「息子さんは、今どちらに?」
大慌ての依頼人であるこの母親に、○○は優しくも。やや有無を言わせないような力強さをもってして聞き取りを始めた。
後では東風谷早苗が、最初から渋い表情と感情ではあったけれども。それが更に色濃くなったのは言うまでもない。
しかしこの場を立ち去ろうと言う気配は存在していなかった。
腕組みをしながらではあるが、こちらを視界に収め続けてくれている。
愛想はまだ尽きていないという事らしい。
依頼人であるこの母親は、事情をまだよく呑み込めていないし、何より息子がボロボロの体で家前に打ち捨てられたとあれば。
こう、九代目様である阿求の旦那様である○○に促されたとしても。
少しばかりの狼狽が存在していた、部外者の色が強い東風谷早苗が近くで腕組みをしている事も。全くの無関係ではないだろう。
「東風谷早苗の事なら大丈夫ですから。協力を依頼したんですよ」
「ええ、お手伝いしますよ」
早苗は軽く、そう言うのみであった。場を取り仕切る手伝いまではやらないぞと言う、意思表示にも見えた。
そうでなくとも、東風谷早苗は、このことに対して。少しばかり冷めた物の味方をしている。
カラスに話を通して、手伝いをやってくれるだけ有り難いと思わねばならないだろう。
「だからお話になってください、不安に感じる必要はありませんので」
東風谷早苗からは、協力してくれるんですと○○が言っても何も言ってこなかった。
なので○○も安心だし、何よりも依頼人の不安が幾分和らいだ。
「永遠亭です・本人は……何故か物凄い剣幕で嫌がったのですが。血も随分流れていまして。
それで近所の方々が、無理矢理にでも永遠亭の方に連れて行ってくださいました」
「今もまだそちらに?貴女は永遠亭の方には行きましたか?」
「はい、息子はまだ永遠亭に。私は、知らせを聞いてからすぐに、ご依頼をしている旦那様に伝えに来たので……」
「だったら一緒に向かいましょう…………ああ、あれは。ははは、阿求が用意してくれたんだ」
ボソリと○○が呟いたので、東風谷早苗がその方向に目をやったら。
人力車が、おあつらえ向きに三両も!三両も用意されて、何かを待っていた。
一両は○○、二両目はこの依頼人で……三両目は、もしもの時の為に東風谷早苗に用立てたのだと一目でわかった。
依頼人の母親は、息子の事で頭がいっぱいだったからだろう。今の今まで、人力車が来てくれているなんて気付かなかった。
○○は微笑みを見せていたが、東風谷早苗は「稗田阿求も周到な事、あるいは心配?かける訳ないじゃないですか、ちょっかいなんて」
東風谷早苗はそう言ってブツクサと何事かの文句を言い始めた。
「○○さん、私は後で永遠亭に向かいますから。ご依頼通りに、数をそろえてきますよ!」
協力の依頼を反故にするつもりは、幸いにも無かったが。
稗田阿求からのいらぬ世話と心配に、早苗が気を悪くしたのは確かであったから、機嫌が少し悪くなり。
ややもすれば攻撃的な大声ではあるが、言われた事は分かってますよとだけ言い残して。
イライラとした雰囲気を振りまきながら、東風谷早苗は空へと浮かんでいき、山の方向へと飛び去ってしまった。
依頼人はその様子を、空へと飛び去った東風谷早苗と、自分の横合いにいる○○。
この両方を交互に見比べていた。
「大丈夫ですよ、まぁちょっと巻き込んじゃったかなと言う部分はあるかな」
○○は少しばかり話を誤魔化しながら、一台の人力車に乗り。人夫にいくらか声を掛けたら。
三代目、付いてくるかもしれなかった東風谷早苗の分は立ち去り、普段の仕事に戻って行った。
「早くいきましょう、息子さんの事が心配だ」
稗田の女中であっても、さすがに人力車を普段使いできるぐらいの高給取りではないから。
それに血まみれで打ち捨てられていった息子の事もあったが、○○の。
旦那様からの合いの手、催促には。根っこにある稗田阿求に対する信仰心から息を吹き返して。
大人しく二台目の人力車に乗って、永遠亭への道を向かった。
永遠亭へ到着するや否や、母親としての気苦労や不安が一気に噴出したのだろう。
言葉にもならないようなか細い声を漏らしながら、出迎えに来た鈴仙に付いて行って。奥へと。
ボロボロになって打ち捨てられた息子が運び込まれた病室へと、一目散に向かって行った。
その様子を見ていたら、今度はてゐが○○の方に向かって来て。表情だけで分かる、おおよそ友好的では無かった。
「やれやれだ!今度はどんな事件なんだい!?」
さすがにてゐも、いたずらウサギなどと言われて評判が若干悪いが。
そこは永遠亭の構成員、医療従事者であるから。あの母親の心配には一定の配慮があった。
けれども、それだって、相手が患者とその家族だけに限定されていた。
部外者……増してや、楽しいからと言うある意味では最悪の理由で探偵業を。
