「その……」
八坂神奈子は短く、不恰好な呟きしか出せなかった。しかし稗田○○の表情はまるで変らない。重々しいままである
友人である上白沢の旦那が倒れたことの抗議を―だと言うのに呟くように―八坂神奈子と東風谷早苗にぶつけた後は。
感情の動きを少しでも荒らさないようにと努めているのか。顔全体を見ると、小刻みに震えている様子がうっすらと確認できた。
やはり、稗田○○は無理をしている。だが無理をしてでも自らの感情を抑えねば……
何かあった場合に出てくるのは、稗田阿求だ。人里の最高権力者である。
だから○○は、稗田○○は、稗田阿求に何事をも勘付かれないために。また、なだめるためにも。
演技性の強い姿を見せて、抑えて置かねばならなくてはいけないのだろうか。

不意に八坂神奈子は、そう考えて……ここは自分が喋り続けるべきだと言う結論に達した。
それに、自分の横にいる早苗は……
「その、その……上白沢さんの旦那さんが、昨日に、洩矢神社に散歩に来たと言うのは?」
「知っている、本人から聞いた――――だから、いつも宣伝活動をやっているここに来た。何か知っているはずだろうと思って――
そう、だから、知っている事を全部、教えてくれると助かる」
早苗は“あわあわ”と言った感情に呑まれながらでしか喋れないし、稗田○○も稗田○○で。
妙に口数が多いなと言う割に、不意に言葉と言葉の間が奇妙に途切れている。
その途切れた瞬間から、次の言葉が紡がれるまでの間。その時に見せる○○の表情は、大きな変化を見せる一歩手前であった。
だが、一歩手前で○○は耐えていた。
自分が感情を荒ぶらせてしまえば、人里の最高権力者である稗田阿求の動きが。
これが予想がつかないを通り越して、暴走にまで発展してしまうと、それを強く自覚している者の動きとも言えた。
故に見せてしまう、奇妙な間なのだ。その間と言う奴で、○○は必死になって大人しくなろうとしていた。

こんな様子を間近に見てしまえば、八坂神奈子としても何もしないわけにはいかなくなる。
大体、早苗を守るために興は人里に降りてきたんだ。
このまま稗田○○と別れれば、一体何をしに行ったんだと諏訪子から笑われてしまうし。早苗の事も放ったらかしにしてしまう。
……無理して幻想郷に来てもらった早苗の信頼を裏切る事にもなる。
私たちの事など、見えても努めて視線を外してさえいれば、私達だってそこまで固執しなかったのに。
そうしているうちに、早苗も私も諏訪子も、無意識に線引きを初めて。お互いがお互いの事を感知、出来なくなるところまで自然と進むのに。
けれどもさ根はやさしかったから、私たちの苦境にこそ寄り添ってくれたのだから。

「諏訪子が何かちょっかいを掛けたらしい……君の友人である、上白沢のあの旦那さんに」
気付いたら神奈子は、早苗の前に立って。盾になるような形で、稗田○○の話し相手を始めた。
「知ってる……俺が一番知りたいのは、洩矢諏訪子が俺の友人に、何を吹き込んでその心中を荒らすような事になったのかだ」
至極もっともな疑問である。直前に誰と会っていたか分かったのならば、次はその話の無いようであるが。
不幸にも八坂神奈子は、先日夕刻において諏訪子が上白沢の旦那に何かを吹き込んで、ちょっかいを掛けている場面を見ていない。
早苗からは確かに聞いたが、見ていない以上詳細な話はどうしても、不可能になってしまう。
「そ、その……」
聞いているだけの者と、現場で見聞きした者では。質問に対する反応はまるで違ってくる。
神奈子の場合は聞いているだけだったから、思い出す為にどうしても時間が余分にかかるが。
早苗は即座に反応できてしまった。
「諏訪子様が、少なくとも言葉尻だけを取って見れば。○○さんと上白沢の旦那さんの2人に、協力と言うか、寄り添うと言うか……」
「恩を売られている気分だ。遊郭と稗田の間に立って、両方からの覚えを良くしようとする存在からの助け船、どうしてもいぶかしんでしまう」
あたふたと説明をしてくれた早苗であるが、○○からの印象は最悪その物であったが。
これに反論をすることは、早苗はもちろんであるが神奈子にだって出来なかった。

