いぢわる
「そっちは危ないですよ、○○さん。」
僕の側で彼女が言う。何かにつけて勘の鋭い人間というものはどこのクラスにも一人はいるのだが、どういう訳か
彼女のそれは他とは違っていた。いや…最早彼女は、普通の人間を超えた力を持っているとすらいえるだろう。
他人が考えていることを寸分の狂いも無く言い当てるのは、小説の中に生きる名探偵でもないのであれば、
人間業ではない。それに第一、シャーロック=ホームズですら、親友で助手のワトスン博士の思考を読むだけであった筈だ。
「あそこの人が…。」
彼女の言葉に目がそちらに向く。前を歩く人は、ごく普通のスーツを着ているように見えた。
「あっ、そういえば…○○さんは昨日から、私の言葉が聞きたくないんでしたねぇ。」
「………。」
彼女の言葉に応えまいと無言を貫く僕であったが、内心は気が気でなかった。
「おい!お前!何やってんだ!」
すれ違いざまにぶつかった男へ向け、スーツの男性が罵声を飛ばす。豹変する姿と辺りに響く大声に、付近の空気が
たちまちに凍り付いた。言い争いを始める二人に巻き込まれないように、遠巻きにしてに人が流れていく。
「仕事でのストレスをぶつけるなんて、みっともないですね。」
揉め事の原因すら推理する彼女。内心なんて分かる筈もないのに、彼女の言葉は堂々としていて、僕には全く真実に
思えていた。自分の心を落ち着かせるために、僕は頭をフル回転させた。服が乱れていたのだろうか?それとも腕時計が
年齢には似つかわしくない程に安物だったのだろうか?あるいは靴が汚れていたのかもしれない。
「その店はちょっと…。入らない方が良いと思いますよ○○さん。」
僕の思考に突然彼女の声が割り込んできた。
「さっきの事を頑張って考えている○○さんには悪いですが、私は別の店がいいと思うんですけれどね…。」
突然の彼女の言葉に僕の考えがまとまらずに乱されていき、そして先程の騒ぎが僕の心の中でリフレインする。
「不安が広がっていますよ…。さて、さっきの結果はどうでしたか?」
彼女の言葉を聞かないと決めた筈の僕の意思は、ボロボロに崩れ去っていた。
感想
最終更新:2020年10月24日 23:18