「洩矢諏訪子」
結局○○は、立ったままですぐ帰ると言いながら。事態の急速な変化に腹を決めるしかなく、ここで終わらせるために。
座り込んで、
諏訪子の用意してくれた上等なお菓子に手を付けた。
だが稗田家で、阿求が用意してくれる物よりも格と言う物が。ほんの1段だけ落ちる様な味わいなのは。
無論お茶の味もそうであったが。これは、意図しているのだろうか。
――無論、どちらでも構わない。
「貴女が使っているカラスに、手紙を届けさせたい」
それよりも、今は根回しを。可能な限り、そして思いつく限り実行に移していかなければならない。
「……稗田阿求?」
神妙な面持ちで、菓子を食しながらだと言うのに重々しい○○を前にして。何を今更と言われそうな
諏訪子の言葉であったが。
「それ以外の方が、きっと驚かれるでしょう。この場合は」
○○の方は、覚悟と言うのが決まりつつあるからなのか。少しは冗談を含みながら、返答をすることが出来ていたが。
余り喜ばしくないのが事実、
諏訪子も笑うに笑えなかった。
「筆記用具持ってくるよ」
結局
諏訪子の出せる言葉は、この程度しか存在しなかった。無理に何か、気の利いた事を言おうとしたって。
上滑りしてしまうぐらいならば、お互い分かっているだけに、無言の方がいっその事やりやすいぐらいである。
「ついでに……外で待っている奉公人に、人も連れてきてもらおう。ええ、さっき言ってた。
どうやら私が被害にあっている事に気づいてしまった、その奉公人をね。見届け人としては最高だ!」
もっと言えば、顔を突き合わせる時間も少ない方が良い。だが○○の中に有る律義さが、かなり不自然な説明口調ではあるが。
筆記用具を用意しに向かってくれた
諏訪子に、彼女に対してなんにも言わずに一旦とは言え離れる事を良しとしなかった。
阿求は一体、どんな顔をするだろう。
そんな事を考えながら考えた○○の阿求への手紙は、疑問よりも恐怖の感情が。
たった一文字を書く間にも、強烈に想起してしまい。
阿求に比べれば、はっきり言って上手くない自分の文字だとは自覚していたが。
この時阿求に対して出した手紙の文字は、実に酷かった。
もしかしたら、寺子屋に入りたての子でも。これよりうまく書ける子は、いくらでも見つかりそうな程であった。
最もそうでなくとも、カラスが手紙を届けに来た時点で。
それも予告なしで、定例の日時でもないのに。しかも手紙の主は○○で――なおかつ阿求は不味い事態が起きている事に、もう気づいている。
「……」
阿求は黙ったままで、○○からの手紙を読んでいる。○○は阿求に対しては実に誠実だから。
この手紙を書いた場所が洩矢神社であると正直に書いて、ケリを付けたい事が出てきたから、夕飯までには終わらせて帰る。
お昼ごはんは、洩矢神社の近くで食べるから申し訳ない。
けれども、ケリを付けて帰ってきたら、何をやっていたかは必ず話すと。そう約束して文章を結んでいた。
さすがに、阿求もいくらかの予測と覚悟を決めていたとはいえ。
もっと言えば、自分の○○に対する愛情が、ともすれば暴走と紙一重の差でしかない事も理解していたし。
――――○○宛ての荷物に、○○が頼まないはずの。甘い物が好きな○○は、外でお土産として買う以外では頼まない。
塩味の効いたおせんべいが入っていた瞬間から。疑問は存在していたし。
もしそれが故意であるならば、何らかの金銭的被害を○○が受けているのであれば。
場合によるも何も、実力行使しかあるまいと考えていたが。
そうは言っても、稗田の九代目、稗田阿求と言う立場が。性急だったり、強力な調査の為には足かせとなっていた。
だからまずは、あの計算に強い奉公人にそれとなく、○○宛ての荷物を確認させることから始めたが。
「最悪ね……当たっていたなんて。それよりも、○○が気付いて調べ始めた時にまだ気づいていなかった自分に腹が立つ!」
阿求は震える手でも、○○が自分に書いてくれた手紙は大事に書棚に保管して。
そしてすぐに、まっさらな紙も書き掛けの書類も一緒くたに。両手で無秩序に、無遠慮に握って。
全てをぐしゃぐしゃにしてしまった。