しかも稗田阿求と何の取り決めをしたかは分からないが、その舞台をふんだんに用意してもらって踊り狂っている○○が出て来ては。
阿求と同じく一線の向こう側である、上白沢慧音を妻にしているあの男と違って。余り優しくは出来なかった。
「彼の容態は?周りの空気を鑑みるに、命に別状という事は無さそうに見えるけれども」
しかし○○も……はっきり言って、覚悟よりも慣れの方が強くて。てゐからのこの、若干の抗議含みの声にも、さして恐ろしいとは思わなかった。
「ったく、私も旦那が出来たら稗田阿求みたいになるのかね。恐ろしいよ」
ひょうひょうとしている○○に、てゐは皮肉気な声をぶつけるけれども。
そもそもが対して効果の無い事を何度もやれるほど、てゐは辛抱強くは無い。中々に合理的だから。
すぐに医療従事者としての顔と頭に戻った。
「疲れすぎてぶっ倒れた、ってのが正直な診断だね。つーかあいつ、何やってるの?何処からどう見ても喧嘩っぽい傷だったよ」
どうやら○○が思った通り、永遠亭での診断で深刻な部分は見つからなかった。
ならば、その点については安心して構わない。永遠亭のお墨付きを覆せるような医療機関は、誰も知らない。
「流血の程は?輸血が必要なほどなら、随分な怪我だけれども」
「その必要も無いよ。血って、粘度もあってべったりとするから。見慣れてないと少しの流血でも大惨事に見えちゃうことが往々にしてあるから」
どうやら流血の程も、見た目ほど対した物では無いと言うのが実情のようだ。
「だったら少し、強気に事を運べるかな。第一、彼はもう隠し通せなくなってしまったんだから」
なので○○が、まるで将棋盤を眺めながら良い手が見つかったかのように。笑みを浮かべながらつぶやくが。
医療従事者としての顔と頭に戻ったからこそ、てゐは先ほどの茶々を入れるような言葉の時と違って。
本気の憤りを○○に向かって見せていた。
「彼は今日中に退院できる?」
けれども○○の様相は相変わらずで、何も変化が無かった。これにはてゐも憤りから、未知の物に対する謎を深めるような感情に変わった。
「ああ、まぁ……退院は出来るよ。退院は。けれども喧嘩になるような生活習慣を変えてもらわなきゃあねぇ」
それに、喧嘩で作った傷だと言うのも。てゐからすればやや、真面目にならなくなる材料であった。
母親の心労には付き合えるので、本人の前では出さないけれども。
「その点は大丈夫だろう……任せてほしい」
「……ほんとアイツ、何やってるの?」
○○が歩き出したので、てゐも付いて行く。それに疑問があったからだ。
「アイツ、こっちからの問診に対して。何にも答えてくれないんだ。やっと口を開いたかと思ったら、止血が終わったら帰らせてくれ、だとさ!」
「そうか……まぁそうだろうな。愛情なんだろうな、それが。口を割らない事で、操(みさお)を立てているんだ」
「……実を言うと、もう一つ聞きたい事がある。確かに今回の患者は喧嘩の傷だけれども。喧嘩相手は患者に対して、全て急所を外していた」
「では、流血沙汰は?」
「喧嘩相手が、このぐらいの流血なら大したことは無いと、実戦からの経験で知っていた。一番酷い傷は、不慮の事故。疲れすぎてぶっ倒れた時の傷だろう」
「そうか……彼女も泡を食っただろうな」
「は?お前は、○○お前は、喧嘩相手に目星がついているのか?」
「完全に」
○○の頭の中では、もはや今回の依頼人の息子と鬼人正邪。これを分けて考える事は不可能であると断じていた。
問題は、彼の方がその状態に対して。中々の愛着を持ってしまった事か。
「うちの師匠と同じだ……稗田夫妻もだぞ!」
どうやらてゐは、めんどくさいと思ってしまったようだ。最後に吐き捨てるような言葉を言うだけで、てゐは病室がどこにあるかを口頭で指示して。
何処かに行ってしまった。
病室の前まで来るずっと前から予想は出来ていたが。案の定であった。
母親であるかの依頼人が、ぶっ倒れた状態で打ち捨てられてしまった息子に対して、怒りと悲しみから詰問を加えていた。
「どこで何をやっていたのよ!?」
「ただの行き違いだ!」
「行き違いで何で血を流すことになるのよ!!」
「次は上手くいく!話はもう出来上がっている!」
「だったらその話を喋りなさい!!」
「…………」
しかたの無い事ではあるが、母親の金切り声は最早声としての形を成すギリギリの状態であり。
かの依頼人の息子が黙りだした後はもう、ギリギリ判別できていた物もついに不明瞭な物となってしまい。
女性の金切り声以上の物は分からなくなってしまい、何を言っているのかまるで見当がつかなかった。
これ以上は表で張り込んでいても、何も出てこないだろう。なので一思いに病室の扉を開けて、お邪魔する事にした。
