八意永琳(狂言)誘拐事件6
740の続きとなります
「残念でしたね」
慧音の旦那である彼も大概の苛立ちを抱えているが、東風谷早苗の方がもっと苛立っている言うのは。
ちょっとは行儀よくしてくれと言う意味で、彼も更に苛立った。
「はい?」
○○は愛犬のトビーをあやしながらだから、本気の声は出さなかったが。
その笑顔が完全にわざとらしい物であった。
書生君だけが知らない狂言事件に、書生君だけはこの誘拐事件を真実だと思っているから。
せめてもの真実味を持たせるために、少しは捜査を。鼻が良いとして評判の名犬まで借り出して演じようとしている上に。
遊郭街の暗部が見えてしまった以上、一線の向こう側にいる女性を妻としている○○には。
演じるだけでそれ以上はやめろと言われてしまい。
せっかく、どう考えてもそちらの方が本命で本丸に挑める遊郭への調査を。最初から禁じられてしまっている。
それだけでも踊る事にさしたる恥を持っていない○○は、退屈を通り越して苛立ちを抱えているのに。
「だから、残念でしたねと言っているのですよ。クレオソートに義足を突っ込んだ犯人もいなければ、未知の毒物を吹き矢で射かけられた被害者もいないのですから」
「……ええ、全くですよ。登れそうな雨どいもありませんし」
その上、もう何個めかの上乗せか分からなくなってしまったが。
その上で、東風谷早苗は○○に対して挑発のような態度を取っているのだから。
その割に、○○はなおも笑顔で東風谷早苗は悲しいような、憤るような。
○○の笑顔もわからないが、東風谷早苗からも妙に心配してくれているような態度と言うのも。
はっきり言って、どちらも分からなかった。
「クレオソートって何だ?」
多分このまま、慧音の旦那が何も言わなければ5分でも10分でもにらめっこのような状態を維持していそうな。
そういう意地っ張りな部分が、寺子屋の子供たちで見るよりも酷いそれが見えてしまったから。
つくづく嫌々ではあるけれども、慧音の旦那は声を掛けざるを得なかった。
「石炭を高圧蒸留した後に出てくる液体ですよ。木材への防腐剤なんかに使われていますね」
最近は地底や河童からそう言った、特殊技術が必要な物品も入り込んでいるし。
慧音も科学の知識が必要だとしてそう言う授業も増やしているので。
思ったより簡単に理解できたが……
若干ではあるけれども、つまらなさそうな顔をしている○○。これが全く持って理解できなかったが。
「行こう○○。阿求さんと慧音が良さげな着地点を見つけるまで時間を稼ぐぞ。鼻の良い名犬トビーが動き回れば……まぁ、何とか持つさ」
慧音の旦那からせっつかれる形で、○○は立ち上がってくれたが。
「これ持って、それからトビーのエサも少し持ってた方が良いかな」
○○は東風谷早苗からの次の一手を待っている形であった。友人である慧音の旦那に犬をつないでいる紐とエサを渡して。
そして、腰に手を当てて早苗の方を見やった。早苗が少しばかりため息をついて、仕方なく口を出してくれた。
「喋りたければどうぞ。私もシャーロキアンですから、今の皮肉を言われた側の気持ちもわかりますから」
○○は少しばかり安心したような顔を浮かべた。
「四つの署名(※)」
「ええ、シャーロキアンを自称している方がクレオソートと義足の単語達に反応しなかったら。ちょっと驚きですからね。そう言う意味では安心しました」
「俺も、外の知識で話が出来るなんて楽しいですよ」
○○はようやく満足したのか、早苗に背を向けて歩き出した。
「じゃあ私は、ちょっと稗田さん所に顔を出してから、守矢神社に一旦戻ります」
ようやく話が切りあがったのを確認できた早苗は、すいーっと言う風に飛び上がって。
その姿はあっという間に、見えなくなってしまった。
「うらやましいなぁ……」
○○は飛んでいく早苗を見ながらぼやいたが、慧音の旦那は○○が犬を結わえている紐を受け取ってくれなくて若干機嫌が悪くなった。
しかしながら、この場で最もかわいそうなのは。
先ほどから声を一言も上げる事が出来ていない鈴仙とてゐであろう。
鈴仙とてゐからすれば、永琳の焦りや輝夜ですら手綱を制御できなくなったこの狂言誘拐事件に巻き込んでいると言う。
そう言う強力な負い目がある物だから、○○やその友人である慧音の旦那や。
また、真意は謎であるけれども。わざわざ遠くからやってきて、何だかんだで協力してくれている東風谷早苗。
これら全部に、意見を言う権利が無いのではと思ってしまい。結果として、黙って付いて行く以外の道が無いのである。
「○○さん!!先生さん!!」
