○○としてはこの方法。雲居と物部が好いている件の歩荷に、奇襲じみた聞き取り調査……
いや、状況を考えればこれは尋問をである。こいつはあまり取りたくなかった。
しかし……いつも同じことを言っているような気はするが、時間が無いのだ。急ぐ必要があった。
あの二人が凶行に走った以上、そして凶行に走った原因を作った連中が。
木っと入院生活で暇すぎて、却ってそれが良くなかったのだろう。
自らの嫉妬心に対する内省など、まるで期待できないばかりか。幻想郷成立以前からの年季を持っているはずの八意永琳ですら。
嫌な奴らと表現して、月の頭脳にすら匙を投げられている始末。
今回は、さすがに雲居にせよ物部にせよ、いきなり致命的な打撃を与えることに躊躇でもあったか、それとも歩荷と言う職業柄丈夫だったか。
あるいは雲居と物部の好いている件の男が、その職業上の才能を精一杯に活用してくれたお陰なのか。
どのような理由にせよ、治る程度のけがで済んでくれたが。
次も同じように、治る程度で済むという保証はないどころか。
八意永琳の言うとおりに嫌な奴らであるのならば、次はもっと、殺意を乗せてくる。確実性も考えて動くだろう。
死人が出る可能性が出てきた以上、罪悪感はあろうともやるしかない。
死人を出さないことこそが重要だと言う、合理的判断を盾にしながら、自分自身に対する精神安定剤としながら○○は人力車から降りた。
「寸前まで……いや、件の男性に迷惑をかけてしまうかもだから。聞き取り調査も含めて、目立たず行きたい」
○○は阿求と同じ部屋で、普段とは違う地味で一般的な服装を身にまとい、変装用の服に着替えながら。
○○の方は、雲居と物部と言う一線の向こう側から、二人同時に好かれている件の男性に随分な同情を抱えて始めていたから。
それに稗田家の権力がどれだけ強力で有用であると同時に……危険な劇薬であるかも理解している。
理不尽な嫉妬を抱かれて、歩荷と言う事は山への行き来は日常茶飯事だ。それに必要な装備にいたずらを。
今は永遠亭で、幸いにも入院すれば治る程度のケガで済んでいる連中から、やられていたという事実だけでも酷いのに。
一線の向こう側が二名も同時に……ここに稗田家まで舞台に。もう立っているような物だが、少なくとも目立つような真似は避けるべきだ。
後々のためにも、何より同情心を抱いてしまった件の男のためにも。
「ええ、そうですね。確かに我々が出張るのを、雲居と物部が良い顔はしませんからね。少し目立たないように、隠れる程度で良いかもしれませんね」
幸いと言うか当然というか、阿求は○○の言う通り目立たないようにしようという考えに賛同してくれたが。
わざわざ、少しよりもずっと変装して出かけるという事に。しかも○○と一緒に。稗田阿求にとってはそれが、酷く楽しくて。
○○の言ったことは聞こえているし、それに応じた動きもしてくれるけれども。
○○の感じている剣呑さ、そこから来る真剣な感情と言ったものは。残念ながら今の稗田阿求には期待できなかった。
○○はやや、唇をきつく引き締めたが。そもそもが稗田阿求と言う存在は、人里においては超然とした存在である。
全てがきっと許される。幻想郷と言う場所に込められた神秘性も相まって、稗田阿求はきっと無謬性の塊なのだろう。
「
ナズーリンさんのネズミからの情報によれば……まいったね、お昼ご飯は別に、毎日決まった場所を使っているわけではないようだ
ある程度の範囲で、その時の気分で店を決めるようだね。まぁ、でも……」
チラリと、○○は阿求を見た。阿求も○○が何を求めているのか、すぐに理解した。
「どれぐらいの範囲ですか?うちの手の物に辺りを張り込ませますから」
阿求の口から『手の物』と言う言葉が出てきて、○○は思わず苦笑のようなものを出したが。その程度で壊れるような夫婦仲ではない。
しかし、阿求の用意した舞台の上で。これでもかと言うほどに踊り狂ってる○○でも。
阿求が用意してくれた手の物が、いやこの手の物は○○だっていつでも使えるし。どこへだって調査のために出向かせることはできるが。
踊り狂うことをよしとしている○○でさえ、この手の物が自分の持ち物ではないことぐらい。
まかり間違ってもベイカー街遊撃隊(ホームズが個人的に費用を出して、市中での調査に赴かせている浮浪少年たち)
そんな事は夢にも思うことはできなかった。
いくらシャーロックホームズのような存在を気取っているとはいえ、それぐらいの見極めはできていた。
だから……少し悲しいが、手の物への支持は。自分ではなくて阿求にやらせようというか。阿求のほうがずっとその権利もあり適任だと考え。
少し阿求の後ろに行こうとしたが。阿求は決して、○○に遠慮のようなものを感じてほしくはなかった。
増してや、妻である阿求に対しては特に。
「あなたのためなら、ベイカーストリートイレギュラーズでもなんでも、用意できるんですからね。私と契約してくれたんですから
部隊に必要なものは何でも言ってください。その日のうちに用意して見せますわ」
その日のうちと言う言葉は特に強調されているように感じた。そしてそれが誇張でもなさそうなのが、特に恐ろしい。
「--ああ」
やや考えてしまったが。阿求が少し引いたという事は、引き続ける。こちらが前に出ない限り。
それに○○が表に出て、色々とやる事。それこそが阿求の覚える愉悦の、本丸とも言えるのである。
可憐な姿が強いので、中々分かりにくい事だけれども。阿求は思いのほか権力志向が……もっと言えば、○○に権力を持たせたがっている。
