猫色骨董店
落ち着いた時間が流れる午後の昼下がり、骨董店の一室では店員が一人椅子に座っていた。
客を待つにしては余りにもなおざりで、然りとて暇を潰しているには余りにも殺風景なその場所で、
彼はただ椅子に座り時折、膝の上に居座る猫を撫でていた。
ゆっくりとした、或いは時間が止まっているかのようにすら見える空気は、
しかしながら客が一人入って来たことによって破られた。
入って来た客は男性であり、この店に来る層としてはかなり若い部類であった。
この店に初めて来た客の大半がするように、骨董店にしては余り物が置いていない店内を
グルリと見回した客は、店員にトランプのカードを差し出した。
「この店では、こういった種類の物を取り扱っているようだが。」
一見何の変哲もないただの一枚のトランプ。
まるで道すがらどこかの雑貨店で買ってきたかのように思えるそのカードを店員は手に取る。
表を見て、裏を見て、クルリ、クルリとカードを裏返す。ふう、と溜息一つ吐いて店員は客にカードを返した。
「いやあ、中々珍しい物を見せて頂きましたよ。」
万年筆がクルリと回り、手元の紙に数字が書き込まれる。
「世の好事家ならば、死ぬまでに一目でも見たいと言われるあの悪魔のトランプを見せて頂けるとは。
…私もダイヤとハートを見たことは有りますが、スペードは初めて見ましたよ。」
これくらいで如何-と何でも無いように店員は紙を差し出すが、そこには車一台は優に買える金額が踊っていた。
ゴクリと唾を飲み込む客。暫くの逡巡の後、彼は店員の申し出を断った。
「いや、実はこれを売る積りは無い。」
「おや、金額の問題ですか?」
「これは私の名刺代わりの物だ。このような種類の物を正確に鑑定出来る人は少ないからな…。
鑑定して欲しい物は別にある。」
「ほうほう、これ以上の物ですか…。」
身を乗り出す店員。膝の上の猫がミャアと鳴き、机の上に飛び乗った。
客に試すような事をされても顔色一つ変える様子を見せないのは、
この店員の方も客に劣らす中々の変わり者であると言えた。
男が取り出したのは銀色の懐中時計だった。
年代物だろうか、くすんだ銀色をしているが、丁寧に手入れが成されていたようで、
今この瞬間にも正確な時を刻んでいた。
「この時計を売りたい。」
客から出された時計を受け取る店員。やはり先程と同じ様に表裏を見た後に、
クルリ、クルリと時計を手の上で回転させる。
普通の時計職人ならば気にするであろう時計の内部や刻印には目もくれず、男は時計を机の上に置いた。
「ふむ、ふむ…今度はこれで如何でしょうか。」
いつの間にか白紙に戻っていた紙の上に、店員がペンを走らせる。今度の数字は酷く単純なものであった。
「こ、これはどういうことだ!これは本物だぞ!絶対に絶対に本物だぞ!それを…ゼロとはどういうことだ!」
「ええ、これは本物ですね。」
あっさりと認める店員。
「そうだ!それがゼロ円なんてどういう積りだ!この節穴め!」
「ですから、本物だからゼロ円なんですよ、お客さん。」
「……どういうことだ…。」
動揺が走る男。顔に一筋の汗が流れた。
「お客さん、この商品をどこで手に入れられましたか?」
「元の持ち主から譲って貰ったんだ。」
「嘘…ですよね。」
疑問ではなく断定。店員は男を追い詰めていく。
「この時計は持ち主の人から、特別な人に送られた物なんですよ。
そこに込められた意味を考えれば、これは他の人に譲るべき物では無いと分かるんです。
あの館への通行証代わりのトランプとは違って、世界に一つだけしか存在しない時計なのですからね。」
「でたらめだ…。」
「いえいえお客さん、この時計に込められたモノが分かりませんか?
まあ、分からないから売りに来たんでしょうけれど。第一あなたの持っていたトランプに描かれているスートはスペード。
しかも数は四と随分小さい。大方警護をしている下っ端のメイド妖精か、門番メイド隊から奪ったんじゃあないですか?
この時計の本当の持ち主ならば、ハートのエースのカードを持っていないといけないんですよ。
剣ではなく、恋人を意味するハートのカードをね…。」
「か、帰らせてもらうぞ!」
嘘を暴かれて急いで逃げだそうとする男の後ろ姿に、店員は声を掛ける。
「お客さん、逃げるのは結構ですけれど、本当にこの連中相手に逃げ切れると思っているんですかい?」
次の瞬間男の姿はかき消え、机の上には綺麗に真っ二つに切れたハートのカードと、封筒が一枚置かれていた。
「ふむふむ…クローバーのカードをご覧になった事がないとのことで、同封させて頂きました。
魔術の関係者の方にお配りしております…とさ。しかし手厳しいね、僕は数字の2じゃないか。
ねえ、君のダイヤのカードが羨ましいよ。橙…。」
店員は、やはり猫を撫でていた。
感想
最終更新:2018年09月16日 18:42