「よし、よし。阿求、ここに座ろう……と言うか、どうかここに座ってくれ」
稗田阿求に力仕事を、色々な意味でさせるわけにはいかないとして、上白沢夫妻が率先して作り直した会談の席に、稗田○○は戦々恐々とした様子を、隠す事も出来ずにいたが。
何故ならもはや、会談の席自体が異様としか言いようがなかったからだ。
差し向かいなのは、まだ先ほどの会談の席と同じであったが。差し向っている距離と言うのがここでは問題になる。
長机の端と端に座ろうとしているのだ、一番距離が遠い、話し合うには明らかに不便な距離を稗田夫妻及び白蓮と一輪はとろうとしている。
そして長机の中央辺りに、普通の会談の席のように上白沢夫妻は差し向って座った。
上白沢の旦那は既に憔悴しきった顔をしていたが、これは力仕事が原因などでは絶対になかった、妻である上白沢慧音はどこか楽しそうな気配が抜けていないし、旦那に対しては明らかに悪い笑顔を見せてくれることがあった。
こっちの方が力仕事よりも明らかに、憔悴する理由だった。

「ね、阿求。この依頼はまだ終わっていない、ここで放り出すわけにはいかない。依頼を完遂させるためにも、この会談は必要なんだ」
しかしながら稗田阿求にとっての最後の一線は、やはり、○○の存在そのもの、○○が納得していたり楽しんでいられるかどうか、○○の望みが叶えられているかどうか、これが最も稗田阿求にとっての大事な事であった。
だから、○○は作り直された会談の席に、○○は一切の不平不満を言わずに。
横合いには○○の妻である阿求の存在を、求めていた。
○○の横に妻である阿求、もはや○○を愛しすぎて狂い始めているではなくて、間違いなく狂っている阿求にとっては、その姿はやはり最も甘美な物であった。
それを○○自身が――今回の場合は状況のさらなる悪化を防ぐためと言う、かなり消極的な理由が存在しているけれども。
○○は決して阿求の事を嫌がっていない、こんな状況でも○○は聖白蓮にも上白沢慧音にも、肉体的魅力の高い女性に一切目移りしなかった。
やはり○○も、稗田阿求ほどではないけれども、そうとうに妻である阿求の事を愛してしまっていた。
やはりこの感情は大きかった。横にいてくれて、肩を懸命に抱いてくれて、声をかけてくれる。これらが全部、真の物だと気づく事が出来る、吐息すら感じられるぐらいに近いのだから、勘違いを起こすような心配は一切ない。
「そうですね」
少しだけ阿求が落ち着いたが、上白沢慧音や聖白蓮や雲居一輪の方向に目線を向けたとき、仄暗い優越感を見た気がした。
「そうですね」
阿求が先ほどと同じ言葉を紡いだが、その中にある意味は明らかに違っていた。
「やっぱり、あなたがいないと駄目ですね。特に今のこの状況、○○がいないと何も終わらない」
先ほどの『そうですね』に交じっていたのは優越感だと理解するのは、阿求が○○自身を異様に高く評価する言葉を聞けば、十分だった。
「ありがとう」
けれども○○が口に出せた言葉は、感謝の言葉だけだった。
異様なのは○○も同じだなと、○○自身も気づいていた。そして異様だと言う評価は、上白沢の旦那も同じように評価していた。
少しばかり、湯飲みが机を打ち付ける音が、高く鳴った。彼らしくない所作である、感情や思考でイライラすることは合っても、彼はもっと大人しい性格なのに。
これが自分に対する批判的感情であることは、○○にはすぐにわかった。そして同時に感謝した。
稗田阿求を、恐れていてもなんとか自分とまっとうに付き合おうとしてくれている。で、あるならば道徳や道義と言った部分も彼は○○にはまっとうで合ってほしいのだと言う意思が見えた。
その事に関する感謝の念は……可能ならば今すぐ伝えるべきなのだが。今は阿求が横にいた。
……そして自分でも分かる、歪んだ認識が存在していた。
この状況で上白沢の旦那に声をかけていないのは、阿求が近くにいるからというよりは、阿求に嫌われるようなことをしたくないからという方が大きかった。

