「こんばんは」
稗田○○の言う、演劇風味が強すぎると言った意味がようやく分かってきた。
彼は雲居一輪が借りている倉庫の中にずかずかと入りこんだ。雲居一輪も何が起こっているのかようやく、全ての理解が進み始めてきた。稗田○○の姿を見れば、依頼は取り消されていなかったのだなと、断言を与える材料としてはこれ以上の物はない。
「一応、ナズーリンさんの名誉の為に弁解させてくださいな。ナズーリンさんは確かに、依頼の取り消しを求めてきましたが……一度話を貰った以上は、私の方が納得できないんですよ。だから勝手に調べを続けていました」
雲居一輪は稗田○○からの説明に、うんともすんとも言わずに。カラスに飛び掛かられて乱れた衣服や、張り付いた羽を捨てて行った。
特に髪の毛に関しては、くしまで取り出して整えなおしていた。女性だからと言う以上に、やはり、報告書にも見た通り。雲居一輪は件の歩荷と、肌を触れ合わせていると言うのが大きな理由だろう。自分自身の美貌の維持は、あの歩荷をつなぎ留めるのにもつながると自覚している。
事実雲居一輪は手鏡まで取り出して、稗田夫妻を無視する――実際、無視していた。襲撃をかけられたのだから無理はないが――ような形になってまで、自分の見た目が大きく崩れていないかを気にしていた。
「くくく……」
稗田阿求まで目の前にいるはずなのに、ここまでする雲居一輪にはさすがの稗田○○も少々いやらしい笑い方を浮かべたが。
しかしまだ、笑える程度であると言うのが、雲居一輪にとっての命綱となっていた。
気づいているのかいないのか、稗田○○は傍らにいる自らの妻である阿求の方を見ながら思った。
全ては稗田阿求次第なのだ。稗田阿求と契約をして、命も含めてその時が来れば全て差し出すことを決めた自分でさえ。
稗田阿求と比べれば、実に小さな存在だと言うのに。
だが、今それは関係がない。少なくとも今日や明日の話ではないから、まだ、このままでいい。
稗田○○は懐に入れていた飴玉を口に放り込みながら、ナズーリンたちの方を確認した。

その時にはもう救出作戦は全部終わっていた。
倉庫の外ではナズーリンが天狗とカラスが助けてくれた配下のネズミを、一匹一匹、丁寧に確認して。目立った外傷や、健康状態に不安がないかを身長に調べていて。傍らには蘇我屠自子も心配そうにしてくれていたが。すべて確認し終えて、ナズーリンが全身の力を抜かしてへたり込むのを見るに至っては。
どうやら配下のネズミの方は大丈夫そうだが、今度は緊張の糸をぶった切ってしまったナズーリンの方が心配になって、屠自子は彼女の後ろに回って倒れないように支えてやった。

「まぁ……何が起こったのかは。天狗にまで頼んで、救出部隊を作ってもらったので、それに襲われているのならば理解はもうできているでしょう」
雲居一輪はまだぶぜんとしながら、体についたカラスの羽を背中にまで手を回して取りつつ、地面に落ちたら落ちたで八つ当たりで蹴散らしながらであったが。
何度か目線があったので、認識はしてくれているようである。それならばまだ、こちらの話は聞こえている。理解したり、まともな反応が返ってくるかどうかはまた別の話ではあるけれども。
「そう、それで……さすがにここまで私たちが大きく動いたのであれば、そちらにしても予想は出来てもらってないと困るとも言えますが。勝手ながら、命蓮寺に手紙を出した益田。さすがに、貴女一人を悪者にはしたくないので、物部布都の事も同じぐらいの分量を書きましたが……まぁ、心の準備はしていただきたいと存じます」
稗田○○が命蓮寺の事を口にだしたら、ようやく雲居一輪はまともな、観測が容易な反応を出してくれた。
最も、観測が容易と言うだけで決して友好的ではなかった。
「あの成金仙人はどうなんのよ!調べがついてるなら、私とあいつでやった事分かってるんでしょ!?」
案の定、物部布都の事を酷い表現をしながらあげつらってきた。私がこうなるなら、あいつも同罪だろうと言いたいのだろうけれども。

