ズキリ
「いっ……たぁ」
何時もの様に死体を乗せ、それを押して運んでいる途中。
お燐の右腕に突然の激痛が走った。
「あたたた……なんだろうね、いきなり」
右腕を舐め、かばうように摩る。
あと少しでお空の所まで運び終わるというのに。
「働きすぎた覚えはないんだけどねぇ……お空にでもあてられたかな」
核的な意味で、と独り笑う。
本当は心当たりと言えるものがあるにはあったが、お燐にとってそれは、
今はもうなくてはならないものになっていたから。
気に留まる事は無く。
「後で○○に甘える口実が出来たって事で、よしとしておこうかな!」
その”なくてはならないもの”の、虫の知らせだなどと、微塵にも思っては居なかった。
死体を運び終えたお燐は、右腕の事もあり、そのまま博麗神社へと向かっていた。
大好きな○○が、よく顔を見せる場所だったからからだ。
右腕の痛みは既に治まっていて、うきうきとしながら跳ねる様に飛んでゆく。
そして、軽快な音を立てて神社の境内に下りると、
直ぐに目線をきょろきょろとさせながら、○○の姿を探し始めた。
――そして目に入る、珍しい姿の人物。
白の、正装に近い巫女服を着た霊夢の姿だった。
「おやお姉さん、今日は赤くないんだねえ」
お燐のかけた声にはっとした様に、霊夢は振り返る。
「……あんたっ!!」
その表情は何処か険しく、何時もよりも少し、何処か真面目な顔をしている様な。
「ど、どうしたんだい?……普段馴れない格好を見られたからって、
そんな顔をしなくたっていいじゃないか」
「え?……お燐。あんたもしかして、何も知らずに此処に来たの」
「……え……っ?」
○○の家に。
名前の通り、残骸があった。
かつて、○○だったもの。
今朝方に息を引き取った所を、人里の人間から伝えられた、と。
「何処からかの新入りの妖怪と鉢合わせたんだってね……」
襲われたのは昨晩。
発見された時にはもう、顔半分と体の殆どが見るに耐えない状態だったらしい。
医者を呼ぼうにも、○○は裕福でもなければそんな伝もなく、
勿論人里の人間達にはどうする事も出来はしなかった。
……それでも、○○は今朝、日が昇る時まで待っていた。
誰かを。
誰かを。
……大好きだった、誰かを。
「あ、ぁ、ぁ、ぁ、あ……」
お燐は手を震わせて、ただじっとその残骸を見つめる。
ぼやけた視界、熱く何かが流れ出している、けど、そんな事はどうでもいい。
「ぉに……おにー……さん」
どうでも良かった。全て。
「お燐……」
隣に居た霊夢が、優しく二度三度頭を撫ぜながら。
お燐がそこから動くまで、ただじっと黙って、其処に居た。
『飾ったり腐らせたりはしないでよ』
死体を預ける際、霊夢はそう言い放っていた。
「……ごめんね、おにーさん」
地霊殿の何処か、ひんやりとした洞穴の様な場所に○○は寝かされていた。
「私は、気付いてたのに。
気付けてた、筈なのに……
おにーさんの事」
○○の首に、お燐の手がまわされる。
「殺してあげる事が出来なかったよ……っ」
そのままぼろぼろと涙を○○の上へと垂らしながら、僅かな力で抱きしめる。
優しく、愛おしい者を、壊れてしまわない様に。
「おにーさん……」
そうして、ぺろ、ぺろりと。傷だらけの顔を舐める。
「ちゅっ……んうっ……あ、はは。やっぱり……冷たい」
時折、交える様に唇を重ねて。
「冷たいよ、おにーさん。冷たいよ……」
「どうして……?どうしてだろう、おにーさん。
おにーさんの死体が傍に有るのに、こんなにも冷たいのに。
あたいの頭の中は、真っ暗で何も見えないんだよ。
この洞穴の中の方が、余程明るく感じられる位、私の中の何かがずっと、
真っ黒くて、暗いどこかへと、叩き落されたままなんだよ」
おにーさんの死体を見てから ず っ と
ズキリ!!
