諏訪子が物部布都を張り込んでいる射命丸と配下のカラスを見つけたとき、丁度いいぐらいにしか思っていなかった。
稗田○○と即座に届く天狗配達の手紙で意思の疎通が出来るならば、この状況ではこれ以上にこの状況を相手にするための武器はないだろうぐらいの感覚だ。情報伝達の速さは力であると、諏訪子は十分に知っていたからだ。
ただそんな諏訪子でも、稗田○○からの返信が届いたときは。
「正気か?」
思わずそうやって、酷いつぶやきを浮かべてしまった。心の底で思うだけで表に出さないようにするという、そんな腹芸も思わず使えない位に驚いたものであった。
すくなくとも諏訪子のような神様よりは神格だったり立場だったリ、そういった物が小さい射命丸のキュウと言う様な声で諏訪子はようやく我に返ったが……
諏訪子は、事態に対する諦めからの面白くなってきたと言う感情を、射命丸と共有したくて思わず彼女に手紙を渡してやった。
こんな感情を、1人で処理したくないという気持ちがやはり大きかったのだ。

射命丸は恐る恐る手紙の内容を見たが。見るや否や射命丸の顔は一気にひきつったものに変わったが、あまり大きな声を出されたら計画に支障が出ると諏訪子は判断したのか「しー」と言いながら諏訪子は、自身の人差し指を射命丸の視界に入るようにしながら、黙るように命令した。
諏訪子の身長は自分よりも低いが、それは諏訪子が神様である以上、向こうに最初から警戒心を抱かせないための擬態だと。
相手の目を見続ける事に慣れている、諏訪子の微動だにしない視線に射命丸が射貫かれる前から、分かっていた。

しかし思わず射命丸が驚嘆の声を上げようとしてしまった事を、別に諏訪子は責めなかった。
それは手紙の内容が射命丸の想像をはるかに上回る、酷い報告と言うよりは計画、あるいは指示書であったからだ。
稗田○○は一体何を考えているのかはわからないが、物部布都を煽って、命蓮寺に突っ込ませろと言い放ってきた。
命蓮寺にいることには、疑問の余地等は無いのだけれども。この計画だけはまったくもって、射命丸には理解できなかった。

「聖白蓮はこの計画を知っているのでしょうかね……」
息を整えてから最初に出てきた言葉に感情は、困惑や疑問以外には存在しなかった。どう考えてもあの二人を、しかも片方は盛大に酔っぱらってる状態でぶつけるなど。
シラフの時ですらあり得ない判断だとしか、射命丸には思えないのに。

だがこの時には諏訪子はもう、稗田○○と不意に何らかのやり取りをする可能性を常に考えているからであろう、室内ですら持ち歩いている筆記具を懐から取り出して新しい手紙を書きしたためていた。
「知らないと思うよ。稗田○○、あの男は少しケレン味が強いから、劇的な場面を作りたいし見たくて奇襲するのが好きなようだし」
諏訪子は手紙を書きながらも器用に、だが稗田○○に対するちょっとした呆れの感情を吐露した。
射命丸ほどではないが諏訪子も稗田家周りに呆れの感情を持っているのだなと、射命丸は感心したけれども。
射命丸の場合はあくまでも稗田にとっては小銭をぶつけられて、早苗の言う通り矮小な存在が小金を稼ぎに動き回っている風に演出されてしまった、少なくとも既に稗田家中の奉公人からは間違いなく、あの天狗はまた九代目様から小さい仕事でお小遣いをもらいに来たと、そう思われてしまっているけれど。
諏訪子の場合は遊郭のケツ持ちに就任できたお陰で、稗田相手に色々と顔を見せる事があっても、稗田家中の人間からは射命丸ほど笑われずに済んでいる。
稗田家の、稗田阿求の視点から物を言えば諏訪子はもうとっくに遊郭に何かあった際に真っ先に気づいて警告してくれる、潜入調査官だ。まさか信仰心の厚い稗田家の奉公人が、九代目様の嫌っている遊郭に通うとは思えないし、稗田の奉公人ともなれば交友関係も一般と比べればキレイな物だから。稗田阿求としても諏訪子からの情報はありがたい。


そして遊郭側からしても、諏訪子の存在は自らを嫌っている以上は稗田と下手に接触できないがゆえに、稗田と定期的に情報のやり取りをしている諏訪子は、稗田阿求の考えが急変したときに真っ先に危険を知らせてくれる一番の協力者である。
何より諏訪子はもう、遊郭内部の序列を外部協力者だというのに一気に駆け上っている。
今の遊郭の支配者である忘八達のお頭は現状維持こそが稗田に目を付けられない唯一の道だと理解している。
だからこそ商いの拡大をもくろむ勢力は、見つけ次第処断に走るぐらいの恐怖をまき散らして統制を強めているし、拡大をもくろむ勢力にはなお悪い事に、諏訪子ですらその見つけ次第処断と言う方法にいささか以上の理解と協力までしている。
射命丸も、ブンヤの一員である以上は何も知らないはずは無かった、例年以上に遊郭内部での『事故死』が多い事には気づいていた。だが何も言わない、稗田も遊郭も諏訪子も怖いから。