まだ昼前とは言え、午前中からの仕事を全て台無しにしてしまった格好ではあるが。
どの道今日はもう、仕事を続行できる気分でもなければ。しばらくは再開すら難しい、それぐらいにいきり立ってしまった。
「――――ッ!?」
稗田の九代目、稗田阿求としての尊厳。それを守らねばと言う部分がまだギリギリ生き残ってはいるが。
今の阿求は、叫んでいないだけで。行動は奇声を上げている人物のそれとまるで変りは無かった。
腕を振り上げ、天に向かって吠えて、虚空に向かって蹴り上げる。そんな奇怪な行動をひたすらに繰り返して。
「ふぅ……ふぅ……」
線が細くて、体力も低い阿求が。頑健である○○やほかの奉公人以上に、本来は出すべきでは無い息遣いをしている。
だがそのまま、倒れ込むことはおろか座る事すらしなかった。
「必要になるかも……永遠亭と接触したという事は、道具の一つはあるはずだけれども。それじゃ、私の気が収まらない」
書棚とは違う方向の、私物が収められた棚の方向へと。阿求はあえぎながらも、確たる意志と足取りでそこへ向かった。
棚から引き出しをひとつ、開け放った。その引き出しの中身は、大きさの割に非常に贅沢な使われ方をしていた。
小脇に抱えられるほどの大きさの手提げかばん、その程度の大きさでありながら、細工もほどこされていて。
重厚さときらびやかさを併せ持った、小物入れであった。
「絶対に必要になる……と言うよりは、私だって意地があるのよ。私は○○の妻なのよ!
妻が夫の為に、夫の前に立ちはだかる難関を突破する、その道具を用意しなきゃ!!」
阿求は引き出しの中に有った入れ物を、大事そうに抱えながらも獰猛な表情を浮かべていた。
「ああ……」
ある一品の収められた入れ物を、大事そうに抱えながら阿求はとある人物を探していたら。
その人物の周りに、阿求が望むような姿が見えていた。
その人物とは――そう、阿求が彼ならば気付けるかもしれない、あまつさえ証拠を見つけれるかもしれないと思って、情報に触れさせた。
頭の中にそろばんを突っ込んだとすら言われる、この稗田家の奉公人であり。
その頭の中にそろばんを突っ込んだと言う、そんな異名を持つ奉公人の前にいたのは。
阿求が指名して、夫である○○が散歩などで一人歩きをする場合には。必ず付き従うように指示した、護衛の奉公人であった。
その護衛の奉公人は、そろばんを頭に突っ込んだ奉公人に対して。神妙に何かを伝えて。
伝えられた方は、やはり計算に強い彼を情報に触れさせたのは正解だった。明らかに怒りを堪えながら「すぐに用意する」とだけ答えた。
どちらともに、稗田家の奉公人としてあるべき姿――と言うよりは、信仰心である。
「頼みがあります」
阿求は、はやる気持ちを抑えながらも。ひたすらに、九代目としての威厳を維持……と言うよりは、そうしないとまたさっきのような狂乱が。
さっきよりも酷い、今度は奇声を上げながら暴れてしまいそうだから。阿求は演じていた。
阿求がギリギリのところでふんばれたのは、第一に○○の邪魔をしないため。第二に、下手人の命はどうあがいても稗田からは逃げられないからだ。
「きゅ、九代目様!?」
護衛の奉公人は、顔を青ざめさせたが。
「大丈夫ですよ、夫が、○○は今洩矢神社で何かを待っているのでしょう?それで、時間がまだあるから役者をそろえて欲しいと」
「は、はい!その通りにございます」
阿求はまず、青ざめた奉公人の心配事を解消してやったが。それだけである、しかしそれだけやれば十分でもあるのだ。
「カラスから夫の○○から手紙が届きましたから……戻る前に、この箱を夫の○○に渡してくださいな。夫の役に立つはずです」
護衛として○○に付いている、屈強な奉公人は。恭しく阿求から箱を手渡された。
きっと、○○に渡す時も、今の様子を反転した様子で。今度は受け取るでは無く、差し出してくれるだろう。
「夫の○○も、個人的に何か道具を用意しているとは思いますが……これがあれば、一気呵成に終わらせられます」
阿求は先ほどから、『夫の○○』と言う言葉を何度も強調しているせいで。やや文章としては不恰好だが。
