八意永琳(狂言)誘拐事件2




○○は明らかに苛立ちながら、指を何度も文机に向かって打ちつけて、
苛立ちを具現化するように音を鳴らしていたが。
「ここにいるままでは駄目だ。書生君が戦争だといきり立っているのに……何も無い所を燃やす前に、せめて俺たちが話を聞いておかないと」
「それだったら○○、お前の飼い犬を連れてきてほしいと言われている。鼻が良いと評判だからね……」
○○は、部屋着から外出用の服に着替えて行ったが。先生からの注文に引っ掛かりを感じた。
「犬のトビーを連れて行くのは構わないけれども。そう言えば先生。いったい誰からこの、超が付くほどの厄介ごとを聞かされたんだ?結構深い部分まで知っているようだけれども」
「ああ、鈴仙さんが朝一で寺子屋に来た……稗田家には最初に行ったと聞いたけれども。まぁ、もしかしたら知らないだろうなとは思っていた」
○○は着替えの手こそ止まらなかったが、やや遅くなって、何かを吟味するような顔つきになった。
しかし吟味の内容は面白くも無い物らしく、渋い顔であった。
「稗田阿求と、お前の奥方様と話をしたいのならばしばらく待つけれども?」
少し考えた後で、○○は首を横に振った。
「良いのか?全く持って、気になっている様子だけれども」
先生はそう言って、いくらかの思いやりを見せてくれたけれども。
「いや、良いさ。阿求の方が記憶力も知識も知恵も、全部良い物だから。本当に緊迫した事態ならば、鈴仙さんが阿求に話を持って行ったときに。すぐにこっちの耳に入れた。
「それに」○○は更に続けながら、文机の上を見やった。
「それに、書き物仕事がまるで進まなくなる」
○○は、その口調こそ穏やかな物ではあるけれども。
首の方は何度も頷いたりしていて、バネ仕掛けのバネが少しばかりおかしくなったように感ずる程であった。
無理をしている、先生の目に映る○○の様子は、この一言だけで殆ど説明できてしまえた。
無理にでも信じたいのだろう、妻である稗田阿求の事を。
……九代目の完全記憶能力者と一緒にならねばならぬ心労は。
それなりに理解してやれるけれども。

何となく蚊帳の外にいる事に、若干の嫌悪感や心痛を○○が覚え始めた。まさにその時であった。
「ごめんなさい、○○。これはね、私からの永遠亭への入れ知恵なの」
稗田阿求の声が聞こえた。
ホッとはしたが、長くなるなよと言う祈りにも似た苛立ちがやってきたことは認めなければならない。

「永遠亭の書生君が、戦争だとか言っていきり立っているのは知っているわ。だからよ、今は永遠亭で籠って身を守っていろと」
「なるほど。その入れ知恵に従ってくれたのならば、あの書生君もしばらくはおとなしいね」
「それに、書生君が。○○と先生さんが前に解決した。四人組盗賊団事件や、邪教崇拝者捕り物事件の記録を読んでから。あなた達の愛好家と言うのも助かったわ」
○○の文机の上にあった急須に、まだ中身が少し残っていたので、失敬させてもらった。
「あとは、先生と慧音さん以外には話すなと。私が鈴仙さんに口止めもしたから……あなたに今まで話さなかったのは……狂言誘拐の後始末だと言われたら」
「そうだね、午前中にやっていた書き物は、間違いなく全く進まなかった。イライラして女中に何かを勘付かれたかもしれない。それは危険だね」
○○がこちらをすまなさそうに見てくれたし、稗田阿求も会釈をしてくれたので長くはなら無さそうではあるけれども。
目の前でのろけられては、何か口直しが欲しくなるのは必定であるから。
それに何となく、阿求が今まで黙っていた事の答えにはなっていないような気もする。
だと言うのに○○は、阿求を既に許してしまっている。
……地縁も血縁も無い故に、阿求には甘く。もっと言えば媚びを、無意識に売っているのかもしれない。

「そうか、どっちの事件でも鼻の良い、犬のトビーが活躍したからね……最も、二つの事件は狂言などでは無かったけれども」
「だとしてもよ、○○。あなたの愛犬を連れて行けば、向こうは多少なりとも安心する……」
「まだか?」
先生はしびれを切らしたようであった。急須の中身が思いのほか残っていなかった事も、横槍を入れるきっかけとなってくれた。
「ああ、すまない」
妻を愛しているのは誠に良い事であるのだけれども。
客がいる時ぐらいは、そちらに少しは気を回してほしい物であった。



