「結局のところ、彼にせよ鬼人正邪にせよ。精神的に優位に立ちたかっただけなんだ」
上白沢の旦那は、不意に○○と出合ったので。折角だからと甘味所に誘ったが。
ぜんざいを見つめながら、いきなり以前の依頼について私見を喋り出した時にはさっそく今回の行いを後悔しはじめていた。
最近は依頼が無い状態が続いていて。
上白沢の旦那からすれば『まぁ、そういう時もあるだろう』ぐらいの認識でしかなかったが。
知的好奇心による、脳への刺激ばかりを重要視している○○にとっては。依頼が無い状態と言うのは暇で暇でしょうがない、苦痛とすら言える時期なのだった。


「彼が、施しは出来る限り受けないと言う考えの持ち主であった事は、鬼人正邪が彼を気に入るうえで絶対に外せない要件でもあった」
上白沢の旦那からすれば、基本的に○○が解決に乗り出す依頼と言うのは。
……稗田阿求がそう仕向けているから。名探偵には名相棒が必要だと言う、彼女の方針も多分に、理由としては存在するが。
「意地でも金を払おうとする男と、意地でも金を貰わずに負い目を感じさせようとした鬼人正邪……天邪鬼らしい展開だよ」
黙ってところてんを、二杯酢(お酢としょうゆの合わせ調味料)で食べながら聞いている。上白沢の旦那だって、巻き込まれる運命であるだけに。
ここ最近、依頼の方が一段落して待機の時期が長く続いている事に関しては。
基本的に寺子屋で教鞭をとる事が、主たる業務である上白沢の旦那にとっては。はっきり言って少し休めるぐらいにすら思っていた。

「あの後もそれとなしに調べたけれど。俺達が隠し通したり天狗の新聞で英雄譚をでっち上げたあの男。鬼人正邪にまだ対価を渡す気でいるよ」
慧音の人里に対する善意もあるから、さほどの月謝を取らずにやっているけれども。
だからこそ有形無形を問わずに周りの住人、子供たちの親は、月謝以外での対価を提供したがっている。
金勘定はもちろんの事、煩雑なうえに重要ではあるけれども。銭の絡む以上は真面目に取り組まなければと思えるので、まだマシですらある。
しかし有形無形の対価、これが最も厄介極まりない物であると上白沢の旦那は考えていた。
ある時は野菜だったり、魚だったりの食糧。またある時は、草むしりだったり寺子屋の修繕と言った労役。

「実際、件のあの男。鬼人正邪にどれだけ『して』もらったか、全部覚えているよ」
○○は相変わらずぜんざいを見つめながら、私見を述べ続けているが。上白沢の旦那は、ところてんを二杯酢で食べながら全く別の事を考えていた。

実際、慧音が育てている家庭菜園。あれにも月謝代わりの手助けが随分と入っている。
あれは自分たち上白沢夫妻が食べる用の、つつましやかな物であるはずなのだけれども。
つい先日も、肥料を随分大量にいただいてしまった。
それ以外の部分でも、月謝以外の有形無形の援助は数えきれないし、覚えきる事も難しい。
「鬼人正邪の動向も若干気になるからね、継続的な調査はまだ続いてる。それによると正邪と密通した男は、明らかに蓄財を始めている」
○○の私見と若干被るようで、そこは悔しいが。
有形無形の対価に対して、こちらも有形無形に限らずお返しをすると言うのが常態化してしまっていた。
寺子屋で勉学を教えている時点で、それこそがこちらの提供している行為ではないのかと考えたこともあるが。
慧音のついでとは言え、慧音と結婚した事で自分も『先生』と呼ばれて。
巷を歩けば、ほぼ自動的に頭を下げてもらえる今の状況は。はっきり言って、美味しかった。
有形無形を問わずに、その利益が思いのほか大きい事に気づいてしまった以上は、もう何も言う必要が無いとなってしまった。

