「早かったねー」
八坂神奈子と東風谷早苗は、疲労感を全く隠せずに洩矢神社に帰宅したが。
たまたますれ違った神奈子と早苗の様子を見て、心配そうにしてくれた信者達と違って。
洩矢諏訪子の態度は軽薄その物であったし、なお酷い事と言えば。
「稗田○○とは会えたのー?」
稗田○○の話を持ち出した際には、緊張感など欠片も無くて。野次馬同然のニヤ付きすら見せていた事だろう。

「神奈子様、少し頼みますね……付き合ってられない」
二柱の一つとして、現人神として諏訪子に仕えて信仰しているはずの早苗ですら。横顔だけでも分かるほどに憎々しげな表情を浮かべて。
奥へと引っ込んで行ってしまったが……諏訪子はそれを見ながらでも「ははは」軽く笑うのみであったし。
「神奈子、稗田○○とは会えた?」
「ああ……」
諏訪子が黒幕、あるいはフィクサーらしくニヤニヤとすればするほど。早苗と同じように、神奈子にも疲労感と言う物が。
無視できない程ににじみ出てくるけれども。神奈子は踏ん張っていた。
早苗に無理をさせている以上、幻想郷に連れてきてしまった以上……今この時、諏訪子の事を相手にしている時に限らず。
神奈子本人もあまり気付いていないが――気付いたところで正当化するが――彼女の行動原理は、早苗が中心であった。

「そう。稗田○○は何か言ってた?友達ぶっ倒れた上に、稗田○○の性格を考えれば、何も言わない方があり得ないけれども……
いや、敢えて世間話だけに留められても気味が悪いな」
ぶつぶつと情景を想像している諏訪子であるが、やはり楽しそうであるのは言うまでもない。
諏訪子は今この、遊郭と稗田家の間を行ったり来たりして、かき回せるこの状況を大いに楽しんでいる。
これはもしかしたら、両方からそこそこの利益をかすめ取ってやろうと言う、コウモリじみた活動よりも厄介で、性質が悪かったかもしれない。
今の諏訪子はあくまでも、利益よりも騒動や厄介ごとの種にこそ楽しみを見出している。
ここでようやく神奈子は、稗田○○から去り際に言われた言葉を思い出した。
どこまで通用するかは分からないが、言わないと言う選択肢は無い。それは彼に対する不義理にもつながる行為だ。

「稗田○○から、お前に伝言がある」
「へぇ!」
稗田○○からの伝言と聞いて、諏訪子は明らかに気色ばんだ笑みを浮かべた。
もうこれは間違いが無い、遊郭と稗田の間で動き回る事による。
遊郭には稗田の動向を知らせ、稗田には遊郭の顔役として抑えをすることによる、双方からもたらされる利益は。
あくまでも二の次なのだと。
それをはっきりと諏訪子の気色ばんだ笑みで理解してしまった神奈子は、思わず渋い表情になってしまうが。
「稗田○○は、何かあれば向こうからこっちに来ると言っている。だから余計な事はするなとさ!」
これ以上停滞してしまっては、伝言すら伝えられない。一思いに、一呼吸で、神奈子はぶちまける事にした。

「そう……『何かあれば』ねぇ…………そうか、そうか。これで確証としては十分かもね」
出来る限りキツイ調子で伝えたが、演じているのは。神奈子自身が無理をしているのは明らかであった。
実際、諏訪子には何の効果も無かったどころか。
様子のおかしい上白沢の旦那だけでも十分であったが、稗田○○が大急ぎで釘を刺しに来たことで。
何かあるのではと言う疑念に、確証を持たせるのが十分な事は論ずるまでも無かった。
間違いなく稗田○○は、何かを抱えている。それも秘密裏に片付けてしまいたい何かが。
だがそれに対して、諏訪子のようなお節介を掛ける気は神奈子にはなかったが。
諏訪子は違うと言って良かった。
「大丈夫、大丈夫だって神奈子。直接相手することは無いからさ」
神奈子の懸念を読み取った諏訪子が、手のひらを前に出して弁明するが。
ニヤ付いた表情が、その本気度を著しく減衰させている。