「それから、何だかずいぶんと俺の友達が、自虐的な事をいくつか呟いていたんだが。それについての心当たりは?」
「えっと……そう、諏訪子様が本格的にちょっかいを出す前に、その……」
養蚕小屋での出来事を早苗は、昨日の事であるから楽々と脳裏に描き出すことが出来たけれども。
楽々と描き出せるからこそ、あまりにも突っ込んだ行為をやった諏訪子の事を、ありのままに行ってしまっていい物かと言う恐れも出てくる。
……このまま無言を貫き通せば、稗田阿求からの追及を恐れる稗田○○であるならば。今も懐中時計を何度も、チラチラと確認しているから。
限界線と言う奴は、きっと最初から設定しているだろうから。そこを一秒でも超えたら、くるりと背を向けて帰って行くであろう。
……神奈子としても、そんなやり方を。少しは考えてしまったが。
余りにも不義理で不誠実という事も、同時に理解している。

「養蚕小屋にいたんだ」
最初に話を始めた時と同じで、この時も神奈子は。自然と口が動いていた。
「養蚕?蚕の事か?虫の、絹を吐く虫の事だよな?」
「ああ、そうだ」
「何の関係があるんだ?」
「……」
神奈子は一瞬詰まったが、頭を横に何度か振って自らを奮い立たせた。
「酷く失礼な事を諏訪子はやった……諏訪子はあの旦那の劣等感に気付いて、そこを突破口にして存在感を待そうだなんてことを思い立った。
蚕を見ていた時の上白沢の旦那は、自分の存在が寺子屋の代表で人里の守護者である、上白沢慧音の。
それのおまけ程度だと思ってしまった。その事実に、手を掛けてやれば絹と言う高級品を生み出す蚕よりもずっと酷いと思ってしまったんだ」
稗田○○は幸いにも理知的な人物で、思慮もあったから。
神奈子が説明をしている間は、文句も言わずに茶々も入れずに。
ただただじっと、神奈子と早苗の顔を見比べながら黙って聞いてくれていたが。
「思ってしまったと言うよりは、思わされたと表現した方が適切な表現だと言う気がする」
神奈子の説明が終わった後、○○の評価と言うか感想は実に辛辣であったが。
友人が高熱を出して倒れるまで精神的に籠絡されたとあれば、無理も無い表現と対応であろう。

「九代目様」
「あら」
偶然だろうか。そう阿求が思い始めていたら、稗田家の主治医が急に訪ねてきた。
永遠亭にはさすがに劣るが、八意永琳が常日頃から稗田家に詰めれるわけでは無いから。
微細な変化を観察するこの主治医の存在は、稗田家にはなくてはならなかった。
ましてや阿求は、体が弱いから。
「どういたしましたの?急病だと言う報告が間違って届きましたか?」
阿求はいつも通り笑顔で応対するが、本人には分かる何かの引っ掛かりがあった。
体調の方にでは無い、思考の方にだ。
「突然のご訪問、申し訳ありません。しかし、山の巫女が。東風谷早苗が急に、午後の宣伝活動を休むと立て看板がありましたので」
「まぁ、お体でも悪くされたのでしょうか?」
違う気がする。そうは思ったが、努めて一般的な言葉を口に出した。
「はい、そうなのです。立て看板には、巫女が体調不良の為と書かれていました。上白沢様の旦那様も倒れたと聞きましたから……心配で」
「それで様子を見に来てくださいましたの?」
「はい、そうでございます。しかしおせんべいを頬張っているその後様子だと、大丈夫そうで安心しました。しかし、意識して暖かくしておきましょう。
どうやら風邪が流行りだしているようですから」

上白沢慧音の寵愛を受けているあの旦那と、現人神の東風谷早苗が同時に体調不良?
片方だけならばともかく。阿求はその考えを、まだ胸の内にしまっていた。
それに……夫が頼まない。甘い物が好きな夫は頼まない、この味の濃おおせんべいが、夫の荷物にまぎれていた。
「ああ、そういえば」
主治医はまだ話を続けているが。正直この医者は、腕は良いが少し話の長いのが気になっていたが。
「○○様を見かけましたよ、上白沢様の旦那様のお見舞いの帰りでしょうか。東風谷早苗の宣伝活動を見に行かれるご様子でした」
今日はこの、少し話の長い主治医の性格に。有り難いと本心から思った。
市中の話がこうやって、思わない所から手に入るのだから。





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  • 懐の中身に対する疑念シリーズ
最終更新:2019年11月04日 11:49