たかが小銭目当ての天狗と、事実上遊郭の守護者としてふるまっている神様。
射命丸は思った、洩矢諏訪子よりも私の方が立場が弱い分大変な立場にあるんだぞと。幸い、あんたの所の風祝である早苗がこっちに同情してくれているからまだマシだがと。
驕(おご)った考え方であると射命丸は思ったが、思わずにはいられなかった。喋りさえしなければ良いとまで考えるぐらいには、射命丸もいい加減、稗田相手に仕事をするのを止めたかった。
少なくとも諏訪子が今書いている手紙を届けるのは、配下の妖怪カラスにやらせよう。健康的で肉体的魅力も高い自分が届けるよりは、稗田阿求の苛立ちも刺激させずに済むはずだ。

射命丸は黙りながらも稗田から離れたいと考えつつ、諏訪子が手紙を書き終えるのを待っていたら。
奥の方から、何かが落下して床に落ちる音が、甲高い音が鳴り響いた。
「……神奈子が早苗を連れ出してくれていてよかったよ」
諏訪子は甲高い音に、耳が刺激されて不愉快そうに顔をしかめた。射命丸にも今の音が何なのか分かった、何かが割れた音だ、ガラスだか瀬戸物高までは分からないが。
どちらにせよ、トイレで派手に嘔吐物をまき散らすような酔っ払いならば、よくやりそうな失敗である。酔い覚ましに水か何かが欲しかったが……入れ物の手を滑らせて、と言ったところだろう。
「射命丸、悪いんだけれども。この手紙をあんたんところのカラスにもう一回届けさせて、私は物部布都につきそう……それで射命丸、あんたは掃除しといてくれない?」
「……ええ、分かりました」
はっきり言っていやだったが、まだ一線の向こう側の怖さがない諏訪子の方が聞いていてマシなのは事実であった。
稗田と違って一銭にもなりそうになかったが、射命丸はただ働きでも構わないと殊勝にもそう思ってしまうぐらいに稗田相手に冷や汗を、もう何百年分もかいてしまったからだ。


「我を見くびるか!?」
物部布都の叫び声は、状況の悪さも手助けとなりどんな大声よりも耳に悪かった。
射命丸が掃除道具を手にして、物部布都が巻き散らかした水の入っていた容器やそれを入れるための器の掃除を始めた際。
諏訪子は射命丸の期待通りに、相変わらず動きも目線も何もかもが定まっていない物部布都を連れ出してはくれたが。
一体洩矢様は何を、物部布都に吹き込もうとしているのだろうか。吐き散らかすだけ吐き散らかして、水も好きなだけ飲んだとはいえ、酔いの力でただでさえおかしい物部布都はもっとおかしくなっているはずなのに。
「まぁ、まぁ……物部や。私はお前の方が社会的にも重要人物だとは信じているよ」
物部布都相手に何をしようか、そして考えているのかはわからないが。諏訪子の言葉は射命丸からすれば驚くほどに冷静であった。
諏訪子も知っているはずだというのに、一歩間違えば大量に落命する事故を演出すること成功しかけていたのに。
意中の相手との恋路にとって邪魔であると、何を基準に判断されるか分からずに、そのどこに向かうか分からない殺意の矛先に……
まぁ、洩矢諏訪子は随分な神様だから大丈夫にしても。
射命丸の場合はもう、絶対に嫌であった、もうあんな連中と付き合うのは。それよりも小間使いのように掃除をしているぐらいの方が、気楽であった。驕り高ぶっているとすら思われている幻想郷の天狗にしては実に、殊勝な姿に感情であるが。
それよりも、どうか諏訪子が失敗せずにいますようにと。物部布都が暴れだしませんようにと、祈る以外の事は出来ないと言うよりは、やりたくなかった。
もう、これいじょうの面倒事は、ごめんこうむる以外の何物でもないのだ。

「よくある話だ。いい男ってのは、良くも悪くもモテるからねぇ……特に上の立場に立てる存在程……愛人も、側室も……」
「正妻は我であるぞ!!あんな肉塊だけが自慢の腐れ尼!!」
射命丸は出来る限り気配を消しつつ、割れたガラスやらの掃除を続けていた。暴れだしたら自分への被害も覚悟しなければならないし、たとえあの怒声が自分でなくとも聞くだけで辛い。
「あれだけの大きな催し物を何度も、そして毎回大きな売り上げを出せるんだ。物部や、あんたの手腕は本物であるぞ……」
だが諏訪子の口調や態度に変化は見られなかった、そこら辺りに格や年季の差を見て取ってしまったが。
物部布都の事は褒めて落ち着けようとしつつも、雲居一輪の事は絶対に悪く言わないように苦心している様子も、同じぐらいに射命丸はかぎ取る事が出来た。
ここであまりにも物部布都の肩を持ちすぎてしまえば、増してや雲居一輪の事を下げるような物言いをしてしまえば。
物部は道教ゆえに神様、神道との相性は良くは無いけれども。神様からの擁護と言うのは神道の存在ではなくとも、増してや幻想郷では強力な後ろ盾だ。
そう言った、物部布都に対する明らかな味方とならないように、諏訪子は注意していた。
どうせこの一件が終わったら、諏訪子は物部布都から離れようとするだろうし。物部布都だって意中の相手にしか興味がない。
空虚な関係だなと、射命丸はそれを悲しく思った。幸いな事は両方とも相手の事をそんなに重要視していない程度か。
しかしそれはそれで余計に空虚だが。射命丸ごときがこの案件に首を突っ込む必要はない、黙って散らかった床を掃除する作業に集中することにした。

