物部布都は、仲間の配下を誘拐したり人質にしたりまでした雲居一輪と比べれば、随分とまだ好きに動く事を許されていた。
それでも首魁である豊聡耳神子から、さすがに早く帰ってくるようにと言われたり。
それ以外ではこの程度の処分で済んでいる事に不満がある蘇我屠自子から横目で何度も見られたり、面白い事になったとしか思っていない霍青娥が度々話しかけてくる。
はっきり言ってその程度で済んでいた。だから物部布都は、稗田邸で上白沢慧音が大暴れした後も……そもそも暴れる理由を作ったのが雲居一輪の単独犯であるから余計に。
一線を踏み越えてしまっている物部布都は、ただの商売人でございますと言う風を、さすがに首魁である豊聡耳神子にはかしこまっていたが。
裏で動いていた蘇我屠自子にはかなりわざとらしい様子を、挑発も含んで見せていた。
霍青娥はそもそも、最初から外野であったくせに面白そうだと思うと、急に近づいてくるのがうっとうしかった。

なれども、その程度だ。早く帰らねばいけないぞと言う圧力など、雲居一輪の状況と比べれば無いも同然の圧力である。
雲居一輪は既に、所属している命蓮寺の首魁である聖白蓮が、稗田○○と言うか稗田夫妻に約束した通り、ほぼどころか完全に付きっきりで監視している。
聖白蓮は甘いと聞いていたから、保護者としてと言うような言葉を使っていたが。雲居一輪の好きに出来なくなったと言う状況こそが、大事であったし。
物部布都が好きに動ける状況の、最も大きな部分である。

だからこの日も、物部布都は何の気兼ねもなしに大手を振って、遊郭街へと色々な物を仕入れたり遊んだり――布都の場合は、あくまでも酒を飲む程度だが――していた。
星熊勇儀は自分に関係のない事だから、特段気にしていなかった、出歩ける程度でよかったよ程度の声をかけられたら、それでもう勇儀の中でその話は終わった。
この遊郭街の支配者である、忘八たちのお頭が珍しく布都に挨拶をしにやってきたが。彼の立場で物を考えれば仕方がないであろう、彼は遊郭街の1から10にまで責任を負っている。
何か騒動の気配がありそうだと思えば、確認しないわけにはいかない。
それに――あくまでも布都の主観での話だが――雲居一輪との恋愛関係におけるいざこざは、遊郭とは関係がない。
布都が好いている件の男が、遊郭に出向かないようには厳重に警戒していたし。そもそも――布都は断言できていた、あれは下品だと――肌すら晒している雲居一輪。
彼女が、奴が色を使ってつなぎ留めて置いてくれたおかげで、遊郭街へと向かう可能性を減じてくれていた。

……布都からすれば譲歩に譲歩を重ねた結果の、お目こぼしであったのは言うまでもない。
それでも、そんな状況を許していたのは。
やはり物部布都は完全に、雲居一輪の事を見下していたからと。そうでなければ耐えられるはずがなかった。
奴には色はあるかもしれないが、色以外の物はないと物部布都は断言していた。
物部布都は件のあの男、よりにもよって一千の向こう側である物部布都と雲居一輪が、いっぺんに好いてしまうと言う、奇跡的な動きをしたあの男の事を。
物部布都は色こそ与えられないが、色以外の全部を与えてやれると考えていた。

だから物部布都は、雲居一輪のことを見下し続けていたとはいえ、自分は奴の色以外のすべてにおける上位概念であると信じ続けたからこそ。
あるいは権力者と言うのは側室の一つや二つ持つものだと言う、曲解と自分に都合のいい理論を無理やりに構築していた。
それを続けることで物部布都は、好いている男の肌を奪われていると言うあの状況を耐える事が出来ていたが。
続けてしまったからこそ、物部布都は一線の向こう側だと認識されてしまった。むしろ往来で取り合いの乱闘をしていた方が、耳目は引くが面倒と言う点では恐らくだいぶ、少なく済んだ。
そして特筆するべきは、精神状態に関して……どう考えてもまともではなくなってしまっていた。
そして雲居一輪が間違いなく失脚したことにより、物部布都の精神は。
待たされ続けただけに勝ったと信ずるその高揚感は、雲居一輪よりも激しくて。その余波によりその精神はついに回復不可能と、八意永琳にすら断じられてしまう様な領域に、到達したと言ってよかった。

しかし大手をふるって遊郭街で酒食も含めた買い出し、男の為に贈り物をこさえに来たと言う部分は、引っかかるけれども。
これらにふけること自体は、止めない方が良いと言うのはもっぱらにおける大筋の理解ではあるけれども。
洩矢諏訪子だけは止めないにしても、もう一歩程踏み込んだような気配、監視の目を、物部布都に注いでいた。
それに第一、諏訪子が動くのは今更である。件の、上白沢慧音が大暴れする原因となった稗田邸での命蓮寺及び神霊廟の首魁も含めた会談の席には。洩矢諏訪子もいたどころか、彼女が物部布都を足止めして、連れてこれるように仕組んだ。
何をいまさらと言う立場は、諏訪子に自由に動ける立場をも提供していた。
宴会をとある人物、物部布都の足止めに利用したことについては、宴会の発起人である星熊勇儀から面白くないと言う顔をされたが。
諏訪子の神格だけでも、まぁ黙らせる事は出来たが。何本かの一升瓶を贈る事で、まぁその話は終わってくれた。
鬼の分かりやすい性格は、やりにくいとやりやすいも両極端であった。