長机の端の方に、稗田夫妻はともに着席した。しかしまだ、もう一方の端には誰も着席していない。
聖は雲居の腕を取り、何もしないようにと言う部分もあるけれども、下手に近づかない方が賢明だと感じていたからだ。
それがこんな形で表れてしまった、長机の端と端に座って、距離を無理やり稼ぐことになろうとは。
もう片方の端の方に、聖白蓮と雲居一輪が着席するように稗田○○が手の動きで促した。
もう片方の手は、当然と言えば当然であるけれども稗田阿求の肩をしっかりと抱いていた。
上白沢の旦那は肯定と否定の感情をごちゃまぜにしながら、その様子を見ていた。特に○○が稗田阿求の肩を抱いている部分に対してであった。
稗田阿求は、さっきまで爆発を続けていたのに。夫である○○が再びこの場を仕切り始めたら、急にヘラヘラとした表情に変わった。そしてそのヘラヘラ顔の、一回目の最高点は間違いなく、聖白蓮と雲居一輪に対して着席するように、指示した時であった。
なお悪い事に、稗田阿求は武者震いのような姿まで見せた。あの女の肩まで抱いている稗田○○が、それを気づけないはずはない。

……たしかに現状、稗田阿求を強力に抑え込めるのは稗田○○のみであろう。ならば彼が阿求を抑えるのはもはや義務。
けれども義務以上に愛情がありはしないか、上白沢の旦那はうがってみていた。愛情の存在までは否定しない、しかし稗田○○はその愛情が大きすぎないか、それが彼にとっては心配であった。

「お代わりいるか?」
少し、唇を噛み締めてため息をこらえたら。慧音がこちらの意を察したように、お茶のお替りを勧めてきた。
慧音はこんな状況でもニコニコとしていた。稗田阿求も上白沢慧音も、優越感を互いが互いに向けていた、だからどうにかなっているのだけれども。
慧音の場合は、肉体的魅力を阿求にも見せつけたり、聖白蓮よりも上だと思い込めるだけの――
というよりは、上白沢の旦那の一番の女は自分だと信じ切っているし――上白沢の旦那からしても慧音以外の女になびこうなどとは、思うだけでも恥だと考えてまでいる。
――もしかしたら自分も稗田○○と同じかもしれない。
慧音は少しわざとらしく、旦那の手に触れながらお茶のお替りを渡してくれた。
――この時、上白沢の旦那は気分が高揚するのをしっかりと、自覚した。
もちろんそれと同時に、こんな場面を稗田阿求に見せれば不味いとも分かったが、水を差すことに対する若干どころではない拒否感が、上白沢の旦那に言葉を紡がせなかった。
「大丈夫だ、稗田阿求の方は見ないよ。君の懸念も私は同じように持っているが、それ以上に今は君だけを見ていたい。君の、私に対する執念だけを」
けれども慧音は何もかもに気づいていたようだ。
上白沢の旦那は自分の気分が更に高揚していくのに、無頓着などではいられなかった。
それは稗田夫妻も、聖白蓮と雲居一輪の方も、両方ともを見なくなってしまったと言う形で現れてしまった。
そして皮肉なことに、今の上白沢夫妻がどうにも自分たちの世界に入り込んでしまったなとは、それを最も確認しているのは稗田夫妻であった。


「続けましょう」
けれども○○は、これ以上の阿求からの介入を様々な意味で良くないと思っていたので。もう自分だけで話を動かしてやろうと決めた。
それで稗田阿求の、肉体的魅力が低い以前の身体が弱いための、旦那に対する情欲の代替品となる。
自分が旦那に与えている権力を、旦那が、○○が振り回す部分を見せる事になろうとも。
実際、おずおずと聖白蓮が雲居一輪を、相変わらず暴れないように腕を取りながら座った時に、稗田阿求はますます興奮しだした。
彼女の肩をしっかりと抱いている○○は、それが嫌でもわかったろう。だけれども○○の考えは鈍らなかった、この依頼、最低でもこの会見を早く終わらせることだと考えをより強固にする事にしかならなかった。
「雲居一輪さん」
ようやく始まる……と考えながら○○は、もちろん、一輪の方に声をかけた。
彼女にはもう、意中の相手が○○以外の存在が、これでもかという程に濃く存在している。だから雲居一輪に対してだけは、気を付けて名前を全部読んでいるけれども、聖白蓮よりは危険性は少なかった。
……あくまでも稗田阿求の心理状態にだけ、目を向ければの話だけれども。

