権力が遊ぶ時 37話
「どうするんだ?」
上白沢の旦那が少しばかり、しびれを切らしたように○○に対して言葉を投げかけた。
「知ってるくせに」
対して○○はあいかわらずうそぶきながらも……若干の投げやりな雰囲気を友人である上白沢の旦那は、それを如実に感じ取っていた。
○○も、そろそろ疲労の方が勝ってきて。この依頼が終わればもう、多少の騒動には目をつぶると言ったような態度に見えた。
上白沢の旦那は明らかに疲労や心労を溜めている○○の姿に、少しは思いやったような顔を見せるけれども――上白沢の旦那は○○を思いやるさいに、チラリと稗田阿求の方を見やった。○○の抱えるあれやこれやに、稗田阿求がまるで関係がないなどとは思えなかったからだ。
けれども上白沢の旦那は、自分はまだマシだと理解しなければなかった。それは自らの妻である上白沢慧音が、抜群の魅力を持っているというだけでも十分な部分である。
だからこそ、自分が恵まれている状態に甘んじてはならないとして、喋る事が出来た。
――稗田阿求に対するいら立ちが無いとは言わない。
「聖白蓮はお前の計画……もはや隠しようのない大騒動で何もかもを覆い隠すというのは、知っているのかな?」
上白沢の旦那は○○の背中を叩いて、自分が隣にいるぞと主張しながら話を始めた。
その際、横目で気を付けている稗田阿求の身体が少し震えたような気がする。
「阿求、寒いのか?だったら中に入っていた方が良い」
○○は愛妻である阿求の事を気遣うけれども。それが実は的を外している意見だという事は、さすがに上白沢の旦那も気づいていたし……○○はそんなに鈍感じゃない、彼の横に立っている上白沢の旦那には○○の表情がやや硬い事に気づく事が出来たから、自信をもって○○はわざと外しているのだと言えた。
「いえ、あなたの横にいれば大丈夫ですよ」
しかし稗田阿求は、まさかの事で○○からの優しさや気づかいを全くもって拒否したが。
拒否の言葉こそ、気づかいに対する遠慮と取れなくも無かったが。○○の横にいた上白沢の旦那、その間に無理に入って行ったのは。これは一切の無視が出来なかった。
「まぁ、名探偵は名探偵なりに考えがあるのだろう。ここにいないと…・・・と言う事かな?」
だが状況の変化は、上白沢の旦那があるいはドンっという様な、突き飛ばすような動きを取り、稗田阿求は上白沢の旦那がしたように、○○の背中に手を回して元気づけるようなことを、行ったのであった。
意外な事に稗田阿求から突き飛ばされても、恐怖と言う感情は無かった、男相手にも嫉妬できるのかと言う驚愕とその余韻に呆れのみであった。
「……」
しかし上白沢慧音はやや腹立ちを感じたのか、彼女はスッと旦那の横に立った。
こんなことは言いたくないし思いたくも無かったが、上白沢の旦那にも、理解してしまえることがあった。
後ろから見れば稗田夫妻よりも上白沢夫妻の方が、こう、何と言うべきか。絵になると、そう判断せざるを得なかった
それがものすごく嫌なんだろうなと、対抗意識の源泉となっているのだろうなと言うのも理解できた。
後ろから見ているだけであるが、稗田阿求はかなりわざとらしく夫である○○とイチャイチャし始めていた。
少し○○も気圧されていたし、上白沢夫妻の方を確認したが。○○の方が残念ながら立場が弱い、結局は合わせてしまう。
けれども……○○が阿求の肩やら髪の毛やらに手を触れたとき。彼女の笑顔を見て、ああ良かったと思う様な表情を○○が浮かべていたが。
この朗らかな笑顔が真の物であるのは、そこに疑う余地は無いのだ。
信じられないような形での相思相愛だが、悪いとは思わないのも事実だ。これで周りへの嫉妬やら、悪意やらが少なければ最高なのだが。こっちの心労が減る。
そのまま奇妙なほどに稗田夫妻と上白沢夫妻は、お互いへと注意を向けずに命蓮寺の縁側で時間をつぶしていた。
○○の仕込んだ何かが発動するのを待っていると言えば、聞こえは良いけれども。命蓮寺の、特に聖白蓮の視点で考えれば、この二つの夫妻は居座っているようなもの。
