八意永琳(狂言)誘拐事件7




「あの書生君、細見をこんなに……?春画もそこそこありますね」
稗田邸で永遠亭から渡されたと言う細見を閲覧している早苗は、その量の多さに若干どころではない不安を覚えた。
状況を少しずつ紐解けば、何らかの勢力が裏側で暗躍しているのは、もはや自明の理であるからだ。
「これは一体、何週間分だ……そんなに前から?」
また、そう言う知性や知識が無いとしてもだ。
遊郭の最大派閥の長が、このようにして息遣いも苦しそうにしながら、顔を青ざめていれば。嫌でも裏側の謀の存在を認識せねばならないはずである。
「まさか、あの書生君の事を知らない存在が遊郭の……統制する側にいたとは」
早苗は何の気なしに呟いたが。
「今回捕まえることが出来るのは末端でしょう。どこまで迫れるかは、怪しいものです」
阿求は重々しい呟きであり、慧音は唸り声を上げた。
あの理知的な慧音が、言葉すらあげれないほどに思考がメチャクチャになっているのである。
そして、一番の懸案は……長い目で見れば。


「まことに……まことに…………遊郭街のいざこざに……心をかき乱させてしまい……」
青ざめた顔と苦しい息で謝罪の言葉を述べ続ける、この忘八。
しかもただの忘八ではない、遊郭街における、最大派閥の長。
言うなれば、忘八達のお頭。彼が苦境を脱する為に何をやるだろうか。
早苗にとっては、それが怖かった。
何せこの忘八のお頭、泣いていないのだ。
人里における最高権力である稗田家の当主阿求と。
人里における最高戦力、上白沢慧音の両方からにらまれているのにである。
間違いなく何かを考えている、この後の組織再編など、種々の事を。
それが堪らなく怖いのだ。こちらにその火の粉が来なくとも、東風谷早苗は、優しいから。
早苗は隠しつつも、心中では確かにうんざりとしたが。
隠岐奈様、隠岐奈様、隠岐奈様)
忘八達のお頭が何を考えているか分かれば。
早苗だけではなく、阿求も慧音も目を見張る事になるであろうが。
このお頭、自身の信仰に関しては『まだ』隠していた。

「若干……繰り返しにはなりますけれども」
阿求が豆菓子を食べながら口をはさんできた。
この人里で、阿求が言葉をはさんでくると言うのは、明文化こそされていないが傾聴せよという圧力が常に発生する。
そもそもこの席に同席している慧音が、そう言った圧力が存在することを容認している。
とは言え早苗は、人里を拠点とはしていない。阿求、慧音、そして遊郭の代表者である忘八の頭に対して少しずつ目配せするだけで。
またすぐに、細見や春画の中身を改める作業に戻った。
最も、記事の内容にはほとんど興味がない。早苗は、ページの隅を丹念に調べたりして。
早苗の中では何かの、仕分ける際の基準でもあるのか。細見や春画たちを、いくつかの組に分けていた。
目の前に遊郭の代表者がいるから、彼に聞けば良い部分もあるはずなのだが。
そうはしなかったのは、阿求と慧音に苛まされる彼に対する、一定の同情がそこには存在したからである。


「貴方の事は、実はそれなりに評価していたのですよ?遊郭何て言う、見た目だけで一皮剥けば醜い世界を、あんなにも統制出来ていましたから」
さて、阿求のこの言葉はどこまでが本心なのだろうか。
早苗はまだ、苛まれるいわれは無いから。客観的に物を見れる立場にいられるために、阿求の事を訝しむ事も、何の苦もなく可能ではあるけれども。
慧音は、そもそも遊郭の存在にすら否定的で……かと言って男性が持つその手の衝動も同時に理解していて強烈な二律背反。


