「これでも、お主に対しては感謝すらしているのだぞ?のう、雲居一輪」
きっと最初から、と言うか鬼の宴会に巻き込まれていた時から、何らかの作為は物部布都ほどの存在ならばおよその予想をつけれているだろうから。
自分たちのやった事、雲居一輪のやっていそうなこと、いずれは相対するだろうから。
星熊勇儀からしこたま酒を流し込まれながらも、きっと物部布都はいざ相対したときにぶつける言葉を、確実にそして虎視眈々と作っていたのだろう。
しかし幸いな事に、まだべろんべろんすらをも通り越した状態であるがゆえに。口調はひどくゆっくりで、目に光こそ灯っているが、目線の安定は一切存在していなかった。
真横に自らの勢力の首魁である、豊聡耳神子がいることにすら気づいていないと言う時点で。べろんべろんの件も含めて、おかしくなっていると上白沢の旦那は思ったけれども。
案の定、豊聡耳神子は物部布都を黙らせようとしたが、その前に雲居一輪を見ると。
案の定まだまだ、勝ち誇った表情を雲居一輪は見せていた。
これにはさしもの豊聡耳神子も、一瞬虚を突かれたような表情を浮かべたし。こんな状態でもまだまだ聖白蓮はと言うと、雲居一輪の事を諦めていない、見捨てていないようで。
勝ち誇ったような笑みを、いまだに見せ続けている一輪の表情に、泣きそうな顔を聖白蓮は見せていた。
豊聡耳神子も雲居一輪の表情は、しっかりと見る事が出来た。そして口に出した言葉があった。
「大きな不快感がある……この状況で、それとはね」
豊聡耳神子はこの場で多分、あいさつや社交辞令と言ったお決まりの言葉以外の、本物の感情を出した。
初めはひどく無礼を通り越して、火種に油をぶち込みに行っている形の物部布都を止めようとしていたが。
その手が、空を切ったのを上白沢の旦那の目に、はっきりと確認できた。
物部布都は、自分の所の首魁が自分に対していくらか以上の同意するような感情を持ってくれたと思ってくれたものと、判断しているようだけれども。
上白沢の旦那には、違うだろうなと言う予想しか出てこなかった。
あの表情とよく似たものを、上白沢の旦那は○○との会話で見たと断言出来た。どこか匙(さじ)を投げたような表情だ。
物部布都を止めたって、雲居一輪は止まらないし。それは逆の場合だってしかりだ、結局はどっちも止まらない。両方いっぺんに止めるしかない。
「止めたほうがいと思うんだが」
上白沢の旦那は物部布都が出してくるであろう、戯言をこれ以上出させる方には反対であった。
はっきりと反対の意志を示した時、豊聡耳神子はすこし判断付きかねると言った顔をした。
止めるのも止めないのも、どちらも欠点が大きく見えてしまうと言った辺りか。
「どっちでも良い」
結局豊聡耳神子は、ひどく場当たり的な回答を出してしまった。資料で見ている程度ではあるが、こんなにもどっちつかずの回答を出すような存在では無さそうではあるが。しかし今の彼女は、もしかしたら自分でもどのような立ち位置を取れば良いのかが、分かっていないのかもしれなかった。
……最も無理はないだろうけれども。二大勢力の激突の危険性が持ち上がり、その火種は自分の所の側近のうちの一人であり、そもそもの原因が男の取り合いともなれば。
話の大きさと情けなさが合わさって、思考回路に何らかの停滞やマヒが見えてしまっても。彼女を責める事は出来ないだろう。
「なぁ、○○。まだ喋らせるつもりなのか?」
豊聡耳神子は、やや無責任な感情を吐露しつつ。どうにでもなれと言うような立場を取っただけに、上白沢の旦那は更に強く、物部布都を黙らせるべきだと進言したが。
稗田○○は――今の○○は間違いなく『稗田』だ――顔の前で少しばかり指と指を合わせながら。口元をもごもごと動かしながら、何かを考えている姿を見せていたが。
上白沢の旦那には、考えている事は確かにその通りであったけれども、どこか、楽しんでいそうな。好奇心からくる興味深そうな顔を浮かべているのを、上白沢の旦那はしっかりとかぎ分けていたし。
もっと言えば――かぎ分けている事をかぎ分けられた。もちろん、稗田阿求に。
何も言うなと言う圧力を感じるには、十分な視線を上白沢の旦那は稗田阿求から頂戴した。
「……っ」
