物がない部屋がこんなにも広く感じるとは思わなかった
ベランダの戸を開けると、夏の装いを始めた風が吹き抜けていく

「いかがでしょうこのお部屋は。一人暮らしにはうってつけの広さかと…しかしですね、あの、なんですか…うーん…お嬢様には…もっと似合うお部屋があるのではないかと…」

窓から遠く見える高級マンション、以前はそこに住んでいた。
私の顔色をうかがう不動産屋のバツの悪そうな顔を眺めながらゆっくりと口を開く

「正直、エレベーター乗り降りするの好きじゃなかったんです。それに学校からちょっと遠かったし」

広すぎたのだ、学生一人暮らすには。
それにあんなセキュリティのかかったマンションに入れられることには最初から反対だった。まるで閉じ込めておくみたいな父の傲慢さが息苦しくてしかなかった
嘘じゃない
本音と建前は一致していた。
私はあの部屋から解放されたかったし、ならば次の帰る場所を選べるならばここしかないと思った。ううん、ここがいい。

「ですがその、もっとよいお部屋を用意できますよハーン様。管理しているウチがいうのもなんですがここはいささか…」

あれだけ嫌っている父の権力を使ってこの部屋の契約を取ろうとする私に困惑している。無理もない私をこんなアパートに住まわせたと父に知れたらなにがあるかわからないからだ

「そちらとしても都合がいいのではないですか?」
「その、なんと申したらよいか。確かにこのようなアパートの部屋を埋めていただけるの助かりますが」
「告知義務というものがあるのでしょう?」

額の汗を拭うハンカチが止まらない、焦りがシャツの襟に侵していくのがよく見える
宅地建物取引業法により、不動産の瑕疵内容については、必ず説明を行う告知義務がある。
簡単に言うなら、例えば、例えば━━

「ご、ご存じなのですか…」
「トモダチだったんです」
「しっ」

「知っていてこのお部屋に入ろうというのですか!?ご学友が亡くなられたこの部屋に!?」


『こういうこと』だ。
先日私のトモダチが亡くなった。
ここはそのトモダチ…彼が住んでいた部屋だった
『そういう部屋』だった

「ハーン様!あたなのために無礼を承知で申し上げます!『正気の沙汰』ではありませんよ!!どうか考え直しください!」

不動産屋の言うことはもっともだった。
トモダチが亡くなった部屋になど住めるわけがないし知らなくても住まわせるようなことをできるわけもない
トモダチを亡くしたショックで心が弱っている悲しみの勢いに過ぎない慰めだと思われている
ここに他の誰かが住むのを嫌がる所謂ある種の弔いのようなものだと思われている
間違いではない、間違いではないのだけれど

「いいんです、ありがとうございますそこまで言ってくださって。でも、もう決めたことなんです」
「しかしっ…!」
「父に讒言を吹き込んでも構わないんですよ」

不動産屋は息を飲んだ。口元を震わせて奥歯をぎゅっと噛み締める
私がやろうと思えば他愛もない作り話を父に信じこませることができるし、父がその結果どんなことをする人間なのかもわかっている
こんな汚い手を使ってそのトモダチの部屋に住もうとしてる。
なぜそんなことをするのか
自分の心の隙間を埋める為?
トモダチを忘れない為?
嘘じゃない、それは本当。
本当だけど

亡くなったトモダチの部屋に住めることに悦びを感じているのも理由だと言ったら

世の中には吐き出してはならぬ言葉がある
それは人を冒す病の言葉





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最終更新:2019年06月17日 21:30