その上、今の慧音には旦那がいる。
種々の者達が表現する、一線の向こう側。その場所に慧音は間違いなく立っている上に、最愛の旦那まで手に入れたのだから。
阿求のような、演技や振りですら。もしくは必要最低限の妥協。
どんな形であれ遊郭の事を容認、あるいは黙認するような態度は甚だ慧音を苛立たせる。
「本当に大丈夫なのですか?嫌ですよ、夜鷹が増えるだなんて。制御が効かないだけでなく知識も低いから、危ないところでも平気で客を取りますからねあの手合いは」
阿求だけでなく、阿求の言葉に影響されるように慧音も若干目線を遠くした。
表情にある獰猛さは雲泥の差であるけれども、考えていることは一緒らしい。
恐らくは、早苗が来る前の話だろう。
遊郭に属さず、春を売っている連中がいたのは話の欠片だけでも理解できる。

「実を申しますと」
忘八達のお頭が、きっと損得勘定の末にまだマシな方を見つけたのだろう。
それでも、意を決すると言うよりは諦めの様子であったが。声を出した。
無論、良い話のはずがない。阿求も慧音も、顔が渋くなる。
だからこその諦めなのだろう。
早苗は思わず願ってしまった、この忘八達のお頭が出した結論と言うか、諦めじみた覚悟が。
せめてマシな方向に転ぶことを、切に願った。
はたから見ているだけでも、今の阿求と慧音はうんざりする。渦中にいれば、精神がすりきれそうな思いになるだろう。

「夜鷹がまた増えるのか?」
慧音がようやくまともな言葉を喋ってくれたが、寺子屋で見たり聞いたりするような雰囲気はどこにも無かった。
「それはまだ、ええまだのはずです」
忘八達のお頭も、あわてて打ち消そうとするが。
多分慧音は、この言葉を信じてなどいないだろう。



「遊郭外では、簡単な話でも。遊郭にまつわる事柄を話すのは禁じていますが」
「実際の上では、人の口に戸は立てられませんから……コソコソとは話しているでしょうね」
阿求もそれぐらいは、黙認できるようだ。慧音はどうだか謎だけれども。
「しかし、その口振りですと……隠れなくなったのですか?種々の派閥の方々が」
阿求からの問いかけに、忘八達のお頭は力無げにうなずいた。
「やり手ですからね、貴方は。頼る人間もいますが、同じぐらいに嫌がる者もいるのは自然ですが……なぜここに来て?いきなりですね」
中々に含蓄のある言葉だ。嫌われても構わないとも取れる。



最も阿求ほどの存在なら、多少嫌われようが。その仕事と言うよりも、運命がむしろ阿求を嫌うことを許さないかもしれない。
慧音の場合はもっと分かりやすく、実際の驚異に対する防備が減る。守護者としての慧音は、時に阿求よりも上にたてる。
その場合、慧音の機嫌を損ねた存在は、それが里の者ならば。村八分ですら済まないだろう、村十分だ。
この幻想郷、それも人間の方が。時折、妖怪や神よりも苛烈になる。

外敵を、驚異に対する過剰反応ならばまだマシだ。
早苗は思い出す、神奈子様がまずい酒の飲み方をしたとき地の底から吐き出すように出す言葉を。
『信仰や忠誠の証明が最もおかしくなりやすい』
そう言う意味では、慧音は自分以外に向いている火の粉を制御しながら生きねばならないのだろう。神奈子様と同じで。


「ある程度の予想は既に着いています稗田阿求様が申された通り、ここに来てなぜ更に嫌われたのかは」
真相と思わしき部分を告げるとき、口が空回っていた。
忘八達のお頭が、『見た目は』そこまでの年を重ねていない……下手をすれば少女に怯えていた。
お頭なのだから、この男もそれなり以上の年齢。なのにである。
幻想郷だからこそ見られる、おかしな光景であろう。最もそれは、早苗が外の出身だからそう思えるだけなのだが。



