僕には、憧れの従姉妹が居る。
僕自身にはあまり信心は無いけど、僕の家は諏訪に長く連なる神職の一族だった。
その中でも特に強い力を持っているのが僕より1歳上である従姉妹の早苗姉さんだった。
具体的にどう強い、と言われても困る。大人達がそう言っていただけだったし。
早苗姉さんは、特別な人だった。
一族の中でも浮世離れしているというか、僕の両親や諏訪の偉い宮司さん達も一目置いていた。
子供の頃はよくそんな事を理解出来ず、姉さんに近付いて遊ぶようねだり、両親に怒られたりしていた。
姉さんが特別である事を理解したのは姉さんが務めている神社に行った時だった。
美人で子供の頃から憧れていた姉さんと一緒に居たい、という下心を多分に持って行った僕は、境内に入った途端唖然とした。
空気が違うのだと、ここには『何かが居る』と。
大概の神社では、抜け殻の様に何も感じない事が多いのに、此処では密度が濃かった。
変な帽子を被った女の子に声を掛けられるまで気をやっていた位だ。
その後でその女の子が連れてきた早苗姉さんは、少し困ったような顔で言った。
やっぱり、見えているんだ。と。
姉さんの強い視線に目を逸らすと境内に一瞬だけ、注連縄を身に纏った女性の姿が見えたような気がした。
「○○、怖がらないのね」
姉さんの繊細な手が、僕の肩に乗る。ああ、この人は特別だから、特別過ぎるから一族からも距離を置かれてるんだ。
大丈夫、と姉さんに返し、僕は手を握った。姉さんは驚いた顔をした後、静かにありがとうと呟いた。
やっぱり、姉さんは特別過ぎるがゆえ、他人との交流が少なかったらしい。
神職絡みの理由(僕の家は僕しか男子が居ない)で姉さんの神社に度々行き、姉さんと少しでも交流を持とうとした。
姉さんは意外に天然でおっちょこちょいであると、あの変な帽子の女の子に言われた。
姉さんと付き合いを深める毎に、それが事実である事が解り、僕は姉さんの事がもっと好きになった。
「○○、○○は私の事が好き?」
姉さんの元に通い出してから1年が過ぎた頃、姉さんがいきなり僕に切り出してきた。
姉さんはますます綺麗になっていて、通っている学校でも凄く評判らしい。
僕としては変な男に絡まれてないか、そこだけが不安だったけど。
「…………う、うん」
振り絞った勇気が、僕の口を開いた。
姉さんが、僕をじっと見詰める。
素を出す時には意外に年相応な姉さんの雰囲気ではない。
この神社で姉さんが仕事としている風祝としての雰囲気だ。
「そう、私も○○の事が好きよ」
静かに、厳かな雰囲気で姉さんは微笑んだ。
まるで姉さんであって姉さんで無いような、言いようのない威圧感。
長く憧れていた姉さんに好きだと言われた、物凄く嬉しかった。
嬉しかった反面、何かが僕の内側で引っ掛かった。
ふと、視線を感じた。
襖の隙間から、あの帽子を被った女の子……
諏訪子が覗いていた。
社務所の棚に飾ってある大きな神棚に飾ってある大きな鏡に、何かが映っていたような気がした。
「ねえ、○○、私とずっと一緒に居てくれる? どんな事があっても、私と一緒に」
姉さんの顔が、神職の顔から女の顔になったような気がする。
僕は、姉さんの顔から目を離せず、コクリと首を縦に振った。
姉さんは嬉しそうに頷くと、僕に顔を寄せて軽く触れる様に口づけをした。
そして、僕の意識は途絶えた。
「この子1人追加する位訳ないけどさ、まだ事情も話してないんだろ。本当にこのまま連れて行くのかい?」
「はい、申し訳ありませんがお願いします」
「あーうー、早苗。怖いの? ○○に一緒に来て貰うようお願いして拒絶されるのが」
「……………………はい、怖いです。でも、○○はどうしても連れて行きたいんです」
早苗の手が、○○の頬に添えられる。
「○○だけには、私を忘れて欲しくない。○○だけは、喪いたくないから」
早苗の瞳の中で、何かが燃え盛っていた。
そして、諏訪から2人の人間が消えた。
妖怪の山は、意外に穏やかな場所ではあった。
到着してから暫くの間は姉さんが博麗神社に行って、大騒動を起こしたり。
紅白な巫女が攻め込んできたり、何故か白黒な魔女も攻め込んできたり。
暫く騒がしい日々が続いたが、今はすっかり平穏を取り戻している。
ああ、そう言えばこの前白黒が神社の中を物色しようとして、
神奈子様に〆られてたけど。
「おはよう○○」
「ああ、お早う姉さん」
いつもの風祝の服装をした姉さんが、箒を持って出て来た。
僕も一応、神職の姿だ。神奈子様曰く、直接神に仕えてるのだから、形から入るのも悪くないと。
家を継がされるのは確定していたし、姉さんにも色々教えて貰ってたけど結構大変だ。
実際、いろんな祭事や儀式は姉さんから直々に教えて貰っている。
姉さんと密接するのは嬉しいけど、雑念を出すと姉さんか監督してる神奈子さんから叱責されるのでこれはこれで大変。
昼過ぎ頃になると、神社にはパラパラと人がやって来る。
姉さんが度々説法に向かっている里からの人達が結構居る。
僕は基本的に神社から出ては駄目と決められているので、里へ行った事はまだない。
神社は山の中で妖怪も近くに居るけど、実質的な管理を行っている天狗達が通行を許可してるので参道付近は安全だ。
