朝、家を出て学校に向かう。
 背中に視線を感じて振り返る、だが誰もいない。
 また前を向いて歩き出す、再び感じる視線、振り向いても誰もいない。
 少しだけ道を戻って辺りを確認する、登校中の学生たちが不思議そうにこっちを見てくるが気にしない、電柱の影にも曲がり角の向こうにも自分を見つめる視線の主を見つけることはできなかった。
 三度学校に向けて歩き出し、三度視線を感じ、今度は振り返らない。
 学校に向けて全速力で走り出す、歩いて登校している学生達を一人抜き、二人抜き、それでも視線は離れない。
 自分の後ろにピッタリと張り付いている人間の気配、どれだけ速く走っても決して引き剥がせない、振り向く暇など無い、そんなことをするくらいなら一歩でも前に進む。
 汗だくになりながら学校に到着する、そこでもう一度だけ振り向く。
 自分を追っている人間などいない、どこにでもある朝の登校風景だった。
 火照った体を風が優しく包み込み冷やしていく。
 纏わり付く風が妙に気持ち悪かった。


「気のせいだ、なんて言えないからな。 お前の場合」

 朝のHR前、いつもどおり机に突っ伏していると友人が声をかけてきた。
『自分はストーカー被害を受けている』
 そのことを友人に相談したのは果たしてどれほど前だっただろうか?
 初めは友人も笑いながら 「モテて羨ましい」 なんて言っていたが、それが本気の心配に変わるまでそれほど時間はかからなかった。
 この友人は自分に降りかかる被害を近くで見てきたのだから、相手がどれほど異常なのかを恐らく二番目に理解しているだろう。
 一番はもちろん、被害を受けている自分自身だ。
 自分は大丈夫なことを友人に伝え目を閉じる、疲労していることを知っている友人は何も言わずに席に戻っていった。
 HRまであと10分も無いが少しでも眠りたい、朝の全力疾走はどれだけやってもなれないものだ。

「ええ!? 東風谷さん引っ越すの?」
「どこに? 私手紙書くから」
「どこ? と言われても……手紙も届かない遠いところです」

 女子の声で眠りを妨げられる。
 どうやら東風谷が引っ越すらしい、だがどうでもいいことだ。
 まともに話したことの無いクラスメイトが一人減ったところで自分の生活に変化があるわけでもない。
 それよりもストーカーの方が自分にとってよっぽど切実な問題だ。
 騒がしい女子達の方をちらりと見て、東風谷と目が合った。
 他の女子が世間話で盛り上がっている中、東風谷だけはじっとこちらを見ている。
 その視線に耐え切れなくなり思わず目をそらす、視界から東風谷が消えても分かる、まだ東風谷は自分を見ている。
 絡みつくような視線が妙に気持ち悪かった。


 昼休み、弁当を取り出す者、購買に買いに行く者、食堂に向かう者、別クラスの知り合いと過ごすために教室を出て行く者もいる。
 自分も机の中から弁当を取り出し、教室の隅においてあるゴミ箱に投げ捨てた。
 その様子を教室の人間は誰もとがめない、これも日常的な光景になってしまったからだ。
 捨てた弁当は自分が持って来たものではない、昼休みになるといつの間にか机の中に入っている製作者不明の弁当。
 そう、いつの間にか入っているのだ。
 朝学校に到着した時、机の中に何も入っていないことを確認する。
 そしてそのまま授業を受け、体育も無く、机から離れることも無く、なのに気がつくと手紙と共に弁当が入っている。
 手紙の内容はいつも同じ、 『愛している』『心を込めて作った』『ぜひ食べて欲しい』 といった言葉が羅列している。
 まだストーカーと気がつかなかったころ、単なる恥ずかしがりやの娘が作ったものだと思っていたころは食べていた。
 しかし2回、3回と続き、やがて絶対に机に入れられない状況でも存在した弁当を見たときから食べるのを止めた。
 購買にパンと飲み物を買いに行き、戻ってくる。
 友人はこっちの机と彼の机をくっつけて、彼の母親が作った弁当を広げていた。
 自分の席に座って買ってきたパンの袋を破ろうとして、机の中に何かがあることに気がついた。
 かわいらしい布に包まれた弁当箱、先ほど捨てたものとは別物だ。
 友人は驚いた顔でその弁当を見ている、彼の話によれば自分が教室を出て行ってからすぐに二つの机を引っ付けたとのこと。
 自分が帰ってくるまでの間に机に近寄った人間はいない、ならばどうやってストーカーは弁当を机に入れたのか?
 ここまで来るともはや超常現象の範囲にまで入ってしまう、超能力でも使わない限り不可能なことだった。
 恐る恐る一緒にあった手紙を広げてみる、年頃の女の子が書いたような可愛い字体だった。