「私には、今以上の野望がまるでございません。遊郭の商いをこれ以上に大きくしたくはないのです」

「遊郭街の裏側に、特段切り開かれていない山合の区画があるのはご存じでしょう」
「炭焼き小屋が二つか三つある程度の?」
「はい」
全てを覚えることの出来る阿求がいれば、話の進みは早い。
慧音も言いたいことはきっと山ほどあるのだけれども、早く済ませたいのも事実。
お菓子を腹立ちを紛らわすように口のなかに運び続けていた。
更に部外者の早苗は、夕飯に差し障りがないだろうかと言う、若干ズレた心配を慧音に対して思っていた。



「結論から申し上げます。あの山を、切り開こうと言う勢力が確かにおります。
 せいぜいが炭焼き小屋二つか三つ、それも個人持ちではなく全て私の遊郭が持っています」
「そのお話は、不幸中の幸いでしょうか?」阿求のこの言葉は本心ではないだろう。
せめてそう思わせてくれるだけの良い話を聞かせろと言う、ほとんど脅しの意味しかない。

「つい最近も……釘を刺しました。炭焼き小屋を増やして、あまり立ち入れないようには、今のところは」
忘八達のお頭が一番分かっているはずだ、これは根本的な解決ではないと。
「今のところはな!!」
そして慧音は、根本的な解決が見えないことに。ここに一番腹を立てる。湯飲みを乱暴に置いたので、茶卓が割れたのではと思うような音が響いた。


「まぁまぁ、慧音先生。この方は殊勝なのでまだ、いくらかは助かりましたよ」
「いくらかだと!?」
阿求のいくらかの擁護も、あまり効かなかった。
どうやら阿求は、この忘八達のお頭がやり手で、しかも阿求達には一切の謀を持っていないから。
先程の評価しているという言葉は、それなりに本心なのだろう。
「こいつの話を聞いている限り、その場しのぎの上に発端となった者はまだ放っておいているではないか!!その結果の永琳殿の狂言誘拐だ!!」


「発端となった者は確かに気になりますね、けれども貴方の口ぶりだと、その黒幕も何だかんだで貴方の事を怖がっているご様子。隠れていますね。分かっているなら、炭焼き小屋を増やすだなんて遠回しなやり方は……」
忘八達のお頭が少し、苦しそうに唸った。
図星を突かれたとはこの事だろう。
「お顔をお上げくださいな、お頭さん。最大派閥の長に収まり続けられる事には、それなり以上の経緯を持っていますのよ。私達の懸念や不安にも敏感で……」
ここで阿求は慧音の事を長めに見やった。
「貴方の事は、信じてくださるかどうかはともかく。貴方がお頭でまだ良かったと言うのは、本心ですのよ」
「こいつ以外ではもっと酷くなると?」
「ええ」
阿求は慧音にも釘を刺した。刺して『くれた』訳では無さそうだ。
あくまでも実利と損を考えると、今の形が最上とは言えないものの妥当な線ではあるのだ。
まかり間違っても、忘八達のお頭のために慧音に大人しくしてくれと頼んだわけではない。
「そのままで大丈夫ですよ、お話の続きを。黒幕の予想は?」
だからだ、阿求は忘八達のお頭に頭は下げさせなかった。
そうなったら慧音に傷がつく。あくまでも阿求と慧音だけのやり取りで終わらせるのだ。

「……正直な話、よく分からないのが実情です。切り開く話をした者は、格の、ずいぶん落ちる楼でして……頭の方もいささかだなと言うものも多く。だからこそ、それにまずは言わせてみたのでしょうが」
「様子見と言ったところですか」
阿求が若干顔を歪ませた。やはりこの話、深い。
「間違いなく。誰が入れ知恵しているかは謎ですが、私が山を切り開かれないように駒を置いていても、その、話が消える気配が無く」
阿求は残り少なくなったお菓子を数えながら考えたあと、少しだけ笑った。
あまりキレイな笑い方では無いので、忘八達のお頭は嘆くような顔を見せたが。
「私は今すぐでも構わんぞ!」慧音は、実に楽しそうに。
むしろ荒っぽいことを望んでいる風であった。
「まぁ、人里に食い込みそうならお願いしますよ」
阿求がそこまで望んでいないので、早苗は少しホッとした。
あくまでも『まだ』なのだろうけれども。
(隠岐奈様、申し訳ありません。いくらか減るのを、止められそうにありません)
しかしこの場にさとり妖怪がいないのは恐らくは悲劇だ。
忘八達のお頭は、全く違う方向を向いている。