その上あの、八意永琳が惚れているあの書生君ったら。大人しくしていろと言っているのに、永遠亭から飛び出しやがった。
「もちろん皆さんの傍は離れません!だから私も連れて行ってください!!」
○○は笑顔で書生君と握手していたが、慧音の旦那は犬をつないでいる紐を強く握りしめながら。
面倒くささにキレないように耐えていた。
「派手だな」
慧音の旦那は、竹林のある場所で巻き散らかされている。
さも運搬中のような薬やら何やらを見て、ただ一言だけ呟いた。
「ええ、そうですね。派手に……やりましたねぇ」
○○も余りにも派手派手しい、要するに演出過多の現状を見て。苦笑を浮かべては書生君に怪しまれると思ったからだろう。
○○の方は唇を引き締めて、さもこの場を重大であると言う風に見ている自分を作っていたが。
慧音の旦那の方は、そう言う小細工を使う必要が無かった。
何せ初めから狂言誘拐だと分かっている、要するに茶番へ付き合わされている事で腹が立ち胃がムカムカ。
そして頭脳は沸騰寸前なのだから、さして演じる必要が無いのである。
今の慧音の旦那は、人の良すぎる書生君の目から見れば。
「ありがとうございます、永遠亭の為にそこまで真剣に取り組んでくれて……」2人ともが、特に慧音の旦那は怒りと憤りに満ちている風に見えているのだ。
いや、それもある意味では正しいのだろうけれども。
「よほど転げまわったんだね……賊の足跡も八意先生の足跡も。全部消えている」
○○は下手に黙っていると、そちらの方が却っておかしな姿を見せて怪しまれると思ったのだろう。
喋り出して、演技を始めたが。黙り続けたい慧音の旦那からすれば、そちらの方が願ったりであった。
役割分担が出来ていると言う事であるから。
「八意先生の持ち物は残っているかな?薬の特徴的な匂いと合わせれば、あるいは」
とは言うけれども、○○も慧音の旦那も期待はしていなかった。
慧音の旦那は付いてきた鈴仙とてゐの方を見たが、鈴仙はしきりに書生君から見えない所から頭を下げて謝罪の意思を示して。
てゐはこちら側にやってきて。
「姫様だけ」
と言う短い言葉を残してくれたが、意味は十分に通じた。
要するに、八意永琳の居所は蓬莱山輝夜しか分からないという事である。
「トビー、辺りを嗅ぎまわっておくれ。俺はもう少し何か無いか広く調べてみるよ。それから書生君からの聞き取りも頼むよ」
そう言いながら、○○はガサガサと竹林の奥へ入って行った。
またかよ……そう思いながらも慧音の旦那は殊勝にも筆記具と帳面を取り出した。
「もちろん!何でも聞いてください!!」
口の端が笑みのような形を見せたが、これは笑みと言うよりは痙攣(けいれん)と言った方が正しかった。
人が良すぎると言うのも実は案外迷惑なんじゃとすら思ってくる。
「ねー?人里以外にもお薬って配達に行ってるの?書生君も付いて行くの?」
竹林の少し中から、○○がいきなり声を入り込ませた、横から割るように聞いてきた。俺に任せるのじゃなかったのかよ。
「人間のいるところは、毎回ではありませんが一人で行くことはそれなりに有りましたよ!人里とか」
「そう、人間のいるところなら一人で行ってたんだ」
このやり取りは、耳に入っていたが頭にはまるで留め置かなかった。
考えていた事と言えば、後で永遠亭からたっぷり給金を頂いてやると心に決めていたという事ぐらいであろう。
どうせ1日では終わりそうもない。
「そう、そう……いつもは何時ごろに八意先生は帰るのかな?」
さすがに慧音の旦那も、歩き回りながらだから不意に書生君から帳面の中身を見られても良いように。多少はまじめにかき込んでいたが。
はっきり言って、書生君からの言葉は右から入って帳面にかき込んだら、即座に左から排出していた。
○○の愛犬で、鼻の良い名犬も。こんな狂言や茶番に付き合わされて、さざ哀れだろうとも思ったが。
やはりそうは言っても犬だからなのからか、いつもとは違う場所に来れた事の方が嬉しいようで。
辺りを嗅ぎまわってこそいるが、それは捜査の為なのでは無くて純粋な興味でしかなかった。
まぁしかし、しきりに嗅ぎまわる姿は。書生君の眼には必死の捜索と言う風に映っているから、放っておくことにした。
実際、因幡てゐも若干と言うより最初から呆れて力が出ないのか。
○○の愛犬の頭をなでたりして、ちょいちょい気を抜いている姿が見受けられるが。
そこは、抜け目が無いと言う奴なのだろう。少なくとも書生君にさえ見られなかったら良いのだ。
真面目な鈴仙はやや小突くけれども、こちらもため息の方が強いので。あまり真剣では無かった。