それを気にするよりも、強調を何べんでもやる事の方が阿求としては重要であったし。
奉公人達の脳裏にも刻み込まれる。今回の事で更に、○○の立場は更に阿求と同列になれるだろう。
――そう思ったとしても、怒りが収まることは無いけれども。○○が被害を受けていたのは、事実だ。
「絵島事件(※1714年、大奥の女性が多数、歌舞伎役者と密通した事件)のような真似だけは起こさないで下さいよ」
護衛の奉公人に、もう一人役者を呼びにやってもらっている間も。○○は、
諏訪子と共に本殿でお茶をすすっていた際。
不意に○○が、事件を終わらせるために協力しているとは言え、憎まれ口とも取られかねないような声を出した。
「だいじょぶだいじょぶ」
しかし
諏訪子は、懐が広いと言うべきなのか、あるいはいつでもどうとでも出来るから気にしていないのか。
ざっくばらんとしていて、お菓子を口に頬張りすぎてモゴモゴとした声で。
そうであるのだから、物凄い軽い調子であった。
「貴女のくれた資料を読んでいたら……どうやら洩矢神社は、遊女たちが気兼ねなく遊べる。数少ない名所になっているようじゃないですか
変な気を起こして、人里にでも流入したら。阿求が、そして上白沢慧音が何をやりだすか!」
「ちゃんと気にしてるよ。けれども遊女の皆さんには神社をご贔屓にしてもらって、お陰様で儲けさせていただいてますぅ」
○○の心配をよそに、
諏訪子は余りにもうさんくさくて、演技性が強すぎて滑稽なぐらいに強調された、商売人の真似をして茶化していた。
さすがに○○も、お茶をすすりながら唸り声を上げて。批判の意思をぶつけざるを得なかった。
「だいじょぶ、大丈夫だって」
さすがに、少しは真面目になってくれたので。唸り声は収めてやった。
「往時の徳川幕府に隠れて羽目外すのと、祟り神である私にも上白沢慧音にも、何より稗田家にも弓引くような真似。
どっちが恐ろしいかな?」
「そりゃ、こっちの方が恐ろしいでしょうが」
「まぁ、実例も上げようか。ここではそんな事、遊郭の外部機関みたいなことはまださせてないけれども。遊郭内部で忘八達のお頭と相反する、遊郭と言う組織すら壊しかねない
夜鷹じみた無許可営業の遊女も斡旋屋も……
もう既に何人か投げ入れ寺(※身よりの無い遊郭関係者を弔う寺。基本的に、同じ塚に葬られる)に、命蓮寺が弔ってくれるって言うから任せてるよ」
「――――」
少しばかり、○○は口に含んだお茶すら呑み込めないほどになってしまったが。頭は動いていたし。
真っ先に出てきたのは、阿求の顔であった。ここ最近の阿求の表情は。
――自分が横領被害を受けている事柄以外では。穏やかであった。
「稗田阿求なら知っているよ。私がもう、何人も命蓮寺に投げ入れたってことは」
「全く知らなかったぞ。遊郭街ですでに、それなりの人数が亡くなった事は。永遠亭のお陰で、性病の一切は無いも同然のはずなのに。
全く目立たずに、始末したのか?」
「あー、少し補足させて。事故とかに偽装はしてるけれども、あと命蓮寺が投げ入れ寺の役割を持ってくれているのは、実はかなり前から何だ。
稗田阿求や上白沢慧音が怖いから、遊郭街で亡くなった人間は昔はまともに弔われていなかったけれども。
命蓮寺が来てからは、あれは人里とも遊郭とも、そして妖怪の山とすらも距離を取ってる独自の立ち位置だから。
亡くなった存在に対しては、全て平等に弔いますと言う立場なんだ。
まぁさすがに……例年に比べて変な理由で亡くなる奴が多いのには。聖白蓮も察してるから。
ちょいちょい、洩矢神社に来ては嫌味を言われるけれども。問題では無いよ」
「そう……ですか」
「黒幕はまだ分からないけれどね。まぁ、さすがにビビってるはずだから。悪くは無いよ」
阿求が○○には見せなかった事もあるが。
既に粛清が始まっている事実には。そして血なまぐささを一切感じとらずにいられるこの状況が、恐ろしいとしか言いようが無かった。
丁度、永遠亭へ向かったカラスが。八意永琳に頼んだ品物を――毒薬だ――持って帰ってくれなかったから、体の1つは震えていただろう。