「阿求様……九代目様…………」
ふいに、阿求がお茶やお菓子のお代わりを頼んでいないのに。女中が申し訳なさそうに入ってきた。
悪い話に決まっている。
「旦那様の、○○様のご愛用の自転車が消えています」
忘八達のお頭が、今日一番の青ざめた顔を見せたが。
「遊郭に、私の旦那の顔は出回っていますよね?」
「楼の大小問わずに!」
「まぁ、でも。大丈夫ですよ、私は夫を信じていますから、調査が必要だと思ったらすぐにこぎ出す癖は熟知していますよ。それに遊郭の敷地内の話とも思えない」
阿求は湯飲みに残ったお茶を飲み干しながら、早苗を見た。

「ええ、ええ。ほぼ間違いなく守矢神社か、そのふもとですね」
あー、もう……と早苗は頭を抱えながら唸るしかなかった。
○○さんはどうやら、思い立ったら動き出さねば気がすまないようだ。



「先に謝っておくね!」
そのままいくらかの沈黙のあと、幸いにも○○が帰ってきた。
ずいぶんと明るい声なので、調査は上手く行ったのであろう。
それが憎々しいのはまぁ、言うまでもないが。


「阿求、ただいま。それに慧音先生もこんにちは。早苗さん、間に合って良かった。いつ帰ってくるかひやひやで」
「上手くいきましたか?」
阿求が駆け寄った。大邸宅とはいえ、室内での話なのに、駆け寄るという表現がピッタリであった。

「ああ、全部ではないけれども。いくらかは分かった。似顔絵屋と仲良くしていて良かった」
そう言いながら、○○は懐から紙を何枚か出した。
阿求はそれをヒュッと。鮮やかな早業で受け取った。
早苗は似顔絵の主たちに、お悔やみを心の中で唱えてしまった。
○○も察したのか、目線が少しばかり泳いで。早苗のところにたどり着いた。


「おめでとうとだけ言っておきます。クレオソートも義足の男も、未知の毒物を使った毒針もないのにね」
「また四つの署名からの引用ですか、好きですね」
「初めて読んだホームズ物なので、印象深くて」
「私はボヘミアの醜聞です」
やたらと楽しそうな○○の姿に、早苗はこめかみを押さえた。皮肉がほとんど通じていない。
今が楽しすぎてしかたがないのだ。
ただ、それだけならば良いのだ。まだため息だけで済ませられる。


「そちらの方は?」
そう、そう。忘八達のお頭。彼の存在だ。
ふと早苗は、彼の事を『奴』などではなくて彼と表現していることに気付いた。
まぁ、同情心はある。



「遊郭の最大派閥の長さんですよ」
阿求の声が明らかに変化した。そして○○にしなだれかかった、近づくなと言う事は明らかだ。

「……お初にお目にかかります」
忘八達のお頭は、うやうやしく頭を下げながら。名刺らしきものを取り出した。○○は取りに行こうかまよったが。
阿求は始めから予想しており、○○が迷う頃には九代目自ら、名刺を取りに向かい。
○○に手渡すのであれば、まだ良かった。
「ええ、どうも」
阿求は忘八達のお頭の名刺を、手の中で握りつぶした。
「うわ……」早苗は思わず悲鳴とまでは行かなくとも、驚嘆の声を上げたが。
「はははは」慧音は乾いた様子で笑っていた。





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最終更新:2019年03月25日 21:24