初夏となったために辺りがまだほの明るい中、竹林の案内役である蓬莱人が営む居酒屋に二人の男が座っていた。夜の本番というには随分と早い時間帯のためか、
小さな屋台の中で座っているのは二人だけだった。
「店主さん、ビール二つとお勧めをぼちぼち頼むよ。いやあ、ここの焼き鳥は中々のもんだからねえ。」
一人の男の方が注文を告げる。幻想郷では未だ珍しいビールを頼んだのは、季節外れの暑さがやってきた日には外来人の男にとって日本酒よりも、
こっちの方が好きだろうと考えたためだった。そつなく店主との馴染みを先手を取る形でアピールした男は、そのまま相手を値踏みするかのように横目でちらりと見た。
外来人に多い、日焼けしていない顔。袖から伸びたこちらも白い腕から見えたのはやや古びているが、時を正確に刻む腕時計。時間を気にしないと言っては語弊があるが、
外界の社会とは比べ物にならない程おおざっぱな時間感覚しかないこの世界にあって、時計を腕に付けている人物は少数派であった。時計を身につけてかつそれを手入れしているのは、
何か目的がある人物か、或いは好き者や歌舞伎者の類いである。外に出てない-むしろ白い程の肌色からすれば、目の前の人物は恐らくは人里で店に雇われている番頭格辺りではないか
と男には思われた。中々どうして十分だ。叩き上げの商人ならば世間に慣れもしているし、しかも弁も立つ。しかし頭を買われて店に入った外来人は生憎そうはいかない。
いくら外の世界で生きていたとしても、幻想郷にはこちらのルールが見えない形で存在しているものだ。つらつらと男は考える。
偶然の出会いにかこつけてここまで引っ張って来た獲物は、そうそうお目に掛かれない上等の鴨に見えた。
-どう料理をしようか-目の前の人物と会話をそつなく交わしながら、男は頭を捻る。単純に美人局をするには手駒が欠けていたし、然りとて単純な脅迫といったものでは、
その場は金を引っ張れども次が続かない。最上級の餌とは、即ち何回でもお替りができること。目の前の外来人の骨すらしゃぶりつくすにはどうするべきか。
相手に度数の強い日本酒を注ぎつつ、男はぐるりと頭を回した。これだけの上玉ならば成功率が高くないといけない。逃した獲物は大きいし、第一に無闇に後を引く。
暫く考えていた男であったが、やはり最初に考えた通りに種を播くこととした。予め罠を張っておき、芽が出て実をつけた所で何度も刈り取る。
今までの仕事よりも随分に気の長い話しであったが、それだけに気が付いた時には身動きが取れなくなっている。これまでの経験からすれば、
恐らく数ヶ月以内には自分の手元に大金が転がり込んで来て、嬉しいことに今回はそれが何度も続く。鶏は生かさず殺さず飼い殺していけば壊れるまでは金の卵を産むであろうし、
その内に壊れてしまったとしてもそれはそれで需要は有る。無論、ひどく胸の悪い話しではあるのだが。
「実は○○さんに耳寄りな話しがあってね。」
「と、言いますと?」
「実はこちとら、八雲の方々にはよくお世話になっててね。その関係で珍しい物を扱っているんだよ。」
「ああ、そうなんですか。」
幻想郷の管理者である八雲の名前を出したのに、意外にも相手の反応は淡泊なものであった。権威にひれ伏す普通の村人ならばここでのビックネームの登場に大いに動揺するのだが、
人里に閉じこもって妖怪から目を背けている外来人には、少々効果が薄かったかと男は考えた。
「~~~なんだよ。」
「それなら~~~。これはどうでしょうか?」
「おう、そりゃあ良かった。こりゃあ○○さんに力を貸してもらって正解だったな。そら、前祝いだ。」
男は無事に種を播き終えたことに心の中で歓声を上げ、目の前の獲物と乾杯をした。ここまでくれば一つ大きなヤマを超えた事になる。
あとはズルズルと計画に○○を引きずり込んでしまうだけであり、その商売で失敗があれば○○に擦り付ければ良い。大して後ろ盾の無い外来人などはひとたび頭の固い天狗が団扇で風を起こせば、
あっさりと吹き飛んでしまう存在だ。トカゲの尻尾を切る類いの目眩ましには最適の選択である。
「ああ、ちょっと失礼。携帯が。」
「どうぞ。」
人里の人間が持っていない携帯を理由に席を立つ○○を見送り、再び男は考えた。計画に感づかれたか?いや、相手の振る舞いはこちらの悪意を知る態度ではなかった。
これでもスレスレの所で稼いできた感覚はある。もしもこちらの真意を疑っているのであれば、最初からもっと警戒しているだろう。ならば一人では決められず誰かと相談をしているのか、
あるいは只の偶然なのか…。男が何本もシナリオの想定をしている内に、席を立った○○が戻って来た。