とにかく慧音の旦那からすれば。見えない範囲にさえ、○○の愛犬が飛び出しさえしなければそれで良かった。
けれども、そろそろタスキを○○に持ってもらいたいと言うのも事実。
今度は自分も、竹林の中に入って操作の真似事で時間を潰したかった。
「○○!?何か見つかったか!?」
殆ど真面目に書いていない帳面を閉じたら、真面目でない証拠が書生君から見えなくなったら力が若干抜けて。
思ったよりも大きく声を出すことが出来たし。立っているのに、何だか楽な体勢になったような安堵感があった。
やはりこんな面倒くさい仕事のせいで、力が過剰に全身を駆け巡っていたらしい。
「おーい、○○!?」
しかし、2度目の呼びかけにも返事が無いのは。身の安全とは違う意味で、嫌な予感がした。
書生君の場合は種々の不安感だけれども、慧音の旦那の場合は謀られたかもしれないと言うただ1点のみの不安であった。
たまらず鈴仙が竹林の少し奥へ入っていくと「あー……あー…………何か見つけたみたいですよ」
○○がそう簡単にくたばるとは思えないし、妻である稗田阿求の事を愛しているようだから危険に自ら足は踏み入れないだろうとは思っていても。
こう、予告なしに何かをやられると腹が立つ。
「置いて行かれた」
「○○さんは何か見つけられたのですか?それで、急に?」
可愛そうだけれども、今の慧音の旦那に書生君の質問や疑問に答える元気は無かった。
鈴仙がおずおずと竹林から出て来て、1枚の書き置きを渡してくれた。
「これが、竹にくくりつけてありました」
置手紙の内容は『当てを見つけたから人のいるところに行ってくる』これのみであった。
ちくしょうが!!
「間に合った……」
○○は自転車を手近な木の幹に建てかけながら、守矢神社行のロープウェー周辺の空気を読み取って安堵した。
もしも東風谷早苗が、輝夜から稗田邸に渡された細見の閲覧や調査が終わっていたならば、すぐにこちらに。
守矢神社に戻ってくるはずだからだ。
そして現人神である東風谷早苗が戻ってきたならば……
「今ならベビーカステラ、同じ値段で3個おまけしちゃうよー!」
的屋達も、さすがに少しは荘厳な空気を作っているからである。
「時間が無かったから、伊達眼鏡と帽子だけだが……まぁ、書生君に細見を渡すという事は。顔すら知らないらしいから、どうにかなるかな」
蓬莱山輝夜からは立場を考えろと言われてしまったが。
しかしながら事件調査と言うのは、○○からすれば。
もはや稗田阿求から許された数少ない娯楽であるどころか、○○にとっては最後の一線なのだ。
東風谷早苗から、ごっこ遊びだと批判されようとも。同じ外から来た身分とは言え、東風谷早苗のように現人神では無い○○は。
こうやって、踊り狂って己を慰めるしかないのである。
阿求からの究極のわがままが来るまでは、○○は好き勝手に踊ってやると決めているのだ。
幸いなことに阿求もそれを認めてくれている。究極のわがままを聞くと言う条件の下で。
「やぁ、似顔絵屋」
そのまま○○は、ロープウェイで神社には向かわず。ある人物の所に歩を進めた。
その人物は、帽子を伊達眼鏡をかけている○○を見てしばらく目をぱちくりさせていたが。
「あっ、きゅ、九代目様の夫様…………!!」
すぐに気付いてくれた。
「最近、いかがわしい奴はいない?ちょっと調べているんだ」
「……今日はまだ」
どうやら当たりを引いたようであった。
「そう、じゃあちょっと付き合って」
そう言いながら○○は、似顔絵屋に給金を渡そうとしたが。
「いえ、いえ……」
阿求が怖いのか、素直に受け取ってくれなかった。少しばかり悲しくなった。
「じゃあ、調査内容がうまくいったら。成功報酬はもらってくれよ」
「それでしたならば……まだ」
その後の○○の会話は、若干際どかった。
屋台で買った甘酒を飲み歩きながら。
「なぁ、現人神様に。東風谷早苗のお顔を直に見たことあるか?」
「い、いんや?遠くからや新聞でならあるけれども」
「とんでもない別嬪らしいなぁ……しかしまぁ、こんなふもとで甘酒飲んで管を巻いている俺らじゃ、金積んでもお言葉さえ聞けないだろうなぁ!」
そこまで下品では無いが、そこはかとなく女好きの部分を香らすような会話を。
○○は意識的に、行っていた。
「○○様、後ろです……」
その甲斐はあったようだ。似顔絵屋が指摘した通り、みょうに鼻につく男が近づいてきて。
その男の脇には、雑誌類の束が握られていた。
「慧音先生の旦那さんが、めんどくささにキレそうだから。早く終わらせるか」
なんだよもう釣れたのかと思いつつも、○○は次の段階に移った。
続く
感想
最終更新:2019年02月25日 04:18