日が高く昇る日中のひとときに、永遠亭の一室で一人の人間が弓を教わっていた。外界で弓道の心得もなく幻想入りして
まだ間もない外来人に術を教えるのは、月の頭脳こと八意永琳である。本来ならば初心者にとっては、弓道場のような広い
場所で教わるのが一番の正道なのであろう。しかしこの場合に限ってはそのようなことは当てはまらなかった。それは単に
永琳が先生、師匠として教えるのが上手い訳だけではなく、(伊達に妖怪兎に師匠と呼ばれている訳ではないのだ。)その
教え方が少々独特のものであるためであった。
「ほら、もっと力を抜いて。」
「は、はい…。」
○○の体に密着するようにして、文字通り手取り足取りしながら教える永琳。こうも体が接触していては、いくら教えを受
ける方としてもやりにくいであろう。ともすれば、術の方よりも永琳の体が○○に触れる柔らかさに気を取られ、○○の気
はそぞろになりがちであった。しかし流石は天才。○○の浮ついた心すらも想定の内だと言わんばかりに、未熟な技を直し
てゆく。一挙手一投足を正しい型をに嵌めていくという地道ではあるが王道な方法ではなく、初心者にありがちなよく言え
ば独創的な、悪くいえば軸が定まっていない(どちらが真実に近いかは、実際に確かめてみるのが一番であろう。果たして
ずぶの素人による常識に囚われない発想でどこまで可能かを…。勿論、結果は見えているのであるが。)乱れを最小限の修
正で最適なものに直していた。

「そう、…そのまま前に飛ばして。」
「はい…。」
○○が構えた矢を放つと、ポトリと矢が落ちる。いくら素人とはいえ、指導を受けて少しは経つのであれば、矢は的には当
たらずとも、少しは、いや、最低でも前には飛ぶであろう。しかし○○の番えた矢はその場で地面に向けて自由落下をして
いた。例えレオナルド・ダビンチが幻想入りしなくとも、聞いただけでは不可解な現象は一目見るだけで解明されるであろ
う。なにせ-
○○の持っている弓には、弦など全くもって張られてなどいないのだから。
「駄目ですね…。」
何度目かの失敗に言葉を漏らす○○。一方の永琳は○○が持っていた弓を取り、端から端に弦を張るかのように指を一文字
に動かしてゆく。張り終えた弦の弾力を確かめるかのように、二度ほど指で見えない弦を弾き、おもむろに弓を引き絞り、
的に向けて矢を放った。一直線に的に吸い込まれて行く矢。小気味よい音を立てて、矢は中心を貫いていた。お手本のよう
な射撃を見て思わず感嘆の声を出す○○。永琳が○○に再び矢を番えるように言った。
「もう一度、こうやってみて。」
「……!」
後ろから抱き抱えられるようにして永琳に指導され、○○の体が固まる。永琳の豊かな胸が押しつけられる格好になり、鼓
動が速くなる気がした。○○の様子にはお構い無しに永琳は体の動かし方を教えていく。
「こうやって気を両端から通して…。」
○○の持つ弓に透き通った力が加わり、両手の間を何か見えない物が通っていく感覚がした。部屋の空気が研ぎ澄まされ、
○○は永琳の熱を体中で感じた。
「ゆっくりと引いて。」
永琳が話すと○○の後ろから吐息が当たった。見えない弦に引かれて、練習用に作られた小型の弓が撓んでいくと共に、周
囲の空間が曲がっていく様な錯覚を○○は感じていく。
「放して。」
衝撃と共に弓が放たれ矢が飛んでいった。真っ直ぐに空気を切り裂いた矢は、先程刺さった矢の隣に並んで刺さっている。
永琳に後ろから密着して教えられたせいか、○○は全身に軽い酩酊感を感じた。
「師匠、診療の時間です。」
「そう…。今行くわ。また後でね、○○。」
鈴仙が午後の診療のために永琳を呼びに来たので、○○の練習は此処までとなった。どこにでも有るような弓を永琳が袋に
収め、何故か丁寧に紐で口を括る。そして鈴仙と共に診療室の方へ向かっていくと、入れ替わりに輝夜が部屋に入ってきた。