「まぁ確かに……」
稗田○○は慎重に言葉を選んでいたが。しかしながら雲居一輪の方が、罪が重いと言う評価に変わりはなかった。
例の事故、件の歩荷に対して言われもない嫉妬だけならばともかく、歩荷にとっての命綱である道具類への嫌がらせは看過できない。
八意永琳にすら匙を投げられるだけあり、他のまともな連中からも早く出て行ってほしいと思われていた。
「ええ、まぁ。『事故』に関しては、もう何も言いません。演出の存在は知っていますし、何だったらあなた方の犯行を立証も出来ますが……まぁ、良いでしょう」
だからその『事故』を演出した事に対しては、不問にしてやることにした。そうとうに甘い判断ではあるが、件の歩荷に何らかの不利益をこうむれば一線の向こう側は何をするか分からないし。
「しかし、雲居さん。お仲間のナズーリンさんの配下を捕まえて、脅すと言うのは。ちょっと悪辣すぎませんか?」
雲居一輪のやった事の方が、問題は大ありだ。猥雑とはいえ手広く商いを始めようとしているだけの物部布都とは、話が全く違ってくる。
「人質を取るだなんて」
稗田○○がそう言って、雲居一輪の何が問題なのかを自覚させようとしたけれども。
「ネズミ質(じち)よ」
雲居一輪は上げ足を、いやらしくとってきた。
「妖怪ネズミが親玉なんですから、その配下も人間と同じぐらいの知性、知識、判断能力を兼ね備えていますから。些末な違いですよ」
人質ではなくネズミ質だと雲居一輪が言った折に、一番の中心地にて不安を募らせていたナズーリンが、ジロリと雲居の方を見たが。
この場で一番激昂するであろうはナズーリンだとは、既に稗田○○も心当たりをつけていたので。雲居一輪からの返答が来る前に、既にもう視界に入れておいて警戒していたし。
稗田阿求が、この場において何も連れてきていないはずがない。そもそもが人力車の引手からして、稗田家の場合はその手の者である。力仕事が主で張るが、その中には荒事も含められている。
すぐに稗田○○が手をかざして。
「まぁ、まぁ。ナズーリンさん。ここはどうか、私に任せてくれませんか」
優しくそう言ったので稗田家の手の者、ここまで人力車を引いてきた屈強な者二人が間に割って入ったが。まだまだこの者たちも穏やかな動きをしていた。
ナズーリンもこの穏やかさが、稗田○○の描いた絵図に、そこから離れすぎた場合はちょっと分からないとは、すぐに認識出来てしまえた。
蘇我屠自子も残念ながら、この場で一番危ないのはナズーリンだと認識していた。
「奥に行こう。ネズミを安全なところに運ぼう、見た感じ、みんな疲れているようだから。ここよりも広い場所に……」
屠自子の言っている事はすべてがもっともであった。たとえより大きな懸念、ナズーリンが爆発したらまずい事になると言う感情を隠していたとしてもだ。
「……ああ。水と砂糖を用意してくれ、固形物はその後で与えたほうが良いだろう。一番酷いのは一週間どころじゃなく、こんな、狭い場所に」
ナズーリンも自分の感情を、決して安定させることが上手く行っておらず、およそ賢将とは言えない状況だと自覚していた。
事実ナズーリンは、解放されたネズミたちをかき集めながらも雲居一輪の事をにらみつけていたが。それだけに留まらず、口も動いてしまった。
「ガキっぽいと思ってくれても良いぞ、聖白蓮に私からも、出来るだけきつく罰を与えてくれと頼んでやる!」

ナズーリン本人が自嘲している通り、告げ口なんて、と思われるようなやり方であったが。雲居一輪はその上を言った。
「お前は恋したことないからよ」
やはり雲居一輪は、まともな精神状況じゃなかった。売り言葉に買い言葉よりも、多分酷い。雲居一輪は明らかに、勝ち誇っていた。
稗田家が命蓮寺に話を持って行き、天狗も動く事になり、新霊廟の一部もナズーリンにい方しているのに。雲居一輪は優越感を味わっていた。
一瞬、ナズーリンの表情から嫌らしさすら消えた。不快感が限界点を突破したのは明らかであったし、そう言った点をこの状況で突破してしまうのは、ロクな事にはならない。
ナズーリン、行こう!」
屠自子は思いっきり動いて、ナズーリンの前に立ちはだかった。
これにはさすがに、ナズーリンも屠自子とはいくらか以上に、所属している勢力を通り越した信頼関係を得ているから冷静になってくれた。
「……ああ」
ナズーリンもまだまだ言いたいことは尽きて等、そんなことあるはずはなかったけれども。
屠自子に迷惑をかけたくないと言う考えを、自分の中で一番前に持ってきて、何とかこらえきる事に成功した。

