「……」
前日に稗田の息のかかった者達を、よりにもよって遊郭に。確かに別の思惑から調査任務を任せたが。
よりにもよって、遊郭に稗田の人間を赴かせたことから。
遊郭の最高権力者である忘八達のお頭が、もんどりうちながら何か不味い事をしでかしたのではないかと。
従者と共に、記録を繰りながら徹夜で確認作業をしたり。
鬼人正邪は鬼人正邪で、自分が忘八達のお頭の不味い部分を刺激してしまったと。
そう断言できた以上、後ろから従者が恨み言を言うのも全て無視して逃げた。

そんな、遊郭街の裏側で起こった一筋の騒動など露知らずに。
「なんでこう……悪い予感程、簡単に的中してしまえるのだろうか」
○○は稗田邸にて、昨日に調査を頼んだ者達からの報告書を読み進めていた。
○○の様子はまだまだ、あくまでも厄介そうな部分に目を見張らなければならない程度の物だったが。
依頼人が、今回に限っては稗田家の奉公人という事で。
……その上どうやら、依頼人が大層心配している息子が。
悪い友達どころか、鬼人正邪と何事かのつながりがあるとまで来ている。
昨日は、鬼人正邪が倒れていた場所に。依頼人が助けてほしいと言っている、件の依頼人の息子が倒れていた物だから。
少しは面白がってしまったが……

「まさか打率五割を超えるとは……よりにもよって三人が、あの鬼人正邪をたらし込もうとしているだと?」
報告書を全部読んだ後に出てきたのは、その三人に対する妙な同情心であった。
きっと知っていたら、近づくことはおろか見ようともしなかったはずなのに。
だと言うのに、この三人は鬼人正邪を……引手茶屋での自称は正ちゃんと言うらしいが。
変なところで本名と似通った偽名を使っているのには、面白みを感じる事も出来なくはないが。
しかしそこに、素直な意味での面白さや笑みは出てこなかった。
笑みも、若干引きつったような笑みにしかならなかった。正体を隠していれば、中々にモテてしまえる事も含めて。

「きっと、蠱惑的なのだろうな……人外以前に、鬼人正邪も一線の向こう側なのだから。気付いていなければ、蠱惑で済むのだろうか」
報告書をもう一度、ざっくばらんに眺めながら○○は独り言をいくつか呟いた。
また鬼人正邪の場合は、引手茶屋で使っている名前も自称だから。
正体に関する部分を、絶妙な塩梅で見せていないのだ。
……であるならば、この三人に関しても情状酌量の余地は出てくる。
問題は依頼人から任された、息子の調査及び悪い友達からの救出だ。


……依頼人はまだ何も知らないから――それにどう話せば良いか分からない――悪い友達がまさか、鬼人正邪だとは知らない。
けれども依頼人の息子は、鬼人正邪だと知りながら動いている。
その上、昨日の様子から見るに。倒れている自分の上に掛けられていた着物を鬼人正邪の物だと、完全に分かっていた。
それでいて、妙な優しさに対して。馬鹿にされたとも思わずに、ギュッと大事そうに握りしめながら、鬼人正邪の名前を叫んで探し回り。
最終的には、鬼人正邪の物であろう着物の匂いを嗅ぎながら、さめざめと立ち去って行った。
……あの着物はまだ彼が持っているのだろうか。いや、持っていなくとも丁重に扱った事は確実だ。

で、あるならば。それを突きつけてやれれば『解決だけ』ならば、それが一番の近道なのかもしれない。
依頼人は稗田の奉公人だから、息子さんの部屋を調べたいと言えば。
向こうから、絶対に邪魔の入らない時間を教えてくれるであろう。そこで鬼人正邪の着物を見つける事が出来れば。
出来なくとも、女物の衣服を洗濯した証拠や痕跡だけでも見つかれば。
そこからあの息子のやっている事を、全部把握して隠し事を突き崩せるはずだ。
それに、多分持っているだろう。
女物の衣服と言うのは、特に着物は。浴衣程度の軽さであっても、結構神経を使ってあらわねばならないから。