「鬼人正邪に支払うためだろうね、あの蓄財は。最も鬼人正邪はこれからも拒否し続けるだろうけれども」
「支払いか……」
支払いと言う表現に対して、上白沢の旦那はようやく口を開いた。しかしそれは、ところてんが器からなくなったからと言うのが最も大きな理由であろう。
けれども、寺子屋の経営に対する周りの住人からの有形無形の支払いに対して。自分が依存していることは確実であった。
特に慧音の夫と言う立場。これに対して――種々の意味で――気持ちが良いと思った事は。
ああ、認めなければならない。一度や二度で済むはずが無い。
数えきれないほどある。
それに対して自分は、慧音に何を与える事が出来るだろうか。

そうだ、冷静に考えたら今食べているこのところてんの支払いだって。
元を辿って行けば慧音の事業からくるおこぼれだ。
以前の依頼の際、○○が考え事に夢中で。ようかんを稗田阿求に用意してもらって。
そしてなおかつ、食べさせてもらってまでいた姿に。通俗的に言えば『引いて』しまって。
親鳥とヒナ鳥より酷い。と思ってしまったが。
自分の懐事情を全て、慧音の事業に頼っている自分だって。○○とは何も違わない気がしていた。
○○はなおも、自分の目の前にあるぜんざいを見つめ続けている。
相も変わらず私見を述べ続けているが、よくよく見れば普段の顔つきと比べて。
まるで楽しそうと言う気配が見えない。

依頼が図らずとも閑散期に入った事で、知的好奇心が満たせない事で鬱屈としているのだろうか?
「彼は、鬼人正邪との密通で手に入れた快楽等々の対価を支払いたがっている。支払いたいと切望しているんだ
そしてその為の能力もある。鬼人正邪が支払いを受け取らないのは、また別の問題なんだ」
……きっと違うだろう。依頼の閑散期に入ったが故に、自分の寄生的生活形態に嫌でも思いを馳せてしまったのだろう。
大丈夫だ、○○。それは自分も同じだ。
私だって結局は慧音の背中におぶってもらっている、ただそれだけなのだ。

慧音ならば自分がいてくれるだけで構わないと言ってくれるだろう。そう信じているし、実際に言われたら嬉しい以外の何物でもない。
けれどもそれで安堵してしまって、結局は何もしない自分がいるのもまた事実だ。
鬼人正邪に何が何でも支払いをしようとする――させるではなく、しようと言うのが彼の善性だろう――彼の方がよっぽど清いのでは?

「あの男の善性と言うか几帳面さと、鬼人正邪の天邪鬼的性格からくる対価の拒否。
これは水と油と思われがちだけれども、その実は水魚の如く交わると言うのが面白いね。
あの男はこれからも、鬼人正邪に操(みさお)を立てるだろうし。鬼人正邪も鬼人正邪で
愛想を付かされないように、他の男なんて作らないよ。遊郭での仕事は実入りが良いようだから続けそうだけれども。
引手茶屋の女世話役ならば、肌なんて許さなくとも。そもそも最初からそれは仕事の内に入っていないから。
少しだけ調べたけれども、最近の件の彼。ちょっといいお菓子とか食べているようなんだ。
あれはきっと、鬼人正邪から貰っている。
根が几帳面で善性があって、道徳心も人並み以上だから。腐らせることの方がもったいなくて、律儀に食べているんだ。
これは鬼人正邪としても、面白くて有利な展開だよ。
このままあの男が、鬼人正邪からのお土産を食べて続けていれば。彼はいわゆる『ヒモ』だ
そんな状態に居続ける事を、生真面目な彼が耐えられるはずは無いけれども。
それ故に鬼人正邪は対価など絶対に受け取らない
けれども彼は、対価を支払いたいと思い続ける。それもなんだか後ろめたさを感じる金じゃない。
高利貸しからの金や、保護者から貰う金じゃない。真っ当な稼ぎ――そう、真っ当な稼ぎだ!真っ当な稼ぎによる金を払い!責任を遂げたがっている!
それがあれば、密通を続けるとは言え。彼と鬼人正邪の関係は、中々に対等な関係になれる!」