まだ○○よりは動きやすい立場の上白沢の旦那が、たまに奥の方を確認して。誰かが来ないか、または来ないにしても気にしているようなそぶりは無いかと、確認しているが。
やはり稗田阿求が暴れたり、上白沢慧音がそれを明らかに面白そうに見ていたのが効いているのだろう。
どう考えても厄介な連中と思われているようで、気配と言う物がない、と言うか近づいて来ようとする意思すら見えてこなかった。
それは縁側で出迎えたっきり、タバコを吸い始めて追いかけてこなかった寅丸星にも言えた。まさかもういい加減、連続で吸っていたとしても手持ちはすべて吸い切っているはずだが、寅丸ですらこちらを確認しようとしてこなかった。
もしかしたら屋台村で、あるいは里にでも繰り出して、お茶でもしているのかもしれないが……命蓮寺にとっての自分たちが厄介者であることは上白沢の旦那としても自覚しているので、放っておかれているだけマシだと思うほかは無かったのが、悲しい所である。
「いやいや……ここまでは望んでいないぞ。少なくとも今じゃない」
上白沢の旦那が、放っておかれるというのは実はまだまだ甘い対応であるのだなと、今の状況を噛み締めながら待っていたら。
○○から悪い気配と言うか報告を聞き取ってしまった。驚いた上白沢の旦那は、○○が見ている方向に目をやったら。
とても体格のいい男性がトボトボとした様子であるが、けれどもまっすぐと、この命蓮寺の境内に入って来た。
後ろからは寅丸星が、何事かを男性に言い含めながら、待っているようにとでも言ったのだろうか。その男性はえらく大人しく辺りに据え付けられている長椅子に腰かけたが。
その男には上白沢の旦那も見覚えがあった……そう、件の歩荷だ。あの、よりにもよって一線の向こう側である、雲居一輪と物部布都から同時に好かれてしまったあの男がここに来てしまったのだ。
まだ物部布都は来ていない。と言う事はかち合うのはもはや必定であり……それに○○の予測では件の歩荷は、物部布都だけではなく雲居一輪もふってしまう事で、以前の生活を取り戻そうとしていると判断していたし。
上白沢の旦那も、その○○の判断には異論の余地は無いと考えている。彼がどこまで知っているかはわからないが、激突の中心に立ちたくないのは誰だってすぐに考え付く。
ならば命蓮寺の次席に座っている寅丸星であるならば、まずい事が起こりかけているのには、件の歩荷の姿を見た瞬間から気づけるだろう。
だからひとまずは長椅子に座らせて待つように言ったが……星からすればこのまま門前払いしたいぐらいの気持ちだろう。
寅丸星がまっすぐと、稗田及び上白沢の夫妻の方向に近づいてくる際も。さっきまでタバコをすっていたからそう言う風に想像してしまうが、ニコチンが切れたようなイライラした顔で近づいて来た。
無論、今の寅丸星の苛立ちの原因にニコチンの欠乏は殆ど関係がない。
「だが……命蓮寺に丸投げするわけにもいかない」
どすどすと言う様な足音が聞こえそうな動きで、寅丸星がやってきたが。○○だってそんな状況の寅丸星を気遣う事が許される程度の余裕は存在しているし、彼女だって稗田のような厄介な夫妻と近づきたいとは思っていないだろう。
星は両夫妻に近づくや否や、盛大なため息をついて言葉にこそはしていないが、お前たちが何とかしろと言ってきた。
もちろん寅丸星のこの主張は、至極もっともである。
「ええ、まぁ……こっちで可能な限り調整しますよ。出来れば最後までうまくやりたいぐらいですよ」
「もう半分は失敗してるよ。いや、半分どころじゃないか?」
○○は素直に、そして最大限あるいは全部こちらで引き取ると言ったが。寅丸星は憎まれ口をひとつ叩きながら、よく見えるが会話に巻き込まれない程度に遠い場所に移動していった。
しかし彼女には、そのような権利ぐらいは合ってしかるべきだし……
稗田阿求の動きを見る限り、憎まれ口にも逃げたことに対しても、あまり気にもしていないからだ。