そして役者も、小道具もそろったと思ったのに。
「稗田○○様」
護衛の奉公人が、何かの箱を――装丁で分かる、高そうだ。阿求の持ち物だとすぐわかる。
そんな箱を、恭しく○○の前に差し出した。
「九代目様、稗田阿求様より。夫様である貴方の役に立つだろうと言う物を、預かって参りました」
「――ありがとう」
ロクなもんじゃないだろう。そう分かっていても、受け取らないと言う選択肢は存在しないし。
第一、自分ですら一体阿求が何を渡してきたのか。恐ろしくて、すぐに確認したかった。
――箱の中身は、とても殺傷力の高そうなリボルバーであった。
そして箱を開けたとほぼ同時に、横に立っていた。そろばんを頭の中に突っ込んだ、計算に強い奉公人が冷たく笑った。
やはり彼は、死体の1つや2つで騒ぐようなタマでは無いようだ。ならば武器を前にして思うのは、戦果への期待だろう。
「おお!これならば確実ですな!!」
護衛の奉公人は、無邪気に喜んでいた。比べるならばこっちの方が怖かった。
「ああ……」
○○は抑揚なく答える事しか出来なかった。少し遠くに移動した
諏訪子の様子を見やると。
少しおどけた風に、首を振っていたが。若干の呆れと恐怖は、あったはずだ。
何せ
諏訪子ですら、遊郭街の不穏分子の始末に対して。血なまぐささだけは立たせないように苦心していたのに。
阿求は始めから、血なまぐささを求めているのだから。
――洩矢諏訪子の用意した資料に書いてあったが。遊女たちが稗田阿求や上白沢慧音の目を気にせずに遊べる、数少ない場所として。
この洩矢神社は、非常に人気のある名所となった。
「なるほど……説明されたら、あからさまに。と言うか馬鹿みたいに見つけれるな」
本殿の中から、境内を覗き見たら。なるほど確かに、若い女とやや年を食った男の連れ合う姿が。
極まった物では、老人とも言える男性が、若い女を2人も3人も囲っていた。
それらが若い女に良い所を見せたくて。
あれ食べたい、これ見たい、それが気になる。それらのおねだりに対して、全く考えもせずに財布を取り出していた。
うわさに聞く疫病神ほどでは無いのかもしれないが、今ここから見える若い女たちは、財布のひもの緩ませ方を。
そしつをしっかりと分かっていた。
そして最も特筆すべきは、遊女たちが生き生きしている事だろう。
当然である。人里の表側は、遊郭の事が大っ嫌いな稗田阿求と上白沢慧音の眼が、常に光っている。
ならば人里の裏側である、精々が表と裏の間にある灰色の部分でしか。遊女達は――客の金で――遊べないし。
行ける場所が限られていては、まとわりつかれた客も、さすがに前に買ってやった物位は。
同じ場所を歩いていては覚えてしまっている。
これでは財布のひもをゆるませる技術を持っていても、重複して買わせるのは難しい。
だが洩矢神社ならば別だ。ここは人里の表側の空気が残っている、と言うよりは奇跡的に表と裏が喧嘩せずに同居している。
いつもとは違う雰囲気の空気と色に、前買ってあげた物とは違うと考えてしまい、財布のひもは一層緩む。
無論そんな空間が存在できているのは、洩矢諏訪子の尽力のお陰だ。
洩矢諏訪子は、遊郭街で遊ぶ際に。きっちりと代金を支払っているが、すでにその分の支払以上の利益が出ているのは明らかであった。
なんならあの忘八達のお頭に渡している、遊び代は。
ややもすれば、忘八達のお頭の取り分を。神様自らがわざわざ、届けに来てくれたと言う見方すら可能だ。
「なるほど。人里の表側を歩けない遊女たちに、この場所を解放したのか!まぁ、有料ですけれども」
「遊女の客が、ほとんど払ってるけれどもね」
やや嫌らしく褒めた○○に対して
諏訪子は、さらに嫌らしい調子で。それでいて事実を述べた。
これにはお互い、笑いあうしかなかった。
見届け人の奉公人達は、どうすれば良いかややわからず。愛想笑いだけで誤魔化していた。
「来たよ」
○○と
諏訪子が笑いあってから、ややあって。
諏訪子が空を見たら、短くそう言った。
諏訪子の方を向くと、彼女の足元にはカラスが1羽いた。あのカラスが、偵察要員のうちの1羽なのだろう。
「すぐに来ます?」
