「誰からの手紙だ?」
狂言誘拐が、思いの外種々の思惑が乗っかってきている事に慧音の旦那は気づかざるを得なかったが。
目の前の厄介事まで放り出せば、いよいよ目が当てられなくなってしまうから。
せめて目の前にある物だけは片付けてやると思いながら、慧音の旦那は強面の使いから手渡された手紙を検分する○○に近付いた。


「東風谷早苗からだ……五名確保。主要な文章はこれだけだ」
○○は正直に伝えたが、実を言うと全部を伝えたわけではなかった。
件の忘八達のお頭のやり方が、早苗の神経を煩わせるのか、後ろの方の走り書きは。
文字もその内容も、察するには余りあるものであった。
『赤黒いずた袋を3つも運んできた、臭い、早く来てください。しかもなんかうごめいてる』
思わず○○は、この文章だけは阿求には見せたが慧音の旦那には伏せておいた。
いずれは知ることになるかもしれなかったが、今それを伝えて慧音の旦那の神経を逆撫でする事による利益は見出だせない。
なので伏せておいた、上手く行けば何も見せずに済ませてやれるかも知れなかったから。

「ふん……そうか」
幸いにも、○○が不味い部分を隠したことを慧音の旦那には悟られずに済んだ。
「ひとまずはこいつらを下手人……と言うことにしてしまう」
○○がうんざりとして言った。
「それしか無いだろうな」
慧音の旦那は半笑いで皮肉げだけれども。
「事態は急展開を見せたね……一気に解決に向かってくれそうで何よりだ」
「八意永琳に関してはな」
○○はわざとらしく楽観的に振る舞って見せたが。慧音の旦那は苛立ちを強めている様子を、隠そうともしなかった。
ぷりぷり怒っている今の状況では、きっと何を言っても火に新しい燃料を注ぐようなものであろう。
なので、少しだけ話題を変えようと努力したら。
その努力はすぐに実った。
かの書生君が、手近な岩に座り込んで動かなくなっていたのだ。
これはちょっと看過できない変化であった。
馬鹿みたいにお人好しで、回りが見えていないーーそうなるように投薬を続けられていたのだがーー彼が、意識すらどうにかすれば無くしているのだから。



「そう言えば」
○○は慧音の旦那から目線を書生君の方へ動かしながら声を出すと。その視線の方向に気付いた慧音の旦那は皮肉っぽく笑った。
「静かだな、書生君が」
「むしろ助かるよ。若干の同情心もあるにはあるが」
どうやら慧音の旦那も、この書生君はおかしくさせられている事には、薄々感づいているようだ。


「どうしていきなり静かになったのかな……何かあったのか?」
「……何も?」
とは旦那は言ってくれるが。少しの間が合ったのは、見逃せなかった。
「何も、なさすぎる?」
少しの探りを入れてみたが、まぁ元々が仲良くかどうかはともかく。
少なくとも上手くやらせてもらっているから、旦那は「あぁ、急に大人しくなった」素直に自分の中にある違和感を教えてくれた。


「急にね……そう。心当たりは?」
○○の方にはあるのだけれども。何せこの書生君、定期的に一服盛られているのだから。
「心当たりなんて、あるわけないだろう。急に、燃料切れを起こしたみたいに静かになってしまったんだ。怖いくらいだ」
燃料切れ。慧音の旦那がそう表現したことに、○○は乾いた笑いを見せてしまった。
ある意味ではその表現、間違っていないのだから。
きっと今の書生君が見せている無気力状態は、薬の離脱症状……悪い言い方をすれば禁断症状が出てきているのだ。
事実、薬を盛られていることに気づいている鈴仙とてゐは、書生君のことをひどく可哀想な目で見ている。
容易に想像出来るのだろう。


慧音の旦那が、じっとりと○○を見る。
言葉には出していないが、お前何か知っているだろうと言う。そう言う表情だ。


「今になって腹がますます立ってきた。てめえの飼い犬を押し付けて、俺を書生君の相手として、囮にしやがって。慧音からの伝言なら俺があまり強く出ないことを知りつつ……なのだろう?」
慧音の旦那が、自分が体よく扱われたことに思いを巡らせたようで。更には、○○だけが。正確には稗田夫妻だけが色々知っている事に対する苛立ちもあるのだろう。
「あっはっは……ひとまず稗田邸に戻ろう」
それを○○は、歯切れの悪い笑顔で誤魔化しながら。書生君の元に向かって。
「聞こえていますか?」
と、問いかけるが。書生君は少し目線を上げてくれるだけで。声の方は残念ながら、口元が半端に動くのみであった。
どうやら常に薬が効いている状態が長いようで、禁断症状に慣れていないのだろう。
なるほどこれは、可哀想な物を見る目線にもなってしまう。


