• やんでれさとりんといっしょ 或いは『ファムファタル』



 ごきげんよう、と彼女は言った。
 僕もごきげんよう、と答えた。
 地霊殿、古明地さとりの私室――の、隣の部屋。そこに僕は閉じ込められている。
 とはいえ、手足を雁字搦めに拘束されているわけではない。部屋から出られないことを除けば、逆に快適とさえ言っていいほどだ。
 トイレ風呂完備、食事はきちんと三食(ちゃんと人間向けのものを)食べられるし、欲しいものがあれば言えば持ってきてもらえる。
 ――『他の誰か』、以外は。
 有り体に言えば。僕はさとりに監禁されている。

「…………」

 そんな僕の心を読んだのか、さとりはびくりと身を竦ませた。表情には哀しみと怯えが見える。
 ああ、大丈夫だよ、別に不満なわけじゃないんだ。だから、いつも通りにしていてくれないか。
 そう伝えると、さとりは恐る恐るといった感じで僕に近づき、そっと、両手で頬を包んでくる。

「……ン」

 唇の湿った感触。続けて、ぬるりと彼女の舌が僕の口内に入ってくる。

「ぁ、ん……」

 こうしていつも、暇さえあれば、僕達は睦み合っている。
 他に何もできることがないから。
 以前は――以前は、違っていた。二人で地上に出かけたり、それを色んな人妖に冷やかされたりした。
 決して悪くはなかったそんな日々は、けれど、二度と訪れることはないのだろう。
 さとりの身体を受け止め、ベッドの上に仰向けで倒れる。
 だらしなく口の端から唾液を垂らしながら唇を交わす。
 傍から見ればこの上なく熱情に支配された行為でありながら、しかしさとりの心には、なおも大きくその感情が居座っているのだろう。
 後悔という名のそれが。
 それをさとりが抱く理由なんて、ないと言うのに。
 こうして自由を奪われ、閉じ込められ――けれど、悪いのはきっと僕だ。僕が、彼女の心を分かってあげられなかったからだ。
 さとりは、その能力ゆえに他人に疎まれながら生きてきた。
 そうした中で、初めて自分を心から受け入れてくれたのが、僕だったのだそうだ。
 僕達は出会い、恋をした。僕達は幸せだった。
 けれども、心が読める彼女は不安だったのだろう。僕が自分の前からいなくなってしまわないかと。
 あなたは誰にでも優しい、と、いつかさとりは言った。そんな僕だから、誰からも好かれるのだろうと。
 それが彼女には、きっと耐え難いことだった。
 聡明な彼女のことだから、頭では理解していた。心が読めるから、僕の想いがさとり以外の誰かに向けられることがないと、知っていた。
 それでも、嫌われてばかりの人生だったから――いつか僕までそうなってしまうんじゃないかと、彼女は思ってしまったのだ。
 一度芽生えてしまった不安は取り除くことができず、いつしか彼女の中に根を下ろした。
 寂しかっただけの彼女のその感情を、誰が責めることができるだろう。
 責められるべきはこの僕だ。彼女が抱く寂寞を分かっていたつもりで、ちっとも分かっていなかった。
 こうして彼女の檻に入れられるまで、彼女の本音に気づいてやれなかった自分が、一番悪いのだ。

「っ、違うっ……!」

 搾り出すようにさとりが叫ぶ。

「ちがう、ちがう! あなたは何も悪くないっ! 悪いのは全部私なのに……!」

 僕に馬乗りになったまま、駄々をこねる子供のように彼女は泣きじゃくる。
 どうして、君は泣くんだ。後悔なんてする必要はない。悪いのは僕で、君は自分の心に従っただけなのに。
 僕はこうなったことを微塵も恨んでいない。むしろこうすることで彼女の想いに応えられるのなら、それは幸せなことだと思う。
 なのに彼女は、いつもこうして嘆いてばかりいる。
 ……本当は、彼女も、この行為が間違っていると気づいているのだろう。
 けれども、僕を解放することも、またできない。
 どこかに行ってしまうのではないか、誰かに取られてしまうのではないか。その恐怖に縛られている。
 そんなことあるはずないと分かっていても、なお。
 彼女はただ、寂しがりで、臆病なだけの女の子だ。心が読めるという、それだけで忌み嫌われた、可哀相な一人の少女だ。
 そんな彼女が、自分の想いで自分を傷つけている現状が、とても哀しい。
 そっと、彼女の頬を撫でる。

「あ……」

 さとり、君はどうすれば泣き止んでくれるのだろう。
 いつかのように、僕に微笑んでくれるのだろう。
 僕の声はもう君に捧げてしまって、他の誰も聞くことがない。
 それでも、君は足りないのだろうか。

「そんなこと……! 喉だって、潰さなくても、良かったのに……!」

 ああ、そうだ。これは僕が勝手にやってしまったことだ。
 けれども、僕は後悔なんてしていない。これは君の想いに気づけなかった僕への罰であり、君への想いの証だ。
 君以外に、僕の言葉が届くことがないように。
 君が不安になるというなら、他のどんなものだって僕は捧げる。
 目も耳も潰してしまって、君以外、誰も僕の心を悟られないようにだってしてあげられる。
 命すら、君になら奪われてしまっても構わない。
 それでも君は、まだ不安なんだろうか。

「……ぅ、ぁ……」

 ほろほろと、彼女の瞳からまた涙が溢れ出す。僕はその身体を優しく抱きしめた。
 いいんだ。君が気に病む必要なんてない。そう心で伝える。大切な人に去って欲しくないというのは、誰だって同じだ。
 僕も、さとりが自分の前からいなくなるなんて、考えただけで気が狂いそうになる。
 けれど、どれほど想おうとも、それを証明する手段は存在しない。
 心が読めるさとりの前で嘘をつくことはできないが、心は、変わっていくものだから。
 神前で永遠の愛を誓おうと、それが真実永遠であるとは限らない。
 指輪を交換しようと、書類上で婚姻を結ぼうと、子供ができようと。
 未来は誰にも分からない。今こうしてさとりを抱いている僕の心ですら、いつしか、全く違う形に変わってしまうかもしれない。
 それが怖くて怖くて――だから、さとりは僕を閉じ込めた。

「あぁぁぁっ、ぅぁあ、ぁぁぁぁああぁ……ッ!!」

 だから、彼女は泣くのだ。
 いつか訪れる未来への恐怖に。そのために僕を閉じ込め、自由を奪ったことへの罪悪感に。
 そこまで分かっていながら、それでもなお、僕を手放すことのできない自分自身への憤りに。

「ごめんなさい、ごめんなさい……!」

 君が謝る必要なんかないんだ。そう何度心で伝えても、きっと彼女の懺悔は止むことがないのだろう。
 どれだけ言葉を重ね、身体を重ねようと。
 心だけは、決して重ねられないから。

「ごめんなさいぃ……!」

 でも、いいんだ。僕は今、君のそばにいられて幸せなのだから。
 だから、いつか。いつかでいい、また笑っておくれ。あの日太陽の下で見せてくれた微笑みを、もう一度僕に見せてくれ。
 それだけを、今、願って止まない。















あとがき
 病んでない……だと……?

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最終更新:2010年08月27日 11:52