上白沢の旦那が殆ど喋らずにいるせいか。○○は自らの私見を……
ついには殆ど息継ぎをせずに喋りつづけていた。
いつもならば喋りたいだけ喋れ、俺は適当に相づちらしきものを打つだけだと、放任に限りなく近い無視を決め込んでいただろうけれども。
ヒモと言う言葉が強くのしかかってしまった。ヒモと言う言葉を使う時の○○は、強い顔をしていた。
そしてその後、取りつかれたように真っ当な稼ぎと言う部分に執着してしまった。

「○○」
自分が案外と何もしていない事を、○○は意図してなんていないだろうけれども、図らずに付きつけられた上白沢の旦那の気持ちは重い。
けれども今の話をやめてくれと言う、その理由を言ってしまうのも。自分が酷い小物に思えてしまって、言えなくって。
「ぜんざい、冷めたら美味しくなくなるぞ。それに妻が心配するだろう……どちらともの妻がね」
早く食べろといった塩梅の言葉しか出てこなかった。
「……そうだな」

それから更に数日後。
いっそのこと、何か依頼でも舞いこんできてくれないかと、柄にもなく切望し始めた頃であった。
「奇遇だな」
少し――日用品の、私物では無い――買い物をしていたら。○○から声を掛けられた。
○○の脇には袋が抱えられていた。
「へぇ」
少しだけ面白い顔を、上白沢の旦那は浮かべた。稗田の婿殿らしくないからである。
「稗田の婿殿なら、殆どの買い物は。御用聞きが来てくれて、全部運んでくれる物と思っていたが。何だかおかしな光景だよ」
○○のような、稗田阿求程の人物と結婚した人間でも。そう言う事はするのかと思うと。
面白いと言うか、意外だなと言う感情が出てきた。
「何たまたまだよ……依頼も無いし、頭を使えないから。散歩がてら鈴奈庵に面白そうな本でもないかと思ってね」
「ますますおかしな話だ。稗田家なら、一生かかっても読めないぐらいの蔵書があるだろうに」
「稗田家にある蔵書は、資料や歴史書ばかりだよ。学術書や教科書ばかりでは、息抜きと言うには辛い」
「ああ、なるほど……どこか喫茶店でも入るか?」
「うーん…………」
○○の受け答えが、少しばかり遅かった。
間があると言うよりは、本気で何かを考えている様子であった。でも何を?喫茶店にはいる位……高い物じゃあるまいし。
確かに家で飲んだ方が安いとは思うが。
「いやいや、今日は借りた本をすぐにでも読みたい……それに懐の中身は有限のはずだから」
もっと謎めいていたのは、稗田家の婿殿ならば。そもそも稗田阿求の方が強く強く惚れているのだから。
喫茶店で飲むコーヒーぐらい……稗田阿求ならば、毎日何十杯でも飲める金額を、お小遣いとして渡してくれそうな物なのに。
そして稗田夫妻の間に何かがあると言う事は、慧音も何も言っていないし。その雰囲気だって感じ取っていない。

「……何かあったのか?」
上白沢の旦那が、やや恐々としながら。そして声を潜めながら聞く。
「…………考え事が多くてね。頭を動かしているのに、何も思いつかないんだ。その上いじくりまわしているだけなんじゃと言う疑念まで湧く」
まただ、また受け答えをしてくれるまでに妙な間があった。
そして何よりも上白沢の旦那を悩ませるのが、この意味深な言葉たちである。
その上その言葉たちは、○○と来たら友人であるはずの上白沢の旦那すら見ずに。
もっと遠く、上白沢の旦那の背中よりもさらに向こう側を見ていた。
「何かあるのか?俺の後ろに」
上白沢の旦那が振り返るが……老若男女問わずに通行人や荷物を運ぶ労働者が見えるのみ。
「それにそろそろ、今日は定例の荷物が稗田家に届く頃合いだ。阿求に力仕事はさせたくないから、もう帰るよ」
そう言いながら○○は、上白沢の旦那の方は相変わらず見ないで。歩を進めた。
「……すまない。でも荷ほどきは阿求にさせたくないんだ。俺ときたらこだわりが強いと言うか……その、ああ、うん。こだわりだな
それと同時に重要な事は胸の内に秘めっ放しで」