『いつもパンだけでは栄養が偏ります、昨日の夕食もカップラーメンで過ごされたようですし、健康のためにも是非食べてください』

 手紙をクシャクシャに丸めてゴミ箱に投げ捨てる、さらに中身の詰まった弁当も投げ捨てる。
 自分を監視している人間は、何か人知を超えた存在のような気がして妙に気持ち悪かった。


 帰宅、財布の中に入れておいた鍵を取り出して家のドアを開ける。
 家の中は真っ暗、共働きの両親はまだ帰っていない。
 明かりをつけながら台所に入り、テーブルの上に存在する物体に気がつく。
 焼き魚、肉じゃが、ほうれん草の和え物、どこにでもあるような和風の夕食と一通の手紙。

『今日の肉じゃがは自信作です、それと鍋にお味噌汁と冷蔵庫に――』

 全部読み終わる前に手紙を握りつぶす。
 大き目のゴミ袋を取り出してテーブルの上の料理を片っ端から突っ込んでいく、味噌汁は汁を流し台に捨て具をゴミ袋に入れる、冷蔵庫の中にあった料理も全部詰め込む。
 どうせ両親は外食だ、作ってある料理はすべてストーカーが作った物に決まっている。
 空になった皿を流し台に入れて水に浸す、本格的な皿洗いは後でいい、とりあえず空腹を何とかしたい。
 カップ麺を備蓄している戸棚を空け……

『こんなものを食べていたら健康に悪いです、勝手と思いますが処分させてもらいました』

 中にあった手紙を破り捨てた。
 財布を掴み靴を履く、部屋の明かりはつけたまま、テレビの電源もワザと入れておいた。
 家の中に人間がいるように思わせる泥棒避けの手段、だがこの程度の抵抗にどれほどの効果があるだろうか?
 恐らく無いだろう、どうせ家に戻ったら 『和食は嫌いなようなので中華にします』 とでも書いた手紙と共に出来立ての料理が置かれているに違いない。
 もちろんそんな物は食べたくない、そんな物を食べるくらいならどれほど健康に悪かろうとジャンクフードの方がまだましだった。
 数百メートル離れたコンビニに急ぐ、登下校と同じように感じる何者かの視線、暗い夜道を一刻も早く通り抜けて明るい空間を目指したかった。
 歩きは駆け足に、駆け足は全速力に変わり、追いかけてくる存在を朝のように振り切ろうとして――風を感じた。
 足が動かない、体が前に出ない、走っている体勢のまま体が硬直している。
 こんな体勢で動きを止めたら倒れるはずなのに、体は重力に逆らって静止していた。
 風が体を縛り付けている、何故か分からないがそう感じた。
 背後に聞こえる足音、今までのように気配だけじゃない、今、確実に、自分の後ろに、奴は、近づいて、一歩一歩、振り向こうとして、顔は動かなくて――

「行きましょう、〇〇さん。 私と一緒に、幻想郷へ……」

 硬直している自分の頬にそっと手が添えられる、後ろにいる奴が触ったのだろう。
 それに気がついた次の瞬間には意識が途切れる。
 頬に残る生暖かい感触が妙に気持ち悪かった。


 気がつくと布団の中にいた。
 体を起こして辺りを見回すと純日本風の和室ということが分かったが自分の家に和室など無い、ここはいったいどこなのだろうか?

