八意永琳(狂言)誘拐事件4
「ふぅ……」
そもそもの発端は自分だと、蓬莱山輝夜からの自白を貰った○○であったが。
全く嬉しいと言う気分に離れなかった。
永遠亭の首魁の前だと言うのに、○○は『めんどくさい事に巻き込みやがって』と言う非難を口に出す代わりに。足を投げ出したりして。
楽に座れる体勢だけれども、無作法な格好で相対していた。
そして指先をこすり合わせながら、うんうんと唸りながら何かを考えていた。
「食べる?」
無作法なうえに輝夜の事を若干無視している○○であるけれども。
そんな○○にも、輝夜は優しく相手をしてくれて。お茶菓子を1つ勧めてくれた。
「あぁ、失礼」
これはさすがに○○も、思考の渦から自ら這い出て来てくれて。会釈で謝意を示しながら、お茶菓子を1つ頬張った。
しかし頬張るその瞬間でも、○○は輝夜の方を見ていたし。
輝夜の方も、そもそも発起人であるのに状況と言う手綱を制御しきれなかった罪悪感があるのか。
先ほど○○が見せた、茶菓子に対する謝意の会釈よりも深く、頭を下げてくれた。
「……つまりこの状況は。さすがに輝夜さんとしても想定外と言うか。ここまで大事にするつもりは無かったという事ですね」
輝夜の真摯な態度に、○○は若干の苛立ちはまだ残りつつも。それでも輝夜の事を信頼する気にはなれた。
「そうなの。もっと時間をかけて練り上げて、○○さんとそのご友人にも
最初から最後まで打ち明けた後にするつもりだったのだけれども……ちょっと永琳が焦ってしまって」
○○は輝夜からの謝罪含みの雑談を聞きながら、口の中に残った茶菓子をお茶で洗い流した後に。
「八意永琳と言う天才の歯車は、何で狂ったんですか?多分ここ最近に、あの書生君が意識せずにやった事が…………」
○○は輝夜に質問を投げかけようとしたが。
喋っている最中に、○○自身の妻である阿求や。友人である先生の妻である上白沢慧音。
つまるところ、八意永琳は阿求や慧音と同じような種類の人種。
あるいは性格を内包していると言い切ってしまって構わなかった。
これに気付いた時に、これらの女性たちが焦ったり、いつもの知性を発揮できない状況は、
阿求の事を深く愛して『しまった』○○にはすぐに思い当たる節が出てきた。
「あの書生君に女の影が!?」
ただその思い当たる節は、このひたすらに面倒くさい狂言誘拐事件に対して。緊迫感を○○が持つ原因ともなってしまった。
「…………ええ」
長めの沈黙の後に、輝夜が○○の懸念を肯定した事で。この誘拐事件が狂言で済めば御の字と言う事を認めねばならなくなった。
面倒くさい程度ならば、無血で済ませる事が可能だ。
「いつ、どこで女の影が?」
○○は髪の毛が逆立つような感覚を味わったものだから。
さきほどまでは慇懃にして緩い口調だったのが、今では興奮しながら素早い口調に変わっていた。
危機感の有無が、同じ者でもここまでの変化を見せる物なのである。
「細見(さいけん)って知ってる?」
無論、危機感の事に関しては蓬莱山輝夜だって同じように強く持っているけれども。
年季の差、あるいは首魁を張れるだけの胆力の差と言う物が。○○よりも遥かに上であったから、はっきりと現状の危うさを認識しつつも。
それでいて、感情に飲み込まれないように穏やかな口調を維持していた。
「細見(さいけん)……雑誌の事か?」
「ああ、外では細見と雑誌がごちゃ混ぜになった知識になってるのね…………遊郭歩きの指南書を書生君が持っていたのよ。何冊も。遊郭宿や遊女の評判も載っているわ」
遊郭!この単語を○○が聞いた時、彼は歯を目いっぱいきしませて、歪んだ顔を浮かべてしまったが。
同時に、単純な狂言誘拐の後始末程度だと思っていた時の自分を、酷く懐かしんでいた。
狂言誘拐ならばまだマシだった!
他の女の気配など、八意永琳にとってよくよく見知った永遠亭の住人ですらよくよく気を付けているはずなのに!!
遊郭だなんて!!