○○が徹底的に気を使って、聖白蓮の事を何とかしてまともに見ないように努力していたから、雲居一輪の事はこれでもかという程に見ていたので。
彼女が横合いで自分の腕をひっつかんで、最悪の場合の防波堤となっている聖白蓮にも、若干のうっとうしさを見せたり。
そして一番目についたのは、一輪が先ほどから必死になって手入れを続けていた、手先の整い方を随分と気にしている所であった。
さすがに、名前を呼ばれたら目線ぐらいは向けてくれたが。
稗田夫妻にも上白沢夫妻にも興味がまるで見えなかった。ただ目線の先に存在している、それ以上の意味を雲居一輪は持っていなさそうだ。
やはり恋敵の存在が、明らかに雲居一輪をおかしくしているのだろうけれども。
おかしくなっているのは、物部布都も同じはずだと。もういっそのこと、そうであってくれないと困る、それぐらいにまでは○○も思っていた。

「……何?」
ついに根負けしたようで、雲居一輪は稗田○○に反応を示してくれた。
相変わらず稗田○○は大いによそ行きの顔ではあるが、だからこそやましい意味を感じさせなかったのはあったのだろう。
余りにも事務的、近づかれることを拒んでいた。○○は阿求と言う一線の向こう側を嫁にしつつも、女性とどう話せばいいか十分に理解していた。
そして話したい事こそあるが、近づきたくはないと言う態度は、雲居一輪にもめんどくさい以上の感情を出すことを抑制もしていた。
「私としましても、ナズーリンさんからの依頼を一度引き受けてしまった以上はね。まさか放り出すだなんて、やりたくはないんで」
何よりも探偵と言う立場を、○○はこれでもかと利用した話しぶりだ。
のらりくらりとしつつも、目的の達成までは絶対に離さないぞと言うのがよくわかる態度だ。わざとらしい微笑がよく似合っていた。
ついに雲居一輪が根負けしたようなため息を出した。○○のわざとらしい笑顔はより強くなり……稗田阿求は楽しそうにしていた。クスクスと言う笑い声が、誰の耳にも聞こえた。
ずっと妻である慧音の顔を見ていた上白沢の旦那も、この阿求の嫌らしい笑い方に、ハッと我に返されてしまった。
実質的に、○○が雲居一輪から一本取ったともいえるのだから。稗田阿求は、それは嬉しかっただろう。
上白沢の旦那からすれば、こんな笑い方が出来る稗田阿求がいるから○○はこんないやな演技をする必要があるんだなとは思ったが。

「……で、どうすりゃいいの?ナズーリンの配下捕まえちゃったのは、頭の一つも下げなきゃダメかなとは思ってるけれども」
両夫妻の旦那は、一輪のあまりの軽薄さに少々目をむいて、恐怖すら出てきたが。どちらも敢えて無視を決め込んだ。
くしくもどちらの旦那ともが、とても強い嫁を持っている。あるいは権力、あるいは純粋な戦力。何かあってもどうにかなる、あくまでも自分たちは。

「まぁ、ナズーリンさんと一輪さんの間に関してもおいおい……ですが今は件の歩荷さん。あの男性を含めて、あなた方三人の事で話がしたい」
三人という数字が出て、一輪の表情は明らかに歪んだ。めんどくさいと言う感情が消えて、敵意にまみれた。三人と言う事は、物部布都も関わってしまうからだ。
しかし幸いその敵意はこちらにはあまり向いていないから、まだ話が出来る。
「あの成金仙人が今更、何が出来ると言うのよ。私はあの人と夜も一緒にいるのよ!!」
だが一旦鳴りを潜めていた敵意を、○○が思い出させたことによって。一輪はまた強い感情の波に、飲み込まれてしまった。
反射的に立ち上がってしまった一輪を、失礼が無いように以前の問題があるから、聖白蓮は精一杯の力で再び座りなおさせた。
「……姐さん、痛い」
一輪は抗議の声を上げたが、聖は無視した。むしろこの程度でよく済んでいる、物部布都のなんだか品のない商い程度を、とっくに通り越した人質事件の主犯なのに。