「気がつきました? 〇〇さん」

 クラスメイトの東風谷だった。
 どうやらここは東風谷の家らしい、神社をやっていると聞いたことがある、だったらこの純和風の部屋も納得できた。
 どんな状況だったかは分からないが東風谷が助けてくれたらしい、とりあえずお礼を言おうとして……盛大に腹の虫が鳴いた。
 そういえば何も食べていない、昼食に買ったパンが最後だったはず、今何時かは分からないが外が明るい、もしかしたら次の日になってしまったのだろうか?
 両親に連絡を入れないといけないし、平日のはずだから学校にも行かないといけない。

「大丈夫です、ゆっくりしてください。 すぐ食事にしますから」

 何が大丈夫なのか分からないが待つことにする、とにかく今は食事を取りたい、東風谷は一旦部屋を出て行き、すぐに戻ってきた。
 すでに食事は作られていたらしい、東風谷の持つ盆には朝食と呼ぶには少し豪勢な料理が乗っていた。
 東風谷と一緒に部屋に入ってきた少女がおひつを置く、東風谷の妹だろうか?
 カエルを模した妙な帽子をかぶった少女だった。
 その少女から茶碗としゃもじを受け取った東風谷はおひつからご飯をよそう、どうやら冷や飯らしい、固まったご飯は非常に取りにくそうだった。

「ごめんなさい、こっちに来てから電化製品が全滅してしまったので……本当は温かいご飯を食べて欲しかったんですけど」

 電化製品が全滅?
 おそらく食事が冷め切ってしまっているのはレンジで温めなおすことができなかったからだろう。
 そういえば部屋の電気がついていない、停電にでもなっているのだろうか?
 そんなことを考えながら食事に手をつけ一口食べてみる。
 おいしい。
 東風谷はかなり料理が上手らしい、冷え切ってもうまいと感じられる食事は空腹も手伝って見る見るその量を減らしていった。
 その途中視線を感じる、東風谷がじっとこちらを見ている。

「いえ、〇〇さんが私のご飯を食べてくれるのが嬉しくて」

 そんなに嬉しいものだろうか?
 まさか東風谷は自分のことを?
 そんなわけ無いか、東風谷とは単なるクラスメイト、大した話もしたことが無いのに、少しばかり自意識過剰だろう。

「本当に嬉しいです。 だって〇〇さん、いつも私の作ったお弁当や夕食を捨てちゃうじゃないですか?」

 箸が止まった。
 東風谷は今なんと言った?
 いつも? お弁当? 夕食? 捨ててる?
 アレはストーカーの作っているもので、東風谷はクラスメイトで、あの食事は東風谷が作っていたのもで……

 東風谷がストーカー

 頭の中にその方程式が出来上がる。
 東風谷からの視線はいつも登校中に感じる視線と同じだ。
 東風谷の料理は最初のほうに何度か食べた弁当と同じ味がする。
 東風谷の声は意識を失う寸前に聞いたのと同じ声だ。
 ゆっくりと東風谷の方を見る、東風谷は微笑みながらこちらを見ている、あの絡みつくような、獲物を狙う蜘蛛のような。
 立ち上がって部屋から逃げ出す、東風谷と少女は驚いているが構っていられない、一刻も早く此処から離れたかった。
 靴も履かずに縁側から飛び降り、庭を駆け抜ける。
 とにかく広いほうへ、此処が神社なら境内に出て鳥居をくぐればいい、それで東風谷を振り切れる。
 それから真っ直ぐ交番に向かう、東風谷の神社は自宅からさほど離れていなかったはず、頭の中の地図には住み慣れた街がはっきりと浮かび上がっていた。
 境内には女性がいた。
 交番に行くよりも早い、この女性に助けを求める。