「もちろん。犯人たちが……稗田○○の財産を横領している連中の気に入っている遊女はもう把握している。
幸い、忘八達のお頭の配下だから。私の言う事は絶対に聞いてくれる。ここまで連れて来てくれる」
「それは良かった」
若干吐き捨てる様な声に、○○はなってしまったが。
もう全部を知らされた、二人の奉公人達はと言うと、やってやりましょう!と言う態度しか見えなかった。
護衛として後ろからついてくれる奉公人は、屈強なので腕っぷしにも自信があるだろう。何も言わなければ彼が殴り掛かりそうだ。
「俺に始末を付けさせてくれ。俺のヤマだ」
そう言って、鬱憤を自分で晴らさせろと主張したが。実際は全く違う、少しは楽な終わり方を提供してやりたいのだ。
多分それが一番、お互いにとって尾を引かずに済む。
「さっさと終わらせよう。演出は少なめで」
○○も疲れているからか、大好きなミステリーにありがちな事は求めなかった。
ただ望むのは、稗田○○が奉公人を連れて。自分たちを閉じ込めたという事は、もう全部ばれていると。
潔く認めて、この毒を飲み干してくれる事であった。
遊女たちの笑い声が聞こえてきたが。笑い声のみであった。何をしゃべっても、失敗すると分かっているから。笑いっぱなしで誤魔化しているのだろう。
男の声は4人、
諏訪子の言った通りだ。4人ともが、遊女の気を引きたくて色々な事をしゃべっている。
後であそこの店に行こう、向こうも見に行こう、何でも買ってあげるよ。と言った具合だ。
そりゃまぁ、懐は潤っているだろう。阿求からこれでもかと言うほどのお小遣いをもらっているから、その1割でもかなり遊べる。
ましてやこいつらは、自信過剰になって馬鹿みたいな金額を抜き始めた。
しかし、遊女たちは洩矢諏訪子の息がかかっていて。そして全部知っているから。
金の心配ならするなと、4人の男の誰かがうそぶいた時。
その笑い声が、ひきつけを起こしたような物に変わったが。
浮かれて、鼻の下を伸ばしている男たちは気づかなかった。哀れである。
「いやはや、楽しみだ」
4人の男の中の誰かが、金がある事を自慢している奴の声とは違った。そいつが、本殿で行われる催し物を楽しみにしていた。
確かに見方を変えれば、特に連れてきてしまった稗田の奉公人の2人から見れば。
これは、成功の確約された催し物だろう。
屈強な方は更に鼻息が荒く。計算が得意な方は、冷笑が更に濃くなった。
バンッ!と本殿への扉があいて、4人の男が突き飛ばされて入ってきて。そしてバンッ!と扉が閉められた。
幕は上がった。だがこの劇は、出来るだけ短く収めたい。
「こんばんは、知ってると思うが自己紹介しておく。稗田○○と申します。いつも荷運びなどで、お世話になっております」
突き飛ばされて、這いつくばって、何が起きたか分からない4人の犯人だが。
○○が丁重な態度でまずは、自己紹介を。はっきりと全員の顔を見ながら自己紹介をした時。
4人ともが事態を理解、せざるをえなかった。
正面には、自分たちが長期にわたって財産をかすめ取ってきた張本人、稗田○○が。
そして左右には、明らかに稗田の奉公人が道を塞いでいるだけではなく。
犯人たちの後ろ側、つまりは○○の正面には。いつの間にか洩矢諏訪子が立っていた。
「あ、あああああ!!?!?」
前も右も左も、無論、後ろも全てふさがれていると理解できた時。4人のうちの1人が、奇声を上げ始めた。
計算に強い奉公人は、顔をしかめて耳をふさぎ。屈強そうな奉公人は、黙らせようと前に出るが。
「様子がおかしい。触らない方が良いだろう」
○○は、奇声を上げた奴が胸を抑えたのを見て、まさかと思ったら案の定で。ジタバタとその場で暴れながら、泡まで吹きだした。
「ほっといて良いだろう。口に布でも突っ込んで、奥に転がして置いて」
どうやら卒中を起こしたらしい。既に痙攣(けいれん)は呼吸にまで影響を与えているようで。
顔は真っ赤で、口からあふれる泡との対比が気味悪かったが。このまま放っておけば、こいつは毒もリボルバーも必要ない。