稗田○○も、蘇我屠自子が確かにナズーリンを遠くにやったのをしっかりと確認してから雲居一輪の方に向き直ったが。
相変わらず、勝利を確信している表情をしていた。
これには稗田○○も思わず、ナズーリンに対して同情的な感情を抱くには十分なほどに雲居一輪の態度は、癪(しゃく)に障(さわ)ると言えた。

「正妻ぶるって感じでしょうかね?今の雲居さんのお姿を表現する言葉を選ぶとすれば」
稗田○○にしては珍しく、挑発的な言葉を出した。稗田家の奉公人兼護衛の者たちは、ちょっと意外な顔をしたが。
そんなことを言われても余裕を見せている、異質な姿の雲居一輪を見るに至っては。その意外性を発揮するのもやむなしの認識となった。
稗田阿求は……夫の意外な姿を脳裏に焼き付けるのに必死以外の感情はなかった。

「あの成金仙人。成金だから実入りのいい仕事を紹介してくれてるのには、まぁ、恩は感じているわよ。もうちょっと広い家に引っ越しできそうだから」
だがこの場で一番厄介な物は、正妻ぶっているなと馬鹿にされたはずの雲居一輪が。まるで意に介していない事であろう。
「全部調べてるんでしょう?ネズミやカラスを使っているんだから。私とあの人が夜に何をやっているかも」
雲居一輪は自分の肉体的魅力、こいつの高い事を良い事に、物部布都が見せた躊躇なんぞまるでなく、やる事をやっている事を。
一思いにそれが選べることを、誇りにすら思っている風であった。
ここまで来れば正妻ぶるなどではない、雲居一輪の認識では正妻なのだ。あの、件の歩荷の。
(駄目だコイツ……)
○○は思わず匙(さじ)を投げてしまった。それが表情にも表れたのだろう、雲居一輪はここに来て一番、良い笑顔を見せてくれた。
あの稗田○○に勝った、とでも思っているのだろう。匙を投げられたとの違いが、分からなくなってしまっている。
「まぁ、詳細と言いますか。もっと込み入った話は、数日中に最低でも物部布都さんもお招きしてしまう事にはなりますが……」
駄目だコイツと思ったからこそ、あんまり後先考えずに嫌な奴の、物部布都の名前を出したが。雲居一輪には効いていなかった。
もはや完全に匙を投げるには、十分な状況と言えよう。
「今日はもう、引き取らせていただきますね。さて阿求、甘いものでも食べて帰ろう」



それから二日経った。上白沢の旦那が予想した通り、やはり聖白蓮は稗田家に詫びを入れるために来訪する運びとなった。
ただし、その運びは周りの者に何事かが起こっている事を、悟られないようにと言う配慮と注意がなされていた。
表向きは、稗田阿求の編纂する歴史書における各種資料の作成及び聞き取り調査だ。
これを疑うこと自体が、人里では不敬にあたる。疑い深いうえにすぐに動いてしまう博麗霊夢には、もう話をつけている。
故に、たっぷり時間をかける事が出来る。

雲居一輪と命蓮寺内部の動向については、寅丸星からその後について、稗田家に手紙を渡してくれていたので。雲居一輪が相変わらず勝利を確信している様子しかないことに、稗田○○は思わず剣呑に笑ってしまったぐらいで。これと言ったことはなかった。
物部布都は、やはり相手が星熊勇儀と言うのが彼女にとっては運のないことだったのだろう。
鬼の酒宴は本当に長かった。それが始まるように煽った洩矢諏訪子も、無論のこと巻き込まれている。
東風谷早苗から皮肉すら取り払った、かなり直接的な文句を書いた手紙が稗田家に届きまでした。
内容は、洩矢諏訪子が帰ってこない。何かやっただろう?これのみであったが。
上白沢の旦那はこんな手紙を○○から見せられても、稗田阿求からの召集の命令文書よりはまともな手紙だとしか思えず、苦笑を浮かべるのみであった。
どうやら○○は、かなり荒っぽいを通り越した酷い文章を上白沢の旦那に送り付けて、呼びつけている事を知っているらしい。
止めないことはもうどうでもいい、止めれるはずがないからだ。それよりも知っているか知っていないかの方が疑問であったため、せめて状況を認識しているだけ、上白沢の旦那は嬉しかった。
自分も随分、稗田阿求の業の深さに毒されてしまったかなと。帰宅時に考えてしまった。