「ああ、あんた早苗が連れてきた――ってちょっと」

 話は最後まで聞かなかった。
 あの出だしだけでその女性が東風谷の関係者だと理解できたからだ。
 女性を押しのけ、鳥居をくぐり、階段を下りようとして……足が止まった。
 目の前に広がる壮大な光景、意識を失う前まで街にいたはずなのに、ここはいったいどこだ?
 山があり、森があり、遠くに町、いや村が見える。
 恐らくは日本なのだろうが、何故か元の街に帰ることができないことは理解できた。

「悪いね、早苗にも苦労をかけるから一つくらいはお願いを……ね」
「あーうー、お腹すいた。 早苗、私達もご飯にしよう」
「そうですね、冷や飯しかありませんが、近いうちに何とかしてみせますから」

 東風谷達に追いつかれたが足は動かなかった。
 体中の力が抜けてその場にへたり込む、そんな自分の背中を東風谷が包み込んだ。
 首に腕を回し、体を密着させ、耳元にそっとささやきかける。

「大丈夫ですよ、〇〇さん。 ずっと私がついていますから、どんな困難も二人なら乗り越えられますから」

 東風谷に体を預けたまま空を見上げる。
 都会では見たこと無いような青い空、こんな空を見るのは初めてだ。
 どんなものでも受け入れてくれそうなこの空が、今は妙に気持ち悪かった。



「ねぇ? 〇〇くんはどんなひとをおよめさんにしたい?」
「うーん、おいしいごはんをつくってくれるひと」

 そんな会話をしたのは何年前でしょうか?
 たぶん幼稚園くらいだったと思いますが……私自身よく覚えてません。
 それから別々の小学校に行くことになり、私も風祝としての修行を本格的にすることになって離れ離れになってしまいました。
 だけどこの思いはずっと消えなくて、それどころかもっと大きくなって……
 成長した〇〇さんを見つけたときは心臓がはじけるかと思いました。
 でも声をかけることができません、恥ずかしくて、緊張して、でも我慢できなくて後をつけたりして……
 ある日、意を決してお弁当を作りました……メッセージカードを付けたけど恥ずかしいので私の名前は伏せて。
 体育の時間が終わって皆が教室に戻る前に、自分だけダッシュで戻ってこっそりと〇〇さんの机の中に入れておきます。
 そんなお弁当を〇〇さんが美味しそうに食べてくれたのを見て少しだけ自信が付きました。
 よし! 近いうちに〇〇さんの家に行って夕食を作ってあげよう、両親は共働きだからきっと喜んでくれるはず!
 東風谷早苗、守矢神社の風祝、でも本当は一人の恋する女の子なんです。


 キンピラゴボウにカボチャの煮つけ、風呂吹き大根、どれも冷めても美味しいように濃い目の味付けにしてあります。
 多めにスペースをとった白米の上に炒り卵と肉そぼろを敷き詰めて、真ん中には鮭のほぐし身でハートマークを作りました。
 仕上げに自家製の漬物をお弁当箱の端っこに入れて……完成です!
 私のお弁当ランキングでも間違いなく上位に入る力作、これなら〇〇さんも食べてくれるはず!
 時計を見るともう〇〇さんが学校に出かける時間、私も急いでお弁当を布で包んでかばんの中に入れます。

「早苗」

 玄関を出て鳥居を抜けようとしたところで神奈子に呼び止められました。
 真剣な顔つきでこちらを見られています。

「分かってるね、今日だよ?」

 そう、今日なんです。
 信仰の得られなくなったこちらの世界を捨て、幻想郷へと移住するのは……
 それはすなわち、〇〇さんと永遠に別れることを意味します。
 神奈子様は後悔が無いようにしろとおっしゃられてますが、まだ〇〇さんには告白どころか再会してからまともに喋ったこともありません。
 今日こそは、今日こそはと毎日思っていますが最後の一歩が踏み出せずにズルズルと先延ばしにした挙句、ついにこの日になってしまいました。
 私が黙って頷くと神奈子様は無言でその場を立ち去りました。
 神奈子様は分かってらっしゃるのです、私にはまだ決心がついていないことに。
 でもこれ以上先延ばしにはできません、今日中に決断しないといけません。
 私は……私の決断は……


