俺達の妻が、天狗すらも使ってもでっち上げた名声だ。噛み締めるしかない』
慧音の旦那からは、そう言われてしまった。
……その意味はすぐに分かった。


「これは!稗田の旦那様!ほら坊や、あんたも頭を下げなさい!永遠亭の薬師を守ってくれたのだよ!?あんたも飲んでる永遠亭の薬が、どうなってたか分からなかったんだよ!?」
稗田家で使う資料やらを持ち帰る際に、そうだ阿求にお菓子でも買って帰ろうと思って大通りに向かったのだが。
「九代目様の夫様!貴方は私の母の恩人と言っても過言ではありません、母は永遠亭の薬無しでは歩くこともままならなくて……」


先程は、親子連れが。今度は青年から、それ以外にも何度も何度も何度も。
最初の方以外は、多すぎる物だから。ついに誰からお礼を言われたのかと、それを覚えることを放棄してしまって、愛想笑いを浮かべる以外はやらなくなってしまった。

思わず大通りに向かった事そのものを、後悔してしまうほどであった。
人々にもう少しばかり分別を無くすぐらいの興奮をもってしまっていたならば、○○は今頃はとっくにもみくちゃにされてしまっていたであろう。

しかし幸いにもそれはなかった。
「どうも、どうもありがとう。でも阿求が待っているから……資料もそうどけれども、帰りが遅いとすぐに心配するから」
○○の妻である阿求のお陰であろう。
阿求の事を口に出すや否や、○○を囲んでやんやと言っている者達は、急に我に帰るのである。
お陰で随分と囲まれながらも、○○は特段には困らずに大手を振って歩くことが出来るのだけれども。
そうしたら、それはそれで。永遠亭の危機を招いた悪漢に--そう、阿求と慧音が演出した--立ち向かった○○に。拝む者まで現れる始末であった。
(……俺は仏像か何かか?)
相変わらずの笑顔であるけれども、疑問と言うか違和感は膨らむばかりである。



なるほど確かに、永遠亭は幻想郷における最高水準の医療機関である。
そこに、人間よりも体が丈夫な種々の連中ですら頼っているのである。
人間ならばなおのこと、もはや依存と言っても過言ではないだろう。
永遠亭の存在によって、人里の健康衛生寿命の水準は引き上げられた。

故に、永遠亭には神仏にすら勝るとも劣らない。不思議で崇高な魅力が……
専門的な知識を得ている者達ですら、最初から永遠亭に泣きつくことすらある。
そう言った知識が無い場合は、その不思議で崇高な魅力は、高止まりこそすれども、引き下げられることは万に1つも無かった。


「ありがたや、ありがたや……」
阿求の為にお菓子を買って帰ろうと言う思いに揺るいだものは無いので、すこしばかり流行っている菓子屋の近くで。一人の老婆が一心不乱に拝んでいるのが見えた。
またかと呆れたが、よくよく見ればその老婆は違う方向に向かって一心不乱に拝んでいた。
「はい、はいはいはい……汝に幸あれ」
だが出てきた人間を見て、その老婆の行動が理解できたし。友人に対する同情心も芽生えた。
慧音の旦那であるのだから。
阿求と慧音が、持ち上げた。二人のうちの一人なのだから。
世間的には、○○の友人であるかの慧音の旦那も。
永遠亭の危機に立ち向かった英雄なのだから。


「よう」
すこし助けてやるかと考えながら○○が声をかけたら、友人はひどく皮肉な笑みを浮かべながらも。
「助かったよ、俺一人じゃ大変なんだ」
腹の底から重々しく吐露したのだけれども。
「ひえええー!?お二人ともが一辺にぃー!?」
老婆が卒倒してしまった。
友人は皮肉げな笑みが張り付いて固まってしまった。



幸いにも老婆は、少しばかり腰を抜かしただけで、泡を吹いたりもしなかったので。丁重に立ち上がらせれば--相変わらず拝んでいたが--永遠亭に担ぎ込む必要は無かった。
まぁ、無理もないだろう。年かさほどこの幻想郷では神仏に対する信仰心--慧音の旦那は依存といつか表現していた--がやたらに高い。


最高水準の医療機関に対する信頼も、年かさ達にとっては信『頼』ではなくて信『仰』なのだ。
○○はそれを、いやらしい話だけれども面白いぐらいには考えていたけれども。
慧音の旦那は、冷ややかに見ていた。


老婆の知り合いが偶然近くにいたので、助かったと思いながらその者達に笑顔を浮かべながら見送ったのだが。
○○の真横にいる慧音の旦那は、笑顔の張り付き具合がひどく。
こめかみ辺りのひくつきも、○○が彼の横にいるから嫌でも観察できた。


