それはそれは遠い昔のこと、一人の美しい神がいた。
一つの土地を侵略し、そこの信仰を得るたびに彼女の美しさはさらに増していき、その姿はまさに人の理解を超えた『神』の域。
中でもくるぶしまで届かんばかりの艶やかな髪、それが彼女の一番の自慢だった。
ある時、彼女は土着の神である
諏訪子を打ち破ることになる。
少々手こずりはしたものの所詮は格下、彼女の敵ではなかった。
諏訪子の名を貶め、自らを蛙を喰らう蛇として絶対的な優位を喧伝し、いつもなら人間たちはすぐに彼女に平服するはずだった。
しかし、今回は場合が違った。人々はミシャクジへの信仰を忘れられず、彼女を信仰しようとはしなかったのだ。
でもまあそれは瑣末なことだった。
人間などいくらでもいるのだし、この地を支配することに飽いたら他を探せばいい。
彼女はそんな風に考えていた。
そうして気ままに過ごしていたある日、ミシャクジの信仰者が反乱を起こした。
やや退屈していた所に舞い込んだ格好の余興、程度に考えていた彼女の予想は大きく裏切られた。
諏訪子の加護を一身に受け、人間を超えた力を振るう一人の男。
慢心していた彼女は負けることこそなかったものの、その髪を切り落とされてしまったのだ。
敗れて地に這いつくばる男を目の前にし、彼女の中は激情で満たされていた。
――許せない許せない許せない許せない、とても気に入っていたのに!
人間など、いや自分以外の存在は全て塵芥ほどにしか思っていなかった彼女が初めて抱く強い感情。
来る日も来る日も、あの男のことだけが頭を占める。
――どうしてくれようかあの男……確か名前を○○とかいったか、今の所は牢に幽閉してあるがそのまま生涯を過ごさせただけでは物足りない、
一族郎党皆殺しにしたのでも収まらない、それ諏訪子のこともある。はじめからあいつさえいなければ自慢の髪を失うこともなかったのだ。
さてさてどうしてくれようか。
そうして彼女は何年も悩み抜いた。
――そうだ、いいことを思いついた。
彼女は、その男と諏訪子との間に無理矢理に子を成させた。
生まれた赤子の傍で八つ裂きにされた男、その返り血にまみれて呆然とする諏訪子を眺めながら、彼女はほくそ笑んでいた。
この赤子を自分の下僕として育て上げるのだ。
その子供も、そのまた子供も。
生意気にも自分に逆らった諏訪子とあの男の子孫は、未来永劫に自分の奴隷として生き続けていくのだ
さあ、これから忙しくなる。この子が仕えるべき神社を、信仰を、神の姿を整えていかなければならないのだから……
「なんというか、私も若かったというか……あの男に執着して暴走して、みっともないったらありゃしない。
……しかし今思えばあれほど強く他人を想ったことなどなかったし、案外惚れてたのかもね」
「ねえ○○どこー? 隠れてないででてきてよー。ふふ、ふふふふ……」
「あーあ、諏訪子も定期的におかしくなるしさ、また寝かしつけるのに一苦労だよ」
神奈子は自らの短く揃えられた髪に触れる。
自らの美しさに我を忘れ、悪神となり果てるくらいならば短い髪も悪くない、今の自分には守るべき者たちがいるのだから。
そんなことを考えながら神奈子はゆっくりとその重い腰を上げるのであった。
最終更新:2010年08月27日 11:41