 〇〇さんの家は守矢神社と学校の間にあります。
 ですから時間を合わせれば比較的簡単に〇〇さんを見つけることができるのです、今日も玄関から出てくる〇〇さんを発見しました。
 今日こそ声をかけようかと近づいて……急に〇〇さんが振り向きます。
 びっくりしました、思わず隠れてしまいました。
 再び声をかけようと思って近づきますが、また〇〇さんが振り返ったので隠れてしまいました。
 〇〇さんが道を戻るとそれに合わせて私も後退します、緊張と恥ずかしさでどうしても目の前に出ることができません。
 三度学校への移動を開始した〇〇さん、今度は走り出してしまいました。
 さすがに男の子、普通なら同年代の女の子の足で追いつけるものではありませんが、私は普通の女の子じゃなくて風祝です。
 魔法の呪文――じゃなかった、守矢に伝わる秘術を発動することで普通に走るよりも遥かに速く飛ぶことができます。
 もちろん陰行の術で姿を隠すことも忘れません、今の世の中で空を飛んでいるところを見られたら大変なことになってしまいますから。
 ピッタリと〇〇さんの後に張り付き、声をかけようとしたところで気がつきました。
 今の状態で話しかけるわけにはいきません、陰行の術が切れてしまいます。
 何もできないまま〇〇さんを追いかけます、結局学校に辿り着いてしまいました。
 結局今日も登校中に話しかけることができませんでした。
 〇〇さんが走り出すとどうしても慌ててしまいます、気をつけようと思っても、ついつい術を使って追いかけて、それから声をかけられないことに気がつくのです。
 全力で走ったせいで肩で息をしている〇〇さんの疲れを癒すためにそっと風を送りました。
 ……純粋に〇〇さんの火照った体を鎮めようと思ったからであって、決して汗の香りを嗅ぐつもりなんて、そんなことあるわけ無いじゃないですか。


「ええ!? 東風谷さん引っ越すの?」
「どこに? 私手紙書くから」
「どこ? と言われても……手紙も届かない遠いところです」

 学校を退学することをクラスメイトに伝えると一見心配したような返事が返ってきました。
 分かっています、この人たちはただいい人を演出するために心配する振りをしているだけです。
 守矢の風祝としての修行と仕事のせいでクラスメイトと遊んだ思い出なんてありません、向こうも私との思い出なんて無い、どうせ手紙なんて書く気もない。
 でも〇〇さんなら、私と離れ離れになるって知ったら、心配してくれますか?
 そう思って〇〇さんの方を見ると……向こうもこちらを見ていました。
 目が離せなくなります、視線を交わすだけでもどれだけぶりでしょうか?
 できることならこのままずっと〇〇さんの瞳を見つめていたいですけど、〇〇さんは目をそらしてしまいました。
 恥ずかしがってくれたんでしょうか?
 だったら私の思い、少しくらい伝わったのかな?
 もう一度目が合うことを期待して、先生が入ってくるまでずっと〇〇さんを見続けていました。


 守矢の秘術を使えば〇〇さんの机にお弁当を送り込むくらい簡単です。
 でも食べてくれません、手紙を見ることも無くゴミ箱行き、この瞬間はいつも悲しくなります。
 でも今日は最後の日、今日食べてくれないともう二度とチャンスはありません。
 こうなったら奥の手です、自分の分のお弁当を送り込むことにしました。
 ノートの切れ端で手紙を作り、何てメッセージを書きましょうか?
 いつもどおりでいいですよね? 『いつもパンだけでは――』
 購買でパンを買ってきた〇〇さんが机の中に気がつき、久しぶりに手紙を読んでくれて、また捨てられてしまいました。
 二個目のお弁当もゴミ箱行き、どうしよう、もう時間が無いのに……

「あれ? 東風谷さん、お弁当は?」
「ちょっと……忘れてしまって」
「お金ある? 少しくらいなら私の分を――」
「ごめんなさい、考え事をしたいので一人にさせてください」

 教室を出て校舎を出て、校庭の隅に一人佇みます。
 悩んで、悩んで、一つの妙案が浮かび上がりました。
 神社に帰ったら諏訪子様と神奈子様に相談することにします、けどとりあえず今は昼食を何とかしないといけません。
 コッペパンくらいなら残っているかな?