「ふうん…。」
部屋に足を踏み入れるなり、中をグルリと一瞥する輝夜。面白いものを見つけたかのように、彼女の口が少し綻んだ。
「いかがしましたか?」
意味ありげな態度をする輝夜に尋ねる○○。
「永琳があなたに弓を教えているのは知っていたけれど、まさか弦を張らない方法を教えていたなんて…ね。」
「珍しいのですか?」
「ええ、とっても。外界の種子島は筒に付いている引き金を引くだけで何発も鉛玉を打ち出すから、弓なんて余り使わない
でしょうけれど、これはそもそもスペルカードで弾幕を撃つのと同じ要領よ。丁度、そう、こんな感じね…。」
手の平で小さな弾幕を創り出す輝夜。キラキラと輝くそれは手の平から宝石が零れるように弾幕は溢れ出す。零れた玉は畳
に落ちずに空中に浮かび、輝夜の周りをグルグルと回り出して渦を作った。まぶしい光が部屋を照らし○○は思わず手の平
で目を覆う。手の平の隙間から僅かに見える光景の中で、光の竜が○○に向かって口を開いているのが見えた。
 突然光が消える。○○が手の平を顔から外し目を瞬かせると、輝夜が部屋の中で仰向けになって倒れていた。黒い髪が畳
の上に流れるようにして散らばっている。胸を押さえながらムクリと起き上がる輝夜。口から一筋の赤い唾液が流れていた。
「全く、どれ位ぶりかしら。」
口を拭う輝夜。その口振りはどこか面白そうにみえた。
「大丈夫ですか、輝夜さん…。」
「ああ、大丈夫。これ程やられたのは、月以来の随分と久しぶりだったから。」
「ご病気なら先生を呼んで来ましょうか?」
○○の言葉を聞いた輝夜の目が真ん丸に開かれた。
「ぷっ、はははっ。よりによって永琳を呼ぶだなんて…。あなた何も感じなかったの?」
「すみません…何も…。」
「やれやれ、天才の力を持ってしても道は未だ遠しってね。まあいいんじゃない、時間は無限にあるんだし。…或いは、弱
い方がかえって良いのかもしれないし。」
○○には分からない言葉を残して、輝夜は部屋から出て行った。

 一人部屋に残された○○が練習の片付けをした後で部屋を出ると、廊下でてゐを見かけた。○○の姿を見ると、いそいそと
歩み寄ってくるてゐ。てゐは○○と並んで歩きながら質問をした。
「一体何があったの?随分派手にやってたけれど。」
「いや…先生に弓を教えて貰った後で、姫様が部屋に入ってきたら弾幕を見せられて、気が付いたら姫様が畳の上で倒れて
た。」
「ふーん。ちょっと失礼。」
○○の胸元でちょこまかと手を動かして風を起こすてゐ。兎の妖怪らしく鼻を動かしてすんすんと匂いを嗅いでいた。
「成程、成程、大分しっかりと匂いがするね。やっぱりだ。離れてて正解だね。」
「何か分かったのか?」
「ああ、大分…、いや、殆ど分かったよ。後はいつそうなるか、ってことぐらいさ。」
「こっちは全然分からないんだ。」
「いや、分からない方がいいこともあるのさ…。特に姫様と永琳の間はね。精々、永琳の修行を真面目に受けておくのがい
いってことぐらいしか、私には言えないよ。」
「それ、姫様も珍しいって言ってたな、そういえば…。」
「本当に珍しいよ。何せ地上に降りてからは教えてない筈だからね。」
「うん、何年前?」
「さあ?ざっとせん…。いやいや、止めた止めた。命は大切にするもんだ。私から言えるのは、さっきのは永琳が姫様の放っ
た弾幕を、全て打ち落としたってことだけさ。」
「えっ…あんなに沢山あった弾を?それに先生は部屋に居なかったのに?」
「勿論だよ。むしろ姫様相手だがら、永琳はあれでも遠慮したのさ。まさに天才のなせる神技ってね。じゃ。」
○○から離れたてゐが振り返る。口に手を当てながら思案顔であった、
「あー、あとさ、匂いが残っているから暫く人前には出ない方が良いよ。私とか鈴仙なら大丈夫だけどさ、気を混ぜるなんて
永琳と○○が「そういう」関係だと言っているようなものだからね。」
未だ掛けられた言葉を飲み込めない○○を置いて、てゐは廊下を去っていった。




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最終更新:2019年05月04日 22:59