そしてこの程度で済ませているのは、実は○○の方も同じであった。
「あの男性とは……中々、夜の方も、上手く行っているようで」
○○の方から、一輪の喜びそうな話題を出してやった。一輪の表情はパッと、また一気に変化した。今度はとても嬉しそうで楽しそうであった。
「そうよ!あの成金仙人に、稼ぎの役を取られたのは癪だけれども、それ以外は、家の事も周りの事も、全部!私が受け持ってるわ。アイツと違って夜も!!だから私も必死になって体の手入れをする、やりがいってものがあるわ!あの人からすれば、あの成金仙人は、ただの同僚よ同僚。稼ぎのいい話を持ってきてくれた事は、あの人は優しいから感謝しているけれども。それだけよ!!」
「そうですか」
○○は大人しく、そして短く返事をするだけだ。
上白沢の旦那からは、○○が何かを諦めてしまったような感情が見えたが。多分それは当たっているだろうし、また非難をする気もない。

「まぁ、上手く行っているようで何より」
それだけか?と上白沢の旦那は思いながら○○の方を見たが、壁に掛けられている時計をちらちらと見るばかりであった。
「何かを待っているのか?」
上白沢の旦那はこらえきれずに聞いてしまったが、○○からしても少し安堵したような表情だった。
「まぁな」
しかしその割に、言葉は間延びしていた。その時に上白沢の旦那はピンときた、これは時間稼ぎなのだなと。
「うん」
○○はそう言ったっきり、器に盛られたお菓子に手を出して、何の気なしにと言った感じで食べだした。
しかし壁の時計はまた見た。
聖白蓮も、○○が何をしたいのかイマイチ分からなくて腹が立ってきた、というのはあるにはあるが。
そもそもの発端は自分の身内である事と、どうにもこの夫妻が危なすぎる事とが合わさって。黙って待つしかなかった。
先ほどの会話を聞けば、○○も何も考えていないわけではないようで、既に何かをやっていて今は待っているところだと言うのは明らかだが。
出来ればそのなにかは、やってから来てほしかったなと思い始めていた。


だが○○は我慢強かった。
時計を何度も見ていたが、お茶とお茶菓子で粘り続けても特段表情に変化は無かった。
もう15分近く、無言の状態が続いている。
慧音も段々と焦れてきたのか、足先でツンツンと旦那の方をつついてきていた。
上白沢の旦那としては、はっきりと言ってやめて欲しかった。興奮してしまう。
聖白蓮とは全然違う意味で、○○の待っている何かが早く来てくれと願っていた。
稗田阿求は相変わらずだ、○○の考え一つで自分たちが留め置かれているのだ。これが権力以外の何だと言うんだ。彼女はそんな場面を見るのが好きなんだ。


ついに聖白蓮ですら、無言と退屈に耐えきれずにこっくりと半分眠り始めてきたとき。
外からカラスの鳴き声が高く響いた。
○○はその声に息を吹き返して、喜び勇んでいるのが隠せない様子で外に出て行った。
聖白蓮はため息を盛大につきながら、状況の変化を噛み締めていた。
ついに雲居一輪の、手先の手入れを止める気力もなくなっている。

上白沢の旦那も、慧音からの色っぽいちょっかいにそろそろ我慢の限界を迎えていたから。
○○に急いでい付いて行ったがが、この旦那が○○に急いで向かう理由はとっくにお見通しだから。
慧音は旦那に向かって、ウィンクをするぐらいの余裕があった。
上白沢夫妻がいちゃ付いている様子に、聖白蓮は呆れる事すらできずに力のない笑みを浮かべていた。


「○○、カラスは何を届けてくれたんだ?」
上白沢の旦那はそう言いながら、○○の横合いについたが。○○は手紙を手に持ちながら、少し天を見上げていた。どうやらあまりよく無さそうだ。
「物部布都が今、洩矢神社で諏訪子さんと一緒にいる。というかこの手紙、諏訪子さんが書いてる。射命丸に頼んだんだがなぁ、見つかったのかな」
「それだけじゃないだろう?それが原因でそんな顔、浮かべるとは思えん。むしろ面白がりそうなのに」
早く言え、上白沢の旦那は○○にそう圧力をくわえたら、○○はすぐに言ってくれたが。
「物部布都が件の歩荷にフラれた。それもどうやら、雲居一輪の口八丁の結果のようだ。激突を覚悟しよう」
○○からの言葉には、上白沢の旦那も○○の肩を抱いて慰めてやるしかできなかった。






感想

名前:
コメント:




+ タグ編集
  • タグ:
  • 布都
  • 一輪
  • 権力が遊ぶときシリーズ
  • 阿求
  • 慧音
  • 白蓮
最終更新:2020年10月24日 23:16