慧音にせよ阿求にせよ、愛する夫がいるからどうにも脇にそれがちではあったが。人力車にて、依頼人の居宅へ向かうことが出来た。
依頼人も自分の役割を出納帳の整理であって、猟師ではないと謙遜していたが。
馬車なら無理だったろうけれども、人力車であるなら、また身一つであるから余計になのだろう。
少しばかり早足を維持しつつではあるけれども、人力車を引く屈強な人足夫に難なくついて行くことが出来ていた。

「この様子なら、一直線で頭領さんのお宅まで追いかけられますか?」
阿求が人力車の窓から少しばかり身を乗り出して依頼人の青年に声をかけたが。
依頼人は息をまるで切らさずに。
「ええ!思ったより私の体力も、捨てたもんじゃなかったようで、嬉しいですよ!!」
そうは言うけれども、この依頼人は猟師兼退治屋の頭領さんから指名されて脇を固めることが出来るくらいには能力があるのだから。
数字の計算だけではなく、力仕事も十分に出来る素養があると言うのは自明の理と言うものであろう。


「あっ」
阿求と○○が、甘味屋には帰りに行こうかと話をしていたら阿求が短く、外に向かって声を出した。
無論、馬車ほどではないとは言え人力車はそこそこの早足で動く。
反射的に振り向きながら、何も見えないだろうと思ったが。
「東風谷さん?」いたのだ、というよりは見えてしまったのだ。東風谷早苗の姿が。
団子を食べながら、人力車とふよふよ並走しながら着いていく、彼女の姿が。そこにはあったのである。


「勘が当たりましたよ」
団子をもぐもぐ食べながら、早苗は得意げの中にため息も混じらせながら○○に向かって言葉をかけた。
○○は早苗に返答をする前に、人力車から身を乗り出して。後ろにいる上白沢夫妻を確認した。
慧音先生は笑っていたが、旦那は口をあんぐりと開けながらこめかみを抑えていた。
厄介事が増えたとでも言いたそうに、口元も動いていた。
○○も苦しげな微笑で返答らしき姿を見せてすぐ、東風谷早苗に向かった。


「勘と言いますが東風谷さん、勘を働かすきっかけは?」
「慧音先生が男の人を連れていたから、あんなに仲むつまじい夫妻なのに他の男性と通じるはずがありません」
早苗は最後の団子を飲み込みながら、人力車と並走する依頼人の方を見た。依頼人は空中浮遊しながらら付いてくる早苗から目が離せなくなっていた。
早苗は優しい顔で会釈を見せたら、また稗田夫妻に視線を戻した。


「それに慧音先生に色目を使うバカもいないでしょう、住人からの制裁が来る前に慧音先生がはっ倒すでしょうから。となると、真面目な話をそちらの男性は持ってきたと考えるのが自然。案の定稗田邸に入りましたし……そこの依頼人さんのご職業は知ってますから。張り込んでたんです」


○○は早苗の推理を一通り聞いたあと、快活に笑った。
依頼人は稗田夫妻、上白沢夫妻、そして文字通り浮かんでいる東風谷早苗の間を視線がいったり来たりであるが。
人力車の運転者達は、やはり稗田阿求が呼んだ者は他とは違うのだろう。
目線を一切散らさずに、人力車を引くことに集中していた。
きっとこのあと、天狗なりに物を聞かれても。
何も聞いていないの一点張りで押し通してくれる。
そんな信頼感を持つには十分なほどに、前しかみていなかった。


「素晴らしい!八意先生の時も、表沙汰になる前に気付いたし、東風谷さん貴女も探偵の素質が、シャーロック・ホームズと同じ才能がありますよ!」
シャーロック・ホームズ。この人名が出てきたとき、呆れの中にも得意げな部分があった早苗の表情が。
その表情の全てが、渋いものに変わってしまった。

「あぁ、やっぱり。またなんですね!稗田阿求も何を思って、手を貸すのですか!?副業にしては趣が違いすぎる!!」



慧音の旦那は相変わらずこめかみに手を当てていたが、表情は真面目な物に変化した。
彼だって、どういうわけだか協力しているが。
根底にある部分を理解しているとは言いがたかった、まるでわからないと言っても良かった。
皮肉や嫌味のこもる表現ではあるけれども、○○のやっていることは人助けではあるけれども。
それでもやっぱり、純粋な物ではなくて。
華麗なる遊びなのである、○○が依頼人の抱える問題に立ち向かう様子は。
お礼を言われたり名声を高めることは目的とは思えなかった、問題にぶつかることそのものが目的なのだ。