しかしその最速のやり方。
果たしてそれが、あの母親と息子の為になるのであろうか。そう言う問いが生まれてくる。


『鬼人正邪相手だと言うのに、最速の解決が何故悪い』
眼を閉じて、最速がはたして最善なのだろうかと言う問いかけを自分自身にやっていたら。
幻聴とは違うが、不意にそんな言葉を投げかけてくれそうな人物が、脳裏に思い起こされた。
上白沢慧音の旦那である。
思えばあの男も、妻である上白沢慧音以外の女性は全て。
稗田阿求、東風谷早苗などと。姓名を両方ともつけた、正式名称で呼んでいる。下の名前で呼ぶのは、妻である上白沢慧音だけだ。
あの男も、意識しているかどうかはともかく。一線の向こう側の存在を妻にしている事を、しっかりと分かっているようであった。

……いや、それは○○自身もそうであるどころか。あるいはもっと酷いとすらいうべきなのかもしれない。
○○は自分でも分かっていた。自分の方が、阿求の都合に合わせすぎていると。阿求も気付いていて、気にしている。
だからこそ、阿求は少しでも自分が○○の都合に合わせられるように。
○○が大好きなシャーロック・ホームズじみた、探偵ごっこの為の舞台を用意してくれている。


眼を開けて、○○は横合いにいる自らの妻である阿求の方向を見た。
普段は阿求も、執務室を持っているから。
同じく○○も○○専用の執務室があるので、日中の作業はお互いの部屋で行っているのであるが。
ときたま――昨日のように不意に帰りが遅くなったりしたら――日中も同じ空間にいたがるのである。
最も、それを拒否する理由や都合など、○○の側には存在していないから。
むしろ嬉しいぐらいなのであるけれども。


「あら、○○。どうしました?何か、考え事がまとまったのですか?」
眼を開けた○○に見つめられていることに気づいた阿求は、優しく微笑みながら自らの夫に近寄った。
「まだ道半ば。案はあるけれども、どれが最善かが分からなくてね」
無論、○○はそんな阿求を――とてもかわいい姿だ――抱き寄せた。
「○○ならば、時間はかかってもちゃんと最善の解答を導き出すと信じていますよ。今までもちゃんと解決したじゃないですか」
抱き寄せられた阿求は、無条件で○○の事を信じていて。賞賛した。
だがその賞賛の何割か以上を、阿求の手助けによって手に入れたことには。
若干の良心の呵責を感じなくもないのだが……。せっかくの舞台を汚したくないと言う気持ちの方が勝った。
「ありがとう、阿求」
結局○○は、素直に礼を述べた。阿求はますます嬉しくなったようで、更に強く抱きついたが。
これがいっぱいの強さなのかと。○○は感じた。
やはり稗田阿求の体は、弱かった。残酷な事に頭は物凄くいい。


「これからどうするおつもりですか?」
阿求が○○に、自らの匂いを付けるかのように全身をこすりつけるのがひと段落したら。阿求が問うてきた。
「そうだね。依頼人の息子さんの部屋を見たいと言うのは……まぁ、稗田の奉公人だから今すぐにでもやれそうだが。
それは後の方だ……仕掛けも考えているが、鬼人正邪が見え隠れする以上はね。
一気に動くとすれば、確実に全部を解決できる自信がある時だけだ」
今後の展望を○○は述べながら、阿求を小膝に座らせて。体を冷やさないようにと、新しいお茶をいれてあげた。

「それ以外で出来そうなのは……東風谷早苗に協力を依頼しようかな」
○○は阿求の様子を確認した。
他の女の名前が出たからだ。ついでに言えばまだ出す、カラス天狗の射命丸文だ。
遊郭よりはマシだとは思うが……無理は禁物だ。
「射命丸さんとも仲が良い方ですからねぇ……まぁ、場所が場所ですから。私も今回ばかりは調査は全部他の方にやらせるべきかと」
東風谷早苗と、その先にいるカラスの有力者である射命丸文。二人の事は阿求としても危険視ししていない。
まぁ、天狗のブンヤにしたって稗田家にケンカを売ってしまうほど軽率では無い。
それが分かっているから、阿求も比較的穏やかと言うか。
遊郭に調査として赴いてほしくないから、使える手段は全部使ってでもという事らしい。
「昼を過ぎた頃なら、東風谷早苗が神社の宣伝をやりに、人里に来るはずだから……ちょっと声をかけるか」
しかし大丈夫そうならば、○○としても臆することなく進める。