しかし八意永琳がここに来て急速に焦った理由は、残念ながら良く理解してしまった。
「まさかと思うが、あの書生君もう遊郭で」
しかしそれよりも○○には、怖い事があった。
「いえ、それはまだよ。でもお給金は十分に渡しているから、時間の問題」
幸いにも輝夜はそれに関しては否定してくれたが。
今この瞬間が大丈夫だからと言って、明日も大丈夫だと言う事にはならない。
実際輝夜はこの事について、時間の問題だとの認識だし。○○も同じくである。
――いや、この狂言誘拐事件が長引けば。さすがにあの真面目な書生君は遊郭なんざ忘れているだろうけれども。
そうなればそうなったで、今度は別種の厄介ごとが持ち上がるのは必定である。
「遊郭歩きの指南書だなんて……あの書生君、どこで手に入れた?」
目下の厄介ごとは、狂言誘拐を何となく幸せな感じで終わらせてしまう事だが。それは根本的な解決では無い。
八意永琳が惚れている男の顔を、遊郭の連中が。下働きならばともかく、全く知らない人間ばかりと言うのはまるで考えられないのも道理なのである。
「まったく分からないの。まさか直接聞く訳にも行かないし……それをやったら、永琳に嫌われるわ」
○○の顔がまた歪んだ。蓬莱山輝夜ほどの存在から、分からない等と言う言葉は聞きたくない者である。
彼女ほどに思索を深くすることの出来る上に、使える手駒も多い存在が
。分からないと言う状態が思いのほか長引くと言うのは、裏側の謀の大きさに対する証拠の1つとして挙げる事が出来てしまう。
「なんてことだ」
この一件、とてもじゃないがすぐには終わらないのが。この時初めて理解できた、間違いなく尾が長い。
それもあるけれど、一番初めに来るのは。半分キレながら参加してくれている先生が、○○にとってのワトソン君。
彼が本気でキレないか……○○が一番先に心配せねばならないのは、恐らくこっちの方であった。
「慧音先生、まだ私が指定した時間にはなっていないので。あの男はまだ来ませんから。お茶でも飲んで待っていましょう」
稗田阿求は持ち前の物腰の柔らかさで、目の前にいる上白沢慧音の……いや、慧音だって厳しい側面はいくつもあるけれども、物腰は基本的に柔らかい。
「……ああ」
だと言うのに今の慧音は、付き合いが長いとは言え名家である稗田の九代目から勧められたお茶に対して。
さすがに強烈に拒否などはしなかったけれども、実にぶっきら棒な形で受け取って。一息で中身を喉へと流し込んだ。
「お代わりいります?ついでにお茶菓子も、もう少し持ってこさせましょう」
慧音は喉の奥へとお茶を流し込んだ後、妙に唸っていた。
阿求の呼んだ女中が、余りにも機嫌の悪い慧音を見て無言でお茶やらの用意を片付けて帰ろうとしたが。
「ああ、ごめんなさい。私ったら、ちょっと寒いから。羽織る物をもう一枚持ってきてくれませんか?私の自室の椅子にかかっているので構いませんから」
しかし阿求はひるむことも無く、―わざとらしいぐらいの朗らかさで―あれやこれやとやって、客人である慧音をもてなしていたり。
ついでに自分の分の用もお願いしていた。
「ああ、お茶も菓子も。有りがたくいただく……やけ食いでもしていないと収まらん」
「何なら、お酒もありますけれども?」
阿求の、出来れば冗談と思いたいような提案に。慧音は少々目をむきながら阿求の方を見たが。
いたずらっぽく笑っているのを見て、『半分は』冗談だと言うのが分かって。
「悪い冗談だ」
慧音もその咎めるような口調を、『半分』程度の強さで収めておいた。
「それに酒が回ったら、いよいよ感情の抑えが利かなくなる。
阿求、お前だってわざとらしく柔らかい演技をしていないと苛立つから、口数も多いのだろう?」
慧音からの指摘に、阿求は痛いところを付かれたのを誤魔化すように笑ったが。
笑いすぎていて、これが終わったら顔面が痛いのではないかと思うぐらいに、口角は吊り上っていた。
「まぁ」
何も言わないのも慧音に悪いと阿求は思ったのだろうけれども、
図星を突かれては口数もいつも通りとはいかないし……演技も鈍る。ましてや指摘の主は懇意にしている慧音だから余計に。
「そうですね」
短い言葉を、不恰好につなげるのが精一杯であった。
「阿求様、それに慧音先生。お茶とお茶菓子にございます。それから阿求様の羽織る物も…………」
阿求が無理に演技をしなくなったせいか、戻ってきた女中は運の悪い事に。さっきよりもずっとよどんだ空気の中で仕事をせねばならなかった。
「自分でやれるよ」
相変わらず慧音はぶっきらぼうに、お代わりのお茶とお茶菓子を受け取り。
「……ありがとう」
阿求も一気に抑揚を無くした声で羽織る物を受け取った。
そのまま時間がまたいくらか過ぎた。
「私の旦那と、○○は……そろそろ知った頃だろうな。
阿求、お前から真相の裏を知った時、私は柱を拳で殴ってしまったが。私の夫は永遠亭だから、感情の発露も難しいだろうな」
湯飲みの中身を、はっきりいって睨みつけながら慧音は呟いた。
「今日明日で終わるとは思えませんから。今晩は慧音先生がたっぷりと、風呂やら寝床やらで、労うのが良いでしょうね。もちろん私も○○とはそうします」
阿求にしては若干の下ネタである。いつもならば慧音は、珍しいなと思いながら顔を赤らめながら相手を出来るだろうけれども。
「皮肉に笑える気力も無い」
とんでもない事に、慧音は湯飲みの中身とにらめっこをしながら。一笑にすらふさずに、話を受け取ろうともしなかった。
「しかし」
慧音が笑ってくれないから、阿求は仕方なく真面目になったが。けれども、阿求はまだ笑っていた。
しかもその笑い方には明らかなトゲや牙が見え隠れしていた。
「私や慧音先生の方がよほど清いでしょう、今から合うアイツ……遊郭の中でも特に酷い。忘八※(ぼうはち)が!しかもそんな忘八(ぼうはち)の頭が相手ではね!!」
「…………今後は私も遊郭の統制に参加する。八雲紫の理論では、一般人には性風俗が必要と言うから、乗っかってやろうじゃないか」
阿求は黒々と笑っていたが、慧音は眼の奥で遊郭を締め上げる方策を考えていた。
続く
※忘八(ぼうはち)
遊郭において、宿を経営する旦那の意味
言葉の由来は、人間が守るべきとされる八つの徳
仁(じん)・義(ぎ)・礼(れい)・智(ち)・信(しん)・忠(ちゅう)・孝(こう)・悌(てい)
この全てを忘れた存在でなければ、遊郭宿など経営できないと言う軽蔑から来ている
感想
最終更新:2019年01月24日 21:38