目の前の大きな門を見上げると、そこには大きな館が眼前に広がっていた。赤く、朱く、紅い館。
幼いながらも強大な力を持つ吸血鬼の姉妹についてはこの幻想郷では良く知られていたが、私が今日
会おうとしているのは、図書館にいる魔女の方であった。
彼女が余り知られていないのは普段は部屋に籠もっているせいだが、然りとて彼女が館の主人に
比べて弱い訳ではない。むしろ実際には対等であり、そして彼女の方がある意味では恐ろしい。
鬼としての純然たる恐怖の化身ではなく、魔として闇をも従えるその力。人間の力、知識、技術、
そして悪意など片手で捻り-そして彼女は潰していた。
身の程知らずの無謀さの対価には何よりも高い値札が付く。その力を私は間近で見せられること
となり、それは私の脳裏に深く刻み込まれていた。
司書の女性に案内されて着いた部屋には、いつものように彼女が座っていた。テーブルに置かれ
ているカップからはまだ湯気が立っている。彼女がいつも使っている金色の装飾が施されたお気に
入りのカップ-そう知る程度には、私はここに慣れてしまっているのだろうが-の向かい側に、
御丁寧にも青色の上薬が塗られた私用のカップが置かれていたのには少々閉口したが。
「何の用?」
素っ気がない態度だが、これでもかなり機嫌は良い方である。彼女にとって外の、或いは気を許し
ていない人間程、彼女の対応は「丁寧」になる。魔女狩りの血に濡れた歴史のなせる業なのだろうか、
契約や外敵に敏感な魔女の習性として、外部の人間には彼女は少しも気を許さない。一部の隙もない
程に覆った余所行きの仮面に騙される者は多いらしい。もっとも彼女に言わせれば-騙される方が
悪い-とのことだが。こちらに構わずにページを捲る彼女に声を掛けた。
「君の力を借りたいんだ。」
ピクリ、と手が止まる。彼女の頭の中では僅かな時間の間に膨大な思考が流れたのであろうか、
パタリと音を立てて本が閉じられた。栞すら挟まることなく。
「対価は?」
儚げな透き通った声が響く。契約の力を乗せた声符が場の空気を支配した。
「こちらの持っている「足りない」」
「小判を用意「要らない」」
渾身の提案は聞くまでもなく否定された。一部たりとも、交渉の余地が無いとでも言わんばかりに。
確かに中々の骨が折れる妖怪絡みの事ではあるが、まさかここまできっぱりと断られるとは思って
もいなかった。暫くの沈黙が流れる。いつもならばここで折れた私が、取って置きの、そしてなるべく
使わずに取っておきたい案を出す羽目になるのだが、それでは彼女の術策に嵌まってしまう気がした。
ジリジリと駆け引きの時間が流れていく。私に取っては時間は有限であり、彼女に取ってみれば
幾らでも時間はあるのだから、こちら側が一方的に不利といえるものだが。彼女の方は上機嫌のままに
本を捲っていた。向こうからすればいくらでも私がここに居れば良いと思っているのだろう。
そしてそのまま…。私は挽回のために、席を立とうとした。
「今日の所は出直すよ。」
「出ない方がいい。」
言葉少なに忠告される。しまったな、と思ってしまったが、しかし言った手前、出ない訳にはいかない。
そのまま椅子から腰を浮かせた。
「また今度にするよ。」
「湖の外で貴方を狙っている。」
動きがピクリと止まった。彫刻のように固まった私に彼女は言う。
「本当に出る積りがなかったんだから、丁度良い。いつもなら貴方は帰る前に紅茶を飲み干していた。」
うっかりしたミスを突かれてしまい、私には返す言葉が無かった。彼女が催促をする。
「対価は?」
「三日泊まる。」
「全然駄目。」
「一週間ここに泊まるよ。」
「足らない。ベットを釣り上げたのは貴方。」
「これ以上居れば、帰れなくなってしまいそうだよ。」
「人里に帰らなくていい。」
再び沈黙が流れる。これ以上時間を掛けると、余計に状況が悪化しそうな気がした私は勝負に出た。
「一ヶ月、これでいっぱいだ。」
「私が飽きるまで。」
渾身の提案もあえなく拒絶されてしまい、私は彼女の意見を受け入れるしかなかった。
「分かった、そうするよ。」
彼女が指を振ると窓の外で大きな音がして、水飛沫が上がっていた。私に降りかかってした厄介事は、
まさに一瞬のうちに解決したのだが、今度は別の厄介なことに頭を悩ませることになりそうだった。
感想
- これいい -- 名無しさん (2019-04-17 00:44:44)
- おもしろい -- 名無しさん (2023-01-01 10:15:25)
- しゅごい -- 名無しさん (2024-04-07 08:50:16)
最終更新:2024年04月07日 08:50