「後3人だ。君たちから弁明も何も聞く気は無い。俺は阿求の下に早く帰りたいんだ。だから時間を掛けずに済む方法を用意した」
○○は残った3人の目の前に、1錠ずつ丸薬を置いた。
「それを飲めば、ぱったりと。眠るように三途の川を渡れる。どうかこれ以上の面倒を掛けさせないでほしい。水が欲しいなら、用意してあるから差し上げよう」
最後に水筒を3人の前に置いたら、1人がもう一度前後左右を確認した。
どうやらそれで諦めてくれたようで、丸薬を手に取って。水筒の中身を一気に飲んだ。
そうかと思えば、その男は体を後ろ側にそらしたまま、後頭部から床に倒れた。
恐らく後頭部を強打する前にはもう……そう思うべき力のこもっていない倒れ方であった。
ただここからが、少し長かった。
「後2人……命乞いも弁解もいらん…………十分楽しめたはずだ。まだ昼食を取ってないから、早く食べたいんだ。出来れば阿求と一緒に」
あまりにも素早い絶命に、残りの2人が怖気づいたのか。1人は丸薬を手にこそ取ってくれたが、飲んでくれず。
最期の1人は、丸薬の方を見てすらいない。きっとこいつが一番手ごわいだろう。
しかたが無いので、洩矢諏訪子の用意した資料をもう一度読み漁る。
顔写真も付けてくれているので、助かった。
「確か、君は」そして丸薬を手に取ってくれた方に狙いを定める。
「君の親族に、近々婚姻を控えている者がいるね。君がその丸薬を飲んでくれたら、君の事は不幸な事故で処理しよう」
「捕捉させてー」
諏訪子が楽しげな声で入ってきた。この際、来て『くれた』と思う事にする。
「私ねー君のお姉さんの今日の予定、全部知ってるんだー」
そして喋りはじめた内容は、結婚相手の男性と会食に使う料理屋で昼食を取ったり。程度ですら無かった。
姉の結婚相手の職業や、名前、大体の立ち位置など。事細かに説明してくれた。
そうは言っても、血の繋がっていない人間にまで責が及ぶ可能性を、示唆していた。
「その丸薬を飲んだら、忘れてあげよう。正直、阿求が前に出たら、どこまでを焼き尽くすか分からないんだ」
諏訪子が喋り終わった後、○○は慈悲を与えた。
だが、やっぱり、丸薬すら見なかったあいつが。やらかした。
丸薬すら見なかったそいつは、親族の婚姻を叩き潰すとの脅しに顔面蒼白となった友人を。
しかも妙なところで頭が回る。○○の護衛である、屈強な奉公人に向けて、友人を突き飛ばした。
計算が強い奉公人は、荒事には向いていない体であるから、すれ違いざまに鼻っ柱を殴られた――荒事に向いていないのは○○も同じであった。
そしてよりにもよって、そいつは○○にも向かってきた。恐らくは、逆ギレと言う奴だろう。
生還するつもりはさすがにないだろうが、向かってきたその男ははっきりと、自分の喉を掴んできた。
だが、○○には。阿求が与えてくれた、リボルバーが合った。
轟音が鳴った。
しかし、阿求が急に与えてくれたリボルバーの発射に対する準備すら、洩矢神社はもう行っていた。
外では急に、大道芸が始まった。笛や太鼓が打ち鳴らされたので、先のリボルバーの轟音が誤魔化された。
リボルバーの一撃を食らった最後の、自分に向かってきた男は卒中とも違うもんどりうち方をしていた。
「大人しくしろ!」
鼻っ柱を殴られた計算に強い奉公人は、もう回復しており。自分を、何よりも稗田○○の首を絞めた男を取り押さえた。
男の体には穴が開いており、そこから大量の血が流れ出ていた。
そしてその血が流出している場所は――丁度、肺がある場所であった。
人体に肺は2つあるはずだが、呼吸器官に穴が開いたせいだろう。もう1個が無事でも、酸素が補給できなくて苦しんでいた。
放っておけば、命は無いが。この状況では誰も治療も、永遠亭への輸送もしてくれない。
ふともう一人の、突き飛ばされた方を見ると。屈強な奉公人が、そいつの首を絞めていた。こちらもジタバタしていた。
窒息は苦しいだろう。それに、もう一発撃ってしまった。
自分は一線を越えてしまった。
「そいつは俺が始末する。俺のヤマだ」
○○はそう言って、男の頭に一発くれて……瞬時に終わらせてやった。
感想
最終更新:2020年02月08日 22:07