「神は試すものではない。とはよく言ったものね○○。」
どういった意味で彼女が言ったのか記憶は定かではなかったが、僕の耳にその言葉は嫌に残っていた。電話越しの声しか知らない彼女であったが、
不思議とその言葉は僕が想像する彼女のイメージに合っている気がした。僕と彼女の不思議な関係。今までに一度も会ったことはなく、常に彼女
との会話は電話であった。電子の波が押し寄せたこの御時勢にはやや古くなった、電波を通じた声の遣り取り。常に彼女は一方的に通話をしてき
て、そしていつも別れの挨拶は彼女から。この関係を彼女に振り回されていると言えば何だか語弊があるだろう。第一、僕は彼女との遣り取りが
嫌いではないのだから。

 その日も彼女と話していて、されどもその日は歩きながら電話をしていて、偶然にビルの建ち並ぶ街並みの合間に入り込もうとした時、唐突に
ピリリとした雰囲気が電話の先から流れてくるのを僕は感じた。今までに経験したことのないような、鋭利な刃物が突きつけられるような、日常
の穏やかな雰囲気を切り捨てるような感覚。僕の心臓がドキリと鳴った。今まで話していた内容を急に打ち切り、数瞬の間か、あるいは後から思
い出してみれば数秒の間だったかもしれないのだが、その時彼女は黙り込んでいた。そして彼女は言った。いつもの彼女からすれば珍しく大声で
はないものの、芯の入った強い声で。
「○○、今どこにいるの?」
彼女の声が耳に入ると、僕は反射的に返事をしていた。
「もうちょっとで××ビルの所。」
「すぐに出なさい。」
「え?もうビルの影に入ったとこだけど…」
「すぐにそこから出なさい○○。駄目ね……。 と ま れ。」
その瞬間に僕の足が止まる。まるで地面に縫い付けられたかのように、ピタリと僕の足は制止していた。いくら僕が力を込めても、足はウンとも
スンとも動こうとしない。電話の先からなおも彼女の声が聞こえてくる。
「いい、○○。電話を切るんじゃないわよ。今からそっちに行くから。」

 その言葉を皮切りにしたように、僕が入ろうとした路地から黒い影が出てきた。日の当たらない陰より現れた明らかなる異形のモノ。それは絶
望を塗り固めていた。怨念、悪意、敵意、そして死の匂い。そういった諸々の害意を纏い、ソイツはそこに存在していた。僕の首筋から汗が流れ
る。最初に流れた一筋の汗が肩に落ちる頃には、首筋一面から、そして額からも汗が流れ出ていた。全身の皮膚が泡立つようにかき回されて神経
が縮み上がる。浅い息が口から漏れて、知らず知らずの間に小さな悲鳴となっていた。
 いつの間にか動くようになっていた足を動かし、後ろを向いて逃げだそうとしていた。恥や外聞など忘れ、唯々生存本能のままに駆け出そうと
する。動かなくなっていた神経に強引に命令を捻り込んで駆け出すが…、遅い!遅すぎる!まるでスローモーションが掛かっているかのように、
ゆっくりとしか僕の体が動かない!後ろの様子は分からなくとも、背中から強烈な感覚がこちらに近づいているのを、僕はひしひしと知覚していた。
「お待たせ。」
いつも聞いていた彼女の声がした。誰も周囲には居なかった筈なのにいつの間にか彼女は僕の隣にいた。テープを切るマラソンランナーのように
倒れ込む僕。地面に転びながらも見上げた先で、彼女は剣を握っていた。
「…緋想溢れて塵に同ぜよ。」
呪文のような言葉と共に彼女が剣を振るう。剣の先は悪霊まで届いていないにも関わらず、ソイツは消しゴムで文字を消すかの如く消滅していっ
た。一刀の元に悪霊を切り捨てた彼女が剣を収める。晴れ渡った空の元で、青い髪がサラサラと揺れていた。





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最終更新:2019年04月28日 22:25