 守矢神社に帰る前に〇〇さんの家に寄ります、夕食を作っておかなくてはいけません。
 玄関の扉を開けようとしますが鍵がかかっています、防犯対策がちゃんとできているようで安心しました。
 最近この辺りを巡回する警察官が増えている気がします、きっと泥棒でしょう、最近は物騒ですし、〇〇さんの家が狙われないか心配です。
 扉を開けるため、懐から合鍵を取り出して鍵穴に差込みます。
 合鍵ですよ?
 どんなに細くても合鍵です、何言ってるんですか、ハリガネなんかで十秒たらずで鍵が開くわけ無いじゃないですか。
 だからこれは合鍵です、ええ合鍵ですとも、何度鍵を付け替えようと〇〇さんの家に入れる魔法……じゃなかった、守屋の秘術の合鍵です。
 今日の献立はごはん、お味噌汁、焼き魚、肉じゃが、ほうれん草の和え物、タコの酢の物。
 特に肉じゃがは自信作、昆布だしからかつおだしに変えてみました。
 〇〇さんが食べる分をお皿に分けて、持って帰る分をタっパーに詰め込みます。
 後はメッセージを残して、ふと思うところがあって戸棚を開けました。
 中には大量のカップ麺、こういうのは健康に悪いのに……全部処分しておきましょう。
 一応ここにもメッセージを残しておきます、勝手に処分したら悪いですし。
 さあ、帰って諏訪子様と神奈子様の説得です。
 御二人とも優しい方ですし、きっと私の考えに賛成してくださると信じてます。


「早苗がそうしたいって言うなら、私は賛成」
「そうだね、向こうに行ったら今よりも苦労をかけることになるだろうし……ワガママの一つくらいは聞いてやらないとね」

 私が御二人にしたお願い、それは〇〇さんを幻想郷に連れて行く許可でした。
 初めはいい顔しなかった御二人も私の必死の説得で納得してくださりました。
 包丁を自分の首筋に当てて 「お願いを聞いてくださらないなら東風谷の家系を今代で途絶えさせます」
 半分は本気でした。
 幻想郷に行っても、ここで死んでも〇〇さんに会えなくなる、どちらも同じようなものでしたし。
 でも幻想郷に行く時間を延ばすわけにはいきません、今日の24時までに〇〇さんを説得し、本人が納得したらという条件です。
 時計を見ると現在19時過ぎ、あと5時間程度しかありません。
 急いで〇〇さんの家に向かうと、丁度〇〇さんが玄関から出てきたところでした。
 この時間に外出なんて、コンビニでも行くつもりでしょうか?
 声をかけるタイミングがつかめません、恥ずかしがりながら後をつけていると〇〇さんは急に走り出しました。
 どうしよう、人目も無いですし飛んでもいいですけど、話を聞いてもらうために止まってもらうことにします。
 守矢の秘術で風を操り〇〇さんの動きを停止させ、それからゆっくりと近づきます。
 何て声をかけよう、何て話を切り出そう、ううん、こういう時こそ自分の想いを真っ直ぐにぶつけるべきだろ思いました。

「いきましょう、〇〇さん! 私と一緒に幻想郷へ!」

 すると〇〇さんは……うなずいてくれました! 今! 確かに!
 嬉しいです、人生で一番と言っても過言ではありません、嬉しすぎて思わず〇〇さんの頬に手を触れてしまいました。
 それに、それに私と一緒に幻想郷に来てくれる決断をしてくれたってことは、やっぱり、将来は私と……
 恥ずかしい!

