろやめろろおろろろややっやああやややめめめめめえええぇぇぇぇ・・・・・・・・。
そこで私の意識が途切れた。
目が覚めると、部屋の中には私一人だった。
あの忌まわしい感覚も消えて、力のみなぎる元の体に戻っている。
夢だったのかは解らない。
畳の上には何も無く、ただ、窓からの日の光が差し込むだけだった。
手を握り、開く。
足を上げて、戻す。
昨日のあれが嘘みたいに消えていた。
「・・・夢だとしても、もう二度と見たくは無い・・・。」
私の声だ。
私が自分で出した声だ。
安堵して、私は顔に手をやって・・・凍りつく。
指先に顔の感覚が無い。何も伝わってこない。
指を深く顔に突き刺すと、抵抗も無くするりと根元までめり込んだ。だが、顔に指がめり込んでいる感触さえも無い。
見たくない、見るな、行くな。ここに居ろ。止まれ。
だが、立ち上がった私は吸い寄せられるように鏡へ歩を進める。その動きは滑らかに、確実に私の意思に反して鏡へ近づく。
頭の中で警報が鳴り響く。戻れなくなる。見るな。止めろとまれ進むな。
しかし、歩みは止まらず、私は鏡を覗き込む。目をつぶるんだ。
だが目は閉じなかった。瞼が下りない。
ダメだ。見るな。私はまだ正気で居たい。もうやめてくれ。
鏡に映った私の顔は、
黒い空間に
目だけが
ぎらついている
虚無。
凄まじい叫びが空気を震わせた。これが私の声なのか。
暫くして、耳障りな哄笑が響きだした。これも私の声か。
それに重なるように、聴きなれているはずの声が重なる。
霊夢の
魔理沙の
慧音先生の
紅魔館の主従の
白玉楼の
天狗達の
洩矢神社の
永遠亭の
私が見知った、この郷の、重鎮達の。
気がつくと、私を心配そうに覗き込む、彼女。
「大丈夫?」
私は何も言わない。言えない。しかし彼女は微笑んだ。どこかで見た事のある笑みで。
「今はおやすみ。目覚めたらもう何も覚えていない。」
私は安心しているのだろうか。
でも、彼女の温かさはそれに足るものに感じた。
子供のような笑み。でも、目の光はガラス玉のそれだ。
それを知ってか知らずか、彼女は嬉しそうに壊れた笑みで私に言った。
「今は寝ていて。大丈夫だから。」
意識が暗闇に落ちる。
その直前に、ありえない歓喜を含んだ声が私に語りかけた。
「ようこそ、私の住まいへ。これからは一緒に。もう怖くないから。」
最終更新:2018年08月16日 21:01