「もう少しで解決しますよ。少しばかり稗田邸に戻りますが、きっとお夕飯は八意先生と一緒にとれますよ」
書生君の目に、少しばかり輝きが戻った。
しかし、常人のそれとは言い難かった。
最初に会った時よりも、陶酔が深く。焦点も定まっておらず……頭脳の方も退行が深まっているはずだ。


「八意先生はご、無事な、んですか!?」
会話の方もひどい。ぶつ切りであるし、急に立ち上がろうとしてふらつくのは百歩譲って理解できるが。
鈴仙によって、後ろから抱き抱えられなければならないほど、と言うのはいくらなんでも酷い状況である。



「ご心労の程、深くお察しします。それから鈴仙さん、今の書生君は『色々な意味で』気付け薬など処方されるべきでしょう。まぁ、八意永琳を取り戻せばどうにかなるか……八意女史が横にいるだけで構わないんじゃとすら思いますよ」
「ええ……姫様に聞いてみます」
しかし○○としても、八意永琳なら最初から色仕掛けでも良かったんじゃないかと言う思いはあるので。
分かるものにのみ沈痛な表情をもたらしてしまう、冷たい皮肉を投げ掛けざるを得なかった。
それぐらいの事は許してほしかった。



「そうだ、てゐさん」
そして○○が稗田邸に一時帰ろうと歩を進めようとした所で。○○は後ろを振り返り、書生君が鈴仙によって確実に遠ざかっていくのをしっかりと確認したら。
てゐに声をかけて、少しばかり戻っていったが。
「それじゃあ、お願いします」
すぐに戻ってきた。
「何を頼んだ?」
慧音の旦那はいぶかしむが。
「妹紅さんと輝夜さんがケンカをしたのは、都合が良かった。お互い無傷じゃ済まないだろうから、良い演出だ」
○○からの答えで何となく理解できた。
要は、あの書生君さえ騙すことが出来れば良いのだ。


そう、慧音の旦那は件の書生君にさえ怪しまれなければ良いと考えていたが。
「あぁ、もう……増々混沌としてきたじゃないか」
稗田邸にて、五体の亡骸に出くわした際にはそんな安楽的な結末。望むべくも無いことに気づかされて、頭を抱えそうになったが。
「構うことはないさ、君は私の近くにいれば安全だ」
慧音はうそぶく等ではなくて、本心からそう言って自らの旦那を。熱っぽく抱き寄せてきて。
その……妙に獰猛な視線は、うやうやしく頭を下げる男性に注がれていた。


「彼が、今の遊郭の。最大派閥の長さんだそうですよ」
○○は、慧音の旦那に初対面の彼を紹介するが。
「覚える必要はない、お前も私の旦那と顔を会わせる必要はない」
慧音は歯をむき出しにして、忘八達のお頭に対して威嚇をしていたし。
阿求は阿求で、慧音と比べても自分の体は魅力に薄いなと感じて。
またペタペタと胸の方を撫でて、それを○○が気にすることは無いと欧風に肩を抱き。
早苗は、周りの風景を見ないように努めながら。お茶を飲んでいたが。
稗田家にて共されるお茶なら高級品のはずなのに。味をまるで感じていなかった。



「ひとまずは、この亡骸の程。皆さま方にお渡しします。東風谷様からも好きになさるようにいわれておりますので」
けれどもこの忘八達のお頭は。慧音に威嚇されようが、阿求が何だか苛立っていようが、早苗からの助け船が期待できなくとも。
自らの立場を理解して、構わずに話を進めた。
自分が仕留めてきた、湿っぽい亡骸も含めて全て提供したが。
早苗は早苗で、一発で楽にしてやったこちらと妙に粗っぽい向こうを。それが一緒にされるのは若干の心外であるけれども。何も言わないでおいた。
つまるところ、面倒だからだ。


「一応、お聞きしますが」
亡骸の入ったずた袋を眺めながら○○が口を開いた。
「確かなのですよね?忘八さんが仕留めてきた三人は」
「はい、確かにございます。連中の部屋に押し入った所。一人で使うには多すぎる細見に春画……それも重複が数多くございました。それらには、管理のための番号が後から降られており売る目的以外の何だと」
「それに加えまして、連中の羽振りがここ最近ようございまして。しかもその出所、この三人の周りが前々から聞いてもはぐらかすのみでして」
どうやら間違いはなさそうなので、それだけは安心して良さそうであるが。問題はこいつらがどこの問屋を使っているかだ。

「こいつらに商品を渡したのは誰でしょうね?」
阿求もそこは気になっているので、敢えて聞いてきたが。
「奴等の部屋から、いくらかの手紙や指示書を押収しました。写しはもう取っておりますので、原本をどうぞお納めください」
「あなたの名刺より、ずっと役に立つものを下さいましたね」
今度ばかりは、阿求も忘八達のお頭の名刺のように、握りつぶしはしなかったが。
○○には触らせなかったが。
「うーん……アホにそれとなく入れ知恵して、捨てゴマにしてるだけですね。兄貴分からのお手紙も、知性にかける」
「僭越ながら、私も同じ意見にございますが。だからと言って、放ってはおきません。処分は致します」
酷い会話だけで、お腹は一杯になりそうであった。