「知った事か」
聖白蓮が雲居一輪を連れてきて詫びを入れる日、もちろんの事、豊郷耳神子とついでに――鬼の宴会から逃げたいのだろう――洩矢諏訪子も、鬼の宴会に叩きこまれてべろんべろんの物部布都を連れてきてくれる日。
ナズーリンに対して、来るかどうかを一応確認したが。あの時の雲居一輪の、勝ち誇った笑みに対して、思い出すだけで怒りが込みあがるのだろう。
再びそれを、直に目にしてしまったら、今度こそ何をやるか分からないとナズーリン自身が思ったのだろう。
来る気はないとの意志は、稗田○○がその事を話題にした瞬間、全部を聞く前に出したこの言葉だけで充分であった。
「分かった。何が起こったかは、あとで報告書をそちらに上げるよ」
「ああ」
○○は礼儀もあり、報告書を寄こすと約束したが。きっとそれも、斜め読みしたらすぐに捨ててしまいそうだなと感じた。
むしろそっちの方が良いだろう、特筆することが起こらなかったと言う事なのだから。

「うっわぁ……」
「あらあら」
豊郷耳神子と洩矢諏訪子に両脇を抱えられた物部布都を見たとき、○○は自分がそう仕向けたとはいえ、物部布都のべろんべろんを通り越した状態を見るに至っては。若干の引いた感情と罪悪感が沸き起こったが。
稗田阿求は面白そうにしていた。こういう時に見せる阿求の笑顔程、怖い物はないが。これと言える、絶対に効くと言えるような方法はないのが現状。
出来る事と言えば、○○は阿求の肩を少し寄せる程度しかできないが。これだって、必ずいい方向に向くとは限らないのが現状、いい方向に向きやすいと言うだけだ。
「物部さん、目に光はちゃんとありましたよ。べろんべろんで、思考回路も遅くなってますが……何も考えていないと言う事はなさそうで、何よりと言いますか、面白そうと言いますか」

「ごめん、トイレを借り゛て……やべ、借り゛るね」
物部布都を
豊郷耳神子に預けたと思ったら、洩矢諏訪子は稗田夫妻にお手洗いを借りたいと願ったが。稗田夫妻のどちらかがそれに対して、首を縦に振る前に、諏訪子は歯を食いしばりながらトイレに向かっていった。
「掃除もするから!」
まさかと思ったが、多分その通りだろう。諏訪子の奴め、鬼の宴会で色々と限界を超えても我慢を強いられたため、お手洗いにぶちまけに行こうとしているようだ。
しかしまぁ、諏訪子自身で掃除してもらえるなら、構わないかなと考え直して。雲居一輪と物部布都が向かわされた部屋に移動した。
今回の一軒の張本人二名とその付き添いである命蓮寺と新霊廟の首魁以外は。
ナズーリンの代わりに見届ける気でいる蘇我屠自子と、ここまで来たら最後まで見届けたい上白沢夫妻のみであったが。
蘇我屠自子はもう物部布都なんてどうにでもなれと言う気分でいるし、豊郷耳神子も物部布都よりも聖白蓮との話し合いに重きを置いているのは。彼女の目線が聖白蓮を追いかけているのを、隠そうともしない点で明らかであった。
稗田夫妻がどのような処分を物部布都に課しても、極刑でない限りは、豊郷耳神子はうなずいてくれるだろう。
雲居一輪の場合はもはや、聖白蓮がしっかりとみると。何通かもらっている手紙で、既に明言を貰っている。
(このまま終われ)
上白沢の旦那は祈りながら、命蓮寺と神霊廟から来た手紙を流し読みしながら思ったが。
蘇我屠自子が警戒したように、稗田阿求が面白がったように。
物部布都の目に光はまだ灯っており、何も考えていないはずがなかった。たとえひどく悪用していようとも、仙人の知性は本物である。


「歩き巫女(根無し草の遊女とほぼ同義)の登場か」
またべろんべろんである物部布都を運ぶのに、時間がかかると思われたのも物部布都に有利に働いた。
雲居一輪が聖白蓮――体の魅力を隠せる重厚な袈裟を着ていたことの方が、上白沢の旦那は重要事項であった――に連れられてきたとたん、ものすごく酷い事を口走った。





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最終更新:2020年07月05日 23:21