まるで戦いのために戦いをするような物である。
故に慧音の旦那は、○○に対して。
もっと言えば、そんな○○の為に舞台を用意することすらをいとわない稗田阿求。
詰まるところ稗田夫妻に対する、不気味さすら感ずるのであるが。
そんな事をとつとつと考えていたら、顔付きが真面目よりも怖いに寄ったのを慧音には見えたのだろう。背中の辺りを優しくなでてくれた。


「稗田夫妻のやり方が、万人に受ける物でないことは私も分かっている。しかし阿求の立場は特別なんだ。○○は本当に……ありえない量の優しさの代償を阿求は今、まさに今、払っているんだ」
慧音の言葉は暗示に富んだものであった。

「○○は稗田阿求と何かの契約を交わしているのか?○○は何かを差し出したのか?」
「……絆が深いのだけは確かだ」
言質を取られたくないのだろう。慧音はそれ以上教えてくれなかった。
しかし、契約の存在は確かであろう。慧音が本当に隠したければずっと黙るのが一番のはずなのに。
慧音は少しだけ喋ってくれた。
「……ありがとう、慧音。特殊な事情の存在は飲み込めた」
問題はその事情の中身がまだ分からないことだが、それは今この場で分かることでは無いだろう。


東風谷早苗も難しい顔をしながら。
「○○さんをみていると、現実感が薄くて怖いんですよ。いきなりいなくならないでくださいね」
その一言を述べるだけに留まった。


頭領さんの詰所の近くで、人力車は歩みを止めた。
これは○○の提案だった。思いの外所帯が大きくなったから、周りが騒がないように、迷惑にならないようにと言う配慮と言うか。
極端に言えば騒ぎになったら○○がやりにくくなるから、と言うのが一番の理由であった。
いや、もしかしたらそれと同じぐらいに。
「阿求、寒くないか?」
○○が阿求の手を取りながら、寒がっていないかと気を使いながら。結局は膝掛けを一枚人力車から拝借して、阿求の肩にかけた。
その光景を見ている稗田夫妻が乗った人力車の運転者の頬が少し柔らかくなったように、慧音の旦那はそう感じた。

何となく自分たち上白沢夫妻の人力車の運転者を見たら。
うやうやしく頭を下げてくれた。
平身低頭ではなく、うやうやしくである、しかもわざとらしくない。
貴人へ仕えると言うことの意味を理解している人間の動きであった。
もしかしたらこの人力車、引いてくれた人間ごと稗田家の支配下にあるのかもしれなかった。


となればこの依頼は最初からずっと、稗田阿求の手のひらで転がされているような気分すらしてくる。
とりたててそれを問題にしたり、抵抗したりはする気も起きないが。
心の中での引っ掛かりは発生してしまう。
ならば手を引けば良いではないかと思われるかもしれないが、しかし慧音の旦那は難しい顔をしながら○○達。稗田夫妻についていった。

こうなるとこの旦那も、○○の事を笑えなかった。
稗田阿求は何故、○○の為に舞台を用意し続けるのだろうか。
この知的好奇心に抗えなかったのである。
仲むつまじく歩く稗田夫妻を、慧音はしかたないと言った感じで、その旦那は難しい顔で考え事をしながら着いていった。


そして東風谷早苗は……不安感を募らせるような顔であった。
「東風谷さん、貴女は何故そんなに。怯えすら見える顔を?」
「あの二人は納得ずくなのかもしれないのかもしれませんよ、でもねぇ、でもねぇ……周りがどう思うか。ずっと、本当にずっと、どこまでも一緒にいるつもりでもねぇ……」
しかし早苗は、慧音の旦那からの質問に。聞こえているのかいないのか疑問符がつく言葉を口にするのみであった。





「車道に体をさらすな、私の体を盾にしろ。家屋の方に寄って歩いてくれ」
不意に慧音が、自分の旦那の場所をぐいっと大きく入れ換えてきた。
「慧音?」
この旦那も、慧音からいきなり軽く抱き締められたり。人目さえなければ、口づけすら日に何度もあるから慣れきっていたが。
この力強い、抱擁を超えた動きには。慣れているこの旦那ですら驚いた。


「ここら辺、遊女が多いんですよ。門の向こう側程ではありませんが」
いったい何が慧音を突発的に動かしたのかと考える前に、東風谷早苗が後ろに立って説明してくれた。

あぁ、なるほど……慧音の手によって、若干は温室の花のごとく扱われているから、その手の知識にはどうにも欠けているのはこの旦那は認めざるを得ない。
それを教えてくれた東風谷早苗に、車道の方向を視線が通らせずに後ろをみて、お礼を言おうとしたが。
慣れない動きに四苦八苦しているうちに。早苗は上白沢夫妻の少し前に移動してしまった。
その更に前にいる稗田夫妻……と言うより○○は、奇妙なほどに真っ直ぐとした姿勢て、前だけを見ていた。