状況をどうにでも動かすことのできる稗田○○の姿に、寅丸星よりも○○の方が今の状況では立場が強いと思っているのだろう。
一体彼女の権力欲はどこまで強いのだろうか……そしてなお厄介な事に、稗田阿求は、彼女は持って生まれた権力を自分が使うのではなく、意中の相手に貸し与えて使われる方に興奮している。
その事を考えると寅丸星のように上白沢の旦那もため息が出そうになったが。
寅丸星と違って、上白沢の旦那の場合は稗田○○の友人であるという立場が付きまとうし、彼本人もそれを続けるべきだと思っている。
今後も稗田阿求とは何らかの形で、否応なしに付き合う事を彼は求められる、寅丸星とは違う対応が求められると理解していたので……
上白沢の旦那は黙って目を閉じて心を落ち着かせて……せめて余計な事を何も言わないように努力した。
だが妻である慧音が後ろからぎゅっと抱きしめてくれて……それ自体は精神統一や心を落ち着けるのに有用であるけれども。
どうにも慧音は稗田邸での一件以来、たがを外して稗田阿求を挑発する方向に、方針を変えたような気配がする。
――慧音の肉体的魅力に対しては、上白沢の旦那もかなり正直であるし、それを許されているし、どう取り繕ってもそれに頼っている部分もあるから心苦しいけれども。
やはりそろそろ、慧音にはやや強めに稗田阿求への挑発を止めるべきだと頼むべきだろう、そうするべきなのだけれども。
「何、おまえはそう難しい事を考える必要はないんだ。少なくとも私にはな」
慧音からそう優しくて甘い吐息を掛けられながら、さらに強く……慧音の肉感的な部分を慧音自身が主張するように抱きしめられたら。
今でなくとも構わないか、せめて二人っきりの時に、そんな甘くて緊張感のない考えに上白沢の旦那は支配されてしまった。
「慣れたよ、もうね」
上白沢の旦那は思考も少し以上にゆるんでしまい、抱きしめてくれている慧音の方に体重を預けてしまった。
かかとも半分以上浮いていて、力もこもっていない。何もかもを上白沢慧音に預けてしまっている格好だが……幸か不幸か、上白沢慧音は旦那からの体重も含めたすべてを、受け止めてしまえる。
――こうやって、上白沢夫妻がイチャイチャしだした時。これに関しては残念な事に、上白沢の旦那はまだ精神統一と妻の方へと意識や神経を傾けていたので、周辺の事情を把握しようという部分は全く欠けていてしまった。
だから代わりに、全部を理解していたのは哀れにも寅丸星ただ一人であった。
件の歩荷へと稗田○○が近づき、上白沢夫妻は立ち止まったままで事の成り行きを見守っている『風』である。
その二つの、大体真ん中ぐらいの地点で、阿求が急に立ち止まった。
そこで稗田阿求が不意に、と言うよりは権力者然とした自分たちの姿に悦に入ったような表情で、ちょっと上白沢慧音の事を小ばかにするために、上白沢夫妻の方向を阿求は見やったが。
まさにその見やった瞬間は、上白沢夫妻がいちゃ付いていた瞬間であったのだが。
恐らくも何も……上白沢慧音も見られることを狙っていた。慧音は寅丸星も観客として数えていたかもしれないが、一番の観客――稗田阿求は見たくなかったろうが――として彼女は稗田阿求の事を選んでいたのだと、寅丸星にははっきりと断言出来た。
上白沢夫妻がイチャイチャしているのを稗田阿求が見たとき、彼女の口元から不格好に空気が漏れた。
叫ぶ事は出来ないが、沸騰する自分の感情を制御は出来なかったと見える。
そんな姿の阿求を見た慧音は、にんまりと笑いながら、大きな胸をわざとらしく揺らした。
阿求の口元から漏れる空気がさらに大きくなって、やはり胸の小ささを稗田阿求自身も気にしていたのだろう、上等なはずの着物の上から胸をかきむしって嫉妬の感情に支配され、暴走していた。
「目を閉じていた方が落ち着くなら、もう少し目を閉じておけば良い」