そんな事が許される、阿求の権力と権勢に感謝だ。
「ああ、旦那様!?申し訳りません、旦那様!こんな愚息の為にいらぬ手間等でわずらわせてしまい!!」
急に現れた○○に対しては、いつもの馬鹿みたいに丁寧な態度が戻ってきたので。
どうやら状況判断の方まで思考が侵食されたわけでは無かったようだ。
「まぁ、まぁ」
○○はいつもの柔らかさで、この依頼人。それ以上に、寝台に寝かせられている彼の母親に対して落ち着くように言う。
傍らにいる鈴仙から、じっとりと見られている事は敢えて無視した。
彼女なら気付いているだろうからだ、自分が情報が欲しくて、なかなか入ってこなかった事ぐらい。
「少し話をしよう」
○○は依頼人であるこの母親を少しばかり落ち着けたら、件の彼の方向に向かった。
けれど話す内容は慎重を期さねばならない。鬼人正邪の話題を出すにしても、出し方と言う物がある。
ただ幸運な事に、何かを知っているのは○○だけだ。件の彼を覗けばであるが、この彼がそれを言うはずが無い。
鬼人正邪と両思いなのだから。
「お話しできるようなことが……果たしてあるかどうか」
「旦那様の前なのよ!言葉に気を付けなさい!!」
「まぁ、まぁ」
やや反抗的な態度の息子に、この母親がまた激昂するが。一言いうだけで、○○はすぐに話題を始めた。
「君からの話が役に立つか立たないかは、私が決める」
「正直に話しなさい!」
○○はこの母親を、片手で制止した。そうしなければ飛びかかったかもしれない。
次何か、興奮しだしたら追い出そうと心に決めた。
「まぁ、大体の事はもう分かっているよ。何者かが大八車で君を、家の前まで運んで、助けが来ることを期待してそこに放置した。そんな所だろう」
助けが来ることを期待した、その部分だけは他の文章よりもゆっくりと、そして大きめに言った。
件の彼は前だけを向いている。唇を触ったり、左の頬を触ったり。時折座り位置を直そうとするついでに、ズボンをはき直したり。
大体この三つであった。動きのクセと種類を確認した○○は、話を次に進めた。
「相手も死人が出る事は望んでいないようだ……まぁ確かに、死人が出ると事が大きくなり過ぎる。
行方不明ならしばらくは大丈夫だけれども、それでもある一線を超えると、捜索隊が出てくる。これはやりにくくなる」
件の彼は相変わらず何も話してくれない。質問を出して、答えろと言わない限りは黙っているつもりらしい。
それならばそれで構わない。下手に喋られると、この母親が心配からまた騒ぎ出す。
最も、向こうからの行動が期待できない以上。喋りとおしてできる事はたかが知れている。
そろそろ種をまいて退散する時だろう。
てゐさんの言う通り、怪我の度合いは軽い。今日中に退院してくれる。
「しかし死人が出る事を気にしているのは、これは存外にも悪くなさそうな相手だ……けれども気を付けてほしいんだ。世の中、あんな小心者だけじゃないから」
間を開けた。その間で、○○は件の彼の方向を見た。動きを全て記憶するためだ。
「最近、あんまり治安の良くない場所で、鬼人正邪の目撃例が度々あるんだ……私の予想だと、君は自警団的な動きを勝手にやっているようだ
そう言う人間は、有り難いと言えば有り難いが、危なっかしいと言う感情の方が勝るね」
鬼人正邪の名前を出したとき、案の定な態度を取った。
唇を触り、左ほほを触り、下半身の座り位置が気になるのかモゾモゾと動いた。
「君の正義感には敬服する」
全てを確認できた○○は、彼の肩をしっかりと握りながら褒める事を忘れなかった。
十分種はまかれた。あとは彼の動きを待つだけだ、その為の監視要員は東風谷早苗の協力で手に入る。
悪い条件では無い。
「私はね、稗田や上白沢のような遊郭否定派ではない。むしろ必要だとすら考えている」
同じ頃合い、洩矢神社の二柱の一つである洩矢諏訪子は、遊郭の最深部にてこの遊郭における一番の権力者。
忘八達のお頭との会談に臨んでいたが。
実態としては、
諏訪子が乗り込み。件の忘八達のお頭も、不穏分子が
諏訪子のお膝元である神社でちょっかいを掛けていたから。
忘八達のお頭は、平身低頭の姿で
諏訪子に対して酒や食事を与えて。文句を聞き取る形を取っていた。
諏訪子も、さすがにそれらを蹴り飛ばすほどの暴君では無い。
なので酒や食事を、有り難いと言いながら口を付けて行ったが。
無論、それは全くの嘘では無いけれども。
諏訪子の一番の目的は、この忘八達のお頭を観察する事であった。
その結果、祟り神として数多の信仰を受けた経験がある
諏訪子は断言できることがあった。
この男には、この遊郭街の最高権力者には、精神的な後ろ盾がある。
分かるのだ、
諏訪子は祟り神だから。神様だから。
何かを信仰した人間が、時には馬鹿みたいに丈夫になるのを何度も見た!