……右腕に走る激痛。
それに触発されるように、お燐は○○の死体の匂いを嗅ぐ。
……入念に。何度も何度も。絶対に”間違えない”ように。
――人里より少し離れた山の中。
妖怪は何かに気付く。
……異臭。
いや、死臭だ。
それも異常なまでに強烈な臭い。
一体どれ程の死体があればこれほどまでの臭いがするのだろうかと、
そう思わせるほどの。
そして。
その妖怪の後ろに、それは、居た。
振り向き様に声が聞こえ
「滑稽だよね……直接的な恨みでもないのに」
「コンナニモ地獄ニオトシテヤリタイナンテサ」
何かが、通り過ぎて行った。
焼け焦げる様な臭いがする。
あたいはおにーさんの膝の上で眠っていた。
「起きたのか、お燐」
私は何も言わない。
ただおにーさんの膝の上が心地良くて、その満足感に浸っていた。
暖かい。
こんなにも暖かい。
死体運びを生業としていた癖に、今抱えられているのは私だった。
「いい天気だからなぁ。なんとなく分かるよ。
こういうのはみーんな、一緒の気持ちだからな」
……分かってないなぁ、おにーさんは。
あたいは、おにーさんの温もりが好きなだけなのに。
雨だろうが日が影っていようが、関係ない。
そこが森だろうと、洞窟だろうと、構わない。
たとえおにーさんから暖かさが消え、温もりが暖かさから冷たさに変わっても。
こうして肌を寄せて触れている、その感触さえあれば。
私は満足だったんだ。
だからおにーさん。
「そろそろ足が痺れてきたな……っておい、起きたんだろお燐。……おーい?」
あなたが死ぬ前に、あたいは。
――必ずおにーさんを連れて行くから。
でも、もしも……連れて行く事が出来なかったなら
「おにーさん」
抱えた死体に頬ずりしながら、あたいは何度も呼びかける。
「おにーさん。おにーさん。……おにーさん。おにーさん!
おにーさん。おにーさん。おにーさん。
おにーさん……おにーさん。おにーさん。おにーさん」
「○、○」
「好きだよ、あんたの事。お空よりも、
さとり様よりも」
だから。
「あたいは連れて行けなかった。
だから一緒に連れて行ってね」
「あたいを置いてったあんたが、天国に行ける訳無いからね。
……例え行ってたとしても、必ずおにーさんの所まで、迎えに行くから」
お空に休憩を取らせ、持ち場を離れさせたその場所で。
私は、○○に最期のくちづけを交わすと、そのまま倒れ込むように――の中へ落ちていった。
○○と一緒に。
これでもう、おにーさんが冷たくなる事はないから。
おにーさんに冷たいのは、やっぱり似合わないよ。
だから。
「……!?ぉ、お燐っ?!え、嘘、お燐ッ!!!」
あなたを連れに、迎えに行くよ。
焼け焦げた匂いがする。
「ん……」
柔らかな感触が心地良い。
眠っていたのだろうか。
ふと、見上げるとお燐が自分を笑顔で見下ろしている。
――ああ、膝枕されていたのかと気付いた。
「おにーさんっ」
「おはよう」
「……うん。おはよう。 好きだよ、おにーさん」
「んなっ」
唐突に聞こえたそんな言葉に驚いて、お燐の顔を見直すとその頬は真っ赤な色で染まっている。
不意打ちをしたくせに、照れているらしい。
それに答えるようにして、自分は何も言わずにお燐の手を握った。
焼け焦げるような匂いが、する。
「……魚が丁度焼けたみたいだね」
一緒に、食べようか。おにーさん
最終更新:2010年08月27日 11:54