「あー、物部布都いる?」
「え、ああ……はい、洩矢様。上の階に」
勇儀が拠点に使っている建物に、諏訪子は何の気遅れもなしに入っていく。
辺りの奉公人や、遊女ではなくとも掃除やらをこなしている女中は、ちょっとビクビクものであった。
星熊勇儀が暴君だとは全く思わないが、やはり鬼に対する畏敬の念は少しばかり動きをぎこちなくさせていた。
そこに山の神様、しかも祟り神がやってきたのだから。もしかしたら諏訪子の方こそ、この奉公人たちの心に寄り添って、さっさと出ていくべきなのかもしれない。
「そう」
二階のどの部屋とは言われなかったが、諏訪子は全部見ればいや程度の気持ちで上にあがっていった。
「い、一番奥から見て二番目の部屋にございます!」
奉公人の一人が、一番重要な部分、であるどこの部屋だと言っていないのを思い出したのか。諏訪子の後ろ姿に、急いで声をかけてくれた。
「そう、ありがとー」

だが奉公人からそんなことを言われなくとも、おそらくは一目見ただけで、諏訪子ほどの存在ならば気づけたであろう。
「うわ……」
部屋の扉が一つ、開けっ放しになっていた。
この建物で働いている人間が、そうでなくとも星熊勇儀の世話をしなければならないから、そんな不用意な真似をするはずはない。
なのに、である。
諏訪子は思わずおののく様な言葉をつぶやいて、若干、宙を見上げるような動きも見せたが。行くしかあるまい。
洩矢諏訪子は、そうは言っても懸案事項の二本柱が一本である物部布都の事を、気にするなと言う方が無理なのだし。
稗田○○の依頼に付き合ってやれば、稗田阿求の機嫌もある程度はなだめる事が出来る。

こういう時は勢いに頼るべきだ、場所柄諏訪子はここにいるときは、来てすぐでもない限りはシラフであるはずがないのだし。
それ以上にシラフの時が少ない、星熊勇儀との付き合いもある。よっぽどひどくない限り、酔っ払いの相手には慣れている。
「入るぞ、物部や!」
やや大きな声で威嚇のような気配も見せながら、諏訪子は物部布都にあてがわれている部屋に入っていったが。
物部布都は、部屋の一番奥で窓の欄干を握りしめながら、はっきりとわかるほどに体を震わせていた。
足元には徳利が転がっていた。
諏訪子は思わずその本数を数えた、本数時代では物部布都は既に泥酔している。しかも何か嫌な事があって、酒に逃げた、そんな悪い酔い方をしているはずだから。
泥酔しているとしていないでは、また対応が違ってくる。幸い、仙人の体である物部布都の事を考えれば、まだ泥酔からは遠い本数であったが。
油断はできない。雲居一輪のように見下げられてはいなくとも、外野である洩矢諏訪子にちょっかいを出されたとは、思っているかもしれない。
振り向きざまにげんこつの一発ぐらいは、飛び出すかもしれない。

若干の臨戦態勢を含ませた動きで、諏訪子は物部布都の方向へと、近寄ると言うよりはにじり寄っていった。
「物部やー?物部布都やー?」
とはいえ口調の方は、出来る限りの猫なで声を作って。刺激を少なくしてやった。
もしかしたら階下の奉公人たちが、ビクビクなのは。勇儀が原因でもなければ、いきなり来た諏訪子が原因でもない。
物部布都の明らかに、打ちひしがれた姿に恐怖しているのかもしれない。
何故なら諏訪子ですら怖いからだ、たかが人間にこれを耐えろと言うのは酷な話だ。

あと一歩、近寄れば。もういっそのこと、吐息を感じられそうだと言う距離になって。物部布都はこちらに振り返った。
もちろん、普通の勢いではない。
いっそ、何かやられる前に先制攻撃をくわえようかと思ったが、やらなくてよかったとすぐに考えを改めた。
諏訪子どのー!!」
物部布都が明らかに、泣き出したからだ。それも怒りなどではなくて悲しみの涙なのは、明らかであった。

「おおお、よしよし……よしよし…………とりあえず甘いものでも食べて落ち着こう」
諏訪子は物部布都がこれ以上、興奮することが無いように。一思いに布都の事を抱き寄せた。
そして布都の視界が、諏訪子の体によって見えなくなったのを良い事に。
辺りに散らばっている徳利(とっくり)を、部屋の奥に放り投げて。もちろん酒の入った一升瓶も、すぐに手に取れないようにとっくりと同じように転がして、遠ざけた。
その際、しっかりと酒の量がどれぐらい残っているか確認した。どうやら三分の一だって飲んでいないようだ。
この程度なら、まだ、何とかできそうな酔い方のはずだ。

「よしよしよし……私のなじみの茶屋にでも行こう!うん!そうしようそうしよう!」
とにかく酒からは遠ざけるべきだ。この部屋の隅にある程度なら、一思いに取りに行ける。
諏訪子は努めて明るい声を出しながら、布都を立ち上がらせて外へといざなった。






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最終更新:2020年09月26日 20:46