そしてここは幻想郷である。
ここまでの権力者の精神的な後ろ盾は、人間とは思えなかった。
神、あるいはそれに類する存在。
諏訪子は与えられた上等な酒を飲みながらも、喉の奥で苦虫をかみつぶしていた。
何だったら自分がこの男を飲み込んでしまおうとすら、来る前は考えていたが。
この男に精神的な後ろ盾がある以上、下手に侵食すれば、戦争へと発展しかねない。
最も厄介なのは、この男は信仰を明かしていない。
まだその時では無いからなのか、そもそも最初から死ぬまでそのつもりなのかは分からない。
後者ならば、まだ良い。前者ならば大問題だ、その時と言うのは大体にして、穏当な結果を生まないのだから。
「神社やってるからね、精進落としの概念ぐらい、受容できなきゃ。信者付いて行かないもの」
「はい……ありがとうございます、洩矢諏訪子様。私も少しばかり、稗田家からの覚えを良くしようと……逸った感は認めざるを得ません」
「稗田か……人間の一生何て短いんだから、ちったぁ色覚えろよ」
「心優しくも力強いお言葉、恐悦至極にございます」
稗田阿求は短命を運命づけられているからこそ、遊郭に対して苛烈なのだろうなとは考えたけれども。
今はこの男におべんちゃらを使って、動きを観察していたが。
全てのおべんちゃらに対して、強い拒否反応を見せていた。馬鹿みたいに丁寧で、型どおりにはまりすぎた言葉たちがその良い例だ。
人里からの信仰もそれなり以上にある洩矢神社が、品の無い言い方をすれば。
ケツを持ってやるとまで言っているのに、この男はその全てに対して、明確な喜びを表さなかった。
「洩矢諏訪子様はもちろん、もう一柱の八坂
神奈子様、風祝の東風谷早苗様に対しても、心労を与えたことは誠に、頭をいくら下げようとも――
強がりなどでは無くて、本当に必要が無いと思っている。
この案件、長くかかりそうだ。放っておきたいが、放っておけば遊郭の爆発に巻き込まれる。
諏訪子は毒づきながら飲む酒の不味さに耐えながらも、冷静さと不気味なほどの笑顔を維持していた。
「うん、うん……まぁ確かに。うちを遊郭の出先機関には絶対にさせないけれども……遊郭が楽しいってことはね、私も長くいるから分かってるんだよ」
「……洩矢様は女性でございますが。ああ、失礼いたしました。神様ですからね、性別は些末でしたね」
「そう、だからさ、あんたが一旦預かりにして明かりを消している遊郭宿、そこで遊ばせてよ。タダでとは言わないからさ」
だが今できる事は、この遊郭街の最高権力者と近づくことである。
何を考えているにしても、やるにしても。それを防ぐことは出来なくとも、被害を最小限に抑えるだけでも。
この男の真意を見定める機会が無ければならない。
「乗り切った……少なくともこの場は、何とか」
洩矢諏訪子を問題の、不平分子と思わしき遊郭宿に案内した後。
飲み散らかし、食べ散らかしたお膳を片付ける気力も出てこず。またそれをしてくれそうな女中を呼ぶのもおっくうで……
けれども彼の信仰心を最も表す、翁の能面だけは取りに行った。
その翁の能面をたおやかに扱いつつも握りしめながら。忘八達のお頭は、畳の上に横になってしまった。
「鬼人正邪は使えるが……彼女の集めてくれた情報は、少しずつ使わねばな。今回は使いすぎた。後戸の国には、周りが不平分子と呼ぶような者だって……」
忘八達のお頭は急に起き上がり、翁の能面をまるで神棚にでも安置するかのように扱った。
「摩多羅様はお約束になってくれたのだ。遊郭の、苦界の全てをお救いになって下さると」
神器を扱うかのように安置した翁の能面の前で、忘八達のお頭は深々と礼をした。
感想
最終更新:2019年08月29日 22:09