「そういえば、**さんのお名前をウチの者が知っていませんでした、ええと…どういったご関係で?」
予想通りに男の話しを疑っているようであった。妖怪の居ない世界から来たせいか、外来人はどうにも妖怪についてだけは簡単には信じようとしない。○○が持っていたのは携帯であった。
携帯なんていうハイカラを持っているのは、里のかなり大きめの商店か、もしくは河童であろう。河城とかいう河童が作ったスマートフォンが最近ここでも出回りだしていた。
最悪霧雨か河童が相手。霧雨家の要注意人物は別の奴を追っかけている以上、警戒するのは河童のみ。河童程度ならば商売の話しをしていると言って押し切れるので、
男は計画通りに事を進めることとした。○○に向けて男は鋭い反撃の言葉を返す。
「いやいや、それをこちらから言えば○○さんに迷惑がかかりますからねえ…。」
「言って頂いて結構ですよ。」
-クソ野郎!-思わず男は心の中で○○を罵倒した。相手が八雲の名前を聞いても引かない以上、こうなれば徹底的に争う必要がある。懐の中を探り最後の切り札を探る。
相手の男が外来人なので村人相手に使う予定の、彫刻が入った外界製のスマートフォンを出す訳にはいかず、男は○○に向かい合うようにしてもう一つの切り札の筆の方を出した。
「ほら、これだよ。こりゃあ○○さん、大失態だぞ。」
筆に刻まれた複雑な紋様をチラリと見せるように出し、相手がこちらを見るなりとすぐに引っ込めた。堂々とした口調のままで獲物を逃してなるものかと、
男は相手の言葉尻を捕らえて、必死に喉笛に食いついていこうとする。
「あら、どういう意味かしら…ね。」
澄んだ声が店内に響いた瞬間に、辺りの空気が変わった。火を使っている焼き鳥屋の筈なのに、あたかも冷凍庫にいるかのように冷たい風が男の周りに漂いギリギリと肺を締め付けていく。
そのまま冷気が血管を通して全身を犯していき、流行風邪を引いた時以上の悪寒が男の体に走った。○○の直ぐ後ろから突然人が現れた。
桜色の和服を着た、この世のものとは思えない程の美貌の女性が。女性は足音も立てずに男の方に迫っていく。一歩、また一歩と、男の本能が死が近づいて来ることに悲鳴を上げ、
恥も外聞もなく逃げだそうとするが足はガクガクと震えるばかりで、椅子に座ったままの腰が凍り付いたかの如く動かない。
「あ、いや、この、それは…。」
「どういう意味かしらね、
幽々子。」
男の後ろからも突然に女性が現れた。黒い空間から半身だけを出しているドレスを着た女性が、口元を扇子で隠しながら男のすぐ背後に浮かんでいた。
空いた手が男の体から何かを抜き出していく。さっき男が○○に見せつけた筆が、着物を貫通するかのように再び引き出されていた。男が堪らず胸を押さえる。
証拠を出してなるものかと、必死に心臓を押さえるように筆を押さえつけるが、その手をなんの抵抗もなく女性の白い手がすり抜けていく。
「ひゅ、ひゅう、ば、化け物…。」
心臓が、あるいは人間を形作る魂その物が引き抜かれた錯覚を覚えた男が、呻くように漏らす。断末魔の息は誰にも聞き届けられずに虚空に消え去っていった。
「あらこの筆、割りと良く出来ているけれど、只の人間が作った物じゃない。やーね。」
女性が筆を摘まみ、ジロジロと男の吐いた嘘を確かめるように見ていたが、やがて興味が無くなったのか空中へ放り投げた。黒色の空間に筆が音も無く吸い込まれていく。
筆と同じ様にあの空間に自分の体が吸い込まれていく錯覚が、男の全身に走り皮膚が波打つように泡だった。逃げなければいけないのに、体が動かない。走馬燈が過ぎり絶望が脳裏に走る。
言葉にならない声が口から漏れ、理性を失った涎が止めようもなくダラダラと垂れてきていた。
「さて、勝手に人の名前を騙る悪い子には、お仕置きしないといけないわね。」
男の顔が歪む。死刑宣告かあるいはもっと悪いことか、この手の妖怪にとっては一時の苦痛しか与えられない死は、ある種まだ生温いということを男は知っていた。
只の外来人がどうしてこんな事になるのか。一寸の虫にも五分の魂とせめて視線に恨みを込めようと、一分の遣り返しをしようと○○の方を見ようとする。
和服の女の後ろに外来人がすっぽりと隠れており、そして女の背後にいる○○を隠すかのように、光る蝶が視界を埋め尽くさんばかりに殺到した。
蝶が薄れていくと同時に、まるで神隠しのように男の姿も消え去った。
「さて、それじゃあね、幽々子。」
「ええ、またね、紫。それじゃあ、お愛想下さいな。」
「毎度。お愛想なしですまないね。」
ドレスの女性が黒い空間に姿を隠すと、和服の女性も○○の腕を引いて店を出ていった。日はすっかり落ち、辺りには暗闇が広がっていた。
感想
最終更新:2019年06月17日 20:41