そうしているうちに、物部布都を落ち着ける為もあったのだろうけれども。二人の会話は射命丸の耳にも聞こえない程度の、ヒソヒソしたものに変わって。射命丸が気が付いたときにはもう、二人ともがどこかに……命蓮寺へのカチコミにいったのだろう。
射命丸は諏訪子とはまた違った理由で、ブンヤとしての必要性によって持ち歩いている筆記具からメモ帳を一枚切り取り。
掃除が終わったので帰るという旨を書き残して、どこかに行ってしまった。


しかしながら物部布都はいきり立っている、諏訪子が落ち着けるために苦心したのが全くの無駄とは言わないが。
心中までは無理で、穏やかにする事が出来たのは、ただ単に大きな声を出さずに済ませているだけであった。
物部布都は飛ぶことも忘れて、人里の大通りのど真ん中を、明らかに鼻息を荒くしながら一直線に、命蓮寺の方向へと歩いていた。
まさか往来のど真ん中で、何よりも一番の目的である雲居一輪がいないのだから大丈夫だとは思うが、諏訪子はもう不安でたまらずに布都を追いかけていた。さすがにここで全く関係のない人間と喧嘩でもしたら、最悪の場合は博麗が、そこまでいかなくとも上白沢や稗田だってさすがに何もしないというわけにはいかなくなる。
たとえ表向きには、神霊廟の一員がおかしくなったと言う事になっても。稗田阿求は知っている、稗田○○空の頼みで物部布都の監視を続けている事、そしてそれに失敗したこと。
そうなってしまえば自分の名前にも、稗田阿求の心証だけとはいえ絶対に悪くなる。そのツケはいつか必ずやってくるので、諏訪子は必死になって物部布都を追いかけていた。

しかし今のところ、里人がいきり立って走っている物部布都を見ても。
その心証は好奇心が勝っており悪くは無かった。稗田邸での大乱闘は……諏訪子の直感では裏があると分かっていたが、表向きは命蓮寺と神霊廟の激突未遂事件と言う事になっている。
そしてそれを人里の人間は、稗田阿求からの手回しによって、信じ込まされているぐらいは諏訪子にも推理できた。

最もそれはそれでいいのだ、裏側なんて諏訪子には、関係ないと向こうに思われたままの方が、ずっとやりやすい。今、諏訪子が気にするべきは、監視してくれと言われた対象である物部布都が妙な事をしないように見張るだけだ。

「ふぅん。諏訪子様ったら、大変そうですね」
だが洩矢諏訪子は、物部布都を見失えば稗田阿求からの心証が悪くなる、この一点に思考を集中しすぎた。
諏訪子はとある喫茶店の席で、しかも窓際の席で、クッキーを食べながらコーヒーを飲んでいる早苗に、まるで気づけなかった。
「神奈子様、お会計お願いしますね」
早苗はお皿に残ったクッキーを急いで口に放り込み、コーヒーも飲み干して外に出て行ってしまった。
神奈子は一思いに追いかけようにも、このままいけば食い逃げだ、真面目な神奈子がそんな事は出来るはずは無かった。


「早苗!?」
神奈子は完全に早苗に付き合うつもりであったから、まさか急に、諏訪子が前を通りかかったとはいえ、せせら笑いに行こうかと思っているかもしれないなとは、神奈子も考えたっとはいえ。
喫茶店でのくつろいだ時間を、急に切り上げるとは考えていなかったし。食い逃げをするわけにもいかないので、支払いは確実にせねばならない。
それだけの理由があれば、早苗を見失う理由としては十分であったが。
諏訪子が物部布都を追いかけているのを見てすぐ、であるならば……神奈子だって諏訪子ほどあっちこっちに顔を売ろうとしている訳でなくとも。
「雲居一輪と物部布都の間に起こった問題絡みだろうな……命蓮寺か、早苗が追いかけたり先回りするとすれば」
神奈子としても予測はたやすい。
「……はぁ~」
神奈子は大きなため息を出したが、早苗が厄介そうな野次馬となりそうな動きに対して、神奈子は批判するような気持ちがまるで出てこなかった。
やっぱり自分は早苗に対して甘かった、そう思いながら神奈子は命蓮寺の方向へ足を向けるしかなかった。





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最終更新:2020年11月06日 00:04