「それじゃあ私は、ちょっと遊びに出かけてくるよ。あそこは何だかんだ言って、人里一番の歓楽街だ……人も金も、そして情報も集まる」
神奈子が歯を軋ませ始めた頃合いを諏訪子は見て取ったのか。諏訪子は脇に隠していたカバンを引っ掴んで、神奈子の傍を通り抜けてしまった。
止める気にはなれなかった。
第一、神奈子の見えない所にカバンを用意していたという事は。今日も今日で、遊郭街に向かう事は最初から決めていたという事だ。
残念ながら諏訪子を止める事は神奈子には出来ない。
二柱のいさかいが、信仰に関わると言う事もあるけれども。
神奈子自身が理解してしまっているからだ。遊郭街に深く入り込む諏訪子が、決して無意味なわけでは無い事を。
忘八たちのお頭からすれば、反体制勢力に対するけん制として神の威光を利用できる。
ここ最近の遊郭内部の反乱勢力に対する抑えとして、神様……それも祟り神の威光は絶大だ。
そして稗田家と遊郭の間に神様が入り込んでいれば、稗田阿求としても直接火の粉をかぶらずに済むとすら考えている。
そう、稗田阿求ですら今の諏訪子の暗躍をそれなりに好意的に見ている。
となれば……諏訪子の動きを封じるとまでは行かなくとも、抑えてしまう事は。
忘八達のお頭はともかく、遊郭との間に盾を1つおきたい稗田阿求の不興を間違いなく、大いに買ってしまう。
……それは、人里からの信仰に依存している洩矢神社としては致命的だ。
確かに人里の信者たちは、ついこの間来た我々の事をよく信仰してくれているが。
そうは言っても新参、稗田家とは歴史の重みと厚みがまるで違っていた。
結局神奈子に出来る事と言えば、渋い表情で意気揚々と遊郭街に向かう諏訪子の後姿を、こいつを見送るのみであった。


洩矢の二柱が、まるで正反対の様子を見せた会話を終えるか終えないか。
あるいは諏訪子が遊郭街にたどり着いたかどうかの頃。
「ああ」
今日の分の荷物を、夫妻ともにまだ置いたままでいたので、いい加減夫妻の部屋に持って行こうとした折。
阿求が近くを歩いていた奉公人の男性に声をかけた。
「お忙しい所ごめんなさい、ちょっと荷物を私たち夫婦の部屋に運ぶのを手伝ってくれません?一人一個持てば余りが出ないので……」
とは言っても、阿求が○○以外の男性には何の感情も抱いていない。
精々がこの奉公人の長所や特技は何だったかなと、それについて考えるぐらいである。
「もちろん、お手伝いいたします。九代目様」
声を掛けられた男性の奉公人も、第一が稗田家の奉公人と言うのは稗田家の信者と同義である。
例え阿求が○○とは婚姻を結んでいない、まだ独身の頃だとしても。
阿求に対して妙な感情なんぞ、一切抱かない。そう、一切だ。
全ての決定権は九代目様、阿求の御心のままである。そうとまで考えているのが普通なのだ。


――そして稗田家程の場所で働いている奉公人ともなれば。
そんじょそこらの奉公人何ぞ、束で来られようとも片手でいなせるほどの特技がある。
今回、阿求が声をかけた奉公人は……荷物の程が大したことは無いとは言え、力仕事には向いて無さそうな体躯を持った男であった。
けれども力仕事ばかりが稗田家で求められているわけでは無い。
この若干華奢(きゃしゃ)な奉公人の特技と言うか……二つ名とも言える評価は。
頭の中にそろばんを突っ込んだ男、そう言われている。
そんな二つ名であるのだから、数字には。計算にはめっぽう強い。

頭の中にそろばんが突っ込まれているのでは、とすら思われるのだから。
無論、少々の暗算。それも日常の買い物程度ならば、少し宙を見ればその間に頭の中で計算が済む。
「あなたはこれを持ってくださいな」
「はい」
そしてこの計算に強い奉公人は、阿求に言われた通りに。指示された荷物を手に取った。
それは稗田○○が頼んでいた、今日の分の荷物であった。
稗田○○は、自分の荷物は自分で運んで、少しでも気づかれにくくしていたが。
今日は遅かった……○○も動きが鈍ってしまった。何せ犯人共が、大胆を通り越して無謀になりつつあるのだから。
○○は阿求が何かを探り始めていることに気づいていたが。
だが白状すれば、自分が被害を受けている事はもう隠せない。今日はもう、気付かない事を祈るしかなかった。

――実を言えば、阿求の方もまだまだ断言と言う者が出来ないで苦しんでいた。
だから今は、周りから攻めはじめる事にしたのだ。まずは、味方を増やしたかった。
(あれ……)
そして今日この時、計算にめっぽう強い。そろばんを頭の中に突っ込んだとすら言われる男に荷物を運ぶ手伝いを頼んだのは。
(○○様のお荷物、インクと紙の束しか無い割に。値段が高いな)
偶然などでは無い。






感想

名前:
コメント:




+ タグ編集
  • タグ:
  • 阿求
  • 懐の中身に対する疑念シリーズ
  • 諏訪子
最終更新:2019年12月17日 23:29