「彼です。ただ、今回調査している事柄においては彼が首謀者だというわけではない、巻き込まれている形です。
ただ巻き込まれてはいるが、事情を一番理解しているのも彼。だから彼から直接、こちらが気になっている事を聞き取りたい」
そう言いながら件の歩荷の写真を回していくと、やはり歩荷としての才能が高い事は、稗田家ほどの場所で働いていれば耳目も広くとっているのか。
ああ、彼か……と言うような反応を見せた者もいたが。それははっきり言って、まるで重要ではない。
一番重要なのは、稗田家ほどの場所で働ける存在に求められるのは。忠誠と確かな能力の両立。これのみである。
阿求が呼んで、そして○○が指示を与えている。この奉公人たちからすればこれこそが重要なのだ。
やや、うんざりとはしない物の。阿求の権力に対してうすら寒いものを確かに感じて、○○が指示を言い終わって奉公人たちが持ち場へと向かった後。
阿求の顔をすぐに確認したが。屈強で有能で忠誠心に厚い奉公人たちが、指示の内容を即座に記憶し理解して、向かっていった。
無論、奉公人たちはみな向かっていく前に、○○に対して会釈をした。
そんな姿を見る事が出来たものだから、阿求の顔は愉悦にまみれたいた。確かに、そして強烈に。
阿求が用意した、本来ならば阿求のために存在する奉公人たちが。入り婿であるはずの○○の言葉に唯々諾々としたがっている。
それを見るのが究極の愉悦なのだ、○○が権力を駆使しているのが究極の愉悦なのだ。
――だが、阿求が愉悦にまみれている姿は。阿求が楽しんでいる姿は。ただ、純粋に、良かったと。そう思ってしまえるのだ、○○は。
先ほど八意永琳にずいぶん迷惑をかけていてもだ。雑な言い方をしてしまえば、お前らは長生きできるから良いだろうと。
八意永琳の場合は不老不死らしいから、長生きの度合いが過ぎるが、それ以外が相手でも同じ結論にたどり着くだろう。
――○○は、もうそれでいいと思っている。
少しばかり視線が気になった。
人力車を路肩、だいぶ隅の方に止めているとはいえ。そうはいっても往来だ、ましてや人力車ほどの大きな物体。
そう簡単には、全てを隠せないから。いったいどんな金持ちが人力車を止めっぱなしにして、何を待っているのだろうか。
そんな好奇の視線が、直接目と目が合っているわけではないが。すだれ越しに向こうの事を見ていると、そうやって気にする人間が何人もいることに気づいてしまう。
特に子供は容赦がない。場合によっては、指すらさしてくるが、親がいればまだいい。すぐに引っ込んでくれる。
一番厄介なのは子供同士で往来を歩いている場合だが……それに愛する対処はもうできていた。
往来で立ち止まりっぱなしであることを注意する大人が、都合よく毎回出てきてくれた。
この都合の良さに、稗田の作為を感じるのは簡単というか。感じなければならなかった。稗田阿求を妻としているのならば。
しかし阿求は、往来の人からそれとなく感じてしまう好奇の視線も。子供に至っては指すらさしてくる無作法にも。
それら一切を、全く気にはしていなかった。なぜならば今、阿求は最愛の夫である○○と一緒に。
簡易的とはいえ、人力車の中と言う密室の中で、肩と肩を触れ合わせるほどに近くにいるのだから。
彼女からすれば、楽しくなはずがない。
いつの間にか、この依頼に関して○○が動き回る調査業務は。稗田阿求にとっては、ちょっとしたデートのようなものに変わってしまっていた。
それで阿求は、稗田邸では自宅とはいえ、結構な数の奉公人がいるから。結構人の目を気にせざるを得ないから、今は自宅の時以上に。
最愛の夫である○○に対して、寝入りばなや風呂場でしかやらないようなぐらいに、密着していた。
夜半では、阿求も一日の仕事疲れが出てしまって。確かに盛大に密着はしているが、その愉悦をすべて感じ取れるかと言われれば。難しかった。
例え九代目の完全記憶能力者ゆえに、その時の事を思い出せても。思い出し笑いと、実際に行っているでは。絶対に越えられない壁が存在していた。
しかし今は、ちょうどお昼前である。少しは空腹を抱えているが、疲れているとはいいがたい。だから頭も十分にはっきりしている。
その状態で夫である○○に密着することは、愉悦を1から10までしっかりとかみしめる事が出来る。
本来ならば○○はもっと、
ナズーリンからの依頼に注力するべきなのだけれども。
○○は阿求にはとことん弱い。しなだれかかる阿求の肩を抱き、髪の毛も優しくなでつけてやってしまった。
もうここまで来れば、○○としてもタガをはめなおすことは。頭ではわかっていても、出来るわけがなかった。
仮に、阿求がこのデートにのめりこみすぎて。○○の方もほだされて。
依頼に関する調査がおろそかになって、穏当な結末を得ることを逸したとしても。稗田の権力で何とかすればいいと思っていそうであったし。
また、何とか出来てしまう。
「九代目様、旦那様。件の男性が今日の昼食に使う店が分かりました。席は取っております。
それから、今日は件の男性。友人と食事をとるようで。会話内容から何か役に立つのではと思い、簡易的ながら聞き取れた分だけ会話を記しておきました」
しなだれかかる阿求を完全に受け入れながら、むしろこっちも阿求を抱き寄せながら。不覚にも依頼の事を全く考えていなかった。
「……ああ。よし、阿求行こう」
少し間が開いたが、一番厄介なのは。
この後、件の歩荷と何を話せばいいのか。ほとんど考えていないことである。
感想
最終更新:2020年05月18日 22:27