少しばかり稗田阿求が甘い理由を見れた気がした。
先程の寒くないかと体調を気遣った事と言い、ここまでの献身を見せられてほだされない方がどうかしていると言えよう。
だとしても舞台の用意に手を貸すのは、返礼としては大きすぎるので。そこはいまだに謎ではあるけれど。


相変わらず稗田夫妻は謎目いているなと考えていたら、耳に聞こえてくる周りの足音が、どうにも騒がしいことに気付いた。
と言うよりは、多少騒がしくしてでもこちらから遠ざかりたい、そんな風にこの足音は判断せざるを得なかった。

「さっき東風谷早苗が言っていたが、遊女が多いんだねこの通りは」
旦那は慎重に首を動かして、慧音の方だけを見たが。
慧音の視線は通りの方にあって、剣呑な物であった。それと同時に愉悦のような物も見えた。
「気にする必要はない、連中は三々五々で散っていくよ」
そりゃ、人里の最高戦力が遊郭や遊女を嫌っていりゃ。そこに関わる連中はみんな逃げてしまうよとしか思えなかったが。

「まぁ、慧音がそう言うなら大丈夫なんだろう。うん、構うことはないね」
剣呑に笑う慧音から見つめられる遊郭勢力に対する、少しばかりの同情が旦那にとってはこの話題を終える一番の理由となった。
話題の変化を期待して、旦那は少し慧音にもたれ掛かった。
正面を歩いている東風谷早苗は、そんな上白沢夫妻の様子を見て。
どうかそのままでいろと言わんばかりに、コクコクと何度も頷いていた。


理性的で案外と常識的な東風谷早苗を見ていると、若干の安堵が出てくる。
そして東風谷早苗には悪いが。
自分は慧音の事をやっぱり愛していた、だから平穏無事にするための配慮や立ち回りを、彼女に任せてしまおうと。投げ出してしまおうと。
そう考えた。



「なんで詰所に行くだけでこんなに、こんなにも……心中穏やかじゃなくなるんですかね」
猟師兼退治屋の頭領さんの住まいが見えてきた折に早苗がひとりごちるが。
それが出来るうちは案外とまだ平穏なのである。
少なくとも登場人物がこれで済むならば。
詰所の入り口--妙に派手であった--から、遊郭街の最大派閥の長が。彼が青ざめた顔で飛び出したのを見たときは、東風谷早苗と言えどもめまいがした。
幸い、○○と慧音の旦那はそれを見ていなかったが。
両夫妻の妻である阿求と慧音の会話がほんの少し、だけど確実に途絶えていた。見えたと言うことだ。


「----お大尽が宴席を開く際、宴席の一番として大物を宴席の真ん中に起きたいので、ですからよくご依頼にこら、こられる」
ここで一番かわいそうなのは依頼人の青年であろう。
遊郭の構成員ほどではなくとも、一線の存在は把握し、踏み越えないように気を配らねばならないのに。
まさかの遊郭街での一番の大物が飛び出してきたのだから。
しかもあの様子だと、ギリギリになってこちらが近付いていることを知って。慌てていたと見える。

「だったら良いんですけれど」
阿求のその一言は、別に重いものではなかった。言ったそのときは、である。

そのまま、騒動などを嫌う--ほんとに嫌っていれば、もっと慎重に動くのだが--ように裏口を通ろうとしたが。
「なんで今日に限ってお前らは……」
外の言葉で言うところの、軽いヤンキー達が何人か、ゾロゾロと裏口を通って外出するところに出くわした。

退治屋--とは、依頼人もそして、頭領も自分をそう思っていないが--を自称するだけはあり、なるほど屈強そうではあるが。
慧音の旦那は、はっきりと断言出来た。
先程、自分たちを人力車で運んでくれた者達の方が。
稗田阿求が呼んだ人手の方が、遥かに格上の職人であると、そう断言出来た。
妙に頭を下げながら外出していく、自称退治屋の猟師達よりも、ずっと格上であると。
「この依頼人と、その頭領は信じられるんだがな……最近は律しきれてないのは心配だ。玄関口も派手になってきたし」
旦那の心中を察したのか、妻である慧音は偶然かもしれないが、同調して。

「はぁ……遊郭街の方で。打ち合わせですか……結構なことで、大きなお仕事なんですね」
阿求はずっとずっと、冷淡であった。





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最終更新:2019年04月28日 22:36