そしてまた変な言葉を○○は喋り続ける。
思えば数日前に、甘味所でひたすら喋り通しだった時と同じような雰囲気を○○は持っている。
あの時○○は、前回の依頼で調査した男性。鬼人正邪と密通した男性の精神性をほめたたえつづけ。
ともすれば、自分たちの日々の生活における資力が無いようなことを。
すべた妻の権勢と事業とに頼っている風な事を言い続けた、あの時と同じ雰囲気であった。

「すまない、急いでいるんだ」
○○は上白沢の旦那の肩に手をやって、急いで帰ったが。
すまないと言う時の声色は本物だったし……何よりも蒼白とした顔をしていた。
何かに怯えているような顔、そうとしか言えなかった。

「何だこれ?」
○○のおかしな様子に、依頼の閑散期に入ってしまって活力ばかりが溜まってしまうと言う。
欲求不満からくる苛立ちとは違う物を見て取ってしまい、かといって答えを出すには材料が足りなさすぎる事から。
答えの出ない問題を、頭の中で堂々巡りさせていたら。その答えは、幸いにもすぐにやってきた。
○○は興味のある事柄の一部始終を知るためならば、カギをこじ開けてでも押しとおる癖を持っているが。
その手癖の悪さは、逆算すれば誰かの懐に手紙を入れる事も可能とするほどに、卓越していた。
カバンの中に見慣れない封筒が入っていると思ったら、その宛名は○○であった。
様子のおかしい○○が入れてくれたのは、すぐに気付いた。
だからすぐに読んだ。普段はともかく、自分はやはり○○の事を心配していた。
けれどもその中身は、○○の苦境が書き記されていた。けれどもこんな苦境は、誰にも相談できないだろう。
一線の向こう側を嫁にした、○○と同じ種類の存在である自分にしか話せないであろう。



○○だ、急にこんな手紙を君の私物の中に潜り込ませてしまってすまない
けれどもこんな方法でないと、どこで誰が聞いているか分からないんだ。
数日前、君に誘われて甘味所に入ったよね?あそこでも阿求が気を使って、用意してくれた護衛がずっと俺たちを尾行していた。
普段ならば別にいいやと思っている、あの護衛の人たちも君との会話にまでは聞き耳を立てない。
けれども深刻そうな話はすぐに気付いて、阿求に報告する。
だから真実を話せなかった。
今から書き記すことを、もし荷が勝ちすぎて嫌だと思うのならばすぐに忘れてくれて構わない。
こんな方法で君に真実を話して、巻き込む私を卑怯者だと思ってくれても構わない。
けれども同時に、今から記すことは全くの真実だ。
明日来てくれたら、その証拠も見せる。けれどもこれは阿求には知られたくない。
阿求はずっと気に病んでいるからだ、上白沢慧音先生と違って自分の体は魅力に欠けているだけではなく。
生来の病弱さから、夜を楽しませることが出来ないと。常に気にかけてくれている。
だからこそ、彼女は自分の権勢と財力で、私に埋め合わせをしている。
そんな私の身に降りかかったこれを、阿求が知ったら。死人が何人出るか分からない。
もしも気になるなら、明日、世間話でもするような態度で私の部屋に来てくれ。その証拠を見せる。


私は今、何人かの出入り業者から。阿求からもらったお小遣いを。
横領されている。



横領されていると言う文字を読んだ瞬間、上白沢の旦那は即座にお手洗いに向かい。
○○からの横領されていると言う告白の手紙を破り捨てて、全て流してしまった。少しでも欠片を残せば、そして見つかれば。血の雨が降ると確信できたからだ。
――けれども。○○は被害者なのに、なぜこんなにも心を痛めなければならないのだろうか。
だが○○の回りくどさは、理解できた。
血の雨が見たいと言ってしまえるほど、屈折はしていないから。






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  • 懐の中身に対する疑念シリーズ
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最終更新:2020年02月08日 22:01