そして昼を少し過ぎたころになって。○○は外に行く服に着替えた。
阿求が当然見送りに来るが、その前に○○は依頼人である奉公人の方に赴いた。
「やぁ、ちょっと聞いておきたいけれども。息子さんは昨日の夜に帰ってきた?」
稗田の奉公人ともなれば、稗田夫妻に対しては馬鹿みたいに丁寧になる事があるから。
○○も慣れてしまって、言いたい事や聞きたい事を先に行った方が早いと結論付けている。
しかし今回は、悪い友達――鬼神正邪なのだが――につかまっていそうな息子の事だから。
心配から少し、言葉が少ないし。喋り出しも遅かった。

「実は、昨日の朝どころか。昨日は一日中息子の姿を見ていなくて」
朝方に帰ってきていないのは知っている……愛犬と散歩したときに、鬼人正邪が倒れていたのと同じ場所で倒れていたから。
帰ってきているはずが無いのだ。
問題は、夜にもまた帰らなかった事だ。
「一度も?着替えや食事をしに帰った形跡は?」
「それはありました……ドロドロの服が洗い場に丸めて置かれており。昨日の残り物も平らげていましたから」
「風呂場を使った形跡は?あとは衣服を洗ったりした形跡」
「風呂場は濡れていましたが、幸い昨日は血を洗ったような形跡はありませんでした。選択の形跡は、一個も」
依頼人の話から、女物の衣服の話は見えてこない。と言うよりも、あったら真っ先に言うはずだ。
「着替えをしに帰った以外で、何か変わった点は?例えば自分の服をまとめて持って行って……しばらく帰らなくても良いようにとか」
○○が一番不安視していたのはこれである。もし軽い家出のような物をされたら、接触が一気に難しくなる。
おまけに彼は、神出鬼没の鬼人正邪と何らかの会うための手段を持っている。
神出鬼没に会えるのだから、本人も鬼人正邪のやり方を学んでいるはずだ。
ただの青年を探すよりも遥かに難しくなる。
「いえ……実を言うと、私もそれを気にしていまして。息子の部屋を何度ものぞいていますが。幸いにもそう言う気配は無く」
○○の思考回路がヒクリと動いた。
「息子さんの部屋には、たびたび?家探しとまでは行かないけれども、確認を?」
「……はい、お恥ずかしい話ですが。こうなってしまっては、息子の事を少しでも分かっておかないと」
「何か、鍵のついた箱とか持っていなかった?」
「いえ……ただ、勝手に入るなと何度か腹立たしげに言ってきただけです」
「……そう」
依頼人から聞き取りながら、○○はまた疑問にぶつかった。

あいつ、鬼人正邪から掛けてもらった女物の衣服。
一体どうしたんだ?洗うにしても、よそで男が女物の衣服を洗っていたら目立つ。
となると、まさか持ち歩いているのだろうか。
それはそれで、鬼人正邪とより深くつながっているから。不味い事態なのだが。
「そう、ありがとう。答えてくれて」
「いえ……旦那様。私の方こそ、至らない息子の為に色々と、お調べになってくださって」
息子を気にする依頼人に、鬼人正邪の話はまだ出せない。
依頼人は深々と頭を下げてくれたが。核心に触れない話をしてしまった自分自身に、○○は良心が痛んだ。



「ああ~……」
東風谷早苗がいつもいる場所に足を向けたら、妙な笑い方。恐らく呆れの混じった顔をされながら。
挨拶未満の言葉をかけられた。
「何かやりました?○○さんが私に何の用もないのに来るはずがありませんから」
そう言われながら○○は、射命丸の新聞を手渡された。
その新聞にはこう書かれていた

権力闘争か!?数日で五つの遊郭宿の明かりが消える!!



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最終更新:2019年08月29日 22:01