ナズーリンは約束通り、夕刻頃に来てくれた。その時間にはもう、寺子屋の仕事も一段落しているので上白沢慧音はもちろん。
無理矢理仕事に一区切りつけた稗田阿求も、尾行の結果わかった事を稗田○○が伝える場に、なとしてでも参加していた。
ナズーリンは始め、この人里の有力者が大方集まっているこの場に、1人でいなければならないと知って。
稗田○○に頼めばいいと言ったっきり、厄介事から全力疾走して逃げだしたマミゾウの事を。
恨みたいではなくて、ついに恨みだしていたが。
稗田○○と上白沢旦那が行った尾行の結果を聞くに及んでは、そんなちっぽけな苛立ちは、霧散してどこかに消えてしまっていた。

「物部布都だと!?あの男、他に女が所の話じゃないぞ!?」
しばらく頭を抱えて、何かいろいろ考えて。少しはましな事をしゃべろうとは、ナズーリンも努力はしていたが。結局出せたのは、通りいっぺんの、ありふれたものでしかなかった。
「ただ仕事を貰ったから程度では無さそうなのが、更に深い根を感じさせます……所でナズーリンさん、件の男性が歩荷という事はご存知でしたか?」
「……いや?まぁ、歩荷だと言われても何となく納得出来るな程度だよ。体力はあったからな」
ナズーリンは件の男の職業が歩荷だという事に、知らなかったが知っても以外とは思わない程度の軽さだが。
稗田○○は少し引っ掛かり、考えるべきことのように扱っていたが。それ以上は話題にしなかった。
一応、調査の役に立つかもしれないので聞いておくぐらいなのですが。命蓮寺と神霊廟の関わりは、今はどれぐらいあるのですか?
「……うーむ」
○○からの次の質問に、ナズーリンは考え込むような顔を作ったが。芳しくない事ぐらいは分かる、そう言う表情であった。
「まぁ……往来で不意に出合った時に、会釈をする程度かな。豊聡耳神子は威厳があるし、聖は元々がお人よしだから簡単な挨拶ぐらいはする。
それ以外となると、物部布都は『ああ……』程度の声を出すぐらい。蘇我屠自古は、目線すらあわさないな。
青娥は挨拶……っぽい文章を言うが。裏は知らん」
青娥の事が、ほんの一瞬だけれども話題に上った時。稗田○○が横目で明らかに、稗田阿求を気にした。
不覚にもナズーリンは神霊廟に置いてもっともうさんくさいうえに、恐らく最も色気を武器にしている存在の名前を出してしまった事に、ようやく気づいた。
少し、稗田阿求の目が泳いでいる。上白沢慧音は幸いにも――彼女は自分の肉体に自信があるからだろう――阿求の方を気にするのみで。
ナズーリンを非難と言う事はしなかった。
「どうやら」
しかし阿求の眼は泳ぐのみで、耐えようと努力しているという事はナズーリンを非難していないと認識したのだろう。
この場の指揮者としての立場を、稗田○○は自分に集中させようと動いた。
どうやら助けられたらしい。

「つまりさほど交流は無いと……どちらも刺激するのが得策では無いとは考えているから。距離を取って信者の獲得合戦の身に注力していると
神霊廟は飲み屋の多い盛り場で、命蓮寺はやや真面目ですがそれでも大道芸や屋台を黙認する程度には集客に力を入れている」
稗田○○はやや長々と喋ったが。それが無理矢理捻り出してくれた事ぐらい、ナズーリンは理解せねばならなかった。
「ああ、ああ。そうなんだ。ついでに言うと、屋台連中の認可作業や設営は、命蓮寺が全部何枚か噛むようにしている。
何もしないわけにはいかないが、野放図にやって馬鹿騒ぎを広げたくないと言う聖の考えだ」
ナズーリンも、稗田○○から目線で『何か喋れ』と圧力を加えられなくとも、この場においては何か喋るしかなかった。
例えそれが、さっき確認した事などだったとしても。繰り返しだったとしてもだ。
だからナズーリンは、件の男について知っている事を。例え稗田○○がもう調べていたとしても、喋り続ける事にした。
うさんくさい女の影が、青娥の影が薄くなるからだ。