「……じゃあこれ、竹林に持っていってください」
酷い会話にうんざりしたので、○○も仕舞い支度を見せた。
何より湿っぽい亡骸をこれ以上置いておきたく無いのだろう。
「竹林の入り口で、てゐさんが妹紅さん……もしかしたら輝夜さんも連れてきているはずですから。後はこの亡骸を、良いように使ってくれますので。さてどうしようかな……」
「もう新聞で十分でしょう?」
○○は事の終わりまで見ていきたかったが、阿求から制されて。
「何か合ったら、手紙でも送ってくれ」
慧音も自分の旦那を連れ帰ってしまった。
「うちの愛犬に水でもやってくるか……動き回って疲れているだろう。あぁ、東風谷さん、後で箇条書きでも構いませんので、何かを」
「ええ……守矢神社から正式に。礼状等と一緒にご報告します」
なので○○も、ここは諦めた。早苗も心労があるので、立場が厄介な○○はいない方が良いだろう。


そして、○○が愛犬のトビーに水をやって帰ってくると。
亡骸は全て消えていた。
酷い話であるけれども、これで、解決。してくれたら実はそれが一番良いのだ。





次の日の昼。寺子屋の昼休憩とおぼしき時間に、かの、慧音の旦那がやってきた。
「新聞読んだか?」
開口一番、これであったが。○○は首を横に降ってまだだと言う意思を示した。
慧音の旦那は黙って、文々。新聞を投げ渡した。
相変わらず扇情的な文面はこうであった。


半日にて、誰にも気付かれずに神速の解決!
昨日早朝、永遠亭の薬師、八意永琳女史が悪漢にて誘拐されると言う事件が勃発。
なれども読者諸氏よ安心されたし、この事件は既に当新聞の執筆者が知ったときにはもう解決していたのである。

九代目様こと稗田阿求と、上白沢慧音女史には夫がいるのは知っての通りであるが。
普段は、聡明なる二人の妻の影に夫たちは隠れているが。
いざ事件が発生すれば、その解決者として夫たちが、またもや!立ち上がったのである。

稗田阿求の夫、○○は。事件を聞くや否や、鼻の良い名犬トビー号を連れて。盟友である上白沢家の旦那を連れて竹林へと出陣。
八意女史誘拐現場である、散らばった医薬品等の中から重要な証拠を発見し、名犬の力も借りてこれを追跡。
最終的に、竹林に住まう藤原妹紅の助力も願い。見事八意女史を奪還せしめたのである!
恐らく悪漢達は、八意女史を当てに身代金を。
もっと悪い想像であるが、慰みものにもしてしまおうと考えたのかもしれぬが。
犯行を大々的に喧伝する前に、制圧されてしまったのである。


唯一残念な事は、『六名』の悪漢達が。八意女史の奪還に浮き足立ち、仲間割れの末に全員が共倒れになってしまった事であろうが。
上白沢慧音女史の指揮の下で、似顔絵が作成され。
本誌にも掲載されておるため、この者達を知っておるならば最寄りの自警団や、寺子屋にご一報願いたい。




読み物としての派手さは相変わらずであるが。○○はひとつ、気づかねばならないことがあった。
「六人だと!?」
「そうだ、死人が一人増えている」
「どういうことだ?」
○○の疑問に答えてくれたのは、一通の手紙であった。
「今朝がた東風谷さんから届いた」
○○はしゃにむになって、その中身を読んだ。


大変なことが起こりました。
死体がひとつ増えたのです、しかも猟奇的な。
竹林の奥に、いい感じに死体を並べようとしたら。新しく見つけてしまったのです。
しかもその死体、口には竹笹が突っ込まれていて、腹は竹槍で貫かれていました。
明らかに、何かの意思を感じますし。その死体は、五名の亡骸の兄貴分だったのです。
一番怖かったのは、この猟奇的な死体を見た忘八達のお頭が、跳び跳ねながら喜び出して。
何もないし、いないはずの。自分の背中を何度も振り返った事です。
お伝えするべきだと思ったので、お手紙を送ります。


「何てことだ。たぶん、似たような事件がまた起きるぞ」
○○は首を降りながら恐れおののいたが。
「○○、俺たちに今出来るのは。お前の妻である稗田阿求や、俺の妻の慧音が、天狗を使ってまでもでっちあげた名声に乗っかることだ」
慧音の旦那は、どこか諦めのような悟りがあった。



八意永琳(狂言)誘拐事件 了




感想

名前:
コメント:




+ タグ編集
  • タグ:
  • 永琳
  • 八意永琳(狂言)誘拐事件シリーズ
  • 慧音
  • 阿求
  • 早苗
  • てゐ
  • 鈴仙
最終更新:2019年04月28日 21:34