それでいて上白沢慧音は、旦那に対しては優しくて甘ったるい動きをしつつ、自分のキレイに整えられた手の平で視線を隠して、不味い部分を的確に旦那には見せないように動いていた。
旦那の主観で物を見れば、現状は目に余るために目を閉じて逃避の感情を抱いてしまうのは、これを非難するのはかなり酷な事だと言えた。上白沢慧音がそこに思いをはせたのは、これは、寅丸としても信じてやる事は出来るけれども。
それだけではない。慧音が旦那に対して甘く色っぽくやるのと同じぐらい、稗田阿求に対するどす黒い感情も存在しているのだと寅丸星には見えていた。
この時の上白沢慧音は、はっきり言って自らの色欲を隠す気持ちがみじんも無かった。
それは旦那が喜んでくれるからと言うのが一番目の理由であるのだとは、それぐらいは寅丸も思ってやれるが。
二番目の理由、はっきり言ってちんちくりんの稗田阿求に嫌らしく見せつける為と言うのも、
一番目の理由と同じぐらいに大きな理由だと寅丸星は上白沢慧音に言ってやりたかった。
そして旦那の目線を自分のしなやかで艶やかな手の平で隠してやってるのにも、先と同じ二つ分の理由があると。
いっそ寅丸星は上白沢慧音の夫に対して、はっきりと言ってやりたかった。お前の妻はかなりの悪女だと言う事を、伝えてやりたかった。
無論、お前の妻である上白沢慧音は、お前にはひどく優しいし色欲も肯定してくれるどころか、こいつ自身が色欲にまみれているから気にする必要は無いけれども。
自分たち以外の夫妻、特に稗田夫妻、と言うか稗田阿求に対してはいくらでも残酷になれるのだぞと言い放ちたかったが……。
寅丸星の脳裏には、例の稗田邸での、命蓮寺と神霊廟の激突未遂事件の情報が思い起こされていた。
今の今までは寅丸星も、雲居一輪がひどく失礼だったうえに物部布都も、火に油を注いで回ったのだろうと、そう考えてしまったが。
今は、先の考えが浅はかな物だったと考えざるを得なくなった。考えてみればあの席で暴れていたのは、上白沢慧音ただ一人だ。雲居に関しては聖が先手を打って、先にぶっ飛ばして、気絶させていたとはいえ。
物部布都にも、雲居一輪にも、またその首魁である豊聡耳神子や聖白蓮にも突っかからず。稗田邸の家屋だけを攻撃していた。一度気づけば何もかもがおかしい。
その原因として、稗田阿求が何か言ったのだと、寅丸星はそう判断するしかなかった。だが稗田阿求の余計な一言よりも、家屋の修繕費が神霊廟との折半とはいえ命蓮寺にも回ってきた腹立ちよりも。
寅丸星にとっては、上白沢慧音の戦闘力の方が一番恐ろしかった。だてに人里の守護者を名乗り、そして人里の最高戦力として機能しているだけの事はあるのだから。
それに加えて、人里の最高権力者である稗田阿求との確執を抱えている事に寅丸は気づいてしまった。
決して命蓮寺が小さな組織であるという、そこまで謙虚な考えは寅丸としても持ち合わせていないが……
分が悪い、なにより何の利益も見いだせない。上白沢慧音と稗田阿求の間に立つなど、そんなことに何の意味も利益も見出す事が出来なかった。
あの二人の夫である、二人の旦那ならばまだしも……そう考えて、目を閉じられていないはずの稗田○○の方向に目線をやって、こいつなら立場的にも物言いが許されると考えて、頼むよ……と言った塩梅で目線をやったが。
幸いにも気づいてはくれていた、その上件の歩荷の目の前に立って何事かが起こっているのを見えないように配慮までしてくれた。
けれどもそれだけであった。
「阿求!」
稗田○○は自信の愛妻である稗田阿求を呼びつけて、横にやって、肩に手をやったら。
それ以上の動きは見えなかった。
事態を重くは見てくれていそうだが……まともな動きがあるかと言われたらどうにも…………しかしながら。
「私には関係が無いか。私は外野だ」
そう言い聞かせるというよりは、そうじゃないと困ると願いながら。寅丸星は自分の部屋へと退散していった。
確かまだ……隠していた酒が残っているはずだから。
感想
最終更新:2020年11月29日 22:18