何か、最終決定権はお前にあるから良いけれども、と言ったような皮肉でも叩きつけてやろうかとも思ったが。
怖気づいてしまった。お茶を飲んでごまかすぐらいしか、上白沢の旦那には思いつけなかった。
稗田邸で供されるお茶は、濁ってなどはおらず上等な味であるのが、却って皮肉と言えよう。
「まぁ、興味があると言う部分は否定しません。下世話だと言われてしまっても、ち反論は出来ませんね……けれども我々の見えないところで事が起こるのも、悔しいですね」
やや歪曲的な表現ではあるけれども、稗田○○はそう言った後に物部布都に対して手の平を差し出した。
どうぞ続きを、ご存分にと言われたのはその態度で明らかである。
物部布都は喉の奥からやや、酒を飲みすぎたせいで濁った声であったが確かに嬉しがっている様子を見せた。
ずるずると、座布団の上にも座っていられなくなってきていたが。
稗田○○は物部布都が何を言うかを興味深く待っていたので――そして二番目は雲居一輪――。豊聡耳神子はせめてと思って、物部布都の頭に自分が座っていた座布団を当ててやった。
どうやら聖白蓮と同じく、豊聡耳神子もかなり自勢力の構成員たちに甘いようだ。開放感のあるようで、悪くはなさそうだが。
その開放感こそが、物部布都と雲居一輪の暗躍を招いたともあれば。皮肉としか言いようがない。
けれども物部にせよ雲居にせよ、ややうんざりとした場の空気に全く、意にも介していなかった。
それは稗田○○がこの状況を楽しんで、鑑賞している事は、実はあまり関係ない。
お互い、自分の恋路にしか興味がなくなっているのだ。
雲居一輪は自分の方こそ正妻だと思っているけれども、どうやら全く同じような事を物部布都も思っていたようであった。
上白沢の旦那は思わず目を閉じて、ロクでもないことが起こる直前の空気を、せめて目にしないように努めたが。
稗田○○の方が、こういう場面を直視できるだけ、どうやら丈夫のようであった。であるのだから、稗田阿求はもっとと言える。
こんな場面ですら、高名な名探偵であるがゆえに巻き込まれた、酷い場面ぐらいにしか考えていなかった。
上白沢慧音はその旦那と同じく、努めて自らの気配を消すことにした。蘇我屠自子はどこかオロオロしていたが、手を出せば火傷するのは必定、何もできなかった。聖白蓮はどこか遠くを見ていた、現実逃避がいくらか始まっているのかもしれなかった。
雲居一輪はまだ勝利を確信していたが、それは物部布都だって同じであった。
目閉じていても、剣呑な状況は残りの感覚から察する事が出来てしまえる。上白沢の旦那はこの状況に、喋らせても良いのかと考えるけれども。考えるだけで、口には出せない。出すことは許されていない。
「皮肉でも当てこすりでもないんだぞ、雲居や。我は本当に、歩き巫女(流れ者の遊女と同義)風情のお前にだって十分に感謝している」
十分にと言う表現の部分に、恐ろしく冗談に構えた態度が、透けて見えるどころか声色も考えれば最早隠してすらいない。
それ以前に歩き巫女と言う呼称を使っている時点で、敵意すら隠してはいないだろう。
「ふんっ。成金仙人だから、口の使い方に関しては、そもそも学ぶ機会がなかったのね。哀れだわ」
けれども雲居一輪にしたって、物部布都と同じく敵意なんて欠片も隠していない。
「お前はあの者に何を渡す事が出来ている?」
成金仙人と言う言葉にはやや、自尊心を傷つけられたのか。それとも酔いがまた悪く回ってきたのか、どちらにせよ物部布都の言葉は少し落ち着いたものになった。
「家庭よ。あの人、親とは折り合いがあんまり良くないみたいだから」
「随分偉そうに、自分を評価しておるのう」
「お前ほどじゃないわよ、成金仙人」
物部布都は鬼の宴会で飲み続けたため、そうしないと色々と危険なのだろう、ほとんど横になりながらではあるが。目の色は明るく灯っており、雲居一輪だけを見据え続けていた。
洩矢諏訪子はやってこない、気配すら感じられない。お手洗いに歯を食いしばりながら駆け込んでから、今はどうなっているのかまるで分らないが。
神様をあそこまで追い詰める宴会と言うのも、もはや恐怖が込みあがるけれども。
諏訪子が気を使ってくれたのかもしれない。物部布都を少しばかり調べさせて、物部布都の足止めも依頼したと言う事は、彼女から何か聞き出そうとしているのだろうか位には、思っていても不思議ではない。