 コキャ

 軽い音がしたかと思うと〇〇さんの体が崩れ落ちました。
 あれ? 〇〇さんの首が変な方向に……
 大変! 早く病院、いえ、今日中に幻想郷に行くんですから守矢神社に連れて行かないと。
 諏訪子様と神奈子様なら何とかしてくださるはずです。
 ぐったりとした〇〇さんを背負うと、守矢神社に文字通り飛んで帰りました。
 〇〇さんが目覚めた時にはもう幻想郷、これからもよろしくお願いします。


 幻想郷での初めての朝を、私は〇〇さんと同じ部屋で迎えました。と、言っても別に恥ずかしいことはしていませんよ?
 〇〇さんが意識を失ったのは私のせいですし、枕元で寝ずの看病をしていました。
 体に染み付いた守矢の体術 (関節技) は正確に決まったらしく、特に後遺症も無く、蓄積している疲労で眠っているだけだと諏訪子様はおっしゃられました。
 その診察は正しく、朝日が上って少ししたら〇〇さんは目覚めました。

「気がつきました? 〇〇さん」

 〇〇さんは不思議そうに周囲を見回しています、昨日道端で気絶して目覚めたら私の家、混乱してもしょうがないです。
 私のことに気がついた〇〇さんは何か言おうとして、盛大にお腹を鳴らせました。
 なにはともあれ朝食ですね、昨日の普段の疲労が蓄積していたらしいですし、もう少し寝た方がいいのかもしれません。

「大丈夫です、ゆっくりしてください。 すぐ食事にしますから」

 部屋を出て台所に向かいます。
 でもガスコンロも炊飯器も、レンジも冷蔵庫も動いていません。
 こんなのじゃ昨日の残り物しか出せない、せっかくだから出来立てを食べて欲しかったのに……残念です。
 お盆に料理を乗せると諏訪子様がおひつを持ってくださりました。

「諏訪子様、そういうことは私が……」
「いいよいいよ、これから一緒に住むんだし、挨拶くらいはしないと」

 諏訪子様と一緒に〇〇さんの部屋に戻ります、〇〇さんはまだ少し寝ぼけているようでした。
 お茶碗を渡すと〇〇さんは一口食べて……おいしいと言ってくれました!
 そんなに慌てなくても大丈夫です、ご飯はまだたくさんありますから。
 〇〇さんが私の作ったご飯を食べてくれるのが嬉しくて、もう目を離すことができません。
 そんな視線に〇〇さんも気がつき、食べるところを見られるのが恥ずかしいらしいですが、私はこのまま見ていたいです。

「〇〇さんが私のご飯を食べてくれるのが嬉しくて……本当に嬉しいです。 だって〇〇さん、いつも私の作ったお弁当や夕食を捨てちゃうじゃないですか」

 箸が止まりました。
 どうしたのでしょう? いそいで食べたから喉に詰まったのでしょうか?
 お茶を用意しないと、でもお湯を沸かすことができませんし、一応幻想郷に来る前に水は買っておきましたけど、やっぱり温かいお茶の方が……
 そんなことを考えていると〇〇さんが部屋を飛び出しました。
 靴も履かずに庭に飛び降りると境内に向けて走り出します、いったい何があったんでしょうか?
 急いで追いかけると鳥居のところで追いつきました。
 〇〇さんは幻想郷の風景を見つめたまま止まっています、そして腰を抜かしたかのようにその場に座りました。
 都会育ちだったらこの壮大な風景は結構ききます、近代的な物など何一つ無い、酷い言い方をしたらド田舎と言ってもいいでしょう。
 こんな中で生活するなんてどれだけの苦労があるでしょう、日常生活だけでも苦しいでしょうし信仰の獲得もしないといけません。
 けど大丈夫です、私達には諏訪子様と神奈子様が付いておられます、それに――

「大丈夫ですよ、〇〇さん。 ずっと私がついていますから、どんな困難も二人なら乗り越えられますから」

 〇〇さんの体をそっと包み込みました。
 温かい、〇〇さんの温もりが伝わってきます。
 顔を上げてみてください、都会じゃ決して見れないような青い空がとっても綺麗です。
 どんなものでも受け入れてくれそうなこの空が、きっと私達を祝福してくれます。

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最終更新:2010年08月27日 11:34