「件の男だが、小規模ながら屋台村を認可するにあたって、屋台の管理も命蓮寺が噛む以上。そうそうみすぼらしかったり派手すぎる屋台は、聖が嫌がった。
なので、もういっそのこと命蓮寺で立ててしまおうと言う結論に落ち着いた。
件の男は、その際の業者の1人で。なるほど稗田○○が調べたとおり、歩荷だから必要な荷物の荷運びをほとんどやっていたが。
自分の事を便利屋程度には認識しているから、屋台程度なら中々手際よく立てていたし。
簡易なものとはいえ、屋根材を持って上まで運んだりもしていた。
その時はまだ、一輪も件の男の事は。出入りする業者や手伝ってくれる人の1人程度の認識でしかなかったが……
なるほど、今思えばわかった事がある。特にどこかの信者と言う訳でもないのに、聖やうちのご主人、寅丸星の話を真面目に聞いている理由が分かった。
歩荷なら、恐らく山にも頻繁に足を踏み入れているはずだからな。山に携わる人間は、基本的に信仰心が強い割合が高い。
……それで、屋台村のような物が出来上がった後も。屋台が安全に立ち続けるように、保守点検や整備は必要だし。
命蓮寺だって、毎日いろいろと必要な物は出てくる。件の男は命蓮寺の事を気に入ったのか、その後もたびたび仕事に来てくれるようになったが……
ここで終わってくれれば良かったのだがな。段々と一輪の動きが、彼女らしくない落ちついたものに。
無理に変わろうとしていたし。その上、相場以上の金を件の男に渡していたから、今回依頼すると相成ったわけなのだけれども……
物部布都が一輪の恋敵とはなぁ…………」
ナズーリンが喋りつづけたお陰で、青娥の影は徹底的に希釈されてくれたけれども。それはそれで、物部布都と言う、厄介な存在がまた色濃くなってしまう。
しかも彼女は、少し悪女の気配があると稗田○○は感じていた。
「物部布都さんは、歩荷である件の彼を人気者に仕立てて……何を運んでいるかまでは、周りの歓声が酷くて調べられませんでしたが。何か、売り物?を運んでもらっているようでしたね」
「ただの売り物では無いのだろうな」
人里のど真ん中であんなことをやっているのだから、少々吹っかけて入るかもしれないが、それでも物騒な物では無いだろう。
だとしてもやっぱり、疑問は出てくるので。稗田○○にしてもナズーリンにしても、どこか疑問符を付けざるを得なくて。
イライラとまでは行かないが、モヤモヤして落ち着かないと言うのが正直な感想であった。
「まぁ、一日で終われるとは到底思っていませんでしたから。また明日も動き回りますよ」
至極真面目な顔を浮かべてこそいたが、お茶を飲む際の稗田○○は少しばかり隠せていなかった。
やはり依頼があると言う状況が、楽しくて仕方ないようだ。


「稗田様、九代目様……込み入ったお話の最中に、誠に恐れ入りますが。九代目様のお耳に入れておきたい事がございまして」
「何でしょう?」
稗田○○の方も、今日の尾行で手に入れた情報は、全てナズーリンに伝え終わったから。
ナズーリンの方も、人里の最高権力と最高戦力と同じ場にいては。お茶の味すら分からなくなってくるから。早く帰りたかったが。
そうすぐに、言葉をはさめるような状況ではなくなってしまった。
稗田家の奉公人が、何事かを伝えに。九代目様である稗田阿求に、メモ書きを渡しに来た。
和室の客間であるから、縁側からも廊下からも出ていけるけれども。それがやれるほど、神様や鬼では無いナズーリンには、それは荷が重かった。

それに、稗田阿求が見ているメモ書きをごく自然に稗田○○も覗いてきたし。阿求も阿求で、二人で見るような体勢をつくっている。
今立ち上がれば、夫妻の事を邪魔してしまう。
ただでさえナズーリンは、うさんくさいうえに肉体的魅力の高い青娥の事を。
肉体的魅力に関しては、低いと言わざるを得ない稗田阿求の前で。一線の向こう側の中でも特にの人物の前で、出してしまった負い目がある。
黙ってお茶をすすりながら、時間が過ぎる事を待つしかなかったのだが。
「もしかしたら、少しは運が向いているのかもしれない」
稗田○○が、ナズーリンの方を向きながら意味深な事を呟いてきた。どうやらナズーリンは、まだ帰れそうになかった。
どうせ明日も来ると分かっているから、それに関しては覚悟を決めているのだが……長引きそうな気配にはうんざりした。表には出さないが。

「阿求。偶然とは思えないよ、これは。だって今日の今日だもの。うん、気になる、ちょっと会ってみよう。ああ、ナズーリンさんすぐに戻りますので」
そしてやっぱり、稗田○○は立ち上がりながらも。ナズーリンを引き留めるような言葉を出した。
ナズーリンがうんともすんとも言う前に、稗田○○は出て行ってしまった。もうこれは、彼が帰るまで待つしかない。


だが思いのほか、稗田○○はすぐに帰ってきた。
「ナズーリンさん、ご安心ください。蘇我屠自古さんは、ナズーリンさんと同じ方向を見て、同じように今の状況を懸案だと考えていますから」
ただし、蘇我屠自古を連れて。これだったら、話がさほどうまくいかなかったと言われたかった。
そう思うべきなのか、それとも。二つ返事で付いてきたであろう蘇我屠自古を恨むべきなのか。
ナズーリンとしては、どちらを主にして考えればよいのかよくわからなくなってしまった。





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最終更新:2020年02月14日 22:12