また物部布都と雲居一輪の激突が、言うほど激突と表現できるほどの騒動が起こっていないのも。洩矢諏訪子がまだお手洗いでゲロゲロ出来る空気を作っているのは。
これは中々皮肉と言えよう。
あるいは稗田邸に収容されたのが、さすがに立ち振る舞いを上品にしなければと思わせる事に成功しているのかもしれなかった。
上白沢の旦那はいっそのこと、二人の本気での激突を少しばかり望んでいた。
そうなればお手洗いで半ば倒れているであろう、洩矢諏訪子はもちろんだが。
豊聡耳神子、聖白蓮、稗田家のお手伝いさん。これらが全部、止めに入ってきてくれるから。
けれども物部布都も雲居一輪も、たまに稗田○○と稗田阿求の方を確認するだけで。まだ、苛立ちを夫妻のどちらも抱えていない、なんだか面白そうにしてくれている事にホッとして、あるいは味を占めて。恋敵への攻撃を続ける事を選ばせていた。
「我はお主の、全てにおける上位互換であるぞ?」
「言うじゃない」
「我にだって確かに、気にしている部分はある、足りぬと思っている部分はある、それさえあれば十全と思う部分はある」
物部布都はそう言いながら、いやらしく指を突き付けてきた。その指が向かう先は無論の事、雲居一輪ではあるが。
特に突いている部分は、確かに存在していた。胸とか、腰回りとか、どちらにせよ肉体的魅力を語るうえでよく話題に出される部分、そこを物部布都は間違いなく、いやらしく指を振って指摘していた。
「ふふ」
しかしまだ、雲居一輪は揺るがない。ややわざとらしく座りなおして……その際に、胸が揺れるように仕組んでいた。
上白沢の旦那は思わず、稗田阿求の方を見やった。彼女が慧音に対して、慧音の健康的な体を――夜においては上白沢の旦那を興奮させる――デカい等と言って罵った事は、色濃いどころかこの先ずっと覚えたままであろうから。
稗田阿求の目の前で、肉体的魅力を誇示するような真似を見れば。この先どんな状況であろうとも、きっと稗田阿求の動向を警戒してしまう。
最早本能に刷り込まれてしまったと言っても、過言ではないだろう。
案の定、稗田阿求は口元にハンカチを押し当てて。見た目の方は、飲んでいるお茶でぬれた唇を、拭き取るようなしぐさではあるけれども。
それだけだったら、○○が稗田阿求の背中に手をやって、増してやさすってやるはずがない。
いくら体が弱いからって、お茶も飲めない位に弱いなんてことは絶対にない。
導火線の近くで火花が散ったような気配、それが今現在の状況であるけれども。その事に気づいているのはまだ、稗田夫妻と上白沢夫妻だけであるし。
上白沢慧音はと言うと、その気配を確かに確認してから上白沢の旦那に耳を寄せて。
「放っておけ」
そう言い放つのみであった。その声には明らかに面白がる、そして敵意があった。
もしかしたら慧音が、自分の体を阿求からデカいなどと言って罵られた恨みは。この先ずっと、維持されて。何かの拍子に出ては、稗田阿求を苛む何かを、放っておく方向に動きかねない。
となれば、自分が何とかするしかないのだろう。上白沢の旦那は、それが正しいのかどうかはわからないが、何もやらないのが一番の悪手である事を自分への納得させる材料にして、口を出すことにした。
「今の態度は……少し、下品な気がしたんだが」
この場においては稗田夫妻の次に、発言した場合の余波と言うか。状況の変化の大きさを考えて、気を配らねばならないため。出来る限り柔らかい表現からを上白沢の旦那は選んだはずだけれども。
雲居一輪曰く、
ナズーリンに対しては恋をしたことが無いから分からないのよ、と言う態度を取ってしまうだけはあり。
最早なんにも分からなくなってしまっているようであった。
「そりゃ、あんたらは対等な関係じゃないから。旦那の方が常に冷や汗かいてなきゃならない物ね」
まさか導火線に火をつける方向は、稗田阿求ではなくて上白沢慧音だったとはな。
上白沢慧音が、湯飲みを振り上げているのが、上白沢の旦那には見えた。
止めるしかない。でも止めた後はどうなるだろう、どうすればいい?
だが、止めるしかない。
感想
最終更新:2020年07月13日 22:33