里の人達は金子や供物、信仰心を神社に供し、神社は里への加護と豊穣を約束する。
姉さんが居れば参拝者を集めて説法や儀式が行われるので、僕も御茶出しや儀式の準備で大忙し。
広い境内は偶に妖怪達が集まって宴会を開く時もあるし、姉さんは結構潰れやすいので雑用係は尚更忙しくなる場合も多い。
まだ雑用係程度ではあるが、これはこれで結構忙しいのだ。
こうして、幻想郷での時間は流れていく。
最近になって諏訪子様が殆ど里へと住み着いている形になっているが、他は概ね順調だろう。
神秘の強い幻想郷と集まってくる信仰心で、現人神である姉さんと神奈子様は消滅の危機を免れた。
外の世界へのホームシックは偶にぶり返すけど、姉さんが何とかしてくれる。
どうなんとかしてくれたのかは………………まぁ、何とかしてくれたのだ。
この事を考えると、決まって頭が痛くなる。
そうして僕は、いつもの様に姉さんに相談して、頭の痛みを消して貰うのだ。
「○○……」
今日も姉さんが、僕の布団に入ってくる。
神奈子様を除けば、深夜の神社に居るのは僕達2人だけだ。
偶に僕がホームシックにかかった時、決まって姉さんは僕の寝室に忍んでくる。
変な事は無い。
ただ、お互いの手を握りあい身を寄せ合って寂しい思いをせずに、眠りに付くというだけ。
でも、僕には解っている。
姉さんが、僕に何を期待しているかを。
僕がもし、姉さんに対して求めたとしたら。
姉さんは抵抗をしないだろうという事を。
締め切られた奥の院。
ぼんやりとした明かりの中、2人の影が相談をしていた。
「諏訪子様はまだお戻りになりそうにありませんか?」
「ああ、ありゃ暫くは戻ってきそうにないよ。何百年に一度あるかどうかなんだけどねぇ、まさか、諏訪子の思い人の魂がこっちに来ているとは……」
「やはり、私のご先祖様が転生された姿なのですか」
「そう言うこと。まぁ、心配は無いよ。諏訪子の病みと歪みはああしている限り、暴走したりする事はない。寧ろ……」
「…………」
「あんたの方が心配だよ。○○の『ほつれ』が大きくなって来たんじゃないか?」
「……定期的に補修と刷り直しはしてます。問題ありません」
「ふぅ……、一度解いて、ちゃんと話し合って見る気はないのかい」
「…………」
「やれやれ、後悔しないうちに、手は打っておいた方がいい。これは私の忠告だ。忘れないようにな」
「……………………はい」
「……待てよ早苗。オーライ、クールに行こうぜ」
「…………」
神社の境内の前で睨み合う姉さんと
魔理沙。
事の発端は些細な事だった。
博麗神社での宴会日程を通達しに来た魔理沙が、神奈子様と話し終えた後で僕と出会った。
そこで少しばかり世間話をしたのだが、それを里から帰ってきた姉さんに見られた。
姉さんはたちまち無表情になり、いつの間にか手にしている御幣を構えた。
スペルカードではない、里付近に出没する下級の妖怪を退治する時に持っていく奴だ。
あまり空気に敏感じゃない僕でも、姉さんが発する雰囲気が危険だという事は理解出来た。
「誤解するなよ早苗。私にはちゃんと相手が居るんだ。知ってるだろ? ○○とはちょいと世間話しただけだ。怒るなよ」
「………………そうでしたね」
暫く睨み合った後、姉さんがゆっくりと手を下ろした。
ミニ八卦炉をこれまたいつの間にか構えてた魔理沙も戦闘態勢を解除する。
「それじゃ、そろそろお暇するぜ。早苗、後ろから撃とうとなんて考えるなよ?」
「そんな事はしませんよ。それよりも早く帰らないと文さんと霊夢さんに出遅れるのでは?」
「…………ああ、そうだな。それじゃな」
最後にまた険悪な雰囲気が一瞬流れた後、猛スピードで魔女は神社から去っていった。
それから、姉さんは暫く口をきいてくれなくなった。
無言で静かに三人で食事をし、お風呂に入り、最後に何故か寝床に姉さんが来た。
姉さんは何も言わず、ぎゅっと僕を抱き締めてきた。
僕には、姉さんの気持ちが分からなかった。
魔理沙とちょっと話をしただけなのに、なんでこんな事になるのだろうか。
姉さんがおかしいのか、僕が何かがおかしい事に気付いてないだけなのだろうか。
姉さんの手が、僕の手を掴んでゆっくりと自分の方へと引き込む。
「!?」
胸の谷間に、手を入れられた。
僕は拒否する事も、肯定する事も出来なかった。
ただ、姉さんの何かを訴えるような濡れた視線を、ただ見詰める事しか出来なかった。
だけど、1つだけ解った事がある。
姉さんは、姉さん以外の女性が僕に近付く事を嫌がっている事。
恐らくは、魔理沙みたいに僕に対して特別な感情を抱いてなくてもだ。
だとすれば、姉さんが僕に抱いている感情は何だろうか。
親愛以上ではあると、解っている。
姉さんが添い寝する意味が解らない程、子供でもない。
だけど、僕は姉さんの事を受け容れて良いのだろうか。
何か、大切な事を忘れているような気がする。
姉さんは、何を僕にしたのだろうか?
神奈子様の溜息が、どこからか聞こえたような気がした。
そして、姉さんと僕の歪みに罅が入るのは、それからまもなくだった。
最終更新:2011年03月04日 01:32