かくして、○○と先生は連れだって。
ついでに鼻が良いとされて評判の名犬も連れて、永遠亭にやってきた。
「出迎えがいるね」
先生はぶっきらぼうに答えたが、○○は記憶力が稗田阿求といれば鍛えられるらしく。
「東風谷早苗?永遠亭とはあまり関係が無いはずだが」
○○が口に出した名前を聞けば、先生もいくらかは頭が揺れた。
永遠亭の内部だけで済みそうにないどころか、他勢力がわざわざ首を突っ込んできたのだった。
「こんばんは、○○さんに先生さん。きゃー、わんちゃんも一緒なんですね」
東風谷早苗は○○と先生の眼の奥を覗き見るように、状況を確認するように計った後。
○○が連れている飼い犬を可愛がり出した。
随分な落差であった。

「まさか永遠亭まで飼い犬の散歩なんて言わないで下さいよ」
相変わらず早苗は、○○の飼い犬を可愛がっているが。声に圧力が確かに乗せられていた。

「どこで気づいたの?」
○○は観念したようで、早苗に答えを聞かせてくれとお願いした。
「射命丸さんを始めとした、天狗の皆さんとは仲よくしていますし。私も、信仰集めに人里にはよく降ります」
「そこで、ですね。先生さんを見かけたのですよ。ちょっと早い時間に……寺子屋の生徒さんが下校するのと同じ時間に、結構な早歩きで。何かあったのかなと思って」
○○は先生の方を、横目で見た。
非難めいたものは無かったけれども、例えそうであっても安堵は出来ない。
先生さんとしては、バツが悪くなるばかりである。

「素晴らしい観察眼ですね、東風谷早苗。確かに先生さんは、寺子屋の授業が終わってもまだしばらくは、慧音さんと残って明日の準備や掃除をしますから。確かに、何かあったと考えるべきだ」
「裏道を通ればよかった」
先生は嘆くけれども、早苗は首を横に振った。
「そうしたら、カラスが見つけます。明らかに隠れながら進んでいると言う事実を」
「悟られないように、欺瞞(ぎまん)する方法をこれからは考えないとね」
そう言いながら○○は、愛犬を連れながら永遠亭の門をくぐった。
「またあとでねー、トビーちゃん」
早苗は笑顔で、○○の愛犬であるトビーに手を振って。
トビーの方も悪い気はしなかったのか、ワンと一声吠えてくれた。

しかし、○○とその愛犬が永遠亭の門を完全にくぐって見えなくなると。
早苗の顔は一気に、真面目な物に打って変わった。

そして先生に向き直り。
「いつまで○○さんのシャーロック・ホームズ『ごっこ』を放っておくつもりなのですか?」
「…………」
強い言葉で、○○が先生に向けた慰めるような視線や態度とは打って変わって。
非難を全力でぶつける態度を早苗は持っていた。
「やっぱり、監視していたんだな」
「当たり前です!稗田阿求は○○さんへの慰みとして、色々な事件の解決に関わらせているのかもしれませんが!私から見れば、性質の悪い、実際の事件を稗田阿求が都合よくその軌道を修正させている分、余計に性質の悪いノンフィクションですよ!!」
「のん、ふぃく……何だって?」
「ノンフィクション、作り話では無くて実際に合った話の記録とでも言いましょう。でもホームズのお話はただの小説!だと言うのに○○さんの精神は、そこに飲み込まれている!!」
「…………」
先生は、初めて聞いた言葉の意味を問うたきり黙ってしまった。
「犬のトビーも、ホームズの話に出てくる名前とおんなじ、鼻が良い所もおんなじ!!稗田阿求は何を考えて、こんな戯れを作り上げるのですか!!」
「しかし、事件自体は事実だ」
「その解決の仕方と、やたらと情緒的な記録文書が問題なのです!!ホームズ憚っぽく描かれている!!○○さんが先生さんの事を、ワトソンと呼びたがるのも――」
「○○と同じで、外の知識で俺を圧倒するな!!ここは幻想郷だ!!稗田阿求が差配しているんだから、稗田阿求に言え!!」
付き合いきれないと言うよりは、勝ち目が明らかにない。
外の知識は先生には、○○と違って殆どない物だから。
彼としては、逃げるしかなかった。


続く





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最終更新:2019年02月25日 05:57