輝夜に命じられてから暫く経ったある日の夜、○○は永琳の自室にいた。永遠亭で医者として働いている永琳はいつも口数が少なく冷静沈着という文字を纏っているようであったが、
それは寝床であっても同じだった。これが、普段周囲の目がある場所では才媛の女性が、親しい人しかいない私生活では気の抜けた所を見せるというような、
全く違った面を○○に見せているというのであれば、輝夜に言われたように他人行儀が無くなるものであろうが、これではいくら共に寝たといえども○○にしてみれば、
お互いの距離が近づいた気がしておらず未だに彼女に対しては気後れする部分があった。
 ○○の隣で眠ろうとしている永琳。普通の恋人同士であるならば甘い会話でも交わしている最中であろうが、それすらないとあっては彼女が本当に自分を好いているかが疑わしく思えてきた。
気だるさと眠気が混じった空気の中で○○が尋ねる。
「八意さん。」
「…永琳と呼んで。」
「永琳さん。」
「さんは要らないと言ったでしょう?」
「永琳。」
「何?手早く言ってね。早く寝ないとあなた、朝起きれないでしょう?」
「こんな事本当はしたくないんだったら、俺から姫様に言いましょうか。いや、していてこういう事言うのもあれだけれどさ…。何だか永琳が本当は嫌じゃないかって思って。」
タップリ数秒間程、時間が止まった。見る間に端正な顔が歪んでいく。驚きか或いは嫌悪か。願わくば前者であって欲しいと○○は願った。
「……あなた、馬鹿かしら。いいえ馬鹿ね。きっとどうしようもない程なのね。」
「…すみません。」
「ここまでさせてるのにそんなこと言うの。有り得ない事考えてる暇があったら、さっさと寝なさい。」
○○は背中を向けた永琳に返す言葉が無かった。

 次の日○○は一日掛かりで薬局の倉庫を掃除するように永琳に言われた。普段○○は永琳の側で、彼女が患者を診察するのを横で見ている。
これが優曇華ならば助手として育成しているのであるが○○は殆ど何もしていなかった。
患者に包帯を巻いたり消毒をするといった簡単な処置ならば、看護師の因幡が大抵はやってしまう。結局のところ○○に出来ることは、電子化されたカルテを呼び出すか休憩時間にお茶を出す程度であった。
それが今日は、日が暮れるまで永遠亭の奥まった倉庫にいるように永琳から言われていた。まるで外の世界で行われていたリストラ対象者のような扱いに不安になる○○であったが、
それでも湧き上がってくる雑念を振り払いつつ掃除をしていた。
しかも何故だか○○の隣には常に鈴仙とてゐが両方ともいた。これがどちらか一方と、普段このような雑用をしている因幡の組み合わせであれば、優曇華かてゐが適当に因幡を言いくるめて手を抜いていたのだろうが、
それすらも出来ずに三人は黙々と掃除をこなしていた。
 夕方になり東の空に月が昇り始めた頃、輝夜から自室に呼ばれていた○○は部屋に向かっていた。一日中働いていたため疲れており、食事もまだであったため酷く空腹であった。この時間に輝夜の部屋に呼ばれた場合、
いつもならば輝夜の夕食に相伴できるため○○はそれを楽しみに歩みを進めていた。
しかし部屋に入ると○○の予想に反して皿は無く、それどころか普段は色々置いている輝夜の私物が、他の部屋に移したのだろうかすっかりと無くなっていた。輝夜に促されて座る○○。
自分の前の座布団に座らせた○○に輝夜が問いかけた。
「永琳と上手くいっていないの?」
「いえ、そういう訳ではないのですが…。」
「そう。永琳はそう思っていないみたいよ。」
輝夜が○○と永琳との仲を切り出した。輝夜自身が勧めただけに気にするのはある意味当然だと○○は思う。いっそこの場で言ってしまうべきか、○○は考える。
いつもならば気後れして到底言えないことであったが、疲労と空腹で短慮となっていた○○は自分の考えをそのまま輝夜に言った。
「そうですか…。姫様、永琳さんはきっと自分と夜を過ごすのが嫌なんじゃないでしょうか。姫様が言われたので反対することも心苦しくて、きっと無理をして私に付き合っているんだと思います。」
「あら、それはないわ。」
断言をする輝夜。打てば響くといった具合に、或いは快刀乱麻といった様で。それは自信というレベルの話では無い、もはや自明の事を、科学者が理論方程式を生徒に教えるが如く答える。
地球の周りを太陽が回っているのではなく、太陽の周りを地球が回っているのだと。
「だって永琳が自分から、あなたと寝たいと言い出したんだもの。」
「えっ…。そんな、信じられません。」
「まあ永琳が無愛想なのは昔からだしね。丁度使者を騙し討ちにしてからだから…ざっと千年ちょっと前かしら。それ以来ずっとああだから、あれでもあなたに好意を持っているのよ。
信じられないかもしれないけれど。大体女として二番目に大事なことをしてあげているというのに、それでも不満なの?」
「いえ!そんなことは…。」
○○の心の内を読み取ったかのように輝夜は言う。
「顔に出ているわ○○。男の人はやっぱり気になるわよね。因みに一番目は…。」
輝夜が○○の耳元に口を寄せ小声で言った。○○の手をとり自分の腰に誘い導く。輝夜の焚く香の匂いと艶やかな絹の感触に○○の喉が大きく動いた。
「ねえ、そうしたい?永琳と私を二人ともそうさせたい?」
「はい…。」
「蓬莱人になっても?」
「姫様のお気に召すままに…。」
「ふふっ。」
輝夜が小さく笑う。千年前に貴族を惑わせた美しさは満月の今宵も人を狂わせる。月にも似た、静かなる熱狂。輝夜が向こう側に声を掛けた。
「永琳、薬を出して。」
途端に襖が開き、横の部屋に控えていた永琳が静々と入ってきた。二人の遣り取りを子細に聞きつつ、それでも今まで物音一つ立てずに隣の部屋に隠れていたのだろうか。
天才にとってそれは朝飯前という程度のものなのだろう-生憎、夕食前であったが。
「これを飲んで。○○。」
永琳が出した茶碗には、抹茶のような濃い緑色の茶が点てられていた。
「これは-。」
言い淀む○○。これが何であるかは容易に予想できたが、それを言ってしまえば何かが終わる気がした。今の環境を崩すとてつもなく重要な何かが。
「蓬莱の薬を改良したものよ。」
永琳が○○に言う。もはや賽は投げられた。引き返す選択肢はそこには無かった。




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最終更新:2019年06月17日 20:53