そして老婆が完全に見えなくなった折に。急に慧音の旦那は、スゥっと表情が消えて。
「慧音のためにお菓子でも買って帰ろうと思ったのだがなここまで巻き込まれるとは思わなかった。しばらくお前に付いていかせてもらう。その方が一人で相手するより楽になるだろうからな」
「……奇遇だな。俺も阿求にお菓子でもと思ったんだ」
お互いに妻の事を考えている事を、称賛含みで○○はつぶやいたが。
「悪たれ小僧を相手にしている方が楽だし、むしろ楽しいよ。面倒じゃない」
○○の宥めるような声にも気づかずに、自分のなかにある苛立ちをぶつくさと呟いていた。



「何を買ったんだ?」
とにかく拝まれることすら慧音の旦那はうっとうしいようで。他愛もない会話をひたすら続けて、歩く邪魔をさせないように必死であった。
ただ○○も歩くことすら間々ならないのは、確かに我慢は難しく。○○も付き合った。
「豆大福と、おこげせんべいだ」
「旨そうだな。俺が買ったのとは違うが、流行りの店だけあって見た目も良い」
慧音の旦那は更にぐいっとやって、中身を覗いてきた。


要するに周りから距離を起きたいのだ。目線さえ合わさなければ、妙な方向に発展もしにくい。
「あぁ、豆大福だったら一個だけあげれるよ。おこげせんべいは勘弁してくれ」
そのまま他愛もない話を無理矢理続けて、○○と慧音の旦那は稗田邸にまでたどり着いて。
慧音の旦那も、何となく流れで稗田邸に入っていく事になった。
あくまでも流れでそうなったので、すぐに帰るが。
また妙な信仰心に揉まれるのではと。慧音の旦那は気が気では無かった。



「ところで、帰りはどうするんだ?」
○○はもう構わないけれども、慧音の旦那はここから更に歩いて、寺子屋の方まで向かわねばならない。
「人力車でも呼ぼうかな……」
慧音の旦那が、半ば唸りながら案を呟いていたが。
周りから完全に、視界すら遮るとなると。それが最も安全な牌なのかもしれなかった。
その上、稗田家が呼んだ人力車ならば引いてくれる人足夫の素性も安心できる。


「あぁ、人力車を呼ぶのなら一緒に乗ろう」
慧音の旦那が人力車で逃げてやると決心を固めていたら。思わぬ人物から声がかかった。
この旦那の妻である、上白沢慧音であった。
「え?」
声を聞けば、この旦那も○○同様で。妻の事は深く愛しているので、声の一端だけで気づけるが。
さすがに頓狂な声を出してしまった。
まさかいるとは思わなかったのだから、仕方がない。


「やぁ……まぁ、表向きは永遠亭を助けた英雄だから。まぁしかし悪く思われているわけではないからな。献上品が来るのは若干困るが……」
「あぁ、あぁ……」
そのまま慧音は、横にいる○○の事は素通りして--仕方のないことだけれども--自分の夫にズイッと寄った。
鼻先が触れるほどの近さである。そのまま唇どうしが触れるのではないかとすら思う。
ただ○○は覗き見の趣味はないので、視線をすぐに外した。

「あぁ、阿求。お土産買ってきたよ、大通りにある、流行りのお菓子屋」
それに○○も、自分の愛妻の姿を確認した。
「あら、○○。この間私が美味しいって言ってたの、覚えていたのですね」
「もちろんだよ」
○○が優しく声を出しながら、袋の中身を愛妻の阿求に見せたら。
パリッと言う、せんべいが割れるような心地いい音が聞こえた。





「おめでとう」
少しばかり両夫妻がイチャついて、一息着いたとき。慧音が少しばかり首を、軽く横にふりながら○○に声をかけた。
言葉と体の動きが矛盾しているが。慧音の旦那は何かに気づいたようだ。
「……そうだよ。慧音が、何の用もないのに稗田邸に来るはずが無い」
慧音の旦那はうんざりとした。○○とはうまくやっているが、○○の探偵ごっこだけは呆れ返る嗜好だと考えていたから。


「そうだ、依頼人が来た。稗田邸に直接来るのは遠慮やはばかりがあったから。寺子屋にいる私を仲介役として頼んできたんだ、よくない依頼ならこちらではねてしまうから。審査してもらおうと言う魂胆もあるのだろうな」
慧音の説明に、○○はにんまりと表情が変わっていった。
何より、慧音が首をたてに降ったのならば。
    • 慧音の旦那にとっては忌々しいが--○○にとっては最高水準の暇潰しなのだ。
まことに忌々しいけれども。


「依頼の内容は」
案の定○○の声色は上ずっていた。しかし稗田阿求が笑っているので、○○の嗜好は、○○にとっては幸いにも愛妻の公認があるのだ。


「猟師兼退治屋の主が、どうにも『うつろ』らしい。何にうつつを抜かしているのか、調べてほしいんだとさ」





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  • 慧音
  • 日中うつろな男シリーズ
  • シリーズpart1
  • 完結済み
最終更新:2019年07月27日 23:20